グローバルに活躍するスケールの大きな人材に。
シェアハウスで異なる価値観の受容を目指す。

ニューヨークでシェアハウス事業を展開する君島さん。「スケールの大きなことがしたい」という思いを子どもの頃から持ち続け、高校卒業後にアメリカへ留学。ニューヨークで留学見つけた課題感からシェアハウス事業を立ち上げた君島さんが大切にするビジョンとは。お話を伺いました。

君島 和也

きみじま かずや|シェアハウス施設経営
18歳で渡米してビジネスを学び、2010年10月、ニューヨークでTKNY Management Incを設立。Co-living事業のCrossoverを展開する。

スケールの大きなことを成し遂げたい


茨城県水戸市生まれです。幼い頃からラーメンチェーンを展開する会社の役員として働く父の姿を見て、仕事ってやりがいがあって面白そうだと感じていました。将来は父のように裁量を持って働きたいと思い、よく「社長さんになりたい」と言っていましたね。母は「やってみたらいいんじゃない。頑張ってね」と応援してくれました。

両親が共働きで忙しいこともあり、友達を誘ってよく遊んでいました。いつも同じ友達とではなく、ゲームはこの友達、釣りはこの友達と遊びの内容に合わせていろいろな友達と仲良くできる子どもでしたね。

中学生のときは、卒業後すぐ働きたいと思っていました。漠然と「人生は一度きりだから、スケールの大きなことをしたい」という思いがあり、そのためには早く社会に出た方がいいと感じていました。

あとは、ゲームが好きだったため、社会に出て働くことに対して、一種のロールプレイングゲームのようなイメージを持っていたんです。新しい武器を手に入れて強い敵を倒すように、早く社会に出てスキルを身につけ、経営者になって戦おうと考えていました。ただ父に「高校ぐらいは行ったら」と勧められ、結局地元の高校に進学することにしました。

将来について考えていたとき、バイト先でニュージーランドの大学に通う学生と出会いました。初めて「海外に行ったことのある人」と出会い、衝撃を受けました。

これまで自分が海外に行けると考えたことがなかったんです。しかし、目の前に海外経験のある人が現れたことで、自分にも行けるんだと一気に視野が広がった感じがしました。それまでは漠然と、自分の見える世界の中で一番スケールが大きかった経営者を目指していましたが、海外に行くという、よりスケールの大きな選択肢があることを知った瞬間、海外に行くことが目標になりました。

高校を卒業したら海外に行くと決め、海外に行ったことのある知り合いに相談したり、留学代理店に話を聞きに行ったりしました。自分の中で、行き先はアメリカに決まっていました。アメリカが世界一の経済大国で、最もスケールの大きな国だと思っていたからです。高校卒業と同時にサンフランシスコの語学学校に行くことにしました。

身近に高校卒業後に海外に行く人はいなかったので不安はありました。しかし、大変なことを成し遂げたほうがすごいと思っていたので、不安な気持ちをモチベーションに変えられました。親は応援してくれましたし、留学資金も出してくれました。そういう恵まれた環境に育ったからこそ、何かしら大きなことを成し遂げられないとおかしいと思うようになっていましたね。

アメリカでビジネスを学びたい


高校卒業後、単身サンフランシスコへ。空港に着くと語学学校が手配してくれた業者の案内で車に乗って、韓国人の留学生と一緒にホームステイ先に向かいました。家に着くと、ドアに「鍵は玄関マットの下にあるから、入って待ってて」という貼り紙があり、誰もいない家でしばらく待つことになりました。

1時間ほど待たされたのち、やっとその家の父らしき人が出てきました。しかし、「ハイ!」と軽く挨拶したと思ったら、僕らを残してすぐに仕事に戻ってしまったんです。衝撃でしたね。温かく歓迎してくれるとばかり思っていたのに、ほったらかしにされて。僕は人生の一大転機だと思ってアメリカに来ているのに、相手にとってはありふれた日常の一コマでしかない。それまでは世の中が自分中心に回っていると思っていたので、全然違う世界に来たんだなと実感しました。

そこからは、生活についていくだけで精一杯の日々が続きました。アメリカの生活様式に馴染む心の余裕もなかったので、友達もなかなかできませんでした。言葉が通じない上に、アメリカ人とは趣味や笑いのツボ、価値観が違ったんです。

語学学校に通いながら、自分は何をしたいんだろうと自問自答を繰り返していました。その中で、自分のなりたいものが3つ出てきました。1つ目は教育者。人に教えるのが好きで、世の中を変えるのは教育だと思っていたからです。2つ目は研究者。世の中を変える新技術を発見するのも面白そうだと感じたためです。そして3つ目は、小さい頃から憧れていた経営者でした。

どの道に進もうか迷いましたが、よく考えると経営者になればやりたいことが全部できることに気づいたんです。経営者になれば従業員を教育する機会があるし、教育事業に取り組む手もあります。また、会社の事業やサービスの改良改善は、研究とも捉えられると思いました。将来は経営者になろうと、改めて決めました。

語学学校卒業後は、ロサンゼルスの短大へ行きました。入学してすぐ、ボランティアやイベントの企画・運営を行う学生団体に所属。OBから多くの支援を受けている団体だったので、各界で活躍する社会人とつながりが作れると思ったからです。また、将来経営者になったときに活かせるビジネススキルを学ぼうとも思っていました。

その団体で活動する中で、尊敬できるいろいろな方と知り合うことができました。ある日、団体OBのコンサルティング会社の社長と話す機会があり、「ビジネスにはミッションとビジョンが大事だ。まずはビジョンを大事にしている経営者の元で働いてみたらどうか」とアドバイスを受けました。

その言葉を聞いて納得し、誰のもとで働こうか考えました。思い浮かんだのが、同じく団体OBの日系アメリカ人の経営者。その人はベンチャービジネスを立ち上げており、留学代理店を世界中につくり、好きな場所で好きな分野の勉強ができる世の中にしていこう、というビジョンを掲げていました。そのビジョンに深く共感し、彼の会社でインターンとして働くことにしました。

ニューヨークで起業のきっかけをつかむ


インターンとして働くうちに仕事にのめりこんでいき、短大卒業後、そのまま正社員として就職しました。

社長は英語も日本語もペラペラで、世界トップレベルの銀行で働いた後に起業した、雲の上の存在でした。そんなエリート街道を進んで来た人が、一緒に仕事をしていく中で僕を認めてくれたんです。「自分がすごいと思う人はそんなにいないけれど、和也はすごい。頑張ってる」と。全米の中でも有名大学を出ている人ばかりが働く環境の中で褒められたので、すごい自信になりました。尊敬するこの人にそう言ってもらえるなら、自分にもスケールの大きなことを成し遂げられる可能性があると思うようになりました。

その後、ニューヨークに支店を出すことが決まり、支店長を任せられました。行ってすぐ、ニューヨークへの留学には課題があることに気がつきました。それは、学生が快適に過ごせる滞在先が少ないということでした。

まず、ニューヨークは家を探す側が仲介手数料を払う仕組みになっており、それがかなり高額です。たとえば12万円の家に住む場合、20万円ほど手数料を取られる。高すぎて到底払えないので、留学生はみんなルームシェアかホームステイを選択することになります。

しかし、そのどちらを選んでも環境がよくない場合が多いんです。ニューヨークはホームステイもビジネス化していることが多く、ひどい時はより多くの収入を得るために、手入れの行き届いていない狭い家に留学生7人を住ませるようなケースもありました。そのため、学生から滞在先を変えたいと連絡が来ることが度々ありました。

ルームシェアという選択肢もありますが、シェアハウス専門の業者がいないため、部屋の貸し借りは全て個人間のやりとりになります。シェアハウスの業態が整備されていないので、こちらも入居者同士のトラブルが多発していました。

留学代理店として、自信をもって滞在先を紹介できない状況がしばらく続きました。そんな中で、ふと「自分でアパートを借りてシェアハウスを運営すればいいんじゃないか」と思ったんです。僕自身、初めてアメリカに来たときの滞在先の印象は良いものではなかったし、周囲に話を聞いて滞在先の当たり外れが多いことも知っていました。だったら自分が、留学生がトラブルなく、安心して有意義に過ごせる環境を整えようと考えたんです。

シェアハウスで起業しようと考え、切磋琢磨しあえる仲間を作るため、日本人起業家が集まって運営していた勉強会に入りました。集まった異業種の経営者が、それぞれの知識や経験をもとに、毎回あるテーマについて話し合うんです。ここでは経営の知識に加え、人としてのあり方も学びましたね。偉大な先輩経営者の方々に背中を押していただいて、25歳のとき会社を立ち上げました。

価値観の違う人が一緒に暮らすために


最初は個人向けのアパートを借りて、何名かでシェアできるよう貸し出すところから始めました。シェアハウスの文化は日本のほうが先行していたので需要があると思い、ニューヨークに来る日本人の留学生や社会人の方を対象としたサービスにしました。

家賃の高さがニューヨーク滞在への障壁になっていたので、低価格にはこだわりましたね。普通にアパートを借りると1年未満の契約で2000ドルかかるところを、我々の場合は平均1200ドルで提供しました。

その後、ニューヨークでもシェアハウスが流行り始め、似たような業態のスタートアップも出てきました。この流れを上手く利用すれば事業を拡大できると思い、2017年に日本人以外にもサービスを解放しました。

ところが、多国籍型のシェアハウスに方針を変えてからは、さまざまな問題が出てきました。たとえば家賃の滞納や、文化や価値観が違うゆえのトラブルです。

いろいろな問題にぶつかりながら、価値観の違う人同士が一緒に住めるように工夫しました。そのうちの1つがハウスルール。たとえば、家の中で靴を脱ぐか脱がないかは国によって違います。どっちかが正解というわけでもないですが、同じ家の中で暮らすと常識の違いで衝突が起きてしまう。そこで、管理者の我々がルールを決めておくことにしたんです。問題になった部分にルールを設定しつつ、入居者の声があるたびにアップデートしていきました。その蓄積で、徐々にトラブルがなくなっていきました。

グローバルな事業展開を


現在は、シェアハウス事業を展開するTKNY Management Inc.の社長として、ニューヨークに約50棟、180部屋を借りて運営しています。今では、入居者の7割を外国人が占めるようになりました。

英語圏ではシェアハウスという言葉がないので、共同生活を「Co-living」と表すことが多いですね。Co-livingの認知は世界中で広まっていっているので、今後は学生だけでなく働きながら移動する人々の滞在先としても、私たちが保有する部屋を使ってもらえるようにしたいです。

今後は、グローバルに事業を展開していきたいと考えています。今の日本とアメリカをつなぐビジネスはまだ2国間をつないでいるだけで、本当の意味でグローバルとは言えないと思っています。もっと多くの国と多面的に関わり、世界中を舞台にすることが私が思う「グローバル」。幼い頃から抱いている、「スケールの大きなことをしたい」という想いを達成するためにも、本当の意味でグローバルに活躍できるようになりたいですね。

具体的には、シェアハウス事業をフランチャイズ化して、世界中で展開していきたいと思っています。世界のどこに行っても安心して滞在できる先を提供したいですね。

自分自身もグローバルな人材を目指していますが、世界全体も今後ますますグローバル化が進むはず。シェアハウスのように異なる文化的背景を持つ人同士が一緒に暮らすことは、お互いの価値観を受け入れる第一歩になります。事業を通して、さまざまな価値観を受け入れられる人を増やしていきたいです。

2019.03.06

インタビュー | 粟村 千愛ライティング | 伊藤 祐己

君島 和也

きみじま かずや|シェアハウス施設経営
18歳で渡米してビジネスを学び、2010年10月、ニューヨークでTKNY Management Incを設立。Co-living事業のCrossoverを展開する。

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