頑張って耐えて成功することが、唯一の正解じゃない。
子どもが教えてくれた、「今」の幸せの大切さ。
キャリアコンサルタントとして、「今」の自分が満足できることの大切さを伝える川口さん。そう考えるようになった背景には、2人目の子どもを亡くしてしまった経験がありました。悲しみの中、川口さんが受け取ったメッセージとは。お話を伺いました。
川口まどか
かわぐち まどか|キャリアコンサルタント
大学卒業後、広告代理店に入社し法人営業を担当。演劇に興味を持ち劇団に入団、演劇関係のチケット取扱会社へ転職する。その後、結婚を機に医療機器メーカーに移り、マーケティングや人事、採用、広報などを担当。2人目の子どもが亡くなったことから自分と向き合い、2019年に独立。フリーランスのキャリアコンサルタントとして活動する。
耐えて頑張れば、成功できる
埼玉県川越市で育ちました。両親と7つ上の姉がいます。一つ上に兄もいましたが、子どもの頃に亡くなっていて。その分もあってか、可愛がられて育ちました。特に父にはよく甘えていましたね。
幼稚園に入ると人に対して関心が強くなり、先生やクラスの男の子をすごく好きになりました。気持ちが高まり、「愛するXXくんへ」「だいすきなXX先生へ」とラブレターを書いていたほどです。相手に何かを求めている訳ではなくて、溢れる好きを伝えたかったんです。
小学生になってもその性格は変わらず、人目をはばからず好きを伝えまくっていました。好きな男の子を見つけてその子の話をするのも楽しかったですし、友達とダブルデートみたいにして出かけるのも楽しかったです。
でも、中学生になったらだんだん、周りを意識するようになって。今までは自分がどう思うかが全てでしたが、他人にどう思われるかを考えるようになったんです。そしたら、今までのようにすぐに好きとは言えなくなりました。加えて、他人と自分を比較して、自分に自信が持てなくなったんです。
小学生のとき胴着姿の先輩に憧れ剣道を始めていたので、中学では剣道部に入りました。部員が多く、自分よりも強い人がたくさんいて、なかなかレギュラーになれなかったんですよね。そのことも、自信の喪失に拍車をかけました。
部活が始まったらまずグラウンドを10周、空気椅子などさまざまな筋トレメニューをこなし、竹刀はほとんど持てないハードな練習の日々。すごく辛い中で頑張っているのに、周囲に比べて成果を出せないことに落ち込みました。
でも、なんとか試合に出たいと思い、勝てる方法を考えました。私は背が小さいから、面打ちでは大きい相手に勝てません。攻めるなら小手打ち。自分でシミュレーションしながら、フェイントと見せかけて小手を入れるやり方などを考え、少しずつ自分の技を確立していきました。もっと頑張って、辛くても耐えなきゃいけないと、自分を追い込み練習しました。
その結果、ある試合で念願の選手に選ばれ、出場することができたんです。緊張していましたが、面をかぶると他のことはどうでも良くなって。緊張が解けて自分の力出し切ることができました。決勝まで進み、同じチームの選手と対戦することに。3分1本勝負なのですが、何回やっても勝負がつきません。延長につぐ延長で、二人ともヘトヘト、立っているのもやっとの状態でした。実力差はほとんどなかったと思います。でも、最後の最後に、気力で勝つことができました。本当に嬉しかったです。耐えて頑張れば勝てるんだ、自分にもできるんだ。そう思えて、大きな成功体験になりました。
社会人の衝撃からの復活
高校は自由な校風の、大学付属の私立へ進学。周りの子は制服の着こなしがこなれていて、キラキラまぶしく見えました。せっかく自信を回復したのに、また持てなくなってしまって。一旦は剣道を離れようと思ったのですが、何か自分が自信を持って打ち込めるものが欲しくて、やっぱり続けることに。友達に声をかけて部員を集めて回り、活動しました。強い部活ではありませんでしたが、剣道部の仲間との日々は楽しくて、剣道一色の生活でしたね。
将来のことはほとんど考えず、付属の大学の社会学部へ進学。ラクロスやバイトなど、やりたいことを楽しみましたね。就職活動の時期になると、何か自分を表現できる仕事がしたいと考えるようになりました。剣道をしている時はよかったですが、それ以外においては他人の目が気になって、自信を持てない自分がいました。剣道を離れてももっと自分を表現して、自信を持って仕事をしたいと思ったんです。そこで浮かんだのがマスコミ業界。クリエイティブで華やかなイメージがあったので、広告代理店やテレビ局などに絞って応募していきました。
最終的には、面接時などに感じた社員の人柄に惹かれて、ダイレクトマーケティングに特化した広告代理店を選びました。しかし、入社してみると、書類の封入や通販雑誌のラッピングなど、地味な仕事ばかり。イメージとは違っていました。加えて、これまで自分が正しいと思ってきたことに、ことごとくダメ出しを受けたんですよね。
例えば、日誌に書く文字の大きさ。これまで学校の硬筆の授業では、枠いっぱいに大きく力強い文字を書くのが良しとされてきました。でも、大きく力強く字を書いていたら、「おい、ちょっとそれは違うよ」と呼び出されて注意を受けたんです。小さいことなのですが、今までの価値観が覆されるような感覚があって、カルチャーショックでした。自信をつけるどころか、ますます自己肯定感がなくなっていきました。
でも、耐えて頑張ればできるはずだと考えて、適応するよう努力しました。どうやったら仕事を取ってこれるか、パフォーマンスが上がるか、自分なりに考えて動いていきました。すると成果が出始めて、少しずつ自信も回復していきました。
自己表現を模索する
最初のショックを乗り越えて、仕事にも慣れてきた4年目のこと、家から5歩ほどの近さにある劇団が妙に気になるようになって。毎日劇団の前を通って出社するので、だんだん興味が湧いてきたんですよね。
就職活動していた時に抱いていた、華やかな世界への憧れを思い出し、舞台ならそれに近いかもしれないと思いました。仕事に慣れても、幼少期の頃のように好きを伝えたり、剣道していた時のようには自分を表現できていない窮屈さがあったんです。
一度くらいのぞいてみたいと、ある日勇気を出して劇団を訪ねました。「社会人なんですけど、入れますか?」。聞くと、小・中学生メインの劇団でしたが、「一緒でよければ土日に参加してもらっていいですよ」と言ってもらえました。そこで、劇団に通うことにしたんです。
子役たちと一緒に、演技やダンス、日本舞踊などさまざまな授業を受けました。なかなか自分の思った通りにはできなくて、自己表現の難しさを感じましたね。それでも一生懸命取り組むうちに、せっかく入団したのだから一緒にやってきた仲間とともに卒団したいという思いが湧いてきました。卒団するためには、卒業公演に出演する必要があります。しかし、会社に行っていては卒業公演の練習ができない。
社内の人間関係はよかったので、ここでやめるのはもったいないという気持ちもありました。でも、今じゃなければできないという思いもあって。思い切って会社をやめて、卒業公演に専念することにしました。公演をやりきったんです。
終わった後のことは何も考えていませんでした。演劇の道もありましたが、自分で納得のできる自己表現はできず、役者に進むという決断はできませんでした。そこで、演劇に近しいところで働ける、演劇関係のチケット取扱会社の営業に転職したんです。
やらなきゃという自分への呪縛
しばらくその会社で働きましたが、結婚を機に、働き方を変えたいと医療機器メーカーの営業に転職しました。それまでは自分の想いを優先していましたが、家族を持ったら自分優先じゃなく、家族を支えたいという気持ちがあったんです。
子どもが欲しいと思いましたが、30歳で入社して、どうせすぐ出産で休むんでしょ、と周りに思われているような気がして。まずは仕事をちゃんとやらなくちゃと、環境に合わせて無理に働くようになりました。
一方で、以前から生理不順だったこともあり、産婦人科に行くと子どもができにくいと言われ、不妊治療を始めました。会社や同僚には何も告げずにいたので、仕事と治療の両立が大変でしたね。不妊治療は、決まった時間に薬を飲まなきゃいけないですし、常に数カ月先を見据えて行動しなくてはなりません。知らないうちにストレスが溜まりました。常に神経を逆立てているような気がしていましたね。
それでも、治療4年目でようやく子どもを授かり、出産することができました。本当に嬉しかったです。頑張って努力したから結果が出た、という気持ちもありました。
出産してみて、生活の中心は自分から子どもになりました。いきなりそうなることに違和感がありましたし、子どもに合わせるのは正直大変でした。でも、誰かに何かを言われたわけではなくても、子どもを一番にしなきゃ、頑張らなきゃと自分自身にプレッシャーをかけていました。
年齢的な懸念もあり、2人目の子どもをと考えていましたが、職場に迷惑をかけないよう環境を整えてから産もうと、一度職場復帰することにしたんです。
「今」の自分は幸せか?
数年働いたのち、2人目を授かりました。赤ちゃんがお腹にいる間、会社では後輩のケアと自分の仕事、家では子育てと家事と、責任感から全部を抱え込み、ストレスフルでハードな毎日でした。でも、私が耐えて頑張ればうまく行くと思っていたんです。
そんなある日、急に会社でお腹が痛くなり、病院に行くことに。お腹が痛くなることは時々ありましたが、痛みが尋常じゃなくて。赤ちゃんは7カ月でした。病院に着き、診療してもらうと、先生たちがざわざわと集まってきて、モニターを見ながら何かを言い始めました。最終的に告げられたのは、赤ちゃんには脳に先天性の異常があるということでした。
脳の中身がきちんと分かれていない状態で、生まれることが難しい。生まれることができたとしても、重度の障害があると。今までは順調に育っていたのに、嘘でしょ?と思いました。なぜ私に?と。現実を受け入れられませんでした。
でも、陣痛は始まっていました。その病院では受け入れ体制がなかったので、集中治療室のある病院へ。難産でした。出産した後も、胎盤が出てこなくて掻き出さなければならない状態に。出血が酷くて、私も意識がなくなって。なんとか一命をとりとめて、赤ちゃんと会えたのは出産から3、4時間後でした。赤ちゃんはケースに入って、酸素ボンベをつけられて、あまりにも小さくて。
先生から、「このままでもあと数時間しか持たない、酸素ボンベを外しましょうか」と言われました。酸素ボンベを外して、生まれてから8時間後に、赤ちゃんは他界しました。
とにかく、一人になりたかったです。考えてもどうしようもないんですけど、考えつくところまで考えて、なんとか事実を受け入れようとして。数カ月間、そんな状態でした。しばらくして友人が連絡をくれて、同じような境遇の方の本を贈ってくれました。それを読みながら、こういう経験は自分だけじゃないんだと知り、少しずつ消化をしていきました。
いろいろなことを考えました。ずっと考えていたのは、幸せってなんだろう?ということです。子どもがいる人生は幸せ?子どもが亡くなってしまった人生は不幸せ?
これまで私は、無理してでも耐えて頑張って、思った結果が出せることが幸せだと思っていました。でも、それだけが唯一の幸せではないんじゃないか。
それから、子どもが自分の元に生まれてきてくれた意味を考えました。8時間しか生きられなかったその子は、そのわずかな時間、「今」に目を向けることを教えてくれたんじゃないかと感じたんです。
「今」、私は幸せだろうか。そう考えると、結果を出すために何年も先のことを考えながら、ひたすら無理して過ごしている、今の私は幸せではありませんでした。それに気づいたとき、努力して成功するというのが唯一の正解ではないと思ったんです。自分が自分を表現して、「今」の自分に満足していることが、本当の幸せなんじゃないか。そう思うようになりました。
自分自身、そういう風に生きたいし、そういう風に生きられる人を増やすのが、自分の使命なのではないかと思いました。そこで、人の生き方をサポートできる、キャリアコンサルタントを目指すことにしたんです。会社で働きながらそれを実現することも考えましたが、自分は環境に合わせて無理をしてしまうとわかっていました。一旦しがらみから離れて、自分自身を表現しようと考え、フリーランスとして活動することに決めました。
自己表現し、自分に満足できる人生を
今は、キャリアコンサルタントとして、専門学校やオンラインのキャリア講座の講師などを務めています。特に、自分が女性として悩んだ経験を生かして、女性支援には力を入れたいと考えています。
目指しているのは、今この瞬間を楽しみ自己表現しながら、自分らしく活動できる人を増やすこと。今に目を向ければ、すでにある幸せに気づけると思うからです。
キャリアコンサルタントとして活動する過程で、他者と関わる中で自分を知り、自分を表現することで他者と繋がる、このループを回すことが重要だと気づきました。自分自身もそのループを回して、少しずつ、自分らしく生きられるようになってきた感覚があります。
今後は、若年層の支援にも取り組んでいきたいです。幼少期の環境や家庭でのコミュニケーションが、自己表現していく上での礎となると感じるからです。私は、耐えて頑張って成功することが正解だと思っていたけれど、それが全てではありませんでした。他人が決めてくれる正解はないから、自分の選択が正しいと思える人を増やしていきたい。そして自分自身も、そう思って生きていきたいと思います。
2020.08.10
川口まどか
かわぐち まどか|キャリアコンサルタント
大学卒業後、広告代理店に入社し法人営業を担当。演劇に興味を持ち劇団に入団、演劇関係のチケット取扱会社へ転職する。その後、結婚を機に医療機器メーカーに移り、マーケティングや人事、採用、広報などを担当。2人目の子どもが亡くなったことから自分と向き合い、2019年に独立。フリーランスのキャリアコンサルタントとして活動する。
編集部おすすめ記事2019.10.11
編集部の伊藤です。秋は悩みの多い季節と言われます。例えば、ファッション。先週真夏日があったと思ったら、今週は台風到来と秋は天気が激しく変わるので、何を着るか悩みますよね。でも、そこで無難なファッションを選ぶと気分が上がらない。ファッションが心理状態に与える影響の大きさは様々な研究が示していますが、実はanother life.にもその実例があるんです。今回は、ファッションをきっかけに自分に自信がついた3名のストーリーをご紹介します。ぜひご覧ください。
寝たきりの17歳と社会を繋いだファッション。恩返しのためにパイオニアとして切り拓く道。
ファッションを通じて自信を取り戻してほしい!コンプレックスをチャームポイントに。
人生にBefore/Afterを!「短髪・体育会・ジャージが私服」だった私だからできること。