「世界が開けたような気がしました」
甲子園を目指した高校生が、
新卒・シンガポールで働く理由。
米系旅行口コミサイト運営会社のシンガポール支社で活躍する舘林さん。日本の大学を卒業しながら、新卒でシンガポールに渡り、グローバル企業で活躍しています。甲子園だけを目指していた野球少年が見た「新しい世界」とはいったいどのようなものだったのでしょうか?
舘林 真一
たてばやし しんいち|米系旅行口コミサイト勤務
TripAdvisor, Inc.のシンガポール支社にて、ディスプレイ広告の運用などに携わる。
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甲子園に行くことだけを考えた毎日
小中高と、とにかく野球に打ち込みました。
小学3年生までは剣道をやっていたのですが、たまたま転校した先の学校で友達に誘われ、野球を始めたんです。
始まりはそのような感じでしたが、中学からは地域でも強い学校で野球部のキャプテンを務め、
もちろんプロ野球選手を目指していました。
高校に進学する際も甲子園を目指せる学校に行こうと考え、東海大学の付属校に入学しました。
高校は寮に入って野球漬けで、1年の内休みはたったの5回くらい。
海外に修学旅行に行った時は、さすがに練習がなかったものの、一年中野球のことを考え、プレーに没頭していました。
とにかく練習がキツく、上下関係も厳しい学校で、
朝4時に起きて先輩のユニホームの洗濯したり、夜も寝るまで先輩のマッサージをしたりする日もありました。
2年の時には怪我で腰を痛めてしまったこともあります。
それでも、部活を辞めようと思ったことは一度もなかったんです。
甲子園に行くこと、それだけを考えて野球に打ち込みました。
ところが、その夢は叶わずに終わってしまったんです。
高校最後の大会は地区の決勝で負けてしまい、あっさりと挑戦は終わってしまいました。
世界が開けたような感覚
引退後、大学でも野球を続けようと考えていました。
ところが、昔からの怪我もあり、本気でプレーができない状態でもありました。
これまでずっと野球に捧げて来たこともあり、進路は非常に悩みました。
これからどうすべきか、色々な人に相談したんです。
最後は3年間お世話になった監督と、ここまで自分の野球人生を応援し続けてくれた家族と話し、
僕は野球を諦めることに決めました。
「これから何をしよう?」
そんな問いが自分の中に何度も繰り返されました。
引退から時間が経ち、リフレッシュして考えた結果、
思い返されたのは修学旅行、海外での経験だったんです。
人生二度目の海外で、ハワイに行ったのですが、
外国人とのコミュニケーションが、とにかく面白く刺激的だったんですよね。
英語など全くできず、本当に日常会話の初歩だけでしたが、多くの外国人と関わることができ、
すごく新鮮な感覚を持ちました。
なんというか、世界が開けたような気がしたんです。
「英語がしゃべれたら、どこでもコミュニケーションがとれるんだ」
そう感じたんですよね。
そんなことを思い出し、僕は「海外で働く」というのを次の目標にしようと決めました。
それからは頭を切り替え、大学の留学のプログラムを調べたり、将来のキャリアを考えたりするようになったんです。
TOEIC400点からのスタート、「アメリカでも働けるんだな」
その後、内部進学で東海大学に入学してからは、先に調べていた交換留学のプログラムに参加するために必死に勉強しました。
高校時代は野球に没頭していたこともあり、入学してから最初に受けたTOEICでは400点という結果に終わってしまったんです。
参加したいと思っていたプログラムには英語の成績基準があったので、
なんとかクリアできるよう、図書館に引きこもって勉強する毎日でした。
他にも、英語学校に通ってみたり、夜はオンライン授業を受講してみたり、やれることは全てやりました。
その甲斐もあり、なんとか交換留学の選考に合格することができ、
アメリカ・ニューヨーク州の大学に8ヶ月間留学する機会を得たんです。
現地では、英語の勉強という明確な目的があったので、
とにかく日本人と群れないことを心がけ、
積極的に現地のコミュニティに参加していきました。
その姿勢は語学力として実を結び、留学から戻った頃にはTOEICも900点を超えていました。
単に英語を勉強したいというステップから、次は「英語を使って何かをしよう」という方向にシフトしていったんです。
もともと、漠然とした憧れから、大学では経済学部に所属していたのですが、
授業を受けていく中で、発展途上国等の開発に携わる「開発経済学」の分野に関心をもつようになりました。
貧困層の女性向けに融資をする「マイクロファイナンス」の概念がキッカケで、
面白いなと感じるようになったんですよ。
そんな背景もあり、バングラデシュのグラミン銀行でのインターンや、
タイでのビジネスプログラムなどに参加し、英語で自分の関心があるテーマに触れる機会に挑戦していきました。
中でも、ワシントンD.C.のNPOでのインターンでは、実際に交換留学のプログラムを企画し、資金調達・運営まで行うというもので、
すごく実践的な経験を積むことができました。
漠然とした感覚ではありましたが、
「アメリカでも働ける」
という自信につながり、海外で働こうという気持ちが一層強くなっていきました。
特別なオファー
アメリカでのインターンを終えて、海外で働きたいという目標が、より現実味を帯びました。
加えて、色々と調べていくうちに、今後の経済発展や集まる人の優秀さから、
香港かシンガポールなど、アジア経済の中心になるような場所で働きたいと思うようになったんです。
とはいえ、日本に戻ると、同学年の就職活動はほぼ終わっている時期でした。
もともと、開発経済学をもう少し学ぼうかなという気持ちもあったので、大学院の進学も考え始めるようになりました。
そんな折、海外で働くことを目的にした就職フェアがあることに気づき、
そこに参加することに決めたんです。
外資系を中心に複数の企業が集まるフェアで、選考も行われ、
ある米系の投資銀行からオファーをもらうことができました。
正直、仕事の内容でいえば元々関心があった開発経済とは真逆の環境だったのですが、
なんと、そのオファーの内容が1年目からシンガポール支社での勤務というものだったんです。
その条件は、自分にとってすごく特別に映り、海外で働く最高のチャンスだと感じました。
僕は卒業と同時にシンガポールに渡り、目標として掲げた「海外で働く」ことを始めたんです。
実際に入社してみると、やはり周りが皆すごく優秀な方がほとんど。
仕事はかなり大変で、毎日忙しかったですが、一緒に働く方からの学びはとても大きかったです。
ソフトボールチームやボランティアなど、現地のコミュニティでも活動を始め、
初のシンガポールでの社会人1年目は、とても充実していましたね。
次の目標
ところが、仕事の内容に関しては、自分の関心と違うという感覚を拭いきれずにいました。
扱う商品に対して強い愛着も持てず、自分の中で明確なやりがいが持てずにいたんです。
同時に、就職する頃から興味があったwebサービスの仕事で、新たに挑戦したいと思うようになりました。
将来関わりたいと感じていた途上国でもモバイル端末が普及し始め、開発の支援の切り口としても、
すごく面白いんじゃないかと感じたんです。
そんなことを考えるうちに、業界を変えて転職しようという気持ちが強くなっていきました。
結局、ちょうど一年で投資銀行を退職し、
僕の一番の趣味であるバックパッカーをする際に愛用する、
世界最大の旅行口コミサイトのトリップアドバイザーに転職することにし、
同じくシンガポールを拠点に働くことに決めました。
今の会社では仕事において裁量が大きく、セールスチームの予算管理や広告の運用など、
たくさんの挑戦機会をもらえているので、すごくやりがいを感じています。
ただ、今の環境も長い目で見れば、一つのステップにしたいと考えています。
ゆくゆくは自分で面白いサービスを創り、社会を変えていきたいと思っているんです。
グローバルにみれば途上国の問題を解決すること、そしてもう一つは日本が抱える課題に、何らかの形で貢献できること。
その二つを自らチャレンジすることが、僕の次の目標です。
2014.05.29
舘林 真一
たてばやし しんいち|米系旅行口コミサイト勤務
TripAdvisor, Inc.のシンガポール支社にて、ディスプレイ広告の運用などに携わる。
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