素人代表として伝え続ける。 食わず嫌いの先にある世界に魅せられて。
コーヒーブログ「I LOVE COFFEE」サウナブログ「I LOVE SAUNA」など、ウェブメディアを通して「好きなものの魅力」を伝える岩田さん。日本語教育を追求し、アメリカで日本語教育の普及に務めていた岩田さんが、ライターになったきっかけとは。どんな思いで書き続けているのか。お話を伺いました。
岩田リョウコ
いわた りょうこ|ライター・ブロガー
アメリカでプログラミングの練習のために始めたブログ「I LOVE COFFEE」が2ヶ月でヒット。2015年に書籍として出版。コーヒー以外にも自分が夢中になったものの魅力を伝える。
I LOVE COFFEE
I LOVE SAUNA
ぎゃふんとなったホームステイ
愛知県名古屋市で育ちました。小さい頃は、興味を持てないことに気持ちが向かない子どもでした。例えば、勉強には意味を感じられなくて、学校は、なんで行かなきゃいけないんだろうと思いながらいやいや通っていました。
中学で初めて英語に出会ったときも、仕組みがまったく分からず嫌いでした。「I」の後に「is」をなんとなく入れてみたり、「I school go」みたいに、日本語の語順に当てはめてみたりしていました。
それだけ英語が嫌いだったのに、高校2年生の夏休み、母から留学を勧められました。「名古屋の夏は暑いけど、カナダの夏は涼しいから」と言うんです。最初は拒否していましたが、仲良しの友達が留学に行くというので、私もカナダに2週間行くことにしました。
予想通り、英語はまったく話せず、ホストマザーにも「サンキュー」としか言えませんでした。さすがに、そのままではまずいと身に染みましたね。極めつけは、日本に帰る飛行機を待っている空港で、友達と一緒にホストマザーに電話をかけたとき、友達が第一声で「アイアムホームステイ」と言ったんですよ。やばい、これはいかんと思っても、私からは何一つ言葉が出てきません。
もう、ぎゃふんって感じでしたよ。英語が嫌いとかそういう次元じゃなくて、言いたいことを誰かに伝えられないのは問題だと。
留学は楽しかったし、もっといろんなことを話したかった。英語が話せたら世界中の人に、「ありがとう」以上のことが言える。そんな想いから、自発的に英語の勉強を始めました。
すると、あれだけ嫌いだった英語も、興味を持てば仕組みが分かり、理解できるようになりました。どんどん楽しくなって、大学でも英語を使って何かできるようになりたいと思い、国際経営学部に入りました。
「英語を教える」から「日本語を教える」へ
大学の勉強は、自分が知りたいことを学べるので面白かったです。3年で単位を取り終えて、4年生のときには交換留学でアメリカに行きました。
将来は、英語を教える仕事をしたいと思っていましたね。私自身、英語が苦手で苦労したからこそ、分からない人の気持を理解しながら教えられると思ったんです。そこで、英語を教えるためのTESOLという資格を取るため、大学卒業後さらに1年間、アメリカの大学で勉強することにしました。
留学生としてではなく、現地の学生と同じ立場で授業に参加するのは大変でした。英語ができるようになったと思っていたのに、いざディスカッションになると、アメリカの学生のようには発言できません。留学生活は、毎日が英語の訓練のような感覚でしたね。
次第に、英語を教える仕事に就くことに限界を感じ始めました。母国語ではないので、高レベルの英語を教えるのは難しかったんです。
そこで、英語ではなく日本語を教える人間になることにしました。言語を教えるスキルはある程度持っていたので、母国語である日本語なら、高いレベルのことまで教えられるのではないかと考えたんです。進路を変更して、日本語教育を学べるアメリカの大学院に進学しました。
私が入った大学院では、大学院生が学部生の日本語授業を担当しました。そのため、朝は先生として学部生に日本語を教え、午後は大学院で日本語教育を勉強するような生活でした。
母国語といえど、日本語を教えるのは大変でした。英語は外国語として学んできたので、答えに行きつくプロセスが分かります。だけど、日本語は体系的に学んだ経験がなく、答えは分かっても、そこにたどり着く思考プロセスが分からなくて、質問されてもうまく説明できないんです。
答えは知ってるのに「どうして?」と聞かれると分からない。そんなもどかしい気持ちでした。だから、生徒から質問されるたびに、私自身、日本語を一から勉強するような気持ちでしたね。その分、自分なりに解明して説明したことで、生徒が理解してくれたときはめちゃくちゃ爽快感がありました。毎日楽しくて、ずっと日本語を教えていきたいと思いました。
カッコつけるためにコーヒーを飲む
大学院卒業後は、アメリカでワーキングビザを取れなかったこともあり、一旦日本に帰国しました。日本で外国人向けに日本語を教える仕事も考えましたが、日本では「日本語で日本語を教えること」が求められます。英語でしか日本語を教えられない私には合いませんでした。
英語を使った日本語教育に関する仕事を探していると、外務省の専門調査員の募集を見つけました。外務省では、各分野の専門家を期間限定で雇用する制度があったんです。それに応募して、日本語教育の専門調査員としてアメリカのシアトル総領事館に勤めることになりました。
シアトルでは、日本語を教える教育機関との連携、日本語教師向けワークショップの開催、国費留学生の選考などを担当しました。いろんな日本語教師に出会えたのが楽しかったですね。10年以上日本語を教えている先生のクラスを見に行ったり、有名な小説の翻訳をしている先生に会ったりしていると、彼らが日本をとても好きなのが伝わってくるんです。日本からこんなに遠い場所なのに、ありがたいなと思いました。また、新しく日本語教育を始める学校が増えるのも嬉しかったです。
シアトルの生活は楽しかったのですが、最初は「コーヒー文化」に慣れませんでした。シアトルは「シアトル系コーヒー」という言葉があるくらいコーヒーが身近で、みんな「Let’s get coffee」と言ってカフェに行くのですが、私はコーヒーが大嫌いでした。小学生の頃に、コーヒーをお茶と間違えてご飯にかけて食べたというトラウマがあって、コーヒーは一切飲まなかったんです。だから、コーヒーを飲みに行こうと誘われても、私はお茶を注文していました。
でも、それってダサいと思ったんですよね。コーヒーの町なのに飲めないって、かっこよくないと。それに、コーヒーを飲みながらの会議も多いので、コーヒーが飲めたら仕事にも広がりが生まれるような気もして。最初は、甘いカフェモカから飲み始めることにしました。ただ、普段お茶を飲んでいた私にとって、カフェモカは甘過ぎて。あるとき、家の近くのコーヒーショップでカフェラテを飲むと、本当においしくて。それから、カフェラテにはまり、ブラックコーヒーも飲めるようになっていきました。
高揚感を元にブロガーに
専門調査員としての任期は2年。任期終了が近づくと、その先のことも考え始めました。仕事がとにかく忙しかったので、1年間は自分の好きなことをやりながらゆっくり過ごしたいと思っていましたね。
ちょうど、テック系に興味を持ち始めていました。テクノロジー系のイベントに行ったときに、変わった格好をした日本人プログラマーと出会い、プログラミングができたら、どこでも、どんな格好でも働けることに魅力を感じたんですよね。
また、プログラミングを学び、日本語教師向けのウェブサイトを作りたいとも考えていました。日本語教育の現場では、古い教材が使われていることも少なくないのですが、先生たちは忙しくて自分で教材を作る時間はありません。最新の日本語教材が簡単に手に入るサイトを作れば、役に立てると思ったんです。
それで、専門調査員の任期を終えてからプログラミングスクールに通い始めました。また、プログラミングとデザインの練習がてら、自分のブログも運営することにしました。ブログ名は「I LOVE COFFEE」。コーヒーにはすっかりハマっていましたし、飲んでいる人も多いので、コーヒーブログは検索に引っかかりやすいと思ったんです。
すると、2ヶ月でブログがヒットしました。文字だけでなく、イラストを使って表現したことが、SNSで画像をシェアするブームにマッチしたんです。予想外のことに驚きましたが、数字が伸びるのがとにかく楽しくて。反応を見ながら、何が受けて何が受けないかなど、実験みたいな感じで記事を載せ続けました。
毎日のアクセス数を見るたびに高揚感がありました。生活するには十分の広告収入も得られるようになり、プログラミングスクールをやめて、ブログに専念することにしました。
ただ、高揚感はそんなに長くは続きません。アクセスされるのが日常になり、冷静さを取り戻すと「私は何をやってんだろう」と焦るようになりました。
それまでたくさんのお金と時間を使ってきた日本語教育をやめてしまった。日本語の教材を作るためにプログラミングの勉強を始めたはずじゃなかったのか。ブロガーという不安定な仕事を続けていくのか。
そんなことを考えるうちに、「絶対に失敗してはいけない」とプレッシャーを感じるようになりました。中途半端で終わってしまったら、日本語教育をやめたことを後悔すると思ったんです。
だったら、ブログをちゃんとやらなきゃいけない。もともと好きだったことですし、嫌ではありませんでしたが、頭の中は常にコーヒーのことを考えるようになって。夢の中でもコーヒーが出てくるほどでした。
コーヒーブロガーとして生活を続け、3年経ったときに、コーヒーの本を出版することが決まりました。そのとき、やっと安心できましたね。何でも選んだ道を正解にしていくものだとは言われますが、やっぱり、分かりやすい形になるまでは不安があったんです。本という明確なものができて、この道を進み続けていいんだと、心から思えるようになりました。
食わず嫌いをなくすため
アメリカでの出版の2年後、日本語版も出ることになり、プロモーション期間中は日本で過ごすことにしました。最初は2ヶ月位で戻ろうと思っていたので、アメリカの家はそのままにしていたのですが、久しぶりの日本は居心地が良すぎて、そのまま住み着いてしまいました。
今は名古屋を拠点に、自分のブログだけではなく、雑誌やウェブメディアなど、他の媒体の文章を書く仕事もしています。コーヒーブログは始めてから5年も経ち、ネタ切れややりつくした感もあり、今は他の媒体でコーヒーのコラムを書くのを楽しんでいます。もともと、コーヒー自体にそこまで強い思い入れがあるわけではありませんし、ひとつのことを極めたいわけではないんです。
私は、「食わず嫌いをしている人の世界を広げるような情報」を発信したいんですよね。私自身、英語もコーヒーも嫌いでしたが、実際にその世界に足を踏み入れてみたら、素晴らしい世界があることを体験してきました。日々の生活の小さなことでも、やったことがないことにチャレンジしてみると、単調な日常がすぐ変わるはず。新しいとか、楽しいとか、嬉しいとか、そういう感覚を持ってもらえたらなと思っています。
もちろん、やってみて合わないものはあります。そういうものはやめればいいし、私も、自分が好きなものしか発信はしません。例えば、「早起き」を勧められてやってみましたが、それは私には合わないみたいです(笑)。
逆に、1年ほど前からハマっているのはサウナです。最初にサウナに誘われたときは、なんとなくの印象で嫌だと思いました。完全に食わず嫌いでした。でも、サウナの正しい入り方や楽しみ方を教えてくれる人と一緒に行ったら、思いのほか良くて。冷え性に効いたり、心の調子が整う感じがして、めちゃくちゃハマりました。「I LOVE SAUNA」というブログを立ち上げたほどです。
サウナ情報の発信も、コーヒーのときと同じように、私は専門家ではありません。でも、素人の目線だからこそ、食わず嫌いをしている人に合った情報を発信できると考えています。分かりやすい情報を届けて、食わず嫌いをしている人の一歩を後押して、その人自身の生活を少しでも豊かにできればと思います。
ただ、明確な目標があるわけではありません。発信する情報も、私が好きで広めたいと持ったものだけです。自分でも次に何に興味を持つのかは分かりません。その分、意識的に新しいことに触れ続けるようにはしています。
明確な目標を持って仕事をしている人を見ていると、「私はこのままでいいのかな」という不安はあります。それに、自分のブログではない媒体に記事を載せると、お客さんの反応やアクセスがが見えなくて、なんとなく自信を持てない一面もあります。だけど、コーヒーブログがきっかけでいろんなコラボレーションが生まれたように、やり続けていたら、道は拓けるのかなと思って、今は続けています。
サウナも特別感がだいぶ薄れて、コーヒーと同じように、私にとっては日常になってきました。もうしばらくしたら、また次に夢中になるものが出てきて、「I LOVE ●●」というサイトを立ち上げているかもしれません。そうやって、自分が本当に好きだと思えることを、多くの人に知ってもらい、一歩のきっかけになる活動を続けていきたいです。
2018.05.07