人の数だけ、生活の場所がある。
「幸せの感度」を上げて、よりハッピーに。

インテリアコーディネーターとして、「空間をスイッチすること」をもっと身近にしたいと話す冨田さん。空間を調和させる「間和え」という言葉を大切にします。生活空間を変化させることで、日常の中で気づいてほしいこととは?お話を伺いました。

冨田 陽子

とみた ようこ|インテリアコーディネーター
+COCOCHI代表。インテリアコーディネーターとして、様々な空間をコーディネートする。

自然を感じて遊んだ子ども時代


九州の宮崎県で生まれました。児湯郡高鍋町という所。海も山もある田舎町です。(笑)田んぼと空き地が大好きな子供で、よく空き地の茂みの中に秘密基地を作って遊んだりしました。背丈よりも高い草むらの中、ちょっと地面をならしてそこに座ってるだけなんですけど「自分の場所」みたいな感じがしてうれしいんです。

宮崎は台風がよく来るので、その中で遊ぶのも好きでしたね。強い風を背に受けて走ると、いつもより速く走ることができます。雨の時はその様々な音色に耳をすませます。やがて台風の目に入ると「あ、今、目だ」って言ってはしゃいだり。誰と一緒に遊んだかということより、何をして遊んでいたかということの方が記憶に多く残ってますね。

一方で、学校の友達が家に遊びにきてくれると、すごくうれしかったのを覚えてますね。父の真似をしてインスタントコーヒーを作り、それを味見して「よし」と思ったら友達に出してあげる、そんなことをしてました。人に喜んでもらえるのが純粋にうれしかったんです。

ずっと町営住宅に住んでいましたが、小6の時、両親が家を建てたんです。その時初めて自分の部屋を持つことになります。この時、母方の叔父が大工さんだったので、壁紙や照明器具などを自分で選んでいいよ、ってことになりました。これがすごく楽しかったんです。すごくたくさんの種類の中から選べるので。隣の家の親しいおばさんにも「大人でも気にいるようないいの選んだね、陽子ちゃんすごいね」って褒めてもらいました。

その頃、ちょうどインテリアコーディネーターという職業が世の中に出始めた時でもあって、ドラマの中で今井美樹さんがその役をやっていました。私はそれを見て「ああ、こういうのをやりたい」って思いました。無数にある色や種類の中から好きなものを選んで組み合わせるって、すごく幸せで、楽しいじゃないですか。

人で傷ついたけけれど、人が好き


小・中学校時代は、嫌がらせをされることが多かったです。泣きもしたし腹を立てたりしたけれど相手に対しては普通に接してたように思います。それで、ひとりで過ごす休み時間に、友達同士が喋ってるのをじっと見てるんです。誰かが何か言って、もう一方の友達が悲しそうな顔をしたり、怒ったりするのを見ると、内心「ああ、もっとこう言えばいいのに」なんてことを思ってましたね。人が言われてうれしい言葉ってどんな言葉かな、とか、人からされて嬉しいことってどんなことかな、とか、そんなことばかり考えていました。

高校の先の進路は、全く考えてませんでした。そもそも情報が少ないし、刺激もなかったので、選択肢がたくさんあるということも気づかなかったんです。進学するかしないか、専門学校なのか大学なのか、単純でしたね。

家政科だったので、料理、裁縫、保育など、どっちかというと花嫁修業的なカリキュラムだったんですけど、いざ進路を決めなきゃいけないっていう選択を迫られると、「まだ就職は考えられない」と思い、ただそれだけの理由だけでとりあえず進学することにしました。何を勉強したいかということじゃなく。

で、親に「どこまでだったら出てもいい?」って訊いたら「九州圏内」って言うから「じゃあ福岡にしよう」と思いました。家の経済状況も踏まえて女子短大を選び、人に会うのが好きだから、秘書課を選んだんです。勝手なイメージで、人に会うことが多そうだ、と思ったので。(笑)

緻密な進路設計なんて何もないです。とにかく人が好きだったんですね、私。

短大、専門、在学中の就職と転勤


短大では、あまり勉強はしませんでした。それよりもこの時期は、地元を出て、自分とは違う環境で生まれ育った人たちと寮生活を共にし、社会に適応するための訓練をしていたような気がします。身に付けたことと言えば、放課後、学校に残って、よくタイピングソフトで遊んでいたので、タイピングが早くなったことくらい。(笑)

周りが就職活動を始めても、スーツ姿に包まれた同級生たちが少しもハッピーな感じに見えず、就職課には1回も行かなかったですね。周りがどんどん就職先を決めていっても、私は全く動きませんでした。何でそこへ入社するのか、理由もはっきりしないところに適当に入るのも嫌でしたし。

そんな時ふと、子供の頃、インテリアコーディネーターに憧れていたことを思い出したんです。それで短大を卒業するとインテリアを勉強したいと思って、アルバイトをしながら、週に2回のインテリアの学校に通うことにしました。

最初は事務系のバイトをしていたんですが、学校の先生に誘われてからは、デザイン事務所ににお世話になりました。モデルルームのデザインをメインでやっている会社です。2年生になると同時に、契約社員として働くことになりました。

でも、ここが辛かったんですよ。学校でもインテリアを教わっている先生が所長なんですけど、学校での一面と仕事をしている時の一面の違いにすごく戸惑ったんです。失敗について叱られるというよりも、人間性を非難されたように感じてしまうことも多くて。それでだんだん私も壊れていくわけですよ。ノイローゼってこういうことを言うのか、ってくらい辛くて、激ヤセしました。

卒業が近くなり、区切りだから「やめよう」と思っていました。すると、ちょうど東京への転勤の話がきたので「行きます」って言っちゃったんです。当時、コーディネートのプランニングは全部、東京の本社でやっていて、福岡の営業所は、それを現場でプレゼンしていました。福岡を離れて、いざ東京の本拠地に行けるとなると、私はやめようとしてたことなど忘れて、嬉しくなりました。

それで、上京しました。22歳の時です。住まいは事務所が入っているビルの屋上にあったプレハブの部屋でした。そこが転勤者の仮住まいとなっていたんですよね。(笑)1年位はそこで先輩と一緒に暮らしました。

仕事としては、デザインの下地になる案を作り、社長にプレゼンをします。でも最初はそれすらもできない雑用からスタートします。無数にあるカタログの中から、先輩からこれくらいのサイズの、こんな雰囲気の、こんな色の素材を探して、とか言われたら、それを探すんです。他にはプレゼンボードを作ったり、サンプルを整理したり。

仕事は全般厳しかったので、周りがどんどん辞めていくんです。だからこんな私も思ったよりも早くに古株になり、そうなってからは面接ばかりしてましたね。年に何人面接したかな、って感じです。でもそうやってスパルタ的に、会社として人を使うとはどういうことか、とか、人との関わりとか、いろいろ勉強できた気がします。同時にそのせいで「組織アレルギー」にもなっちゃいましたけど。

会社をやめようという決心は、徐々に時間をかけて固まっていきました。会社は未経験初心者を好んで採用し、人はどんどん入れ替わり、新しい人に教えたり、ミスの尻拭いばかりで、自分の仕事もなかなか進められません。その上、体制も技術も整わない不安定な状態を改善して欲しいといくら訴えても、笑っているだけで、取り合ってもらえませんでした。

しかも、社長は出張で会社を空けることが多いから、その予定に合わせてプレゼンなどの予定も組まなきゃいけないんです。時間、仕事の質、自身の業務と繰り返されるミスのフォローにとられるエネルギーに疲弊し、だんだんと耐えられなくなっていきました。

大きな決断をする時って、ポジティブなパワーで切り替える方もいるかも知れませんが、この時の私は、何度も「もう少しだけ頑張ろう」と限界値を高めていった上で、最終的には、馬鹿にされていると感じるような一言を言われた時に、もう限界がきちゃったというか。もうここでは終わりにしよう、と思って、やめました。

だから、あんまりこだわってなかったんです、次に何しよう、どこに行こうとか。何も決めずにとにかく辞めた、みたいな。それで、自然にフリーになりました。在学中から数えて、ここの会社には5年半ほど在籍しました。

フリーになって


その後は、付き合いのあった取引先の中で「うちの現場手伝ってよ」って声をかけてもらっていたところがあったので、そこの仕事をやりつつ、時間がある時はイベント会社でアルバイトをしたり、他には、保険の外交員みたいなこともやりましたね。誰かに求められたら、何でも自由にやっていた感じです。

「フリーランスでインテリアコーディネーターをやっている」と言うと、周りの人からは「すごい」なんて言ってらえたんですけど、それにはすごく違和感がありましたね。フリーだから立派なわけじゃないので。だから、「フリーターに毛が生えたみたいな感じ」って自分では言ってました。空間デザインという軸を外すことはなかったですけど、性分的にとにかくいろんなことをやりたい人なので、どれも楽しかったですよ。

デザインの仕事に関しては、以前からのご縁で繋がっていった仕事がほとんどだったので、モデルルーム関係の仕事が多かったです。外観や内装とか、受付のエントランスデザインとか。私は、その時々直面していることに必死でしたので、不安を感じる暇はなかったですね。学校に通って建築士の資格も取ったりして。

そうしてフリーランスで7年くらい仕事を続けました。会社を作るという発想は全然なかったんですが、「そろそろ会社にしなさいよ」と言ってくださる方がいたので、確かに「看板」を持つという意味ではいいかな、と思い、2007年に個人事業主の届けを出して自営業としてスタートしました。

やっていることはそれまでと変わりませんが、周りが変わりましたね。ちゃんと認められている感じというか。品物を仕入れる問屋さんとの取引でも、個人名でやるよりも看板があるほうが、話がスムーズなんです。それから今年で10年目になります。

仕事の喜びとこれから


仕事の流れとしてはまず、お客様と、その空間をどういう雰囲気にしたいのかといった共通認識を持つこところから入ります。例えばモデルルームやオフィス計画では、最初にイメージグラビアといって、インテリアの雰囲気の方向性を一致させるために幾つか写真をお持ちするんです。カフェ風だとか、北欧風だとか、ナチュラル系だとか。私のほうでこんな感じかなと思ったものをピックアップしてお見せします。その場所がどんな目的で使われる場所かによって、色の濃度やメリハリなど考慮していきます。それで、印象がコントロールできますから。

あまりこちらから先走って細かい質問をしてしまうとお客様を困らせちゃうことになるので、まずは雰囲気というかイメージ、具体的に決まっているものの、周りにあるものを抽出していき「じゃあ、こういうのはいかがでしょうか?」と提案するんです。モデルルーム畑でずっとやってきた人なので、どちらかというとどうやって便利に住むかといった機能的なものよりも、どうしたら心地よく住めるかといったメンタリティのほうに軸足を置いた作り方が得意です。 

仕事をしていて楽しいのは、頭の中で情報が繋がった瞬間ですね。単に物を選ぶだけなら実はそんなに難しくなくて、それらの関係性を頭の中でどう組み上げるかが、仕上がりの密度に反映します。ですから、必要な段階になるとお店をたくさん歩いて回り、その中で得た情報をストックしておいて、それらの組み合わせを何通りも頭の中で試すんです。この時は、頭の中もフル回転ですし、店を回るのに体も動かしますし、それこそ時を忘れます。そして、頭の中で何度も組み替えていた情報が、ふと意識せずにまとまっていく瞬間があるんですよね。一種のフロー状態というか、その時が一番盛り上がります。

完成した直後はみなさん喜んでくれて、それで然るべきなんですが、現場が終わってしばらく時間が経ってから、「あの時のアレすごくよかったよ」と言われるのは格別にうれしいですね。お客様の記憶の引き出しのいい所に、ちゃんと私の仕事が存在しているというのが実感できる気がして。

インテリアコーディネーターの仕事は、ただ物を選び、配置するだけではありません。そこで人がどんな風に過ごすため、どんな場所作りをするのかということを考えるのが仕事です。たとえば、同じ場所に同じ家具が用意してあって、3人に自由に住まわせたら、1ヶ月後は三者三様の使い方をしているはず。生活スタイルって、人と物、物と物の距離や向き、どう感じるかなど、つまりは「間(ま)」なんですね。むしろそっちのほうが、場所を素敵に見せたり、心地よく過ごすための鍵を握っています。

幸せの感度を上げたい


私は、もっとインテリアコーディネーターが身近になって、普段住んでいる家の中の「間」についてアドバイスをしてもいいのでは、と思っています。新しい物を買わなくても、ちょっとアレンジしてみようよ、物を捨ててみようよ、みたいなアドバイスだってできます。インテリアの置き場が変わって、生活の導線が微妙に変わるだけで、気持ちも生活も刷新されたりすることってあると思うんです。

インテリアは、人を喜ばせるための道具でしかなくて、メインステージはあくまでも、個人が生活している場所。人の数だけ場所があるわけだから、本来、もっと数多くコーディネーターの仕事場があるはず。

ですからここ何年かは、これまで依頼を頂いてきた建築、不動産会社やハウスメーカー、施工会社などとは違うつながりの場所で、私の「間和え」という技術を生かせたら、と考えています。間和えというのは造語なんですが、料理でいう「和える」という、素材と調味料を調和させるのと同じ様に、間のコース・調理方法を決めて美味しく味付けをする、といったイメージで使っています。

家丸ごとでも、6畳の一部屋だけでもいいですし、その人個人が過ごす空間を良くするお手伝いがしたいですね。でも仕事として依頼を受けるのは実際、難しいのが現状です。多くの人は、お金を支払ってまで自分の部屋作りを他人に頼もうとしませんしね。おそらくハードルを感じるのかもしれません。場所はたくさんあるはずなのに、これらがなかなかサービス提供の場として浮上しないことをいつももどかしく思っています。

私は自分の持つインテリアコーディネートの技術と知識を使い、世の人々の「幸福の感度」を上げたいと思っているんです。家を建てたからとか、引越しをしたからという、特別なタイミングでなくても、毎日新鮮な気持ちでいられるよう、たびたび生活の空間をスイッチする。そんな文化が広がっていくように働きかけていきたいな、と思っています。

これを私の言葉で「間を動かしましょう」って言っているんですが、そのようにして日常の「これじゃなきゃだめ」が崩れていけば「これもいいね」「あれもいいね」が増えていき、幸せの形は一つじゃないってことに気が付きます。ほんのささやかなことにも喜びを感じられるようになり、心も豊かになります。そんな風にして「幸せの感度」を上げていけば、人って今よりもっともっと、ハッピーになれるし、自分にも誰かに対しても優しくなれると思うんです。

インテリアって身近で生活に密着しているものですし、何度もやり直しができるものです。それ自体を楽しめるし、リフレッシュ効果もあって、例えるなら、美容室に通うのに近いですね。髪型を変えるのと同じくらい気軽に、インテリアをスイッチする習慣が根付けば良いなと思っています。それで、その人その人の「今」のための場所を作れたらなと思います。

2016.07.25

冨田 陽子

とみた ようこ|インテリアコーディネーター
+COCOCHI代表。インテリアコーディネーターとして、様々な空間をコーディネートする。

記事一覧を見る