丸く閉じないコミュニティを目指して。ちょっと怒られながら挑む、虎ノ門での街づくり。

好奇心旺盛でやんちゃな少年時代を経て、虎ノ門で街づくりを行う企業を立ち上げた小野寺さん。街づくりを通して実現したい世界とは。お話を伺いました。

小野寺 学

おのでら まなぶ|グー・チョキ・パートナーズ株式会社代表取締役
千葉県出身。デザイン系専門学校卒業後、CM制作会社、デザイン事務所、大手広告代理店の制作チームを経て、老舗の広告代理店で「Come On!! Toranomon製作委員会」の立ち上げる。2016年に独立し「グー・チョキ・パートナーズ株式会社」を設立。2018年UR都市機構賑わい施設「新虎小屋」をオープン。地元・虎ノ門の活性化のための活動などを幅広く行っている。

仲間のため義理堅く、分け隔てなく


埼玉県で生まれ、2歳のときに千葉県市川市に移りました。父は、昭和気質全開の性格で、よく一緒に仁侠映画やボクシングの試合を見ていましたね。周りの友達がアニメのヒーローに夢中だった頃、僕は次第に任侠映画に出てくる役者やボクサーに憧れるようになりました。

小学校3年の時にはグローブを買ってもらい、ボクシングを習い始めました。放課後や休みの日に父とスパーリングをしていたのですが、手加減をしない父のパンチをまともに食らって鼻血が出たり、目がクラクラするまでボコボコに殴られたりしました。おかげで腕っぷしが強くなりましたね(笑)。

また、弱いものいじめはしない、困っている人がいたら手を差し伸べる、仲間がいじめられたらお返しをする、という考えも沁み込んでいきました。「友達の弟が隣の小学校のやつにいじめられた」と聞いたら、いじめた子がいる学校に乗り込むこともありました。

それがきっかけで、親と校長室に呼ばれて、全学年の生徒から集めた「小野寺くんにされて嫌だったこと」のリストを延々読まされたり、休学処分や別室で特別授業を受けたりしましたね。

中学や高校に入ってもやんちゃな性格は変わらず、特に高校では地元の違う人たちが大半の環境だったので、お互いなめられるわけにはいかないと争い事ばかり。争うごとに仲間が増え、まるで漫画のような学生時代でした。

正直、素行はとても褒められたものではありませんでしたが、交友関係は広く「この人面白いな」と思ったら仲良く遊んでいました。オタクでゲームが得意な仲間や、やんちゃでバイクの改造が得意な仲間、バンドマンで楽器が得意な仲間、勉強が得意な仲間。小さな仲間の輪がたくさんあることで、色んなつながりが増えていって、混じり合わない仲間同志が仲良くなっていき、いつの間にか身内での争い事は無くなっていました。

夢を諦め、広告の世界へ


小学校から続けていたボクシングで、世界チャンピオンを夢見るようになり、高校2年の時にプロテストを受けました。結果は相手を倒したにもかかわらず不合格。なぜかはわかりませんでしたが、周りからは、めったに落とされることのない筆記テストで落ちたのではと言われました。

高校卒業後は、ボクシングに集中したいと思い、バイトをしながらジムに通いました。毎日10Kmのロードワークをしてからバイトへ、夕方はジムで2時間、自宅でも筋トレ。このルーチンを毎日欠かさずやっていましたが、夜な夜な仲間たちと遊んでしまい、日々のトレーニングも疎かになっていきました。

一方で、一緒にボクシングをやっていた仲間は、日本チャンピオンになったり世界ランカーになったりと、結果を出せずにいた自分との差はどんどん開いていき、ボクシングを諦めました。

ボクシングの道を諦めた後、次に何をしようか考えた時、父の影響で映画やアートなどをかなり見ていて、興味を持っていたことを思い出しました。

特に、作品紹介のフライヤーが好きで、よく映画館に行って映画のフライヤーを集めていました。そのデザインに魅了され「映画のチラシを作る人」か「映画を作る人」のどちらかになりたいと思うようになりました。デザインを学べば、フライヤー制作にも映像制作にも活きると思い、21歳のときにデザインの専門学校へ行きました。卒業後はCMの制作会社のデザイン部門に就職しました。

制作会社では、安い給料で必死に学びながら日々を過ごしていました。辛かったですが嫌な気持ちはなくむしろ楽しんでいました。通常業務と並行して、機材を借りて一時期世間を騒がせた宗教団体の取材に行ったり、自殺の名所に宿泊取材をしたりと精力的に個人活動もしていました。自分で企画を立てて何かをするというのが好きでしたね。

先輩方に学んだ仕事への向き合い方


CM制作会社で働いた後、大手広告制作会社で派遣社員として働きました。当時、最前線の広告制作チーム。世界の広告賞を受賞している人や一流大学出身のエリートなど、広告業界の猛者ばかりがいたチームでした。

僕は大学に行っていませんでしたが、チームの中では学歴や経験で差別されたりせず、むしろ遠慮していると怒られるような雰囲気でした。賞を獲っていようが、新人だろうが、分け隔てなく誰でも企画していいし、良いアイデアであれば誰が出した企画でも採用される環境でした。案が採用されたら、企画を出した人間が最後まで担当していました。新人にはできないこともあるから、と先輩方は優しくサポートしてくれましたね。

もちろん、めちゃくちゃダメ出しもされましたし、ハードな仕事環境ではありましたが、社会的にインパクトのある広告の仕事にもたくさん関わらせてもらいました。仕事の進め方やものの見方、プレゼンの仕方など、多くを学ばせてもらいました。

しばらくすると、チームが解散になり今度は、出版物のデザインをする会社で働き始めました。販売促進のためのツールや保険会社のパンフレットのデザインや取材などの仕事に携わり、マスメディアやクリエイティブとはまた違う、細かい仕事を教わりました。

その後、半年ほどふらふらとして、ひょんなことから東京都港区の虎ノ門にある老舗印刷会社に派遣で入ることになりました。入ってみてすぐ、制作のスタイルが全体的に古く、「タイムスリップしちゃったのかな?」と驚きました。紙の需要がどんどん減っている中で、チラシやパンフレットなどの販売促進ツールの印刷がメイン事業でしたし、名刺や会社ロゴのデザインも今っぽくないなと思いました。

すぐにやめようと思っていたところ、思いがけず社員にならないかと誘われました。「いやです」と即答しましたが、それでも粘り強く誘っていただいたので「ダサいと思っていたロゴや名刺を変えさせてもらえるなら入ります」と提案してみたんです。給与も高めに提示して。

すると、なぜか全ての提案を受け入れてもらえたんです。印刷業界全体が厳しい状況の中、業績が悪化していて、経営者も変革を望んでいたのかもしれません。それなら遠慮なくと、ロゴや名刺だけじゃなく、会社の事業戦略も大幅に変えました。印刷の仕事中心だったところを、デザインやブランディング、企画の仕事も受けるように変革していきました。企画やデザイン、映像もできる形にしていったんです。

「ちょっと怒られる」街づくり


それから数年後、たまたま会社のある周辺地域の再開発事業を進めるため、ビルの建設会社が設置した「街づくり協議会」に参加してほしいと、町会から頼まれました。

街づくりと聞いて、すぐに面白そうだなと感じました。長い間広告の仕事に携わっていて、いくら良いものを作っても時間が経てば忘れられてしまう「消費」される性質に虚しさも感じていたんです。その点街づくりは街といういつまでも残り続けるものをつくることができます。やりがいのある仕事だと思い、街づくり協議会への参加を決めました。

最初の会議では、ちんぷんかんぷんな話ばかりでした。「建ぺい率」や「容積率」など、建築の専門用語ばかり飛び交っていて、周辺の店舗や会社、街に住んでいる人には何のことかわからないし、そもそも自分たちには関係のない話ばかりだと思いました。

たまらず、「明日からできる、誰でも参加できる、まちづくりも考えてみませんか」と発言しました。すると、建築予定地の周辺に住んでいる人たちや企業、店舗の方が、その話に賛同してくれて、私を中心に「誰でも参加できる街づくり」を進めるチーム「Come on !! 虎ノ門製作委員会」が立ち上がりました。

毎月1、2回、理想の街づくりについて話し合う中で、様々なアイデアを形にしていきました。例えば、新橋・虎ノ門界隈に特化したニュースを配信するローカルメディア『新橋経済新聞』を、移りゆくまちの記録係として運営したり、ちょうど日本中でブームになっていた「ゆるキャラ」と呼ばれるマスコットキャラクターを作ったりしました。

特に「ゆるキャラ」は街づくりにあまり関心のない地元の人たちの興味を引きますし、地元以外の人たちにも虎ノ門をアピールするアイコンになるなと思いました。そんな話をしながら落書きしていたら、メンバーがイラストを気に入ってくれて「カモ虎課長」というキャラクターができ上がりました。

ネクタイを締めて、スーツをたくりあげてパンツ風にして、顔に「虎ノ門」と大きく書かれた覆面を被っているビジュアルに、痛風、腰痛持ちというキャラを加えました。どこか抜けてて笑える、面白いキャラクターの方が親しんでもらえるかなと思ったんです。

最初は町内会の方に呼び出され「パンツ一丁ってどういうことだ!」と怒られてしまいました。けれど怒られたことがきっかけで、むしろ町会の方と話しやすくなり、仲良くさせていただくことになりました。

街での活動をする中で、全国放送のラジオ番組を持たせていただいたり、流行していた曲を使ったPR動画を作ったりして、虎ノ門の多くの人に街づくりに挑戦していることを知ってもらうことができました。それまでバラバラだった地元の人たちの個別の輪が、少しずつ一つになっていく感覚がありました。

徐々に活動の範囲は広がり、周辺地域を巻き込んだイベントもやらせていただくようになりました。じゃあ、次は虎ノ門以外で虎ノ門をPRしようという話が持ち上がり、全国でやっているキャラクターイベントに参加させてもらったり、繋がりのあったイベント運営者に掛け合ってステージに出させてもらったりしているうちに、虎ノ門での街づくりに注目してもらえるようになりました。全国から虎ノ門に遊びに来てくれる人も増えてきました。

グーチョキパーでなにつくろう


カモ虎課長のキャラクターを使ってから3年ほど、街のイベントに出演したり、地元のお祭りに参加したり、ゴミ拾いをしたり、新橋経済新聞を発行したりと、地域に根差す活動を展開しました。しかし、印刷会社全体の業績が悪化してしまって、このままではカモ虎課長と新橋経済新聞にかかるコストを出し続けられない、全部やめようという話が社内で出始めました。

せっかくここまで育ててきたカモ虎課長や新橋経済新聞を終わらせたくないと思い、一緒に虎ノ門のイベントを手伝ってくれた社外のチームメンバーに相談したところ「地域に根差した活動をしていて、メディアやキャラクターを持っていて、デザインもできるなんて人はなかなかいない。独立すれば?」と言われたんです。

確かにそうかもしれない、と思ったと同時に、自分が生み出したキャラクターやメディアを存続させるにはそれしかないと思い、半年ほどかけて業務を整理し、引き継ぎを行って、独立しました。

街づくりでお金を稼ぐというのをテーマに共感してくれた2名を創業メンバーとし、3名で会社を立ち上げました。3人は、それぞれ得意分野が違います。グーの僕は、エンタメ担当、チョキは食や音楽担当、パーはテクノロジーや社会課題に精通しています。それぞれ違う得意分野を組み合わせて何かを生み出したいなと考えて、社名は「グー・チョキ・パートナーズ株式会社」にしました。「グー」と「チョキ」と「パー」を組み合わせていろいろなものを作っていく手遊び歌である「グーチョキパーでなにつくろう」の歌からつけました。

丸く閉じないコミュニティ作りを


現在は、カモ虎課長を使った活動や新橋経済新聞の運営の他に、UR都市機構の賑わい施設として「新虎小屋」というコミュニティスペース兼飲食店を運営しています。

新虎小屋では、コミュニティづくりに関心がある方だけではなく、通りすがりのサラリーマンがふらっと参加してくれる、敷居が低いコミュニティづくりを目指しています。例えば串焼きを焼いて美味しそうな匂いで誘ったり、新橋で55年ギターの流しをやってるおじいちゃんに来てもらったり。また、店内にお客さんの笑顔度を数値化する機械を設置し、その笑顔度数によって出演ギャラが決まる、シビアなお笑い芸人のライブなどもやっています。

また、新たに近くの別地域でも再開発が決まったので、街の人たちにヒアリングしながら、再開発を担う事業者たちとこれからの街づくりについての話し合いも始めています。

コミュニティ運営の際に大切にしているのは、町内会など古くからあるコミュニティにも所属し、新しいものも古いものも、全部関わっていくことです。虎ノ門は、いい意味で「らしさ」がない街です。オフィス街で超高層ビルもあれば、スケボーパークもあるし、パンツ一丁のカモ虎課長が交通整理してるし、「どんな街だ」と一言では言えないんですよね。でも、その全てが虎ノ門らしさですし、それでいいと思っているんです。

街づくりやコミュニティづくりをするとき、変に「ここはこんな地域だ」と分類する必要はないと思っています。分類して、丸く閉じてしまえば一つのわかりやすいコミュニティが生まれるけど、外から入りづらくなってしまったり、コミュニティから出づらくなってしまったりするからです。なので、あえて色をつけず「閉じない」場づくりを目指しています。

今やっているコミュニティづくりは本来、町会がやるべきものだと思いますが、街づくりやコミュニティづくりでは、なかなか稼げず持続可能にすることが難しいんです。その状況を改善できなければいつまでも、自分たちで自分たちの街を作ることができません。そんな状況を少しでも改善できるように、今後は新しい町会の形「町会2.0」を作る活動にも取り組みたいと考えています。

また、今繋がっている 「丸く閉じない」コミュニティと、あえて違う世代や違う思想の人を「かき混ぜて」、町会などの昔ながらの伝統ある「横のつながり」 を大切に活かして、街というコミュニティ以外に学校のような場づくりにも挑戦したいと思っています。

これからも、新しいことを始める際には「ちょっと怒られる」かもしれないほどの勇気をもってチャレンジをしたいと思っています。少し一般的な意見とずらしたり、踏み込んだことを言うようにすると、人が興味を持ち、おのずと引き寄せられ、より関心を持ってくれるからです。理想のコミュニティや場づくりに向け、「ちょっと怒られる」を続けていきたいと思います。

2019.09.18

インタビュー・ライティング | 種石光
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