日常に、花のある生活を。
「花屋になるな」と言われた私が、花屋になるまで。

“Living With Flowers Everyday”というコンセプトのもと、首都圏展開を行う生花店のブランドクリエイターを務める江原さん。花屋を営む家に生まれ、「花屋にはなるな」と言われ育ちながら、「日常に花のある生活を広めたい」という現在に至るまでには、どのような背景があったのでしょうか?

江原 久司

えばら ひさし|花屋のブランドクリエイター
「青山フラワーマーケット」を運営する、株式会社パーク・コーポレーションにて、
ブランドクリエイターとして、商品開発や企画運営を行う。

株式会社パーク・コーポレーション

花屋にはなるな


小さい頃から、花屋を営む親に、

「花屋にはなるな。きちっとした会社に入り、安定した暮らしをしなさい」

と言われていました。

私自身、実家が花屋であることに少し照れに近い部分もありました。
小学生の頃、バレンタインをもらったお返しにと、親が花を持たせてくれことがあったのですが、
それを持って教室にいくのはすごく恥ずかしかったですね。

ただ、親の教育の影響か、小さい頃からアートや個性的なものが好きでした。
絵画教室に通ったり、家でも美術の本を読んだり、
中高生になると、音楽やファッションにも関心を持つようになりました。

高校では部活と勉強でほとんどの時間を過ごしていましたね。
進学校だったこともあり、卒業してからは大学に行こうと自然に考え、
家が商売をしていたことで、商学部や経済学部を選びました。

特別大きな理由は無かったのですが、青山学院大学に進学し、上京することに決めたんです。

自分を表現できる仕事をしたい


大学に入学した印象は、「とにかく華やかだなぁ」というものでした。
田舎育ちで、憧れもあったんだと思います。

ただ、自分自身は、華のキャンパスライフなどとは離れたところで、アルバイトなどに打ち込んでいました。
顔が老けていたこともあり、現役にも関わらず「あいつは2浪だ」と思われて、
新歓も誘われなかったのも一つの理由でした。(笑)

在学中は自分らしいこだわりみたいなものを探していたんだと思います。
センスのいい友人が身近にいたこともあり、ファッションという物へのこだわりも強く持っていました。
バイトで貯めたお金は、ほぼブランド系の服やCDを買うのに使っていましたね。

そんな学生生活を経て、就職活動の時期になると、
人と違うような、自分を表現できるような仕事をしたい、と考えるようになりました。

ところが、アパレルや音楽関係などを、絞って受けていたのですが、
就職氷河期だったこともあり、思うように決まらなかったんです。

極めつけには、家に空き巣が入ってスーツが盗まれてしまったんですよ。

「これは就活をやめろってことだな」

と考え、そのまま卒業することにしました。

今の状態では受からないから、自分のことを考え直さなければ、と感じていましたし、
何か自分に合うものはあるだろうと思っていたので、それほど不安を感じていなかったと思います。

「ああ、やりがいのある仕事だな」


卒業してすぐ、私の実家が花屋だと知っている知人から、
期間限定でオープンする花屋を手伝わないか?という話をもらい、
すぐに手伝うことに決めました。

実家の店を手伝ったりしていたことは以前にもありましたが、
そのころには幼少期とは少し捉え方も変わり、仕事を通じて表現ができる、
アーティストのような職業でもあるなと感じるようになっていたんですよね。

実際に店先に立っても、技術や知識がないと個性を出せないことも実感し、
職業としての花屋を尊敬するようになっていたんです。

その店は花屋にしては珍しく、男性4人で店舗に立ったのですが、
これが伸びやかに自由にやらせてもらい、 すごく楽しかったんです。

実際に働いてみると、ブーケ制作などのアーティスティックな楽しさに加え、
今まで見えていなかった、店舗運営やビジネスとしての可能性などにも関心を持つようになりました。
その店で働く中で、以前から気になっていたこともあり、
「花をもらってほんとに嬉しいのか?」というアンケートを知人女性達にとってみたら、3割は“No”だったんです。
花の魅力を伝えることで、3割の購買意識を変えられる余地があることに、可能性も感じていました。

花屋を営む厳しさを知っているからこそ、最初は両親からも反対を受けましたが、
時期を経るに連れ、徐々に理解もしてもらえるようになっていきました。

5ヶ月の期間を終えて店が終わる頃には、

「ああ、やりがいある仕事だな」

という気持ちになっていました。

そして、色々な花屋を見てみたいと思うようになったんですよね。
ちょうどそんな時、渋谷のある花屋が行列を作っているのを見つけました。

特別な日でもなく、花屋に行列ができるなんてありえないことだったので、
その光景に衝撃を受けたと同時に、とにかく「なんでだろう?」という疑問がわいたんです。
内部でどんなことが行われているのか知りたくて、すぐバイトの申し込みをしてみることにしたんです。

日常に、花のある生活を


店舗こそ別の場所だったのですが、いざ採用されて働き始めると、
商品一つ一つの違いや提案にすごく驚きました。

飾る場所まで想定して作られた商品やセルフサービスで花を取ることができるシステムなど、
どれもがお客様目線で考えられた提案型の花屋だったんですよね。

また、“Living With Flowers Everyday”というコンセプトのもと、
贈答だけでなく、自宅用商品をメインに据えていたんです。 

初めこそ、興味本位の部分もあったのですが、働くうちにその考え方にすごく共感していきました。
もっと生活の一部にならなければ、文化は広がらないと。

自分のスキルにもどかしさを感じたこともありましたが、もっと成長したいという思いが大きくなり、
そのまま社員になり、その後店長を務めることに決めました。
自分の中で、花屋として働く覚悟が決まっていったんです。

その後3年間店舗の運営を行い、売り上げを順調にあげていくことができ、
本部でのショップサポート業務を経て、現在の商品企画開発の責任者を任せてもらえるようになりました。

約90店舗の売上を左右する開発業務はブランドを背負ってチャレンジしている感覚が強いですね。
未成熟の業態だけに可能性はあると思います。

花のある生活を広げていくために、色々な切り口で挑戦していこうと思っています。
会社としては今も既にカフェと花屋の融合なども試みていますが、
これからも、男性にもっとお花を広めようということでスタッフ全員メンズでのショップ運営やイベントの開催、
産地特化型マーケットや地方への展開、ファッションブランドとのコラボなど、やってみたいことは色々あります。

今は花の文化を広げていきたいという気持ちが一番強いですが、
それができたら、狭く深くという意味で、実家のお店みたいに、
田舎で花屋をやるのもいいなと思いますね。

2014.06.09

江原 久司

えばら ひさし|花屋のブランドクリエイター
「青山フラワーマーケット」を運営する、株式会社パーク・コーポレーションにて、
ブランドクリエイターとして、商品開発や企画運営を行う。

株式会社パーク・コーポレーション

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