30歳を超えることへの危機感。野村證券から、上場の鐘を目指すベンチャーへ。

日本最大の証券会社、野村證券からベンチャー企業に転職し、CFO(最高財務責任者)として働く水野さん。仕事内容も給料も申し分のない環境から、あえて転職の選択をするまでには、どのような背景があったのか。お話を伺いました。

水野 貴弘

みずの たかひろ|ベンチャー企業のファイナンス
ネットとリアル店舗を結ぶO2Oサービスを発信する株式会社ファインズにて、CFO(最高財務責任者)を務める。

内輪のコミュニティが苦手


僕は奈良県で生まれました。 小さい頃から自分のペースで行動するタイプで、集団行動は苦手。 同世代で流行っていた「ポケモン」や「ミニ四駆」には見向きもせず、 「内輪感」のあるコミュニティがあまり好きではありませんでした。いつも、同世代とは違うことをしたがり、新しいものを経験してより広い世界を見たいと考えていました。

高校2年生の時、家をリフォームするテレビ番組で依頼者が泣いて喜んでいる姿を見て、 「人をこんなにも喜ばせられる仕事があるんだ」と感動しました。それがきっかけで将来は建築家になりたいと考えるようになりました。

ただ、大学受験をするも志望校に入ることができず、1年間浪人することになってしまったんです。 知り合いがいる予備校に行くと遊んでしまう危機感があったので、 勉強に集中するため、少し遠い京都の予備校に通い始めました。

しかし、数ヶ月も経つと周りは友達ができる中、僕は勉強に集中するため一切友達を作らないでいると、 逆に孤独を感じるようになり精神的に追い込まれていきました。いつしか、外に出るのが怖くて勉強もはかどらない悪循環に陥りましたが、なんとか神戸にある大学の建築学科に進むことができました。

この1年は生まれて初めての挫折を感じた期間でしたが、それ以降は「浪人時代と比べたら」と考えることで、しんどいことも乗り越えられるようになりました。

若いうちから結果を出して認められたい


大学に入ってからは、ボート部で活動したり、製図の課題に没頭したりするうちに、 気づけば精神的には立ち直っていきました。

2年生になると建築学科で製図に没頭するようになりましたが、建築学科の狭い世界だけではなくもっとたくさんの人と関わりたいという思いが強く、より広い世界を知るためにロンドンに短期留学に行きました。

その後、3年生の時に大学に建築家の方が講演に来て、大成するまでの苦労や現実を話してくれる機会がありました。 その話の内容というのは、建築家になろうと思ったら、大学院を出て10年位は建築事務所で修行した後に自分の事務所を持つことができ、40歳位でやっと少しずつ個人の名が売れてくると。 そんな話から、大器晩成な職業であることを現実として突きつけられたようで、僕は正直「芽が出るまでが長すぎる!」と感じてしまったんです。

僕はもっと早く成長し、社会に認められたい、成功したい、と考えていました。 中高は私立の一貫校で、周りの友達は裕福な家庭が多い一方、一般家庭で育った僕はお金に対するコンプレックスがあったのかもしれません。また、フィットネスクラブのインストラクターのアルバイトをしている時、そこに通う外資の証券会社に勤めている人に可愛がってもらっていて、 その人の生活やお金の捉え方に憧れも持っていたのも影響していました。

そこで、僕は建築家の道を変更し、もっと早く成長し成功できる道がないか探し始めました。 とにかく仕事をしてみないと何も分からないと思ったので、それからすぐ、他大学でイベント事業を始めた友人と一緒になって、そのイベントの営業の現場に出て、チームの営業統括をすることになりました。

そしてすぐに就職活動の時期になり、父や祖父が金融系だったこともあって金融業界を見ていました。また、営業の楽しさを感じていたので職種は営業職を希望し、最終的に野村證券に入ることに決めました。

外の世界への憧れと大企業に居続けることへの怖さ


入社後は上京して中目黒支店に配属となり、渋谷区・目黒区界隈の富裕層や高所法人向けのリテールを行いました。 リーマンショック後だったため証券会社のウケは悪かったものの、経営者の方々と話すのは僕にとっては刺激的でした。

みんな自分のやりたいことを仕事にしていて、お付き合いをしながら仕事のお話を聞くうちに、自分も将来は会社を辞めて外に出たいと考えるようになっていきました。自分で挑戦して成功をしている経営者への憧れがあったんです。

一方、心の中ではこの環境に身を置き続けることに、常に恐さも感じていました。 「このままいたら、ここでしか通用しない人間になってしまうのではないか」と。とは言え、仕事はお客様、上司、仲間に恵まれたおかげで成績も順調でした。

しかし、3年程経った時、地方への異動が決まりました。 公私ともに東京での生活を謳歌していた僕としてはこれは正直なところ、かなりショックでした。この時に、サラリーマンをこのまま続けるべきか真剣に考えました。ただ、「自分に必要なことが、必要な時に来るものだ」と思い、これも自分の長い人生の中で必要な経験なんだろうと受け入れることに決めました。

成長への不安と挑戦への決断


僕が転勤した県は、平均年収では下から数えた方が早いくらいの土地でした。証券の仕事は富裕層相手ですが、そもそも富裕層や儲かっている会社自体少なく、あまりにも以前と違いすぎる環境に、初めは戸惑いました。

ただ、3ヶ月くらい過ごしていくうちに、当たり前ですが、都会と比べて不便さもある田舎であっても、そこで過ごしている人もそれはそれで幸せそうなことに気づいたんです。

それまでは、「ただ広い世界を見たい」「もっと刺激的な環境にいたい」と外にばかり目が向いていましたが、そうじゃないところにも幸せがあるんだと。幸せを決めるのは自分自身で、その基準は人それぞれ違い、都会か地方かどうかなんて関係ないと。そして、半年もするとどっぷり地方の生活に浸かって、その土地が好きになりました。

ただ一方で、地方において「野村」の名前が強すぎる影響もあり、地方ならではの学びはあるものの、証券マンとしての成長に焦りも感じていました。一生懸命仕事をしても、「これでいいのか」という不安がいつも付きまとい、28歳という年齢もあり、常に自分の将来と向き合いながら仕事をしていました。

そんな時、東京にいた頃によくしてもらっていた経営者から連絡をもらい東京へ会いに行くと、「上場を目指してCFO(最高財務責任者)として働かないか」と誘われたんです。

証券の仕事で新規上場の会社をたくさん見ていたこともあり、「上場の鐘を鳴らす」場面を想像して、胸は踊りました。 また、その誘ってくれた経営者に非常に魅力を感じていたので、一緒に働けると思うと嬉しかったですね。

一方で、自分の弱さも露呈しました。なんだかんだと言いながら、その時の収入や肩書、野村證券にいることによって得られる将来を手放すことへの不安があったんです。その後数ヶ月、「自分が将来本当にどうなりたいのか」考えながら、自分を育ててくれた野村證券へ少しでも恩返しをしたくて、後輩の育成にも没頭しました。

そして結論として「今挑戦しないと一生やらないし、今が挑戦すべき時だ」と考え、 2014年6月、5年3ヵ月務めた野村證券を辞めて、ベンチャー企業のCFOとして働くことに決めました。

大企業とベンチャー企業のギャップを感じる


そうやって働き始めたのは、株式会社ファインズという100人ほどの会社です。実際に働いてみると、社内の雰囲気や制度、スピード感などの環境など、ほぼ全てにおいて、前職とは良くも悪くもギャップが多くて驚きの連続でした。

例えば、チームのマネジメントにおいても、野村の場合は一本筋通った文化や価値観があり、営業は数字がモノを言うのである意味簡単でした。しかし、年齢も違えば、歩んできたキャリアも違う、独り身の人もいれば、家族や子供がいる人もいる。その環境の中で、それぞれのメンバーが求めるものと、会社の求めるものをすり合わせていくことに、初めは難しさを感じました。

また、営業であれば、「今月、これだけの数字で会社に貢献した」と感じることができますが、財務の仕事はそうはいきませんでした。野村でその日の成果がすぐに確認できることに慣れていた自分は、明確に成果を確認できないことに対する、無意味な焦りやプレッシャーを勝手に感じたりもしました。

ただ、僕の場合、「悩んでいる状態」は「考えることから逃げている状態」であることが多いと気づき、「悩まず考える」ことを常に意識し始めました。とにかく考え、それでも分からなかったらすぐに誰かに聞く。悩んでも知恵は出ないけど、考えればいくらでも道が見つかると。すると、少しずつ成果を出せるようになってきたんです。

現在の僕の仕事はCFOとして会社の成長速度を早めるために資金調達や財務戦略を立案し・実行することですが、社内の環境を整えるのも一つの役割だと思っています。

入社した社員が、今以上に「ファインズに入って良かった」という気持ちを感じてもらえるような環境を作っていきたい。 それは単に報酬面や人事制度だけでなく、「自己成長」や「文化」の部分を重視して作っていきたいと思っています。

また、前職の経験を活かし、セールスにも関わっています。CFOといっても、あくまで僕は、ファインズという会社を売り込む一営業マンである意識は常に持っています。

将来、独立については考えないわけではないですが、今はこの会社を、もっと強くすることが自分のミッションであり、それ以外は何も考えてないですね。そして自他共に納得できるような成果は必ず出すと決めています。

それを実現した時、結果的に独立できる力が身につけていることは、ある意味必然だと思っていますし、そうなっていなければ、まだファインズでのミッションを達成していないのだと考えています。

転職前は不安もありましたが、自分で考え、行動し、納得して実行をしたことなので、後悔は一切ありません。これからも何かに縛られるのではなく自由に、ファインズに関わる人たちをもっと幸せにできるように、自分が信じた道で挑戦を続けていきます。

2015.04.14

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