お金より大切にするものがある。
種子島で目指す、家族の「心のふるさと」

風間 辰広さん/民宿の運営

はてぶ

鹿児島県の種子島で、観光客向けの民宿を運営する風間さん。16歳で社会に出て、厳しい飲食の世界で働く中で家族に教えられた、「本当に自由な生き方」とは何か。現在の暮らしに行き着くまでに、どのような経験と想いがあったのでしょうか。お話を伺いました。

人より早く自立しないといけなかった

東京都荒川区で生まれました。小さい頃から、割と活発な性格だったと思います。小学校5年生の時に両親が離婚して、母親と町田に引っ越しました。母子家庭で苦労することが多くて、なんで他の家とは違うのかって母に反発することが多かったですね。

高校は1年で中退しました。家が貧乏だったので、ずっとバイトをしていて。早く社会に出て、お金を稼がないといけなかったんです。16でお金のことを考えないといけないことがとてもつらかった。親を恨んだし、自分の運命も恨みました。

社会で潰しがきくように、手に職をつけなればと思い、料理人を目指すことにしました。板前に弟子入りして、住み込みの修行が始まりました。

下っ端は、ずっと皿洗いや魚の鱗はがしや内臓の処理をします。鯛を片手で持ってたら、先輩に「身が割れるだろ!」って思いっきりひっぱたかれるような環境で、俺より鯛が大切なのかって思いましたね。めちゃくちゃ厳しい世界でした。

同期の弟子たちは何人も辞めていったんですが、俺は続けました。他に逃げる場所がなかったんですよね。やるしかない。人間やるしかなかったらできるんですよ。家に帰って普通に美味しい飯が食えて、普通に生活できるんだったら、頑張らなかったと思います。

そこで2年修行した後に、群馬の温泉宿で働き始めました。1泊10万円近くする、著名人や芸能人も泊まりにくるような高級宿でした。

料理も時間と技能を最大限かけて、高級なものを提供するんですけど、よく残されて返ってくるんですよ。先輩たちは「また味の分かんない奴がきたよ」って言いましたが、俺はなんか違うと思ったんです。

だって、牛丼は安く早く作れるのに、誰が食べても美味しいじゃないですか。それに比べて、ここでやっていることは、一握りの人にしか満足してもらえない料理。俺が望んでるのは、もっと世間の多くの人たちに満足してもらえる料理だと思ったんです。

料理人の進む道は、独立するか、板場の世界でトップを目指すかどちらか。俺は、自分の提供したい料理で勝負するために、独立しようと思いました。

ただ、バブルがはじけた頃で、周りでも独立後に失敗してしまう料理人を数多く見ました。よくあるのは、料理人としての腕はあっても、店の経営を知らないために、失敗してしまうパターンです。自分が将来そうならないために、ホールの運営や経営も身につく環境に身を置いて準備しようと、大衆居酒屋チェーンの会社に転職しました。

働いて見えた「お金より大切なもの」

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