「ありがとう」を生む、福祉相談のプロに。
憧れの仕事で、逃げていた自分から再挑戦。

【株式会社ティスメ提供:介護のしごとCH】千葉県市原市の病院で、患者さんの経済的・社会的な課題などについて相談を受ける「医療ソーシャルワーカー」として働く内山さん。中学時代、祖父と接する中で芽生えた介護・福祉への関心。国家試験から逃げたり、仕事の重責に一度は押しつぶされたり。そんな過去を乗り越え、福祉の世界でプロフェッショナルを目指す。その背景にある思いとは。お話を伺いました。

内山 優

うちやま ゆう|医療ソーシャルワーカー・社会福祉士
千葉県市原市にある鎗田病院にて、医療ソーシャルワーカー・社会福祉士として働く。

※本チャンネルは、株式会社ティスメの提供でお届けしました。

祖父の介護と福祉への関心


千葉県大網白里市に生まれました。小さい頃から母方の祖父母と2世帯で生活していて、父方の祖父母も近くに住んでいたので、顔を合わせる機会が多かったです。中学2年生になり、父方の祖父ががんを患ってからは、簡単な介護もするようになりました。食事の手伝いなどをしていて、祖父から「ありがとう」と言われるのがすごく嬉しかったですね。人によっては介護を苦手とされる方もいます。ただ、私は全く抵抗を感じず、むしろやりがいがありました。こういう仕事が向いているんじゃないかなと思いましたね。

2ヶ月ほどして祖父が亡くなってからは、祖父の介護を始める前と同じように介護や福祉とは離れた日々を過ごしました。小学生から始めた野球に打ち込むために、野球部に力を入れている高校に進学。高校生活は部活にほとんどの時間を費やしました。勉強は大嫌いで授業中はいつも眠くなっていましたね。

高校の卒業が近づくと、親や兄弟からの薦めで4年制の大学への進学を考えました。学校や学部を決めるためにパンフレットを見ていて、目が止まるのは福祉関係ばかりでしたね。「やっぱり自分は福祉に関心があるんだ」と再認識しました。

関係する資格を探してみて、介護福祉士・精神保健福祉士・社会保険福祉士という3つの国家資格があることを知り、県内の私大で社会福祉士を目指すことに決めました。社会福祉士がどんな仕事か詳しく知りませんでしたが、試験の合格率が低くて、「なんとなくすごそうだから目指してみよう」という感覚でしたね。

大学に入ってからは、サークルの活動やアルバイトが中心の生活でした。資格試験対策のための授業は、さっぱり理解できませんでしたね。元々、現場で身体を動かす仕事をイメージしていたのですが、福祉制度や法律の講義がほとんどでした。「福祉に関する相談に対して助言や指導、援助を行なう専門職」で、座学で勉強する内容が多かったんです。授業に出席しなくなる学生がたくさんいて、私も正直やる気を失っていましたが、大学に行った意味がなくなってしまうと思い、授業だけは出席し続けました。

何事からも逃げていた自分を変えたもの


大学4年生になり、社会福祉士の国家試験の申し込みが始まったタイミングで、「本当に受かるんだろうか?」と急に不安になりました。福祉の相談業務は資格がなくてもできる仕事ですが、多くの医療施設の求人で試験の合格が条件になっていました。

一度就職を決めてから、試験に落ちて就職取り消しになるなら、合格が条件となっていない他の道を考えたほうがいいんじゃないか。公務員などの他の道を目指すために専門学校に入り直そうか。一緒に授業を受けていた仲のいい友人が「俺は絶対に社会福祉士になる」と勉強を続ける横で、私はグダグダと決断を引き延ばしていました。

結局、その年の受験を見送りました。かといって、福祉を諦めることへの後ろめたさもあり、他の進路に決めるわけでもない。「そのうちなんとかなるかな」と、色々なものから逃げていました。

友人は無事合格し、社会福祉士になりました。結果を聞いてすごく嬉しかったですが、同時に、悔しさもありました。ブレずに努力した友人と比べて、自分は情けない。負けたくないと思い、翌年の試験に挑戦することを決めました。友人から「ここで辞めるのはもったいない、職場は違っても同じ仕事をしてほしい」と言われたことも後押しになりました。

大学卒業後は、介護施設で働きながら社会福祉士の勉強をすることにしました。現場での経験は、いつか必ず活きるだろう、と。仕事も勉強も打ち込んで、次の年の試験に合格して社会福祉士として働くという目標を立てました。

1年間の努力と2つの合格発表


介護施設での仕事は、中学生の時に描いたイメージに近く、とてもやりがいがありました。利用者さんの笑顔を見られて仕事が楽しく、福祉への気持ちが確信に変わりました。その施設はデイケアで夜勤がなかったので、夕方に仕事を終えてからはそのまま職場で受験勉強をしていました。勉強は好きではないものの、今回ばかりは本当に後がないという危機感がありましたね。

本番の試験を受けた感想は「やらかした」でした。自己採点をして資格学校の合格予想点を見ていると、ボーダーライン上の点数でした。毎日色々な合格予想点の情報を見て、落ち着きませんでした。

試験の手応えはありませんでしたが、就職活動は合格発表前に行ないます。たくさんのスタッフが連携して患者さんの支援をするところがかっこよく魅力的に映った、リハビリテーションに力を入れている病院を中心に、選考を受けました。就職試験も、手応えがありませんでしたね。

国家試験の合格発表当日は仕事を休み、発表の30分前からパソコンの前でそわそわとしていました。吐きそうなほど緊張しました。14時に発表が始まり、まず合格最低点を見て、「これは足りていない」と思いましたが、画面を追って合格者の番号を見ていくと、自分の番号がありました。合格発表の後、選考を受けていた病院から合格連絡をもらいました。

憧れていた仕事に、ついに就ける。高揚感がありました。

5ヶ月で退職、憧れで終わらせないための再挑戦


就職先の病院では、医療ソーシャルワーカーとして働きました。社会福祉の立場から、患者さんや家族の方々が抱える経済的・心理的・社会的問題の解決をサポートする、というポジションです。具体的には、医療費の払い方や退院後の生活の仕方などについて、患者さんやご家族の方からご相談を頂く、医療と福祉を繋ぐ仕事をします。

前職とは全く異なる仕事内容で、分からないことだらけでしたね。何より、患者さんの今後の生活に関わる相談をすることに、大きな責任を感じました。「合格できたのはいいけど、この仕事を自分が続けられるのかな」とプレッシャーでしたね。

仕事のやりがいは大きかったです。ただ、プレッシャーで段々と心身に影響が出てくるようになりました。次第に眠れなくなってしまいました。このまま続けていくとまずい、環境を変えなければと思い、働き始めてから5ヶ月で退職してしまいました。

仕事を辞めてしばらくは特に何もしていませんでした。自分が情けなかったですね。憧れていた仕事、務めたかった病院で働けたのに、すぐに辞めてしまって。ぼんやりと、福祉以外の分野を考えてもみましたが、他にやりたいことは見つかりませんでした。

退職して1ヶ月後、大学時代に背中を押してくれた、友人と再会しました。病院を辞めたことを話すと、友人が「もう一回やり直してほしいよ。」と言ってくれました。

自分の中で、もう一度挑戦したいという思いが強くなりました。医療ソーシャルワーカーとして働いた5ヶ月で、何かを成し遂げた感覚は全くない。もう一度しっかり勉強しながら、この仕事に挑戦したい。憧れのまま終わらせちゃいけない。

気持ちを決めてからは転職エージェントに相談をして、県内の病院を紹介してもらいました。若い人を探していることに加えて、地域に根ざした医療を行う姿勢に惹かれ、その病院で働くことを決めました。

また寝られなくなったらどうしよう、という不安もありましたが、「なるようになる」と新しい環境に飛び込みました。

誰かの「ありがとう」のために


現在は、千葉県市原市にある鎗田病院にて医療ソーシャルワーカーとして働いています。具体的には、入院費の支払いに困っている方の経済的な問題解決をしたり、退院後の生活に不安を抱えている方への社会的な問題解決などをしたりといった仕事です。

前職はリハビリ病院で、患者さんのことを把握し易かったのですが、今の病院ではいきなり運び込まれてくる方もいます。患者さんのことを知らないとどんな支援が必要なのか分からないので、今まで以上にコミュニケーションが大事ですね。事務的な相談以外にも、雑談などもしながら心が通じる関係になれるよう心がけています。患者さんの本当の望みを理解して、適切な提案をすること。それを大切にしています。

不安で逃げ出したり、責任のプレッシャーに押しつぶされたり、色々な経験をしましたが、根本にある思いは、初めて祖父の介護をした中学生の時から変わっていません。自分が何かをしたことで、誰かが「ありがとう」と言ってくれる。それが嬉しいんです。責任の大きな仕事ですが、やりがいも大きいです。

今後も、研究や勉強会に参加など、仕事のための勉強や努力を続けていきたいです。「ケアマネージャー」など、福祉の他の資格を取得することにも関心がありますね。

福祉の分野で、プロフェッショナルを目指したいです。

2016.02.05

内山 優

うちやま ゆう|医療ソーシャルワーカー・社会福祉士
千葉県市原市にある鎗田病院にて、医療ソーシャルワーカー・社会福祉士として働く。

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