ニューヨーク進出の支援を、独自のかたちで。コンプレックスを乗り越えた先に目指すもの。

ニューヨーク進出を目指す日本人のための活動拠点「グローバルラボ」の立ち上げに挑戦している板越さん。借金取りに追われる幼少期から,ジャニーズJr.、アメリカでの起業の大成功という華やかな世界に踊り咲いたと思いきや、事業の失敗により数億円の借金を背負う、どん底に突き落とされた過去があります。どちらの世界も知っているからこそ、「もう自分の贅沢は必要ない」と話す板越さんが、これから目指しているものを伺いました。

板越 ジョージ

いたごし じょーじ|ニューヨークへの進出支援・研究者
グローバルラボ代表、中央大学政策文化総合研究所準研究員。
1968年東京都葛飾区生まれ。在米27年。中学3年間をジャニーズJr.として活動。
高校卒業後、バイク便でお金を稼ぎ単身渡米。イスラエル、ロシア、チェコ、グアテマラに短期留学。在学中、世界35か国を放浪。
1995年に出版・広告業のITASHO AMERICAを設立。7つの会社を経営し、資金調達を成功させ米NASDAQへ上場を試みるが、
2011年同時多発テロの影響で倒産。多額の借金を背負った。
現在は、アメリカに進出する企業や起業家へ会社設立や資金調達、ビザなどのコンサルティングを行っている。
2014年、グローバルラボを設立。クラウドファンディングを利用して会員を募る。
サウスカロライナ大学国際政治学部卒、中央大学ビジネススクール(MBA)修了、同大学院総合政策研究科博士後期課程在籍。情報社会学会所属。
中央大学政策文化総合研究所準研究員。在NY日本国総領事館海外安全対策連絡協議会委員。坂本龍馬財団理事。
著書に「クラウドファンディングで夢をかなえる本」「結局、日本のアニメ・マンガは儲かっているのか?」「アニメ・グローバル競争戦略再考」「とにかくどこかの会社にもぐりこむための77のヒント」等多数。

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どん底と頂点と


私は東京の葛飾区で生まれました。小学生の頃、父の経営していた会社が倒産して両親が離婚しました。私は父に引き取られ、借金によって家から追い出されたり、家に帰ると電気や水が止まっていたり、借金取りに追い回されたりする生活を送り、いつもお腹をすかせていました。ただ、それがあたりまえだと思っていたので、不幸だとは思ってなかったですね。

しかし、中学1年の時にジャニーズJr.に所属してからは生活が一変しました。どん底から、芸能界というある意味では最高に華やかな世界を見ることができたんです。中学の3年間はどっぷりジャニーズJr.として活動していき、高校受験の時は一時休止して、3ヶ月だけ受験勉強に励みました。

そして、高校に入って少しして、ジャニーズJr.は辞めることにしました。中学時代は友だちと全然遊べなかったので普通に遊びたいという気持ちもあったし、アイドルとして使われる側ではなく、自分がプロデュースする方が面白いと思ったんです。

その後、高校ではアルバイトをしながら、それまでやりたくてもできなかったサーフィンやバイクやバンドやスキーなど、かっこいいと思うものを全部やっていきました。勉強なんて全然していなかったですね。ただ、ジャニーズで感じたような「トップの世界」にもう一度行きたいし、自分は行くものだと思っていたので、大学には進学したいと考え浪人をすることにしました。

日本を見返したい


浪人中は超難関大学に入るため、必死に勉強していました。早慶くらい名があるトップレベルの大学にはいらないと、意味がないとすら思っていたんです。しかし、結果は不合格でした。

この時、自分は日本の大学には縁がなく、何回挑戦してもダメだろうなと感じてしまったんです。それなら、海外の大学に出るくらいのことをしようと思い、アメリカのサウスカロライナ州の大学に行くことにしました。日本を見返してやりたい、日本の大学は向こうから来てくれと言われるまでは絶対にいかない、なんて思っていましたね。

また、自分は日本で難関大学に入れなかったのだから、難関大学に入った人たちを追い抜くためには、大学の4年間で必死に勉強しなければと思っていました。貧乏だったことや大学に入れなかったコンプレックスが原動力となり、見返してやりたいと、とにかくがむしゃらでしたね。

そして、アメリカとソ連の冷戦下、ベルリンの壁が崩壊したり、ソ連崩壊が叫ばれたりと、国際情勢が目まぐるしく変わるような状況だったこともあり、私も国際政治の世界にどんどんのめり込んでいきました。世界の実情を見るためにバックパックを背負い世界35カ国をまわったり、アメリカ大統領選挙活動に参加したり、精力的に動いていました。将来は国際機関や政治に関わり、この混沌とした世界を平和に導く仕事がしたいと思っていました。

ただ、そのためにはまず世界の経済のことを知る必要があると考え、大学卒業後はそのままアメリカでニュースメディアに就職することにしました。

成功とコンプレックスへの反動


しかし、1年程経った1995年、26歳でインターネット関連ビジネスで起業することにしました。Yahoo!やAmazonの創業と同じ年でした。それまで、アメリカはずっと不景気で、今後も経済は立ち直らないのではとも言われていました。しかし、インターネットが登場して経済が明るくなっていく兆しが見え始め、その社会を変えていく可能性をひしひしと感じたんです。

また、アメリカではベンチャー起業家はイケている存在で、単純に自分もそちら側になって成功したいという気持ちもありました。正直、父の姿を見ていたので事業家にはなりたくないと思っていたのに、挑戦してみたいという気持ちが勝ったんです。

そして、インターネット広告の事業を始めて1ヶ月目から100万円以上売り上げ、「これはいける」と確信を持つことができました。西海岸のシリコンバレーに対し、東海岸の自分たちはシリコンアレーとして、コンテンツビジネスの頂点に立つと息巻いていました。

その後もニューヨークに住み、出版やキャラクター、アニメなど、コンテンツに関わる様々な事業を展開していきました。自他共認める大成功で、小さい頃からのコンプレックスへの反動もあり、かなり派手な生活を送り、物事を短期的なメリットで判断する嫌な奴になっていきました。

そうは言っても、自分には何も実績・誇れる勲章がなかったので、アメリカナスダックでの最年少上場を目指して事業をどんどん拡大していきました。

ニューヨークで日本人同士の絆を


しかし、そんな時に9.11が起きたんです。大混乱の中、私の事業もどんどん落ち込んでいき、いくつかの事業は潰れて倒産してしまったんです。さらに数億円の借金も背負い、まさにどん底でした。

もう自分の人生は終わったんだと思い、どうやって最期を迎えようか、そんなことばかり考えていましたね。またこの失敗から、もう二度と自分の事業は立ち上げないと思うようになりました。

ただ、この時に大変だったのは自分だけではなく、多くの人が困っていたのに、ニューヨークに住む日本人同士で助け合えるようなコミュニティがないことに気がついたんです。中国人やイタリア人や韓国人は自分たちの街があるのに。そこで、翌年の2002年からニューヨークの日本人同士の絆を形成するために「NY異業種交流会」を始め、『アメリカン・ドリーム』という、頑張る人を応援するフリーペーパーを発行することにしました。

また、ニューヨークで起業や事業展開したいという人から、相談を受けるようにもなっていき、特に会社立ち上げの支援に多く携わるようになりました。そうやって関わった会社が大きくなったり、成長したりするのを見るのは非常に嬉しいことでしたね。

そして、NY異業種交流会の活動をより持続的なものにしていくために、非営利団体として法人化もして、ニューヨークに住む日本人同士をつないだり、支援したりする活動に注力していました。

最後のコンプレックス


そんな生活を数年続けていくと、40歳という年齢が見えてくるようになりました。今まで様々な経験をして、小さな頃から持っていた経済的、社会的なコンプレックスは解消してきたものの、まだ「学歴」に関しては乗り越えられていない感覚がありました。

自分の事業をやっている時は、正直学歴なんて関係ないと思っていたし、むしろ高学歴に対して嫌悪感すらありました。しかし、やっぱりビジネスをしていく上でMBA等の教科書的なことを抑えておくことは重要で、しっかり学んでいれば自分も大きくは失敗しなかったと思ったんですよね。

また、アメリカの起業家の多くは大学院を出ている人が多く、日本でも最終学歴は仕事をする上で最初に見られるポイントでもあります。実際にどんなすごい人でも、学歴がないからという理由で話を聞いてもらえない瞬間があることを目の当たりにもしていました。そのため、将来グローバルに活動しながら日本人であることも最大限生かすため、大学院に行くことを決めました。

ちょうどそのタイミングで中央大学のビジネススクールができることになり、知り合いに誘われて試験を受けてみることにしました。すると、奨学生として授業料免除で行けることになり、まさに昔考えていた「大学から来て欲しい」と言われた状態で、日本の大学院に通えることになりました。

そしてニューヨークから日本の大学院に通う生活を続け、戦略経営のMBAを取得後、博士課程に進学するまでに至りました。やっと自分の持っていたコンプレックスから開放され、次の一歩が踏み出せるようになった感覚がありました。

自分にしかできないかたちでの支援を


その後も、毎年何本も論文を書きながら、日本人のニューヨーク進出支援を続けていきました。その中で、最近はクラウドファンディングという仕組みに興味を持ち、研究を始めました。これは、何か達成したいことがある人がプロジェクトを立ち上げて、インターネットを通じて一般の人から少額の支援を募る仕組みです。今まで支援してきた中でも、やりたいことがあっても金銭の問題で諦めざるを得ない状況になった人は多かったし、私自身事業をやっている時に資金繰りには苦労したので、画期的な支援方法だと思ったのです。

また、NY異業種交流会は拡大していき、2011年には様々な人が集まるための拠点を構えることができました。元々ニューヨークに住む人の交流として始めたこのNY異業種交流会は、現地の人だけではなく、ニューヨークに短期的に行くビジネスマンやクリエイター、学生など、より多くの人に関わってもらえる場となっていました。しかしそんな矢先、2014年9月にそのビルが開発地域になり、立ち退きすることになってしまいました。成長の兆しが見えかかってきた所への退去命令に、正直、愕然としました。

そして、このままこの場所を無くすわけにはいかないし、今後も継続的なものにしなければならないと考え、ずっと避けていた事業として取り組んでいく決断をしました。正直、その決断をするまでにはかなり悩みました。しかし、ニューヨークに進出したいと考える人を支援することが、私がすべきことだと感じたんです。

そして今は、ニューヨーク進出を目指す人のための活動拠点「グローバルラボ」を改めて立ち上げるために、自分でもクラウドファンディングを使って共感してくれる人を募っています。ありがたいことに多くの方から支援をもらえ、何とか立ち上げにはこぎつけることができそうです。まずはこの活動拠点をしっかりと立ち上げ、ニューヨーク進出を目指す人の支援基盤を固めていきたいと考えています。

事業としてやると言っても、これからは自分が主役ではなく、世界に羽ばたきたいと考えている若い人たちを支援するのが役目だと思っているし、その中にも、自分だからこそできる支援の仕方があると考えています。ベンチャー企業を立ち上げる人たちは、既成のものを破壊してイノベーションを生み出す人たちです。でも、壊れたところから新しい枠組みを整備する必要もあって、私は裏方としてその新しい土台を創る側になりたいんです。

自分で事業をやっていた経験や、学者としてアカデミックな分野での研究や提言もできることを強みとして、若いベンチャー起業家が創る道を整備していきたいですね。

それがもうすぐ50歳を迎える私の、歩みたい生き方です。

2014.12.11

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