難民キャンプ内での生活を良くしたい。
環境エンジニアとして、やりたいこと。

ヨルダンにあるシリア難民キャンプ「ザータリ難民キャンプ」にて、上下水道事業に携わるソニアさん。幼い頃から、人のためになる仕事がしたいと志しつつけた彼女が、環境エンジニアとして実現したいこととは。お話を伺いました。

Sonya Milanova

ソニア ミラノヴァ|難民キャンプのインフラ構築
JENのプログラムオフィサーとして活動する。

人のためになる仕事がしたい


ロシアの首都モスクワの近くの町で生まれました。8歳の時、家族は「グリーンカード」と呼ばれる外国人向けの永住ビザを獲得し、アメリカのオレゴン州に移住しました。アメリカのオレゴン州に引っ越しました。小さかったのでよく覚えていませんが、アメリカに行くのをとても楽しみにしていた気がします。

実際、暮らし始めると、オレゴンは緑にあふれていてとても良い場所だと感じました。ただ、アメリカに来て、人々の生活格差の大きさに驚きましたね。私が暮らしていたロシアは、生まれた頃はまだ社会主義のソビエト連邦でした。ですから、人々はみな平等に貧しかったんです。もちろん、平等に見えて市民と政府は全く平等ではなかったんですけど、アメリカみたいな市民間での格差は見えなかったわけです。

ところが、アメリカでは、お金を恵んでもらうために道端で座っている人がいると思えば、5つも家を持っている人がいて。その格差の大きさに驚いたんです。

そんな問題を目の当たりにしたからか、将来は地域コミュニティのためになるような仕事や、貧しい人を支援する仕事をしたいと思っていました。小さい頃から夢はたくさんあって、宇宙飛行士、テニス選手、ライターなど、その時々でなりたいものは変わりましたが、開発支援の仕事をしたいという気持ちは変わりませんでした。アメリカに来て貧富の差に驚いたことだけでなく、誰も知り合いがいない土地に来た私たち自身が周囲の人たちに助けてもらった影響が大きいと思います。

一方で、環境問題や災害問題に取り組みたい気持ちもありました。なぜだかわからないのですが、ずっと興味があったんです。テレビで地震や災害の映像を見るたびに「私もあそこに行って何か手助けしたい」と思いました。

高校生になって進路を決める時は、なかなか専攻を決められませんでした。数学や化学が得意だったので、エンジニアになろうと思ったのですが、機械工学を学ぶか、環境工学を学ぶか悩んだんです。機械工学を学べば、太陽光発電など代替エネルギーの開発に関われる。一方で、環境工学を学べば、開発途上の多くのコミュニティが抱える水や排水処理の問題に取り組むことができます。

半年ほど色々考えた結果、最終的には開発系の仕事につくため、環境工学を学ぶと決意。卒業後、シアトル大学に進学しました。

緊急支援を仕事にする


大学ではコミュニティーサービスの研究をしたり、学校外でもボランティア活動に参加したり、開発支援に関わり続けました。卒業後はコロラド大学の大学院に進み「engineering for developing communities」という学問を学びしました。技術を地域コミュニティのために活かす方法を、技術者に対して教育する学問です。

ただ、大学で学んだり、ボランティアで実際の現場に携わったりするうちに、開発系の仕事に対して悲観的になってしまいました。たくさんの失敗事例を見ましたし、支援が問題を産んでしまうこともあると知ったんです。また、地域コミュニティの人にとっては、どこの誰かも分からない人が突然来て「私があなたたちを助けます!」なんて言うのは恩着せがましい。そういうことがやりたいんじゃないと思ったんです。

一方で、私が開発支援のために学んだ全てのスキルやノウハウは、災害時の緊急支援に使えるんじゃないかと思ったんです。災害が起きた地域は、どんな場所であっても緊急支援が必要になります。そこで私ができることもあると感じたんです。昔から環境問題や災害問題への関心も強かったので、迷いはありませんでした。

大学院を終えてからは、ハーバード公衆衛生大学院で研究員になりました。そこでは「空気汚染と結核」に関して研究しながら、空いている時間に災害時の緊急支援について学びました。災害で発生した難民キャンプをどのように設計するかを考えるんです。様々な事実から仮説を立て、上下水道の整備など、難民キャンプに必要なもの全てについて考えました。

その授業の最後には、大災害を想定した3日間の実習がありました。とても激しい実習でした。各メンバーは、自分が実在する様々なNGOのリーダーになったと仮定して、最適な支援プランを捻出するんです。どうやって正確な情報を掴み、最適なサービスを提供していくか。予算なども全て計算しながら想定していきます。

その3日間は、本当に、本当につらかったですね。しかし、その分とてもエキサイティングで楽しかったんです。普通の生活にはもう戻れないと思いましたね。この時、災害支援の仕事をすることを心に決めたんです。

1年後、ヨルダンに来ました。私の彼がヨルダンにあるシリア難民キャンプ「ザータリ難民キャンプ」で働いていたんです。私もヨルダンに来て、JENという日本のNGOで働きはじめました。

ザータリ難民キャンプでの活動


JENは、難民キャンプ内の12区のうち3区で衛生サービスや衛生教育の提供、給水支援活動のサポートをしています。 私はここで、インフラプロジェクトとメンテナンス活動を中心としたプログラムの責任者として働いています。

私たちは下水の処理システム構築に関わり、各家に浄化槽を設置するために動いています。将来的には、各家と下水処理プラントを下水道で繋ぐことも計画されています。

また、上水道を導入する計画もあって、そこにもJENは携わっています。ザータリ難民キャンプでは、一人あたり35リットルの水が毎日支給されるのですが、8万人もの難民が暮らす広大なキャンプにおいて、車で水を配送するのはかなり大きなコストがかかっています。より効率的に水を届け、コストを圧縮するためのプロジェクトなんです。

他にも、水を入れるタンクを消毒する仕事もしています。「タンクを消毒する」と聞くとすごく簡単そうですが、そうでもないんです。一軒ずつ家を回って、許可を得なければならないんです。

タンクをそのままにしておくと、雑菌が溜まり、キャンプ内で伝染病が流行する恐れもあります。それを防ぐために消毒を行っています。タンクを空にして、作業場まで移動し、消毒を行い、各家庭に戻します。 作業をしている数日間は、各家庭のタンクの代わりに公共のタンクを使ってもらう必要があります。そのため、給水を管理する他の組織との調整が必要になります。 大変な作業ですが、人々に安全な水が届くために、必要不可欠なプロジェクトなんです。

他にも、トイレ建設の手伝いをすることもあります。シリア難民の人たちはとても行動的で、自分たちで家庭用のトイレを建設します。ただ、身体障害者だけの家庭や男性がいない家庭は、自分たちで作るのが難しいので、私たちが建設を手伝います。

難民キャンプの生活環境を改善したい


難民キャンプでの仕事は、時にトラブルも起こります。特に大変なのが、住人が知らせることなく仮設住宅を移動して、別の区に行ってしまうこともあります。
私たちは、キャンプ内で暮らす人々の住所を確認するシステムを使ってサービスを提供しています。なので、知らせなく移動されてしまうと、彼らの状況を確認し、生活に必要なサービスを提供することが難しくなるのです。

先日も、知らない間に私たちが担当している地区に新しい人が引っ越していたことがありました。その人たちは障害を持つ人とお年寄りの女性だけの家族だったので、私たちが偶然見つけるまでは必要な手助けが行き届いていませんでした。そういった事態を想定して、数カ月に一度は住所データの更新もしなればいけません。でも、大変なことが起きるのにも大分慣れてしまった自分がいますね。

ザータリは違いますが、多くの難民キャンプで、難民は悲惨な暮らしを強いられています。その状況を生み出している原因は、受け入れる人たちも暮らす人たちも、誰もが難民キャンプがそこにあり続けてほしいと思っていないこと。いつかはなくなるものなので、快適な環境を求めなくていいと考えていることだと思います。

ですが、私は違うと考えています。可能な限り、難民キャンプを過ごしやすい場所にしていくべきだと思うんです。特にヨルダンは、周囲の国で紛争が多く、常にたくさんの難民を受け入れています。残念なことですが、シリアの紛争が解決したとしても、またすぐに他の難民がザータリ難民キャンプを必要とするのではないかと考えています。実際、多くの難民キャンプは、20年、30年と存在し続けています。

だから、永久的なインフラを構築することは重要だと思います。難民キャンプ内に快適な環境を作っていくことが私の役目だと思います。

私は、これからも難民キャンプのインフラ構築のプロジェクトに関わり続けたいと思います。もしくは、もっと環境問題に近いプロジェクトに関わっているかもしれませんが、将来どうなっていくかは、まだ分かりませんね。それでも、困っている人のためになるような仕事を続けていきたいです。

2016.08.11

Sonya Milanova

ソニア ミラノヴァ|難民キャンプのインフラ構築
JENのプログラムオフィサーとして活動する。

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