顧客目線で社会をマーケティングする開拓者に。逆転発想の水族館プロデューサーが目指すもの。

水族館プロデューサーとして、数多くの水族館のリニューアルやプロデュースに携わり、様々なムーブメントを起こしてきた中村さん。生き物の名前が全く覚えられない飼育係だったという新卒時代を経て、自らの土俵で勝負するために挑戦した「水族館のメディア化」とは?まちづくりから観光のバリアフリー化まで、水族館だけでなく、幅広く社会を顧客視点でマーケティングし続ける挑戦の背景にある思いとは?

中村 元

なかむら はじめ|水族館プロデューサー
日本各地の水族館の開業・リニューアルのプロデュースを行う水族館プロデューサーとして働く傍ら、日本バリアフリー観光推進機構の理事長、伊勢志摩バリアフリーツアーセンターの理事長を務める。

※本チャンネルは、TBSテレビ「夢の扉+」の協力でお届けしました。

TBSテレビ「夢の扉+」で、中村さんの活動に密着したドキュメンタリーが、
2015年8月9日(日)18時30分から放送されます。

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常識を疑う逆転的な発想


私は三重県松阪市に生まれました。小さい頃から記憶力があまり良くなく、算数の公式や九九のかけ算を覚えるのが苦手な小学生でした。しかし、ある時九九の表を見ていて、途中からは数字が反対になることを発見し、「これは半分しか覚えなくていいんじゃないか!」と気づいたんです。なんだかすごい真理を見つけたような感覚があり、それ以来、人から常識だと言われている物事には裏道があり、時にはそれが近道になるんだということを感じました。一度反対に唱え直して考える分、計算が遅いというデメリットはありながらも、常識への逆転的な発想を得た大きな経験でした。

その後、高校生になると、元々本が好きだったこともあり、将来はメディア関係の仕事に就き、人に何かを伝える仕事がしたいと考えていました。ぼんやりとですが、そういった仕事は楽しいだろうなという感覚があったんです。ところが、志望していた大学の文学部の試験に失敗し、結果的には友人が見つけてくれた東京の私大で、二次試験を受け入れていた経済学部に進学することに決まりました。

そんな背景もあり、大学へのモチベーションは低く、全く勉強をしない学生生活を過ごしました。全ての授業を「可」の評価でギリギリ単位取得につなげるということを続け、マーケティングのゼミに入ってからも、担当の教授が一番不得意な分野をテーマを扱うことで放任してもらおうと考え、女性の購買心理についての論文を書きました。男性中心の社会ながら、消費行動は女性が中心になっていくという主旨だったため、より一層逆転の発想が磨かれていきましたね。

その後、就職活動ではメディアや本への関心から出版社を考えたのですが、結局受かったのは志望度の低い教科書会社のみ。結果的に、付き合いのあった方の縁で、地元の三重県鳥羽市にある鳥羽水族館で働くことに決めました。当初考えていたのとは全く異なる業界だったものの、水族館も捉え方次第ではメディアなんじゃないかという思いもありましたね。

水族館をメディア化する


経済学部卒で海洋生物の専門的な知識を学んでいない私は、最終的には水族館の経営や管理に回る想定から、入社後最初の3年間は現場で飼育係として働くことになりました。実際に働き始めると、生き物に囲まれた非常に新鮮な環境で、とにかく面白かったですね。

また、一緒に働く飼育係のメンバーの、生き物についての知識や愛情にも驚かされました。皆、大学で水産系の勉強をしており、すごく生き物に詳しいんです。まるで図鑑みたいな知識量で、「こいつらには絶対勝てないな」と感じましたね。一方で、私は魚の名前もまともに覚えられない。周りに追いつこうとすれば少なくとも大学の4年分は差があるということもあり、弱点を克服するのではなく、自分にできることを生かした働き方を考えようと、意識が変わっていきました。

そして、たどり着いたのは、水族館をメディアとして考えるという発想でした。メディア業界を目指す就職活動生の中では下の方だったかもしれないけれど、水族館というくくりの中ではピカイチだという思いがあったんです。特に、周りはお客さんよりも生き物への関心が強いようなタイプが多かったこともあり、自分は誰よりもお客さんの気持ちを考えてみるようになりました。

すると、お客さんは一匹一匹の魚を見ているのではなく水中を見ていること、解説板はあまり注意して読んでいないこと等、色々な気付きを得られるようになったんです。次第に、どういう水槽なら見られるのかということを突き詰めて考えるようになっていきました。

また、その関心を追求していった結果、来場するお客さんだけでなく、水族館自体がメディアに露出する機会も増えていきました。ある時、スナメリというイルカの出産シーンを自ら撮影し、メディアに紹介してみると、国内のテレビ局はもちろんBBCにまでそのテープが放送され、次の週末には一気に人が増えたんです。それまであまり人気がなかった動物だったこともあり、どんな営業よりもパブリシティが一番効果的だと強く感じましたね。また、大衆に全く知られていなかったラッコをプロモーションしたときには、お腹の上で貝を割る動画を持って東京・大阪の出版社やテレビ局を回り、大きなブームにつながったこともありました。結果的に日本中の動物園・水族館で初めて広報窓口を作ることが出来、水族館を「メディア化」することができたんです。

46歳、フリーランスの「水族館プロデューサー」へ


その後、企画室長などを経て副館長として水族館の経営全体に携わるようになりました。しかし、組織全体の意思決定に近い仕事をするに連れて、会社の方向性と考え方が一致しない部分も出てくるようになり、2002年46歳のタイミングで会社を退職することに決めました。

ありがたいことに、それまでの実績から業界の中ではある程度有名になっていましたが、正直、足を洗おうかなという思いもありました。全従業員のことを考える経営全般のプレッシャーから、胃薬を飲みながら仕事をしていたこともあり、一度他の業界に移ろうかと考えていたんです。

しかし、そんな時、鳥羽水族館時代から付き合いのあった方から、新江ノ島水族館のオープンに当たって監修をしてほしいという依頼をいただきました。業界を離れることを考えながらも、その話をいただいて感じたのは、「楽しそうだな」という思いでした。実は鳥羽水族館でもリニューアルで一から作り直したことがあったのですが、もちろん苦労もありながら、非常に楽しい経験で、自分自身求められていることに自信もあったんです。「これが終わったら辞めよう」という気持ちで仕事を請けることに決めました。

それでも、実際に水族館の新規オープンに携わってみると、改めて水族館のプロデュースという仕事にやりがいを感じました。数十年来常識を疑って水族館について考え続けて来たからこそ、全てが頭の中に入っており、こんなに効率よくできる仕事はないという感覚でしたね。

特に、経営という立場を離れたことで、自分が昔から一番関心があった水族館のマーケティングにピュアに向き合うことができ、上手く仕事が回っていったんです。ありがたいことに、他の水族館からもオファーをいただいていたこともあり、私はフリーランスの「水族館プロデューサー」として仕事を始めることに決めました。

癒やしと知的好奇心をもたらす水族館とは?


水族館プロデューサーの仕事としては、より多くのお客さんに訪れてもらうために、既存もしくは新設の水族館をクライアントに、マーケティング戦略を立て、ブランディングの方向性を固め、具体的な施設設計に落としていき、プロモーションをかけるというプロセスに携わっています。新江ノ島水族館の後には、池袋のサンシャイン水族館や、北海道の北の大地の水族館のリニューアルにも携わり、部分的な工程を担う仕事も含めると2桁の水族館のプロデュースを行いました。

どんなケースも行うプロセスは共通しており、まずはターゲットの分析や街の分析から始めていきます。例えば、池袋は海から遠い県の人もアクセスし易いハブターミナルで若者も多い。特にサンシャインシティーには平日1日で5・6万人の若者が買い物に訪れる環境がありました。元々、中高生を集客するのが一番難しい業界なのですが、このようなポテンシャルがあるからこそ、ファッションの買い物と合わせて行けるお洒落な水族館に、海から遠い人でも都会で代替的に癒やしを得られる「都会のオアシス」というブランディングも決めていきました。

基本的にはこのブランディング作りまでで全行程の30%は完了します。それからは、そのコンセプトに合った展示の方向性を決めていくんです。サンシャインの場合は屋上に水族館を設け、天空のオアシスと謳うことから、屋上を緑化し、大人が癒されるような水槽、水中感がたっぷり味わえるものを検討していきました。

その過程では、直接業務ラインに所属していないスタッフも含めてワークショップ的に水槽作りの方向性を議論していきます。営業の方など、関係のない役職の人の視点が入るからこそ面白い面もありますし、組織自体がイノベーションを起こし易くする雰囲気を作っていくことに注力しています。もちろん、時間は非常にかかりますし、人を巻き込む分その場は非常に大変なのですが、やはりこの作業をチームで行っていくことは非常に楽しいですね。

また、「何故人は水族館に来るか」の追求は大きなテーマとしてずっと継続しています。ほとんどの人は個別の生き物の観察ではなく、水中世界を味わいに来ており、クラゲの水槽を見ている人も、クラゲ単体が好きな訳ではなく、ふわふわとした浮遊感に魅力を感じていると思うんです。だからこそ、私がプロデュースする水槽は「水塊(すいかい)」と読んでいる、水中の中にいるような感覚や清涼感・光のきらめきなどを大切にしています。

どんな人でも、自然環境に身を置くと気持ちがリフレッシュされ、新たな知的好奇心も湧いてきます。多くの人は日常生活で知的好奇心を抱きにくくなっているのですが、自然に触れた経験を通じて生き方のヒントに繋げていくのは誰もが持ち合わせている感覚なんです。だからこそ、水族館での体験を通じて、癒やしに加え、忘れていた知的好奇心を思い出す場所にできればという気持ちがあります。

また、具体的な水槽づくりのプロセスでは、その後に行うプロモーションまで念頭に置いた設計を意識しています。メディアが来ざるを得ないもの、大衆が喜ぶものはなんだろうと考え、「世界初」に挑戦することもあります。そして、どこにおいても必ず広報窓口を設け、設計思想に沿ってプロモーション施策を運営いていくんです。もちろんかけられる予算等は環境ごとに異なりますが、元の設計に埋め込んでいる分、パブリシティでの長期的効果は大きいですね。

社会を顧客視点でマーケティングする


現在は、培って来たマーケティングや課題解決のノウハウを他の分野に転用する試みも行っています。例えば、リニューアルに携わった北海道の北の大地の水族館では、寒さで凍った川や温泉など、「北の大地」自体を展示し、まちづくりの活性化につなげる挑戦も行っています。また、水族館とは全く別に、地域へのコンサルティングや、訪日外国人の増加に向けた「バリアフリー観光」という分野にも力を入れています。

具体的には、観光地をバリアフリー対応にすることなのですが、福祉的な観点だけでなく、お客さんにとっての魅力を高めるために行っているんです。実際に旅館の来客数が10倍になったケースもあり、ある種の「社会作り」が効果をもたらしているのは非常に面白いですね。

全ての活動の根底には社会を顧客目線で進化させたいという思いがあります。例えば、観光地においても障害を持つ方や高齢者の方の訪問が増えながら、施設側が対応しきれていないのが現状です。また、水族館においては、利用者の方がデートや買い物ついで等、マスカルチャーとして利用し始めているのに、運営側は「子どもに向けた勉強の場」というハイカルチャーであり続けようとしている面もあります。そのように、どんな分野でも利用者の求めているものに運営側がついていけていない状況があるからこそ、私はその変化を切り拓く開拓者でありたいと考えています。

今後も、水族館だけでなく、まちづくりや一般施設のマーケティング支援を含め、自分が好きなことに関わっていきたいですね。そして、どんな分野でも、社会を顧客目線でマーケティングし、進化させていくことに関わっていきたいです。

2015.08.05

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