過去の延長線上にない、新たな技術に投資を。
テクノロジーを核に価値を生み出す挑戦。

投資が困難と言われるディープテック領域で、海外からの資金調達を成功させ、電気自動車を開発するベンチャー企業の巨額のクロスボーダー案件を牽引した長野さん。幼い頃から、新たな価値を生み出そうと考えるものの、何をすべきかわからず焦りを感じていたと言います。走り続ける中で見つけた、自分がなすべきこととは。お話を伺いました。

長野 草太

ながの そうた|アビエスベンチャーズ株式会社パートナー
ベンチャーキャピタルのアビエスベンチャーズのパートナー。高校時代からアメリカに渡り、外資系銀行に就職。その後ファンドに転職したのち、京都大学発の電気自動車ベンチャー・GLM株式会社へ。取締役CFOとして巨額の資金調達を成功に導く。ディープテックの必要性を感じ、ディープテックベンチャーへの投資を専門とするアビエスベンチャーズに参画。

オリジナリティを求めて


京都府京都市で生まれました。車やメカが好きな子どもでした。 1年に2つだけ、好きなデザインのミニカーを買ってもらえるんです。買ってもらったミニカーは、ひたすら撫で続けていました(笑)。撫でて、手に形を覚えさせるんです。それを元に絵を書いて、車のデザインを再現していました。

デザインだけでなくメカの内部にも興味があって、タイヤやエンジンがどう作られているか、どう配置されているかを理解して、設計図も描いていました。デザインとエンジニアリング、両方が合わさった状態に美しさを感じていました。

父と母は二人とも芸術家です。「どんな領域でもオリジナリティを出そう」と教えられて育ちました。新しいものを生み出すのは、大切なこと。苦しくてもできるまでやることが大事だと教えられました。

そんな環境だったので、いずれ自分も何かでオリジナリティを出して、新しい価値を作っていくんだろうな、と漠然と思っていました。友達と遊べば楽しいし、小中学校とサッカーや剣道をやっていましたが、どこかで自分の人生のテーマは別にある気がしていましたね。ただ、「何を」やるのかわからず、暗中模索な日々で、悶々としていました。

加えて、両親を見ている中で、「オリジナリティを出して新たな価値を生み出すこと」は、かなり深遠な所にある気がしていたんです。果てしない積み上げ期間を経て、30、40代にならないとたどり着けないようなものなんじゃないか、と。将来的には何かをやらなきゃいけないというプレッシャーはありましたが、10代でできるわけがないという諦めがありました。自然と、深く考えるのをやめていました。

どっちつかずな自分への危機感


自分の置かれた環境に閉塞感を感じ、強い自我のないまま高校に入学。1年生のある日、交換留学の話を聞きました。奨学金で生活費などを全てまかなってもらえるというのです。そこに惹かれて、日頃自分自身へ、そして環境に対して感じる閉塞感を打破するべく、留学することに決めました。

英語は全くできません。アメリカに行って、流石に焦って語学を勉強しました。少しできるようになると、周りよりできないのが悔しくなって、余計に打ち込んで。周りよりも大幅に遅れてのスタートダッシュ。それでも圧倒的な差をつけたくて、周りの人以上にできることを増やしたいと、手に血豆ができるほど、毎日がむしゃらに机に向かいました。

加えて、アメリカの同級生はみんな責任感が強いんです。中には、高校を卒業したら軍人になる子もいて。命をかける選択をしている人がいる一方で、自分は何をするかも見つけられず、かと言って探すことも諦められずにいる。初めて、今の自分に対する大きな危機感が芽生えました。

すぐに何をやろうと決めることはできませんでした。でも、少なくとも若い自分は、目の前の、やらなければならない課題には取り組まなきゃいけない。そう感じて、目の前のことをひたすら愚直にやり続けるようになりました。息継ぎせずただひたすら、がむしゃらに走り続けていました。実際、成績が落ちてしまうと奨学金をもらえなくなる事情もあったので、真剣に勉強しました。

その甲斐あって、高校は1年飛び級して17歳で卒業。早く先に進みたい、いろいろな世界を見たいという気持ちが強くなり、そのままアメリカの大学に通って早い段階で単位を取得し、2年で卒業しました。

成果にこだわる


ただ、走ってはみるものの具体的に何をするのか決められない状態でした。また環境を変えれば何か見つかるかも、と思い、卒業後は「うちに来ないか」とお声がけいただいたイタリアの大学院に進むことに決めました。小さい頃から好きだった、車の世界に少しでも近づけるかもしれないと思い、二つ返事でした。車の中でも特に好きな「フェラーリ」などのデザインは、イタリアのデザインハウスのものでしたし、ずっと憧れがあったので、イタリアに行けることにワクワクしました。

しかし、数カ月が経った頃、もらえるはずだった奨学金がおりないことがわかりました。
明日のパスタを買うのにも困るような状態になり、どうしようか困ってしまいました。
すると、大学院の先輩に「フェラーリを作りたいのか、買えるようになりたいのか、どっちなんだ」と聞かれて。明日食べるものもない状態だったので、迷わず後者を選びました。すると先輩に、外資系の投資銀行への就職を勧められました。その頃、ロケットを開発するような人でも投資銀行へ就職していたので、どんな世界なんだろうという興味もありました。それならそれで良いかと思い、就職を決めました。

入ってみると、グローバルなお客さんとやりとりしたりするので、とにかく時差が大変。扱う金額も大きく、一つ間違えればとんでもないことになる、という緊張感のある職場。隣の席の人がサクッといなくなるのも日常茶飯事でした。

朝から晩まで、激務の毎日。生存するためにはやらねばならない世界でした。ただ、アカデミックな世界にはなかった緊張感で、僕は面白いと感じました。どんな環境でもパフォーマンスを出す。有無を言わず、結果を出し続けることを第一義にする考え方を学びました。

仕事をやっていくにつれ、企業にアドバイスはできても、実際には動かせないことにもどかしさを感じるように。運用側、つまりバイサイドに行きたいと考え、ファンドに転職しました。

入ってみると、お客さんには自動車関係の会社さんも多くありました。設計者側ではありませんでしたが、期せずして自動車産業に関わることに。メーカーが数百億の資金調達を行う際は、ストーリーをつくり、購入してくれる人を探して説明する、一連の流れを担当することもありました。会社だけではなく、扱っている製品のことも100%理解できないといけないので、部品一つのことまで学びました。自動車そのものだけでなく、自動車会社、自動車産業に詳しくなり、産業構造が見えてきました。

自分で価値を生み出したい


仕事にはやりがいはありましたが、徐々に「今やっていることは、誰かが生み出したものを引き継いでいるだけだ」と感じるようになりました。そうではなく、子どもの頃から考えていた「オリジナリティを出して新たな価値を生み出すこと」をしたくなったんです。

これまでの集大成になるような、自分のものだと言えるものを作りたい。それには、培った金融のノウハウを生かして、構造に詳しくなった自動車業界で勝負しようと思いました。そこで、会社をやめたんです。

次に何かを始めたら、10年くらいはそれ以外手につかないだろうという予感がありました。そこで、予算は20万円と決めて、しばらく世界一周の貧乏旅行に出ることにしました。これまでいろいろな国に行っていたものの、会っているのは特定の層の人。香港でもニューヨークでもロンドンでも、同じ層の人が同じ生活様式で暮らしているので、グローバルな経験をしたという実感がなかったんです。世界中に友達もいましたし、様々な国の人が様々な暮らしをしているのを、仕事ではない「素の自分」で見てみたいと思いました。

世界中を回りながら、自分が打ち込めるプロジェクトを探していました。

そんな中で、落ち着いた環境で自分の使命を定めたい、はっきりさせたいという想いから、京都の山奥の小さな村に住み始め、生活を木こりや農作業をするスタイルに大きく変化させました。都会とはうって変わって自然豊かな村は、自分の体質に合っていると感じました。

ある日、京都の大学にいる友人から、「電気自動車の会社を立ち上げるから一緒にやろう」と誘われました。やりたかった自動車産業で、しかも電気自動車という価値あるプロジェクト。さらに、起業には資金が必要ですが、自動車産業の場合は桁違いのお金が必要です。そういう意味でも、自分の金融業界での知見を活かせるかもしれないと思いました。これなら打ち込めると感じて、CFOとして参画することにしたんです。

資金調達に成功、異例の海外での上場へ


電気自動車はまだ世の中にほとんどない時代、最初は電動化とはどういうことかの基礎研究がメインでした。それでもコツコツと進めていく中で、資金を調達しなければなりません。

電気自動車は、最先端の研究成果、「ディープテック」と呼ばれる領域の事業です。この領域は、事業のために必要な額が大きい一方、成功率が低いのでリターンが少ないと認識されていました。投資家は、当然なかなか見つかりません。最初は「こういう相手がいいんじゃないか」と仮説を立てて、ひたすら飛び込み営業電話の毎日でした。

ただ、その頃の日本には、投資額の桁の大きいファンドがあまり多くなかった。途中から、海外に目を向ける必要性を感じました。すると、実は電気自動車の市場は海外にこそ広がっていることに気が付いたんです。事業は日本とヨーロッパ、ファイナンスは中東と日本と香港、と拠点を置いて、年間300日は海外に出る日が続きました。

自分の興味とキャリアが一体になっているので、それ以外のことは考えませんでした。シンプルに「お金がなくなって倒れたら終わり」だったので、やるしかない。安い飛行機に乗りすぎて体を壊したりはしましたが、まっすぐ進めるのは楽しくもあり、生き甲斐や、やりがいを感じました。

様々なファンドを訪ねていく中で、草の根的な行動が結実し、サウジアラビアの政府系のファンドから、出資を受けられることが決まったんです。サウジアラビアでは、財閥の方とのミーティングが数日ずれ、50度を超える砂漠の車の中で、大量の汗をかきながら寝泊まりした事も。そうした地道な活動を経て少しずつ海外からの投資先が増えました。

さらに、パリの技術ショーで発表する機会を得て、フェラーリと電気自動車メーカーのテスラの間に出展することができたんです。壇上でプレゼンテーションをさせてもらいました。加えて、サウジアラビアで、ビル・ゲイツ氏と並んでパネリストとして登壇させてもらうこともありました。

そういったことが重なると、だんだんと世界から注目を得られるように。その後、香港の財閥を中心とした投資家グループと国際間での取引を成立することができました。投資が始まってからグループ全体で時価総額1500億円規模の企業に成長したのです。ディープテック領域では、異例と言われていました。

それまではただただ必死で、事業をどう推進していくかだけを考えていましたが、取引が完結したことにより、落ち着いて物事を考えられるようになりました。

自動車は、技術の総合格闘技のようなものです。伝統的なものづくり、自動運転などの人工知能、カーボンなどの新素材。多様な技術を採用し、しかもそれを、一般の人に使ってもらえる価格で出していくよう工夫するのです。世の中の新しい技術の総合体です。自動車をより良くしていくためには、まず先にそれを支える技術の研究が進まなければいけないと思いました。

そこで、ディープテック領域のベンチャー企業を支援したいという想いが芽生えたんです。
テクノロジーは、今後の未来を作っていく要。その進展のために、これまでの投資経験を生かしていきたい、と。折良く、10年来の先輩より、「ディープテック領域を専門に投資をしていくベンチャーキャピタルを組成するけれど、来ないか」というお誘いがあり、参画することに決めました。

テクノロジーへの投資で未来を拓く


今は、ディープテック領域のベンチャー企業を専門に投資する、アビエスベンチャーズのパートナーを務めています。AIや化学製品、新素材やロボティクスなど、ディープテックを核とした企業の、投資や育成が主な仕事ですね。この会社に所属するパートナーたちは、海外経験や起業経験がある人が多いので、それぞれが市場や企業のリサーチから投資、事業の拡大まで、伴走して支援する形をとっています。

ここ10年は、インターネットというプラットフォームが急激に発達し、その上でアイデアベースでのビジネスのチャンスがありました。ただ、ここから一歩先に進むためには、アイデアだけでなく技術がないと難しい。

例えばデータの量が膨大になれば、既存のコンピュータの考え方では解決が難しい現状があります。消費電力が膨大になりますから、全く別のやり方で、技術に根ざした問題解決をしなければいけないんです。それだけではなく、いろいろな領域で進化が加速するとともに、科学技術でしか解決できないことが増えるでしょう。

だからこそ、私は世の中に新しい価値をつくるテクノロジーの進化を促進することが大事だと考えています。革新的な技術はときに、社会システムの変革につながります。我々が投資しているのは個々の技術ですが、それらが繋がった先にどんな未来があるのか。それを描くのは面白く、我々の使命だと考えています。

日本には、過去に膨大な研究費をかけて様々な技術を開発してきた実績があります。その資産が残っているうちに、新しいトレンドに合わせた勝負をする必要がある。ロボティクスやバイオ、宇宙などの領域は、国際社会からの期待も高いです。そういった資産や期待を活かせないのはとても勿体無い。テクノロジーへの投資を通して、我々が誇る「ニッポン」をより良くしていくことに貢献したいです。

2020.06.11

インタビュー・ライティング | 粟村 千愛

長野 草太

ながの そうた|アビエスベンチャーズ株式会社パートナー
ベンチャーキャピタルのアビエスベンチャーズのパートナー。高校時代からアメリカに渡り、外資系銀行に就職。その後ファンドに転職したのち、京都大学発の電気自動車ベンチャー・GLM株式会社へ。取締役CFOとして巨額の資金調達を成功に導く。ディープテックの必要性を感じ、ディープテックベンチャーへの投資を専門とするアビエスベンチャーズに参画。

記事一覧を見る