大阪で生まれた僕が、神奈川で漁師に!
好きを突き詰めて仕事にした生き方。
神奈川県で漁師として生きる仲地さん。大阪で漁師とは全く関係のない家に生まれながらに、海に惹かれ、漁師となるまでには並々ならぬ努力がありました。そんな仲地さんにお話を伺いました。
釣りが好きで、漁師に憧れを持つ
僕は大阪で生まれました。兄が喘息だったため、毎週末は家族で海の風に当りに行くことが多く、時間を潰すためにと、物心ついた時には釣りを始めていました。家族の中でも僕だけは釣りにのめり込んでいき、中学生になる頃には自分で自転車を漕いで海まで出て、本格的に釣りをするようになりました。
僕が住んでいたのは難波の地域だったので、海まで出るには1時間ほどかかりましたが、それでも月に何回かは海に行っていました。やっぱり大物が釣れると嬉しいんですよね。隣の人が大物を釣っているのをみると、「こんなのいるんだ」と、さらにやる気が出るんです。
そのため、将来は漁師など海に関わる仕事に就きたいと思っていました。そこで、高校も漁業や航海に関わる人が行く水産高校に進学することにしたんです。親からはかなり心配され、「地元の高校を出てから考えるのでも遅くないのでは?」と何度も言われました。僕自身、将来のことは漠然としていたので不安もありました。
ただ、勉強ができるわけでもなかったし、どうせなら「好きなこと」をやった方が結果も出るだろうと考えて、水産高校に行くことを決意したんです。そして、大阪には水産高校はなかったので、徳島にある高校に進み、寮生活が始まりました。
寮では上下関係も厳しく、かなり大変な生活が始まりました。また、水産高校の漁業科に来る人は、基本的にはみんな実家が漁師で、違うのは僕くらい。そのため、船をロープで止めるなど、他の人が昔から慣れ親しんでいることができず、風当たりはより一層強かったですね。
それでも、そういう世界だということは分かっていたし、ここで負けてしまったら根性なしだと思っていたので、辞めようとは思いませんでした。また、逆にここで耐性をつけておけば、将来どんなことが起きても大丈夫だろうとも思っていました。
漁師にはなれない事実に気づき海洋大学への進学を目指す
学校生活に慣れてくれると、先生は親身に教えてくれたし、同期も仲が良かったので、楽しく過ごしていました。毎日、釣りや素潜りなど魚捕りばかりしていましたね。
しかし、漁師になるには地域ごとの漁業組合内で「漁業権」を取ること、つまり組合員になることが必要で、基本的には家業を継ぐ道しかないことが分かりました。漁師の家庭に生まれていない僕は、漁師にはなるのはとても難しかったんです。
その事実を知り将来に悩み始めたある時、マグロ漁船に乗る研修がありました。船で太平洋沖まで何日もかけて出て行くのですが、その時見た海の景色は感動的でした。沖縄なんかだと水面から30mくらい先まで見えますが、その場所では60mくらい先まで見えるくらい海が透き通っているんです。
この時、教官からは「もう一生見られないから、よく見ておけよ」と言われました。水産高校に通う生徒は、基本的には毎日近場の海に出る沿岸漁業の仕事に就くので、大きな船に乗って遠洋漁業に出ることはないですから。
ただ、僕はもう一度この場所に戻ってきたいと思い、そのために東京にある海洋大学に進むことを決意したんです。大学に行けば遠洋漁業を行う企業に勤めたり、研究者になる道があると考えたんです。
海洋大学には全国の水産高校からの推薦枠がありました。しかし、僕の通っていた学校の漁業科から海洋大学に行く人なんていないし、それまで勉強は全くしていなかったので、先生からも進学は無理だと言われていました。
そこで、今から勉強で勝負しても勝てないだろうから、小論文と面接に全てを賭けることにしたんです。ちょうど3年生になると課題研究があったので、その研究の内容を論文と面接で熱く語ろうと。
そして、寮の近くに綺麗な川が流れていたこともあり、うなぎの生態を研究することにしました。毎朝、自作の罠を持って川にうなぎを捕りに行き、昼休みもひたすらうなぎについて勉強していました。
すると、なんと試験本番の小論文のテーマが、うなぎに関してだったんです。その瞬間、僕は誰にも負けることなく、無事に海洋大学に進学することが決まりました。
将来の進路を考えるために休学する
ただ、勉強せずに入学した分、大学に入ってからは、一般教養の授業には全くついていけず苦労しましたね。また、将来のこともはっきりと見えていなかったので、悩むことも多くありました。
そんな時は、日本全国に旅に出て考える時間を作ることにしていました。旅先の様々な場所で魚捕りをしたり、現地の人と話して考えを整理していきます。すると、やりたいことだったり、やるべきことが見えてくるんですよね。
また、大学では選択肢を増やすため、専攻していた海洋生物学だけでなく、船乗り養成コースの授業や、水産高校での教員免許も取っていました。しかし、どれもしっくりこなかったんです。
船乗りコースでは、実際に船に乗って何度も長期の旅をしました。マグロ漁船で見たような綺麗な海を見られたのは良かったのですが、これを仕事にはできないと思ってしまいましたね。実際の仕事では、数ヶ月間船の中で生活し、数週間は陸地で休む暮らしになります。航海中は、たとえ家族に何かあったとしてもすぐに戻れないので、僕には合わないと思ったんです。
また、教育実習に行った時に、教師は思っていたよりも事務仕事だと感じてしまいました。それなら実際に海に出たり、現場の仕事をしたいと思ったんです。
そこで、将来の進路に関して考える時間をもう少し作るために、1年間休学して世界を旅することにしました。そして、アルバイトでお金を貯めつつ、インドネシア、タイ、アメリカと行くことにしました。
一度は漁師向けのIT会社に入ってサラリーマンになる
海外でも海に行き、それぞれの国での水産業や、魚捕り文化の違いを学んでいきました。どこの国でも海辺に行けば魚捕り好きのコミュニティがあるので、そこに行き「日本からひとりで学びに来ました」と言うと、たいてい色々なことを教えてくれるんです。
そうやって色々な場所に行きながら、自分のこれからのことを考えていました。魚を捕ることが好きだったので、やっぱりどうにかして漁師になりたいという気持ちはありました。ただ、一方で漁師という大変な世界で耐えられるのかと、不安もありました。
朝も早いし、土日が休みというわけでもない。すでに就職した友達は仕事が面白く無いと言ってばかりでしたが、もしかしたら、僕は漁師になれたとしてもサラリーマンになった友達を羨ましく思ってしまうかもしれない。それなら、いずれにせよ一度会社で働いてみようと思ったんです。もし、働いてみて楽しいならそれもありだと。そこで、漁師向けに営業を行う会社で働き始めることにしたんです。
漁師さんに営業で会いに行くようになると、それまで気になっていたことを聞けて、結果的に情報収集に繋がっていきました。また、漁師さんは「今日も全然捕れなかった」とか文句を言ったりしているんですけど、夕方になると浜で友達らとお酒を飲みながら楽しそうに笑っていたりするんですよね。その姿を見ていると、みんな漁師の仕事を誇りに思っていると伝わってきたし、やっぱりこの仕事がしたいと心から思うようになりました。
また、最近だと漁師が減っているため、漁師の息子でない人でも、若い人を積極的に弟子として受け入れていることも分かってきました。これは、ついに漁師になる時が来たんだと思いましたね。
周りの人には、大学を出て漁師になるなんてもったいないと言われました。しかし、大学や海外でも色々学んだからこそ、漁師として面白いことができると考えていました。そして、半年ほど勤めた会社を辞め、神奈川県でしらす漁を行う親方に弟子入りさせてもらうことにしたんです。
色々な人を巻き込んで面白いことができる漁師に
現在は、かねしち丸という船のもとで修行をさせてもらっています。毎朝、日の出の頃に海に出て、お昼頃には陸に戻ってきます。神奈川のしらす漁では、漁獲した魚は市場に卸すのではなく、自分たちで加工し、販売まで行います。1次産業から3次産業まで行うので、「6次産業」と呼ばれています。
しらすの漁期は3月から12月頃までなので、その他の時期は他の魚を狙った漁をしています。毎日近場の海に出る沿岸漁業に携わる漁師の仕事は、それぞれ自分たちのスタイルで自由に動けるところが醍醐味ですね。釣りや素潜りもそうですが、自分が予想した通りに魚がとれたり、大漁だったり、平均より大きな魚を穫れた時が楽しいんです。
あと1年ほど今の船で修行をさせてもらうと、漁業組合に入り組合員になれる予定なので楽しみですね。いつか自分の船を持ったら、漁での工夫だけではなく、色々な人を巻き込んで面白いことをしていきたいですね。
例えば、今の子どもは、海や魚と触れ合う機会が少ない人も多いので、釣り船のような気軽さで漁業体験を提供したいと考えています。また、商品にはならない珍しい魚が網に引っかかった時は、研究者に送ったり、骨で標本を作って雑貨屋さんに販売したりもしていて、そういう活動も広げていきたいです。これは大学で生物学を学んだからできることで、苦労して勉強したことも無駄ではないんだと感じますね。
この先、あくまで漁師として、時間を作って世界中に行き、その国ごとの漁業文化も学んでいきたいですね。意外に、海外の漁に関して体系的にまとまった本はあまりないので、将来はそんな本も書けたら面白いですね。
僕は他の漁師と比べると少し変わっていて、大学にも進み、様々な知識や理論を得たからこそできることもたくさんあると思っています。それに加えて、実際に現場での勘だったり経験則を学びながら、より面白いことをしていけたらと思います。
2015.07.09
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