ケーキを通して、笑顔のきっかけづくりを。
小さい頃に見た父の姿に憧れて。
曽祖父が始めた店を親から継ぎ、洋菓子工房に変えて、オーナーシェフとして開発から販売まで行っている加賀さん。一度は別の道に進もうとしながらも、洋菓子工房を始めた背景とは。お話を伺いました。
加賀 琢也
かが たくや|洋菓子工房べルジェ・オーナーシェフ
洋菓子工房べルジェ/オーナーシェフ。
NPO法人パッション代表
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地域食材を使った洋菓子&就労支援事業所のコーヒー魅力発信プロジェクトスタート!
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黙々とケーキを焼く父の背中に憧れた
岡山県浅口市で、3人兄弟の長男として生まれました。小さい頃からハマったらぐっとのめり込むタイプで、プラモデルなどを作るのが好きでした。
両親は、フルーツショップと喫茶店を営んでいました。曽祖父が始めたうどん屋を、祖父がフルーツショップに変え、父が喫茶店を始めたんです。両親が商売で忙しいので、ご飯は用意されているものの子どもたちだけで食べることが多く、家族の団欒は少なかったです。それが普通だったので、友達が家族と集まってご飯を食べるのが不思議でした。
小学6年生のある日、父が遅い時間に喫茶店で出すチーズケーキを焼いていました。母に頼まれて父を呼びに行くと、父が黙々とケーキを焼いている。その姿がとても印象的でした。かっこいいなと。作ることは好きでしたし、お菓子を作る仕事は良いなと感じました。
中学高校と、比較的真面目に勉強していました。ところが、高校1年生が終わる頃から、仲良い友達と学校を抜け出して遊ぶようになりました。学校が嫌なわけではなく、遊ぶことの楽しさが勝っていましたね。
将来の進路について、「商売は大変だ」と聞かされて育ったので、家業を継ぐつもりはありませんでしたね。両親にも大学に行くよう言われていたし、「大学に入って、安定した会社に就職して…」とうっすら考えていました。化学が好きだったので、理系の大学進学を考えました。
せっかくなら一人暮らしもしたい、と鳥取県にある大学で、香りについて学べる生物応用工学科に進学しました。具体的には考えていないものの、ぼんやりと「将来お菓子の道に行く可能性もあるんじゃないか、香りについて学んでおけば何かしら役に立つんじゃないか」と考えていました。
大学では全く勉強しませんでした。教科書にある決められた法則をひたすら深く学ぶだけで、面白くなかった。裏切られたような感覚でしたね。化学に強い思いがあったわけでもないので、夢中になれなかったです。
日々自由で、植木屋さんやパチンコ、スーパーなどのアルバイトでお金もそれなりに入ってくるので、友達と集まっては飲んで朝まで喋って、いわゆる一般的な大学生活を過ごしました。その場の楽しさだけ考えていましたね。
小さい頃から変わらない想い
就職活動では、香りを活かした仕事を探し、2社内定が出ました。結果には喜びましたが、卒業が近づき行くことになると思うと、気分がのらない。この仕事で良いのかな、と漠然と悩んでいました。
両親に報告するため帰省すると、母に頼まれ父を呼びに行く機会がありました。厨房に向かうと、父がまたケーキを焼いていたんです。その瞬間、「夢か何かで見たことあるな」と思い、すぐに思い出しました。これは自分が小学生の時に見た姿だなって。そして、今見ても、自分はこうなりたいし、かっこいいと思ったんですよね。自分の気持ちは変わっていない。強く意識することはなくても、当たり前のようにいつも見ていた景色に触れて、「これ、自分がやりたいことなんかな」と思いましたね。
小学生の時は、仕事を深く理解していなかったので、お菓子を作るのがただ楽しそうに見えました。でも就職を控えた時に見ると、仕事の大変さも伝わってきた。大変なのもわかる。でもやってやろう。自分の想いに火がつきました。
将来は自分の店を持とうと決めました。家は喫茶店ですが、ケーキ屋さんがやりたかった。ただ父の店を引き継いでやるだけだとおもしろくない。新しいことをしたいし、父以上に良いものにしたいと思いました。
知り合いが大阪のホテルのシェフと繋がりがあり、「辞める人がいて、やる気がある人を探している」と聞きました。たまたま、タイミングがぴったりでした。「一度良かったら行ってみる?」と聞かれ、会って話したいと伝えると、面接してもらえることになりました。
親から最初は反対されましたが、想いが強く、内定を断り、大阪のホテルに入社しました。
独立のためのケーキ屋修行の日々
ホテルの仕事は本当にひどかったです。軍隊のような環境でした。新人はお菓子作りを覚える前に、まかないのご飯を作るのが仕事なんです。朝5時に行って雑用をし、8時までにまかないを作り終える。毎日同じものを出したら怒られるし、シェフやチーフにコーヒーを出すときは、それぞれの好みに合わせて砂糖をグラム単位で変える必要がある。帰宅は24時過ぎ。「ここでほんまにケーキ作りの勉強できるんかな」と思いましたね。
周りは専門卒で年下が多く、歳だけくって仕事ができないので、肩身が狭かったです。だからこそ、誰よりも早く一番に行って、みんなが嫌なことをしようと決めました。頼まれたことは断らずに全部やることも徹底しましたね。そのうち先輩が「ほんまに馬鹿じゃ、変わってる」といじってくれるようになり、「仕事終わったらメシでも行くか」「ちょっと手伝ってくれ」という声もかかり出して、少しずつ仕事を教えてもらえるようになりました。厳しくもされたけど、可愛がってもらえました。
お菓子作りはもちろん、人の育て方、どう伝えれば人が気持ちよく働いてくれるかなど、すべてが勉強になりました。
大阪に来る時、結婚をして、10年頑張ろうと思って入社しました。しかし、将来自分の店を持つために、ケーキを作るだけでなく、お客様に接するお店で働きたいと思いました。そんな時、広島の知り合いから、人が足りないところがあると聞いたんです。2年でホテルを退職し、広島県のケーキ屋さんに転職を決めました。
やりたい店のイメージに近く、より楽しく働けましたね。自分が食べ歩きをしていると、店ごとに美味しい自慢のお菓子があり、「このお菓子どうやって作っているのかな」「これ自分の店で将来出したいな」と気になるんです。勉強していくと、他の店のことも知りたいと思うようになりました。
オーナーに話すと理解してくれて、知り合いのお店を紹介してくれました。2年弱で転職し、新しい店ではスタッフ4~5人に指示を出すチーフという立場になりました。新しく自分で開発したお菓子を店で並べてもらえるようにもなりました。
4年経ち、ある程度やりたいことができ、後輩にも経験を伝えられた手応えがあり、そろそろ地元に戻って自分の店を始めようかと考え始めました。そんな時、別の店にいた「この人から学びたい」と思えるチーフが辞めることになり、「俺の後、代わりにチーフをやらないか」と誘われたんです。
最初は断ろうかと思いましたが、その店の社長がすごく良い人で、人柄に惚れましたね。「独立前の勉強に使ってくれたら良いよ」と言われ、「この人のもとで、もう一回できることを出し切ってから独立しても遅くないし、良いんじゃないか」と思ったんです。自分のお店というつもりで頑張ってやろうと、転職を決めました。
2年で辞めて独立すると決めて、がむしゃらに働きました。どんどん新しいこともやらせてもらえました。自分の店に近い形で動かせてもらい、本当に楽しかったです。
独立するも、スタッフゼロに
2年働いた後、32歳で岡山県に戻り、独立しました。前々から両親に相談しており「自由にしていいよ」と言われていたので、喫茶店をやめてケーキ屋を始めました。最初は不安だらけでしたよ。ケーキは作れるけど、それだけで買ってもらえるわけではないので。
独立して1年ほど経った頃、スタッフが次々に辞めてゼロになってしまいました。自分が当たり前だと思っていた働き方を、そのままスタッフに押し付けてしまったんですね。ついていけなかったんだと思います。
スタッフがいなくなって、仕事はいくらやっても終わらない。でもお客様はありがたいことにどんどん来る。朝から夜中まで、ほとんど寝ずに仕事をしました。妻と2人、お互い一切笑顔がなくなりました。無意識だったんですが、お客様が来た時、「これ以上来るな」と口走っていたと、後で妻に聞かされる。それくらい追い込まれていました。
楽しくやっていたお菓子作りが、一切できない。本当に辞めようかと思いました。ケーキ作りだけじゃなく、人の扱い方も知らないと、経営者としてやっていけないことが身に沁みました。
半年ほど頑張った後、やっとアルバイトが1人、2人入ってきました。ありがたかったですね。「こんなに従業員がありがたいんだ、働いてもらえるのはこんなに嬉しいことなんだ」と改めて感じました。
そこから徐々に店の経営が安定してきました。
2年後には、地元の素材をなるべく使った商品づくりを始めました。岡山では、いちご、もも、坊ちゃんかぼちゃが有名です。これまでは地元のお菓子がなかったので、「町のお菓子ですよ」と持っていけるお菓子を作りたいと思いました。
元々、知り合いの農家さんから、正規品として出荷できないものを処分しなければならず、困っていると相談されることがあったんです。そこから、正規品として売れないけど良いものを買い取って、加工してお菓子づくりをするようになりました。農家さんもお客様も喜んでくれるのが嬉しいですね。
他にも、「夢ケーキ」という取り組みも始めました。子どもたちに紙に夢を書いてもらって、家族も一緒に、夢のケーキを作るんです。
これは子どもたちの夢を形にするだけじゃありません。自分も幼い頃家族とご飯を食べる時間が少なかったし、虐待のニュースもよく聞きます。家族の時間が減ってきたんじゃないかと思います。ケーキを作る体験を親子でやることを通して、家族が笑顔で語る時間、触れ合う時間を作っているんです。
ケーキを通して、人を笑顔に
現在、洋菓子工房ベルジェにて、オーナーシェフをしています。最近は、作るのは従業員に任せて、商品の開発・販売をしています。
地元の素材を使ったお菓子づくりがこだわりです。農家さんから直接仕入れた安心安全な果物をたくさん飾ったケーキや、地域の特産物を使った焼き菓子に力を入れています。岡山産のもものピューレを使った、晴れの国岡山にちなんだ「太陽のガレット」が人気ですね。
最初は自分の店を持ちたくてやってきましたが、今は誰かのために、ビジネスとは違う形で貢献したいと思っています。その一つが「夢ケーキ」。家族が楽しくわいわいする時間を作っています。
今後は、お菓子業界を、もっと働きやすい環境にしていきたいです。お菓子業界は昔から、労働時間が長くなりがちです。ぱっと見華やかですが、中は大変な仕事です。
直近では、地元の高校の製菓学科で臨時教員として関わっています。「将来、お菓子の仕事をしたい」とニコニコしている生徒が、社会に出て1年、2年もせずに辞めてしまう。残念だし、もったいないですね。
お店を週2で休むのは難しくても、シフト制にして休みを設けたり、仕事の簡略化や機械化で労働時間を減らしたりして、経営者やお菓子に携わる者が、変えていかないといけないと思います。
もう一つの目標として、小学校に出張して、参観日のような感じで「夢ケーキ」を一緒に体験する時間を作りたいです。「夢ケーキ」が浸透すれば、虐待などの状況も変わるんじゃないかと思うんです。
今後も、ケーキを通して、人が笑顔になれるきっかけづくりをしたいですね。
2018.01.23
加賀 琢也
かが たくや|洋菓子工房べルジェ・オーナーシェフ
洋菓子工房べルジェ/オーナーシェフ。
NPO法人パッション代表
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