煎茶を日常生活の中に取り戻し、広める。
歴史から学ぶ煎茶の楽しみ方。

煎茶道「三癸亭賣茶流(さんきていばいさりゅう)」の四代目若宗匠を務めながら、研究者としても活動する島村さん。家元の長男として生まれたものの、20代中盤まではお茶の世界にほとんど興味がなかったそうです。そんな島村さんが、煎茶と学問、どちらも続ける理由とは。お話を伺いました。

島村 幸忠

しまむら ゆきただ|三癸亭賣茶流 四代目若宗匠・京都造形芸術大学 非常勤講師
三癸亭賣茶流四代目若宗匠でありながら、美学・芸能文化史を専門として研究を続け、京都造形芸術大学や岡山大学で非常勤講師を務める。

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三癸亭賣茶流家元の長男として育つ


広島県の出身です。煎茶道「三癸亭賣茶流」の家元の長男として育ちました。姉が一人いて、小さい頃は二人とも文人の精神を祖母に厳しく教えられていたようです。姉は覚えているようですが、私はほとんど覚えていません。和室に座らされていたな、くらいの記憶しかありません。

「家元を継げ」という雰囲気はありませんでした。どちらかといえば自分のやりたいことをやる子どもで、煎茶と全然関係のないスポーツに打ち込みました。高校に入るまでずっとバスケットボールをしていましたね。煎茶は身近でしたが、あまり興味がなく、家元を継ぐことはないだろうと思っていました。

ただ、14歳の時、元服を記念するお茶会だけはみっちりやりました。半年間、煎茶の淹れ方を祖母に教えてもらいました。「淹れ方が違う」と怒られたりもしましたが、苦ではありませんでした。おばあちゃんの家に遊びに行くというような感じでしたし、「やるしかない」という感じでしたから。

高校時代は、読書にのめり込みました。それまでは活字に弱く、めったに本を読みませんでしたが、友達に勧められてロシア文学を読みだしたら止まらなくなったんです。文章の中に広がる未知の世界に放り込まれて、新しいことを知る楽しさを知りました。

本を読むうちに、芸術に興味が出てきました。人は芸術を見て感動しますが、「人が感動するって、どういうことだろう」と疑問を持ったんです。芸術とは何か。感動とは何か。大学では芸術学を学んでみようと思い、京都の大学に進学しました。

お茶を淹れる姿が美しい


大学に進学してからも、相変わらず本ばかり読んでいました。芸術や哲学の本を読みながら、自分にしっくり来る理論を探しました。そこでバルサックの『知られざる傑作』という本に出会い、見つけた概念が「ジュヌセクワ(le Je-ne-sais-quoi)」だったんです。フランス語で「なんだかよくわからないもの」という意味で、「あるものを美しいと感じることは、神からの恩寵のようなものであって、人間にコントロールできるものではない」という概念です。

この概念に出会った瞬間、探していたものはこれだなと思いました。「なんだかよくわからないもの」は向こうからやってくるから、受け取り手がねらい掴まないといけない。美しさとは受け手の状態に左右されるものなんだ、と納得できたんです。

その後、もっと研究したいと思い、大学院に進学してフランスの現代思想を研究しました。「ジュヌセクワ」をもっと深く調べてみようと思ったんです。

調べたり、考えたりすることには、飽きませんでしたね。知らないことを知るのが好きでしたし、歴史書や文献は限りなくありますから、読み尽くすということがないんです。研究者を志して、大学院博士課程に進むことに決めました。

25歳の時、献茶祭という、神様にお茶を捧げる儀式に行きました。そこで何の気なしに家元が献茶をする姿を見て、「あっ、いいな」と感じました。お茶を淹れる姿が単純に美しく、目を奪われてしまいました。それを見た時に、自分も煎茶をやろうかなと思ったんです。

理由はうまく説明できません。煎茶の意義なんて分からなかったし、ただ「やりたい」という感覚だけでした。

庶民の生活にある自由な煎茶


煎茶を美味しく淹れるのは、簡単そうに見えて難しいんですよ。温度や時間、淹れる角度や炭の扱い方によって味が変わります。煎茶を淹れる度、新しい世界を知る感覚がありました。練習しているだけで楽しかったですね。

また、せっかく煎茶道をやるなら歴史を調べようと思い、文献を探してみました。しかし、煎茶に関する研究はあまり出てきませんでした。驚いたことに、煎茶の研究は、ほとんどされていなかったんです。

誰もやっていない分野と分かって、研究者としての探求心が湧きました。若宗匠としての仕事が増えていき、フランス思想との両立に難しさを覚えていたこともあって、研究テーマを煎茶にすることに決意しました。

煎茶の歴史を調べてみると、公になっていないことや知られていないことがたくさんあって、面白かったですね。特に、幕末の尊皇攘夷運動に大きな影響を与えた「頼山陽」という人物の研究にのめり込みました。明治維新を成し遂げた志士たちのバイブルともいうべき『日本外史』を著した人です。

戦前の歴史の教科書には載っていたようですが、現代ではほとんど知られていません。ところが、頼山陽が残した芸術作品の中には煎茶に関するものも多くあり、煎茶の観点から研究する必要があったんです。

頼山陽は、「煎茶家」というものに対して、アンチテーゼを掲げていました。煎茶の歴史を紐解くと、煎茶は江戸時代中期に「文人」と呼ばれる総合芸術家たちの間で広まったと言われています。文人は書や絵を売って生活基盤を築いていた人たち。彼らが客人と接する時に淹れて、絵を鑑賞しながら飲んでいたのが煎茶だったんです。

しかし、江戸時代後期、庶民が文化の担い手になると、仕事をせず茶器を集めたりして、文化ばかりにのめり込んでしまう人が出てきたんです。また、煎茶を「煎茶道」として、精神性を求め続ける「道」にしてしまう動きもありました。

これを、頼山陽は批判しています。「自分の仕事をちゃんとやること。その間に隙間を見つけて、お茶をやる時間を設けて、他の人と語り合うことが大事。そうでないとその楽しさは分からない」と。

この頼山陽の煎茶に対する捉え方は、私の考えと非常に近いところがあります。煎茶は生活の中にあって、自由に楽しむものなんです。人と人のコミュニケーションを促進するために、煎茶が置かれる。そういう煎茶本来の役割を受け継いで、未来に残していきたいと思いました。

無駄のない美しいお点前


現在、三癸亭賣茶流の若宗匠として、煎茶をより多くの人に知ってもらうための活動をしながら、大学院で煎茶の歴史の研究も続けています。また、大学で非常勤講師もしていて、東洋の芸術論を教えています。東洋では「芸術性と人格は結び付けられる」と考えられています。つまり、「徳の高い人の作る作品は良い作品になる」と捉えられているんです。これは、フランス思想ではあまりみられない考え方です。

煎茶に対して胸に抱いている想いとして、「来てもらった人に美味しいお茶を楽しんでもらいたい」というのがあります。そのためには、煎茶の淹れ方にこだわることが重要になります。だから、所作を意識するのではなく、美味しい煎茶を淹れることにこだわればよいと考えています。

よく、煎茶道といえば所作が大事って言いますよね。でも、美しい所作は、人に教えられるものではなく、美味しいお茶を淹れようと思ったら勝手についてくるもの。その点で、私は所作を格式高いものとして捉えていないし、流派にも拘る必要はないと思っています。

また、煎茶は本来、日常生活の色々な場面で飲むもの。煎茶を日常の中に取り戻し、多くの人に楽しんでもらうために、写真展で美しい写真を見ながら煎茶を楽しむイベントを行ったりしています。他にも、絵や花を楽しみながら煎茶を飲むような、コラボレーションを生み出したいですね。

研究者としては煎茶の歴史、頼山陽の研究を続けています。研究を進め、煎茶とはどういうものかを後世に生きる人が知り、引き継いでいけるようにしたいと考えています。そのために、文章で煎茶のルーツを書き残しておくことが必要だと考えています。これまで煎茶に関わってきた人は、文章でその技や考え方を残してこなかった。一方で茶の湯の世界では、しっかり文章での記録も残されていますから、今日でも盛んに続いているのだと思います。煎茶のルーツも、文章なり何なりで残さないといけないですね。

これからも、実践者と研究を両立し、煎茶の文化を担う一人としての役目を果たしていきたいと思っています。

2017.09.05

島村 幸忠

しまむら ゆきただ|三癸亭賣茶流 四代目若宗匠・京都造形芸術大学 非常勤講師
三癸亭賣茶流四代目若宗匠でありながら、美学・芸能文化史を専門として研究を続け、京都造形芸術大学や岡山大学で非常勤講師を務める。

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