地域支援という形で社会に貢献する道を選んだ、3人の人生まとめ

都心部ではなく、地元や地域の会社や文化を発展することが日本を元気にすることに繋がりますが、そんな生き方を選んだ方々をご紹介します。

それぞれの人が選んだ地域との関わり方、はどのようなものがあるのでしょうか。







それぞれの地域は、後継者や過疎化など、それぞれ深刻な問題を抱えていて、
だからこそプロモーションの場にもなる祭りにかける思いが非常に熱くて、
私もお祭りのステージを作ったり、出演いただくことで知名度をあげたりし、貢献したいと思っていたんです。

これまでは地域の企業支援の中でも、中小企業支援や若者支援、ソーシャルビジネス支援など、分野を絞りきれていなかったのですが、やはり中小企業が元気になることが一番の地域活性化につながるので、この分野に限られた時間を集中して使いたいと思います。



高嶋 舞さんのインタビュー全文はこちら







そんな時、たまたまスタディツアーで、出身地とは別の地方(特に都市部から地方)に移り住む、「Iターン」と呼ばれる現象で注目を浴びていた、島根県隠岐郡海士町を訪れる機会があったんです。そこで実際に現地で暮らす方と接していく中で、年収は都会の半分ほどの水準ながら、すごく幸せそうに見えたんですよ。「個人の自由な時間」「人と人とのつながり」「自然との共存」といった、地域の文化が幸せをもたらしているように感じられました。

そんな折、「地域おこし協力隊」という総務省の取り組みのフェアで、
山梨県小菅村を知ったんです。東京からそこまで離れていないにもかかわらず、もともと漠然と考えていた「家の隣が家でないくらいの田舎」という条件を満たしていて、何より、一緒に仕事をしてみたいと思える人がたくさんいたんですよね。私は、総務省の制度を利用して、東京を離れ、地域おこし協力隊として小菅村に移住することを決めました。



森 弘行さんのインタビュー全文はこちら







一番の転機は、「危機管理局」という部署に配属され、「防災ヘリコプター」の導入検討を担当することになったことでした。阪神大震災を契機に全国で導入が進んでいた防災用のヘリコプターを宮崎県は導入してなかったのです。国(消防庁)からも強い要請がある中、県庁の誰にも知見がないため、導入の検討をゼロから1人で担当することになりました。

危機管理上、絶対的に必要なものだと痛感すると同時に、県の財政が厳しくなる中で、「ここで自分が頑張らなければ、宮崎には一生防災ヘリが入らないかもしれない」という、使命感が浮かんできたんです。まるで、「自分が宮崎県民の命を背負っている」というような感覚でした。初めて、仕事でやりがいを強く感じたんですよね。



甲斐 慎一郎さんのインタビュー全文はこちら

2014.10.07