幻の香川本鷹づくりを産業に。
瀬戸内海に浮かぶ島で過ごした70年の歩み。
瀬戸内海にある「手島」にて、宿泊施設の管理をしながら、「香川本鷹」という唐辛子を栽培する高田さん。70年間島で暮らし続け、感じることとは。高田さんの思いを伺いました。
高田 正明
たかだ まさあき|香川本鷹農家
丸亀市手島自然教育センターの管理をしながら、幻の香川本鷹を育てる。
瀬戸内海の島で生まれる
香川県丸亀市の離島、手島で生まれました。私が生まれた時は太平洋戦争の真っ只中で、疎開して来ている人もたくさんいました。全ての家屋に人が住んでいて、多い時には500人以上の人が住んでいました。
戦争のことはあまり覚えていませんが、食事を確保するために小学校の運動場でもさつまいもを植えていた記憶があります。手島に空襲はありませんでしたが、水上機が島の近くに来たことがありましたし、水島空襲の時には、空から焼夷弾が落ちてくる光景が家の前から見えました。対岸で見える空襲は、まるで花火が落ちてくるようでした。
小学校に上がった年に戦争は終わり、平穏な生活が始まりました。家が農家だったので、畑の手伝いをしたり、山で遊んだりして過ごしました。上級生と一緒に遊ぶことが多くて、いろんなことを教わりました。遊びに行くときは幼い妹を背負って一緒に連れていたので、山でメジロ獲りをしている時に、妹が泣いて先輩に注意された記憶なんかもあります。
手島には中学校までしかないので、中学卒業後は丸亀市で下宿をして高校に通いました。将来のことはあまり考えていませんでしたが、なんとなく、家業を継いで親の面倒を見るというのは決まっていたように思います。高校卒業後は農業系の専門学校に2年間通い、手島に戻りました。
葉たばこ農家になる
島では、葉たばこを耕作しました。野菜を作っても島には市場がないので売れませんし、本土まで持っていっても輸送コストが高くついてしまいます。葉たばこなら、乾燥させることで長期保存できますし、輸送コストも抑えることができます。手島のような辺境な土地にはもってこいの作物だったんです。また、たばこは専売品だったので、作った分だけ確実に国に買い取ってもらうことができましたし、島は品質的にもいいものができる環境だったのも強みでした。
毎年、3月末に植え付けを行い、6月末から8月の頭くらいまでには収穫をします。その後は、等級別に葉っぱを分けたり、翌年の準備をしたりして1年を過ごしていました。
葉たばこを耕作しながら、20代の後半からは島を盛り上げるための活動も始めました。農業技術向上のための機関紙を発行してみたり、病害を防ぐための指導を試みてみたり、何かしらやっていましたね。大きな効果が出たとは言えませんが、何かの役には立った気がします。
30歳を過ぎた頃には、世の中には高度経済成長が訪れ、島の人口が一気に減りました。ある程度の年齢の人でも、中途で就職して島外で働き始める人が増えたんです。
ただ、周りの人が島を出ても、私は島を出ようという気は全く起きませんでしたね。島への愛着があったのかもしれないですし、単純に都会の雰囲気には溶け込めないと思ったのかもしれません。ちょうど子育ての最中だったので、不安定なところに出る自信もありませんでした。
むしろ、私はチャンスだと思って、島を出ていってしまった人の畑を引き取り、耕作面積を増やすことにしました。この頃は、とにかく子どもに教育を受けさせるために必死でした。島には高校がないので、中学を卒業したら必ず下宿させなければなりませんから。それでも、自分が親にさせてもらったことなので、子どもにもちゃんと教育を受ける環境は作りたいと思っていましたね。
宿泊施設の運営と香川本鷹の耕作
時が経つに連れて手島の人口はどんどん減り、唯一の学校も休校となりました。ただ、学校は「丸亀市手島自然教育センター」という宿泊施設として、丸亀市の小学校向けに宿泊研修先として利用されていました。私が60歳に近くなった時に、その管理をしていた方が退職されて、運営をやらないかと打診されました。子どもはすでに自立していましたし、小さな子どもたちと触れ合うのは好きだったので、葉たばこの耕作をやめて、家内と二人で管理人をすることにしました。
丸亀市にある10の小学校の生徒が宿泊研修に来た時にお世話をするのが仕事でした。時間に区切られる仕事は初めてでしたが、好きなことだったらどうにかなるかと思いましたね。やっぱり、子どもと接するのは楽しいんですよね。島には子どもがほとんどいなかったので、生徒たちが来て、宿泊施設に明かりが灯ると島全体が賑やかになるのが嬉しかったです。
また、元々葉たばこを育てていた畑に、ひまわりを植えることにしました。海のそばに畑があったのですが、海に向かって歩いている時に、満開のひまわり畑が目に入ったら、島に来た人が喜んでくれると思ったんです。販売するわけでもないので、単純に喜ぶ顔が見たいから始めたことですね。
その後、宿泊施設の管理を始めて10年ほど経った時、市役所の農林水産課の方から、「香川本鷹」という唐辛子を耕作してみないかと誘われました。香川本鷹は「豊臣秀吉が朝鮮征伐で得た戦利品で、塩飽水軍の船方に種を渡して作った」という言い伝えがある、かつて塩飽諸島や荘内半島で栽培されていた香川県最古の特産農産物です。種そのものが絶えてしまっていると言われていたのですが、少し前に荘内半島で見つかり、せっかくだから栽培してみないかと言われたんです。
この島には他に換金作物はありませんし、年寄りが片手間でも作れるかなと思い、引き受けてみることにしました。葉たばこと同じように、乾燥させれば保存も輸送もしやすくなりますから、島で栽培するにはもってこいだと思ったんですね。
ただ、実際に作り始めてみると、意外と苦労することがわかりました。本鷹は、同じ苗でも実の成熟度に差が出るので、一つひとつの実を確かめながら収穫しなければなりません。手作業ですべての実を確かめるのが大変なんです。
また、香川本鷹の房は長さが7−8センチとかなり大きいので、なかなか乾燥しません。当初は天日で乾燥させようと思いましたが、難しいことがわかりました。9月になって雨が降ると、乾燥せずにカビが生えたりして、製品としての品質が落ちてしまうんです。そこで、強制乾燥させることにしたのですが、葉たばこで学んだ乾燥技術が多少なりとも活かせたと感じます。
作るのは意外と大変でしたが、完成した香川本鷹を見た時は驚きましたね。一般的な鷹の爪と比べると、明らかに大きいですから。また、味も当然辛いのですが、ただ辛いだけでなく、なんというか、受け入れやすい味でした。唐辛子の中でも最高品種と言われているだけあって、それなりの相場で取引してもらえるようになりました。
これからの手島
現在は、「丸亀市手島自然教育センター」の管理人として宿泊される方の対応をしながら、香川本鷹づくりをしています。小学生の宿泊研修では使われなくなってしまったのですが、今も様々な人が泊まりに来ます。外国から来られる方や、毎年家族旅行で来られる方もいて、個人的な付き合いも増えてきました。島に来て、海に来て過ごされたり、子どもと一緒に虫取りをされる方が多いですね。
香川本鷹の方は、卸先の会社がやめてしまったので、販路の開拓に苦労しています。今はスーパーに卸したり、個人で買いたいと連絡をくれた人に対して販売をしています。赤くなったものだけでなく、青い唐辛子を欲しがる方もいらっしゃいます。買ってくれたものがどう使われているかはあまり知らないので、使い方を聞いて、次の販路を見つけたい気持ちもあります。
本鷹づくりは、「こんな立派なものができるのか」というほどしっかりしたものができた時が、一番の喜びです。ただ、販路もないですし、作るのも結構大変なので、そろそろやめなければいけないとも考え始めています。作り始めて10年ほど。やっぱり、なくなってしまうのは寂しいですね。種だけは残していきたいので、売り物はやめても、家庭用に少しだけ育て続けようかと思っています。
もし後継者になりたい人がいたら大歓迎です。本鷹づくりは、農作業に関心があって、熱心な人なら誰でもできるものです。ただ、「今日だめなら明日頑張ろう」という仕事の仕方ができる漁業などとは違って、農業は季節ごとに適当な作業をしていかないと結果がでない仕事ですから、地道に続けられる人がいいとは思います。
今一番気になっているのは、島の人口が減っていることです。手島には、現在20名ほどしか人が住んでいません。100世帯ほどある家はほとんど空き家で、平均年齢は75歳。自分が生まれ育った島の人口が減るのは寂しいことです。ただ、自分たちの力ではどうすることもできませんから、少しでも手島のことを知ってもらえたらと考えています。
これだけ人口が減ると、島の住人は島外から遊びに来る人を楽しみにしてますし、移住する人が出てきてくれたら本当に嬉しいと思っています。島の人はお互い顔見知りですし、住民とはすぐに打ち解けられると思いますので、島が好きでさえあれば大丈夫です。絵を描いたり、写真を撮ったり、そういうことが好きな人だったら島の生活が合うと思います。
まずは、島に遊びに来てもらって、どんな島か知ってもらえたらと思っています。それで、合うと思った人に住んでもらえばいい。私は生まれ育った愛着がある島ですし、やっぱり人そのものがいいので、この島のために何かできたらと思います。
2017.05.15
高田 正明
たかだ まさあき|香川本鷹農家
丸亀市手島自然教育センターの管理をしながら、幻の香川本鷹を育てる。
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