ワークとライフが重なる人生に全力でコミット。
一人の人間として、子どもに生き方を示したい。
大手損害保険会社の人事部で、人事制度の構築や働き方改革に取り組む伊藤さん。何事にも本気になれず逃げ道ばかりつくっていた過去を振り切り、走り出す中で見えた「ワーク」と「ライフ」の新しい捉え方とは。お話を伺います。
伊藤 紗恵
いとう さえ|損害保険会社人事担当
損害保険会社(現在はグループ会社へ出向中)人事担当
振り切れば実力以上の力を出せる
東京の練馬区で生まれ育ちました。弟2人と両親の5人家族です。父は保険会社で働くサラリーマン、母は専業主婦。勉強して大学まで進むのが普通で、私もいずれは両親のような大人になるのだと思っていました。
小さい頃からおとなしい性格で、なんでも器用にこなす優等生タイプでした。本当は目立ちたがりで、周囲に自分のことを認めてもらいたいのに、あと一歩前に出るのをためらっていましたね。そんな自分を変えたくて、中学に上がると、思い切って学級委員に立候補しました。
何かに熱中したいと思う一方で、「真面目にしない方がかっこいい」という反抗的な気持ちもありました。そんな中で事件が起こります。1年の時の臨海学校で、お菓子を隠し持っていたのがバレてしまったんです。真面目な私がルールを破ったと、みんなびっくりしていました。そこで先生から、「お前のことは信じてたのに」って言われて、ハッとしたんです。期待してくれた先生を裏切ってしまった申し訳なさと、自分は期待されているんだという嬉しさで、物事への姿勢が一変しました。悪ぶって中途半端でいるより、もっと真面目に、熱中して取り組んだ方がいいなって思ったんです。
それからは「自分ならできる」と、半ば強引に思い込み、学級委員も部活も全力で取り組みました。3年ではテニス部のキャプテンとなり、実力以上の力を発揮して、大会で結果を出すように。「頑張ればなんでもできる」と実感しました。
本気になれず言い訳ばかりしていた
中学での成績は割と良かったのですが、将来のことはまだ何も考えていませんでした。とりあえず、遊び場のある都心に近くて、校則の厳しくない学校を選びました。
高校に入学すると、一気にギャルになりました。中学の終わりから雑誌の影響でギャルにすごく憧れて、「自分も高校生になったらギャルになろう」と密かに決めていたんです。
授業は休みがちで、部活にも入らず、クラブで踊ったり、イベントサークルで遊んでばかりいました。勉強は全くしていなかったので、成績は当然ガタ落ち。数学のテストで人生初0点を取ってしまいました。小心者なので、そんな大胆なことをする自分が信じられずびっくりしましたが、それもすぐに慣れました。「人間慣れるってすごいなぁ」と、妙に落ち着いて自分を客観視していました。
でも内心は、何事にも全力で取り組めない自分にフラストレーションを抱えていたんです。ギャルを極めたいと思いながらも、本当のギャルのように学校をサボりまくる度胸はなくて。ある程度ちゃんとしていたいって気持ちがあるから学校には通っている。ギャル雑誌のモデルになりたいけど、「もう少し痩せてから」「もう少し綺麗になってから」と、言い訳して、応募はできませんでした。振り切れない自分を、すごく中途半端だと感じましたね。
進学校だったので進路を考える時期になると、友達と一緒に受験モードに入りました。そこで出会った英語の先生がすごく面白い人でした。教え方もうまくて話も面白くて、先生の人間性にすごく惹かれたんですよね。それからは「先生に認められたい」という一心で勉強しました。要領は良いので、結果的に都内の私立大学に合格できました。ただ、心の片隅では、「本気出してないから、もっと上の大学には受からなかったんだ」と言い訳もしてましたね。
大学生活では授業もほどほどに、アルバイトなどをしてなんとなく過ごしました。就職活動が始まっても、将来やりたいことやキャリアは描けなくて。周りの学生と同じように、大手金融系の会社受け、父が保険会社で働いていたこともあり、最終的に私も損害保険会社に就職することを決めました。
育児で分離するワークとライフ
就職先の損害保険会社では、人事に配属されました。先輩や上司は優しく、恵まれた環境でした。
結婚して子どもを産んで、家庭がメインになるまで、仕事は続けるだろうという程度で、今後のキャリアについて、あまり深くは考えませんでした。私の場合、人生には節目ごとのゴールがあって、「受験」「就活」「結婚」「出産」と、それぞれゴールに到達すること自体が目標になっていた気がします。
1年目の終わりに、妊娠がわかりました。その後結婚して、子どもが産まれると約2年間の育児休暇を取得。育児に専念しました。
4年目に復帰してからも、仕事への意欲はあまり高くありませんでした。家庭と育児が最優先で、仕事と家庭は完全に分離して捉えていました。会社は、子どもをもつ社員にとても優しい環境でした。ただ、そこに甘えてしまい、会社にあまり貢献できていなかったと思います。仕事よりも、頭の中はいつも子どものことばかりでしたね。
その後2人目を妊娠し、また育児休暇に入りました。この頃から、子ども服のハンドメイドにハマり、趣味が高じて雑貨店においてもらったり、オーダーを受けたりすることもありました。「この型紙とこの生地を合わせたらかわいいかも」なんて思って作ってみると、結構当たるんです。自分が作った服を喜んでもらえると、周りから認めてもらえた感じがして、すごく嬉しくなりました。ハンドメイドで起業したいと思ったくらいです。
育休が明け、7年目にまた復帰しました。20代のほとんどを育児で過ごしていたので、今後のキャリアに対して若干の焦りはありました。それでも、仕事と家庭は完全に切り離したまま、いつも子どもやハンドメイドのことばかり考えていました。
ただ、大好きなハンドメイドも、本格的に取り組みたいと思いながらも、起業という一歩は踏み出せずにいました。「服飾を学んでないから」「専門のスキルがないから」と、言い訳をしては、本気で取り組む前にまた逃げ道をつくっていたんです。
30歳の時に、保険の支払いを行う部門へ異動しました。業務内容も大きく変わりましたが、持ち前の器用さで、時短勤務でも生産性は高かったと思います。だからと言って、仕事でどんどん頭角を表したいとか、昇進したいとかは考えていませんでした。心のどこかで「育児でブランクがあるから、昇進できなくてもしょうがない」と、言い訳をしてしまう自分がいました。
ワークとライフが重なる生き方
翌年の秋に、立ち上がりから間もないグループ会社の人事に配属されました。短いスパンの異動が珍しかったこと、再び人事に配属されたとあって、「きっとこれは大抜擢なんだ」と思うことにしました。異動を告げられ、やる気になっている自分に気付いた時、「本当はもっと仕事にコミットしたい」という、自分の心の声が聞こえた気がしました。
異動後、グループ会社の経営全体に関わる人事戦略の企画などを任されるようになると、やる気はさらに上がっていきました。自分が取り組んだことで、周囲に影響を与えられるってこんなに面白いんだと、初めて感じました。
人事という仕事柄もあり、外部のセミナーへ参加する機会が徐々に増えました。社内外で活躍する方や、時には起業家の方がいる場もあり、「私なんかが行っていいのだろうか」と思いながら、恐る恐る足を踏み入れたんです。そこで出会った人々は、自分の人生に全力でコミットしていました。ワークとライフを別々に切り離して捉えるのではなく、ワーク=ライフみたいに、2つが重なった部分に情熱を注ぐ生き方でした。
彼らがいきいきと活動する姿を見て、「この人たちと同じ土俵に立てたら、どれだけ楽しいだろう」と、強く憧れました。それからは社外の人々と交流を持つようになり、様々な場に足を運びました。すると、熱い想いを持った人たちと、業界を越えてどんどん繋がっていったんです。
社外からの学びをを楽しむ一方で、大きな焦りも感じました。これまで、自分の働き方やキャリアをあまりに考えずに、なんとなく仕事をこなしてしまっていた。やりたいことがあっても、「本気を出していないから」と、言い訳して逃げ道をつくってばかり。そんな自分にとうとう「いつ本気を出すんだ?」って、心の声が問いかけてきたんです。
一気に目の前の靄が晴れた気がしましたね。私も彼らのように情熱的に生きたい。もっと自由な生き方、働き方を自分の周りの多くの人に知ってもらいたいと思いました。この時代この環境下で自分だったらどんな会社で働きたいか、どんな働き方をしたいか、を問い続け、自分事で考え本気でコミットした内容を全力で上司に伝えました。その結果、私の提案がそのまま会社の働き方改革の大プロジェクトになったんです。
これからの生き方・働き方を体現する
現在は引き続き、大手損害保険のグループ会社で、人事担当をしています。立ち上げた働き方改革のプロジェクトを展開し、社員ひとりひとりが自分事にとらえて、やりたいことを実現できる環境を全力で支援しています。
人事として、個人として、より良い働き方を自分自身が体現することも、私のミッションだと思っています。様々な働き方を実践する人々との出会いの中から、「私もこんな働き方をしたい」と思ったことに挑戦。まずは自分がより良い働き方を体現することで、周囲へとウェーブを起こしたいです。一歩一歩の歩みで、いつか気づいたら遠い所へたどり着ける。昔とは違う景色が見えているはずと信じて行動しています。
今のモチベーションは、技術やシステムが日々進化していく社会で、業界も私自身も変わらなければいけないという想いです。そして、その想いを社員みんなで持つことができれば、とても大きな力となり、これからの時代を会社としても個人としても生き抜いていける。そう信じています。
もう一つのモチベーションは、私自身の人生で、より良い働き方とキャリアを実現することです。出会ったたくさんの人たちのように、私も自分の人生に全力でコミットしたいです。
これまでのように、ワークとライフを分離するのではなく、それぞれを重ね合わせ、本気で打ち込めるものを形にしたいですね。自分の取り組みが、やがては周囲の人々にも良い影響を与えられるようにできれば嬉しいです。信じたものを広げ、共感してもらうために、私自身の発信力や人間的な魅力を高めることが課題ですね。もう、逃げ道は作らず、振り切って壁を突破していこうと思います。
自分の働き方や生き方を見つめ直してから、子どもとの向き合い方も変わりました。これまでは子どもが中心の暮らしで、ずっと付きっ切りで育児をしていましたが、少し距離を取ってもいいかなと思ったんです。今では、子どもを家族に預けて、好きな時に外出しています。それで家庭が大丈夫なのかと言われれば、正直わかりません。子どもの宿題や持ち物を把握できなくなって焦ったり、子どもの心が前よりも離れていくことに戸惑ったり、罪悪感を持つこともないとは言えません。
それでも、これからは一人の人間として、子どもたちに私の働き方や生き方を見てもらいたいという気持ちの方が大きいです。私は気づくのが遅かったと思っています。それは周りに恵まれ過ぎてきたこともあるかもしれないし、逃げ道を作ってきた自分の責任です。私自身もまだスタートに立ったばかりですが、子どもたちにはこれからの時代を全力で楽しく生き抜けるような問いかけをしていけたらと思っています。
2018.02.19
伊藤 紗恵
いとう さえ|損害保険会社人事担当
損害保険会社(現在はグループ会社へ出向中)人事担当
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編集部の伊藤です。秋は悩みの多い季節と言われます。例えば、ファッション。先週真夏日があったと思ったら、今週は台風到来と秋は天気が激しく変わるので、何を着るか悩みますよね。でも、そこで無難なファッションを選ぶと気分が上がらない。ファッションが心理状態に与える影響の大きさは様々な研究が示していますが、実はanother life.にもその実例があるんです。今回は、ファッションをきっかけに自分に自信がついた3名のストーリーをご紹介します。ぜひご覧ください。
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