音楽も絵も、興味があることを全部やる!やっと見つけた自分らしい生き方。

アーティストとして「ビジョンボード」と呼ばれる夢を叶えた姿の絵の制作をしつつ、将来は音楽や空間デザインなどにも取り組んでいきたいと話す新見さん。音大卒業後は、紆余曲折もあり「やりたいことで生活をする」のを諦めかけたこともありました。そんな時「環境を変えたこと」で、考え方も大きく変わった新見さんの半生を伺いました。

新見 有紀子

しんみ ゆきこ|ビジョンボードアーティスト
夢を予定に変えれるイラスト「ビジョンボードイラスト」の制作を行う。

ビジョンボードアーティスト新見有紀子 *official page*

友達に誘われて吹奏楽の道に進む


三重県で生まれました。物心つく頃には内容を覚えてしまう程絵本が好きで、小さな頃から保育士の母を手伝って絵を描いたり色塗りをするのが好きでした。また、友達についていくのが好きで、友達のしている習い事を私も始め、そろばん、水泳、英会話、ピアノ、習字など、週に6日間は何かしらやっていました。一度始めると続ける方で、興味は幅広くなっていきました。

中学生になると、友達に誘われて吹奏楽部に入り、楽器は特に希望がなかったので、最後に残っていたクラリネットを選びました。中学校の吹奏楽部は先生の教え方がうまく、実力もありました。そのため、コンクールでも表彰されて大きな大会にも出るようになったんです。やった分だけ上達するのが楽しく、本を読んだり擦り切れるまでテープを聞いたりして、ひたすら練習をするようになっていきました。

将来はプロの演奏家になりたいと考えるようになりました。そのため、高校も吹奏楽ができる学校に入り、3年生になると音大の受験をするために個人レッスンも受けるようになり、無事受験で合格することができた、愛知県にある名古屋芸術大学の音楽科に進学することにしました。

仕事をしながら音楽の道を模索


大学では、当然音楽に没頭しました。朝から晩まで練習して夜はアルバイトに行く、そんな毎日を送っていき、コンクールのオーディションなども受け、将来演奏家になりたいという夢は変わりませんでした。

ただ、他にも色々なことに興味があり、絵を描きたい等の気持ちもありました。とは言え、演奏家になるには音楽に集中しないとダメだと考えていたので、音楽以外のことはほとんどしませんでした。

大学を卒業してからは、地元に戻り家から近い携帯電話ショップで働き始めました。演奏家を目指している音大生は、基本的にはオーケストラを目指します。しかし、オーケストラは人が抜けた時にオーディションを開くため、それがいつになるかは分からないんです。そのため、卒業後も練習しながらその機会を待つ人ばかりなので、私も特に不安はなく、1年程お金を貯めたらパリに留学に行きたいと考えていました。

ただ、実際に仕事と練習を両立するようになると、お金を貯めながら練習をするのでは、プロを目指すには練習量が足りないと感じるようになっていきました。また、大学で勉強していたクラッシク音楽以外のことや舞台系の音楽にも興味が湧いてきたこともあり、パリへの留学ではなく東京に行き、エイベックスアーティストアカデミーのマネジメントコースに入ることにしました。

そこでは音楽の演出などを学んだのですが、結局私は自分がプレイヤーとして、自分のイメージを表現するのが好きなんだと分かり、半年ほどで学校を辞めて地元に戻ることにしました。

やりたいことで生活するのは難しいのか?


また携帯電話ショップで働きお金を貯めながら、今度はずっと興味があった絵の分野に挑戦してみることにしました。三重で働きながら、2ヶ月間週末は東京の似顔絵の教室に通い、その後は教室を運営していた似顔絵専門の会社に就職することにしたんです。店舗で似顔絵を描く仕事で、似顔絵をもらったお客さんが喜んでくれる姿を見ると、音楽は「好き」だったけど、絵は「得意」でもあるということに気づくことができました。

しかし、この会社にいると将来はずっと絵を描くことしかできないと感じ、私は興味のあることを色々やりたいと思っていたので、すぐに辞めることにしました。そしてまた三重に戻って携帯電話ショップで働き始めました。携帯電話の営業は人と話せるので好きだったし給料も悪くはなく、職場は居心地の良い環境でした。今までやりたいことをやろうと挑戦してきたけど、中々うまくいかなかったし、音楽や絵など自分が興味のあることで生活するなんて難しいのか、と諦めも感じるようになっていったんです。

しかし、そんな居心地の良かった環境も、店長が変わって一変してしまいました。職場がギスギスするようになり、体調を崩してしまい3ヶ月間休職することになってしまったんです。その間、家にこもって色々と考える時間がありました。「私の人生これでよかったんだっけ?」と感じることもあり、やりたいことで生活している人のブログなどを読むようになっていきました。

やっぱり自分のやりたいことをやって生きたいと、心では思っていたんです。

そして、起業家塾をやっている人のブログに辿り着き、やりたいことで生活するための方法を学ぶため、通うことにしたんです。

やりたいことをやるための理想の働き方


三重から毎月東京の起業家塾に通うようになり、ここで考え方が大きく変わりました。それまでは何でも環境のせいにしていましたが、全ては自分次第だと気づいたんです。「こうでなければならない」と勝手に自分で制限をかけて、会社という枠に自分を当てはめるしかないと思っていましたが、主体的に動いていくことで、チャンスは作り出せるんだと。今まで漠然と「やりたいことで生活したい」と感じていたことを、具体的に実現するための方法を学ぶことができたんです。

携帯電話ショップで働くかたわら、ショッピングセンターでフリーランスとして似顔絵を描き始めてみました。すると、たくさんの人から依頼をもらえて、すぐに勤務先の給料よりもお金を稼げるようになりました。また、会社で似顔絵を描いていた時とは違い、会社を挟まずに自分自身とお客さんの関係を築けるので、より一層嬉しいとも感じました。

そこで2013年28歳の時に、携帯電話ショップを辞めて独立することに決めたんです。辞める時までは不安もありましたが、実際にフリーになると関わる人も独立している人が増えたので、不安はすぐになくなっていきました。

働いていた時より稼ぎが下回ることもなく、時間に縛られずに仕事ができるようになり、ようやく理想の働き方を手に入れることができたんです。

音楽も絵も、興味のあることは全部やる


今は、ビジョンボードアーティストとして、お客さんの夢を潜在意識から叶えるためのビジョンボードイラストを制作しています。お客さんと話してその夢を聞き、それが叶っている姿をビジュアル化していきます。夢を持っている人と話すので、私自身がエネルギーをもらえるし、その後「夢が叶った!」と報告をもらえることも多く、やりがいがありますね。

今までは、安定するまではと思って絵一本に絞ってきましたが、将来的には総合的な空間デザイン、アクセサリーデザイン、写真との融合など、興味があることにはどんどんチャレンジしていきたいです。音楽も、新しい働き方を生み出して、若い人たちに提示したいですね。私自身も演奏家としてオーケストラに入る道しかないと縛られていたし、実際にその道を目指して食べていけないアーティストも多いので、そうじゃなくても音楽で生きていく道があることを示したいんです。

また、場所にも縛られない働き方をしていて、2015年は20カ国以上行く予定です。海外に行くと、それまでにない価値観に触れることで発想が刺激されるし、新しい人脈も生まれるので楽しいですね。ギャラリーで絵を売っていきたいとも思っているので、外国に行くたびにギャラリーに営業してようとも思っています。

これからも、とにかくやりたいと思うことや興味のあることは、「できないかも」と勝手に制限を書けるのではなく、全部やっていきたいですね。

2015.02.26

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