親心から生まれた、新しい素材。
全ての人が笑って暮らせるように。
和紙を使用した刺激に敏感な人でも着用出来る肌着ブランド「ONELUCK」(ワンラック)を立ち上げた佐野幸策さん。商品開発のきっかけは、なんだったのか。お話を伺いました。
佐野 幸策
さの こうさく|mizani株式会社 代表取締役
パターン外注事務所やメンズアウトドアブランドでパタンナーとしてのキャリアを積み、独立。アトピーに悩む長男を見て、肌に優しい素材の開発を始め、和紙に出会う。2年半の研究の結果、ONELUCKブランドを立ち上げた。
パリコレの服をつくりたい
鹿児島県川辺郡(現、南九州市)で生まれ育ちました。父は地元で腕がいいと評判の大工でした。私は小さい頃から、現場のゴミ拾いなど簡単な作業を手伝っていました。人見知りで、学校では目立たないタイプでしたが、大人に混ざって父の仕事を手伝ううちに、元気よく挨拶したり、愛想よく振舞ったりと、子どもなりに社交術を身につけましたね。
中学生のとき、通学途中にある洋服直しの専門店がドアを全開で作業をしていて、中の様子が見えたことがありました。作業をしていたのは40代くらいの男性でした。裁縫は女性がすることだと思い込んでいたので驚くと同時に、職人は大工以外にもさまざまな職種があるんだなと気づかされました。
また、ある時、パリコレをはじめ、世界を代表するファッションショーの様子がテレビで流れていました。ファッション界には、直しだけでなくデザインをする仕事もあることを知り、「自分もそんな大舞台で着られる服をつくりたい」と思うようになりました。
職人の父の影響を受け、工業高校の機械科に進学し、溶接や設計などを学んでいました。就活時には、自動車会社など複数の企業から声がかかりましたが、私はファッションの世界に進みたかったので断ってしまいました。父から「この先どうするんだ」と激怒されたとき、私は初めて「パリコレのような大舞台でモデルが着る洋服をつくりたい」と父に打ち明けました。
私が真剣に志していることを知り、父は「本当にその道を目指すなら、学校の就職課の先生に相談してみろ」とアドバイスしてくれました。そこで言われた通り、先生に相談すると、大阪にある縫製工場を紹介してもらえました。父が「若いうちは、実際に洋服の裁断や縫製を経験した方がいい」と言ってくれたことも後押しとなり、私は大阪へ向かうことを決めました。
目指す姿になるために
大阪では、縫製工場の裁断場で働きました。私はファッションに対して華やかなイメージを持っていただけに、ギャップを感じ始めました。工場の周りは田舎から出てきた私には想像できないほどのビル群が広がっており、その中で決められた仕事を黙々とこなす毎日に怖さすら感じていました。そのような環境に違和感を抱き、1年ほどで退職しました。
何か特化したスキルを身に付けたいと思い、服飾を勉強するため専門学校に通いました。私が一番勉強したのが、パターンでした。パターンとは、デザイン画をもとに型紙をつくる作業のことで、服づくりでは極めて重要なプロセスです。
もともとパリコレモデルが着る服をデザインしたい気持ちがあり、まずパターンを勉強したいと思ったのです。学校では一週間に一度、パターンの課題の提出が求められました。4分の1縮尺で出せばよかったのですが、私は実寸での提出を続けました。周りの学生に比べて1年出遅れていましたし、早く実力をつけて社会に出たいと思っていたからです。
卒業を控えた頃、私は進路で迷っていました。進むべき道が決まらず、うつうつとした気持ちで過ごしていたところ、縁あって舞台演出家をしている男性と出会いました。男性は80歳を超えるようなご高齢でした。私の状況を男性に話したところ「頑張ろうとしてるんなら、うちの衣装を作ってみたらどうか?」と仕事をくれるようになりました。
男性と一緒に仕事をするようになって2カ月ほどたったとき、「私は80歳を過ぎてから、毎晩、死ぬことについて考えるんだ」「自分がどう生きたのかは、自分が棺に入ったときに、自分の顔を見てくれてる人の表情でわかる」と話してくれました。
迷い、困っていた自分を救ってくれた人の言葉だったこともあり、心から納得し、自分の人生についてこれまで以上に真剣に考えるようになりました。そして無意識のうちに、他の人の目を気にして振る舞っていた自分に気づき、「もっと、私が目指す服づくりをしよう、周りに遠慮している場合じゃない」と思えるようになりました。
その男性のもとで2カ月ほど服づくりをしていましたが、劇団の倉庫の中には、すでに衣装がたくさんあり、私が新調する必要は全くなかったんです。男性は、若年で職がない私を不憫に思って、仕事をくれているのだと思いました。「これ以上私がいても、男性に金銭的な負担をかけ続けることになるし、さらなる経験も積めない」と思い、改めて職探しを始めました。
人生のバランスを考え独立へ
パタンナーのアシスタントとして1年ほど働いた後、専門学校時代の同級生から「新しいブランドを立ち上げたいけど、パタンナーがいない。即戦力としてうちに来てくれないか?」と誘われました。彼はデザインセンスが良くて、そんな彼から声がかかったのは、私を信じてくれたんだ、と嬉しくなりました。また、「実力をつけるためには、センスが良い人と一緒にいるのが一番だ」と考えていたこともあり、転職を決意しました。
転職先では社内で唯一のパタンナーとして必死で働きました。毎日朝早くから出勤し、仕事が終わるのは深夜の1時くらい。服づくりのミーティングに参加して新製品の開発に携わったり、生産ラインの現場担当を任せてもらったりと、幅広い業務を経験しました。アシスタントを卒業し、本格的にパタンナーとしてのキャリアを歩み出したことで、徐々に実力と自信をつけていきました。
6年ほど働いた後、別の会社にパタンナーとして転職しました。その会社のブランドは特異な空気を放っているブランドで、さらに子どもの頃からの夢だった、イタリアで行われるファッションショーミラノコレクションにも参加していました。
転職後は、希望していた仕事だっただけに、前の会社以上に一生懸命働きました。入社数年後、結婚を考えている交際中の女性がいました。しかし仕事優先の生活だったためろくに会えず、デートの約束をしても、毎回のように時間に遅れては怒らせてしまう。そんなことを繰り返すうちに、人生のバランスについて考えるようになりました。
これまでは、やりたいと思うことに夢中で取り組み、自分のことだけ考えて生きていればよかったのですが、これからは仕事以外にも目を向けて生きていかなければならないと思うようになったのです。
仕事の時間を自分で調節できるようにするためには、同じ業界では難しいと考えたので、独立しかないなと思いました。そこで自分の強みとはなんなのか、ノート1冊を使って思いつく限り書き出しました。その結果、これまでの仕事で培ってきたパタンナーとしてのスキルだと思い至りました。そこで、35歳のときクライアントから注文を受け、パターンメイキングを行うmizaniを設立しました。
肌に優しい素材を求めて
起業当初は頂いた仕事に必死で対応していました。最初の1年は、とにかく必死でしたね。ただ、受注メインだとクライアントの都合で仕事の増減が激しかったり、売り上げの変動が大きかったりするので、不安定だと気づきました。そんな状況を改善するためには、自社でブランドを持つなど、自分がコントロールできるビジネスを展開しないといけないと思ったんです。
そんな中38歳で長男が生まれました。彼は生まれつき肌が弱くて、アトピー持ちでした。寝ている時も掻きむしってしまい、朝になると顔や首に血が付いていたんです。そんな姿を見て、「このままだと彼は笑って生きられない」と思いました。また、アトピーで皮膚を掻いていたり集中力を欠く時間は無駄でしかなく、他の人よりも人生を削ってしまうなとも思いました。
そこで「アトピーや敏感肌の人に優しい下着をつくろう」と決め、素材探しに着手しました。小児科医からはコットンを勧められましたが、私は仕事柄いろいろな繊維を知っているので、コットンが肌に優しいことはわかっていましたが、もっといい素材があるはずだと信じて、探求を続けました。
そして、たどり着いたのが和紙でした。和紙には、細菌の増殖を抑える静菌性だけでなく、消臭性や吸水性があります。すでにバッグの素材としては使われていましたが、かたいので衣類には不向きでした。
そこで、どうにか衣類に加工できないかとやり方を模索しているうちに、和紙から衣類向けの糸をつくる研究を行っている会社と出会い、共同で衣類向けの繊維の開発をスタートしました。資金については、新しいブランドの認知度アップという狙いもあり、クラウドファンディングで集めました。
和紙の繊維を肌着に使えるほど柔らかくするのは想像以上に難しくて、試行錯誤の連続でした。当初は開発まで1年を見込んでいましたが、2年半ほどかかった末、ようやく和紙糸から生地を作ることに成功し、和紙糸からつくるアンダーウェアブランドONELUCKを立ち上げることができました。
完成した瞬間は、ようやく形になったという安心感とともに、これからが勝負だという気持ちが湧いてきました。和紙から糸を作るのは、他の糸と比べて工程が多く、必然的にコストも上がってしまいます。高級な素材で知られるカシミアよりも少し安いくらいです。そんな状況では本当に良いものだと知ってもらえなければ誰からも買ってもらえないと思ったからです。
たくさんの人が笑顔でいられるように
現在は、mizani株式会社の代表取締役を務めています。主な事業内容としては、和紙を使用したアンダーウェアブランドONELUCKの販売と、クライアント様からのパターンメイキングの受注です。ONELUCKについては、これから世の中の人に認知してもらえるかが勝負だと思っているので、自分が積極的に表に出るなどしてブランドの露出を増やしていきたいです。
パターンメイキングの仕事については、各ブランドのやり方や方向性、空気感をいかに汲み取れるかを特に意識しています。それができたときはクライアント様からすごく喜んでもらえますし、その先にいるお客さんからも喜んでもらえ、支持してもらえます。
仕事の仕方は様々で、すでにきっちりデザインのサイズまでできている場合もありますし、イメージのみでディスカッションを重ねながらデザインを固めていく場合も有ります。特に初めてのクライアント様の場合は、ディスカッションの際に自分が思ったことをしっかり伝えるようにしています。ステッチの幅や糸の細さなど、たとえどんなに細かいところでも、これまで培ってきた経験から自分がクライアント様に「これはどうですか?」と選択肢を提示できるよう心掛けています。
今後は国内にとどまらず、海外にも事業を拡大していきたいです。外国の人と接することで違った考えや習慣を知ることができ、多様性を直に感じられると思うからです。それが刺激になって、会社に新しい価値観が生まれて面白くなりそうだなと思いますね。
私の事業の根本にあるのは、「笑っている人を増やしたい」ということです。服をつくっているのではなく、服を着る人の生活をつくっている。だからこそ、作った服を着て喜ぶ人が増えたり、敏感肌やアトピーで苦しんでいる人がONELUCKを着用することで、人生の中で少しでも笑っていられる時間を増やす。そうやって、ひとりでも多くの人が、少しでも長く笑顔でいられる環境をつくりたいと思っています。
2019.02.22
佐野 幸策
さの こうさく|mizani株式会社 代表取締役
パターン外注事務所やメンズアウトドアブランドでパタンナーとしてのキャリアを積み、独立。アトピーに悩む長男を見て、肌に優しい素材の開発を始め、和紙に出会う。2年半の研究の結果、ONELUCKブランドを立ち上げた。
編集部おすすめ記事2019.10.11
編集部の伊藤です。秋は悩みの多い季節と言われます。例えば、ファッション。先週真夏日があったと思ったら、今週は台風到来と秋は天気が激しく変わるので、何を着るか悩みますよね。でも、そこで無難なファッションを選ぶと気分が上がらない。ファッションが心理状態に与える影響の大きさは様々な研究が示していますが、実はanother life.にもその実例があるんです。今回は、ファッションをきっかけに自分に自信がついた3名のストーリーをご紹介します。ぜひご覧ください。
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