採用を通じて、普通の人が活躍できる社会を。
28歳フリーターからの挑戦。

子どもの頃に起業を志し、19歳で起業の修行を始めるものの芽が出ず、借金を抱え、28歳までフリーターをしていたという中野さん。そんな中野さんが、たまたま飛び込んだ採用業界に15年間関わる中で見つけた軸とは?

中野 尚範

なかの なおのり|採用支援事業の運営
自社採用サイト、ベツルートなど様々な採用事業を行う、株式会社アドヴァンテージの代表取締役を務める。

将来の夢は社長になること


兵庫県の淡路島にある洲本市で生まれ育ちました。好奇心旺盛な性格で、プログラミングをしたり、テニスに打ち込んだり、読書をしたりと、広く浅く色々なことに手を出していました。

将来の夢も多くて、弁護士、政治家、物理学者、医者など、なりたい職業がたくさんありました。ある時、お金持ちになってそういう人達を雇えば、色々な仕事の人達と関われるんじゃないかとふと思いました。お金持ちになるなら社長だろうと考え、将来の夢を起業家に決めました。

周りに社長が多かったことによる影響もありました。祖父は工務店の社長で、祖母の兄弟5人の内、4人は社長。父はサラリーマンでしたが、売上で全国トップテンに入る様な自動車のセールスマン。商売を身近に感じていました。

高校卒業後は、商売の勉強をするために関西の大学に進学しました。ただ、バブル真っ盛りでバイトをして、遊んでばかりでした。大学には行かず、単位はほとんど取りませんでしたね。

19歳の誕生日に、自宅に訪問販売の営業マンが来たことでそんな生活が大きく変わりました。

世間話をしていると、その方も起業を志していると分かり仲良くなりました。そして、「うちの会社に、面白いおじさんがいるから遊びに来なよ」と誘われました。

次の日、誘われるがまま遊びに行くと、その会社の社長に、「社長になるために大学に行く必要なんてあるか。卒業証書があれば社長になれるのか。それはサラリーマンになるための道具だろ」と、怒られました。さらに、「社長になるためには営業ができることと、掃除片付けができることが大事だ」「明日から来い」と言われ、なぜか翌日から働くことになりました。

訪問販売会社での修行


その会社は、「起業塾」のような立てつけで、起業家志望の大学生を15人ほど一軒家に住まわせ、訪問販売の仕事をさせていました。「掃除片付けは仕事と同じで、段取りを組み立てることが大事だ。段取りができないやつが仕事ができる訳がない」「便所掃除を続けられるやつが尊敬される」と言われて、入って最初の1ヵ月は、ひたすら便所掃除や片づけをさせられました。

また、真面目なことからくだらないことまで話せることが人格だと教えられました。「大学に行く必要はない。大学院生が学ぶことぐらい全部自分で学問しろ」といわれ、政治や経済、生物、アインシュタインから宗教、歴史まで、全部自分で調べて学びました。

また、毎日7時半に起きて30分掃除、10キロのランニング、その後夜まで営業先に訪問し、1時間の筋トレ、雑用や勉強で深夜1時半に寝るという日々でした。日によっては朝まで飲み会でしたね。一流を知ることが大事だと言われて100万円の金魚を育てたり、億ションに住まわされたり、限界を作るなと言われて真冬に滝に飛び込ませられたり、めちゃくちゃなことも多かったですね。

それでも、「社長になるにはこういう経験が必要なんだ」と素直に思っていたので、苦ではありませんでした。

ただ、人前で喋るのが苦手だったので、訪問営業の成績はさっぱりでした。社長から、おまえは社長に向かないから就職したほうがいいんちゃうかと言われるほどでした。

「サラリーマン=負け組」だと起業塾で刷り込まれていたので、就職なんてしたくない。でも、社長には逆らえない。どうせ就職活動をするなら色々な話を聞いてみようと気持ちを切り替え、様々な会社の話を聞きました。

いくつかの会社からは内定をもらいましたが、就職するか悩みました。大学生が終わる3月31日、社長に、「社長になれる合格ラインには行かないし、かといってサラリーマンになるのも微妙だけど、お前が好きな方を選べ」と言われました。

訪問販売で売れる自信はない。でも、そのままサラリーマンになるのは悔しい。結果を出せるまで続けたいと考え、「もうちょっと修業します」と答えて、内定を辞退しました。

後輩からの誘いで起業に参加


大学卒業後も、完全歩合制での訪問販売を続けました。8ヶ月間、売れなかったこともあります。完全歩合制なので収入はゼロ。自腹で申込書やパンフレットを買い取るので、売れない時は借金ばかりが溜まりました。

借金が数百万円になり、どうしようもなくなり、訪問販売を離れて、パチンコ屋とファミレスと居酒屋の3つのアルバイトを掛け持ちしていたこともあります。

一方で、調子がいい時は、話をしているだけで相手の出身地が分かったり、家から人が出てきた瞬間に売れるかどうか分かったりします。月に100万円以上稼いでいる時は、自分は天才かと思いましたね。

ただ、浮き沈みが激しい生活に疲れて、次第に売る情熱も薄れていきました。訪問営業に行かなくなり、チラシだけ投函して、あとは電話待ちで喫茶店で時間をつぶしたり。でも、起業のアイディアはないし、中途半端に辞めるのは悔しい。惰性で続けている状態でした。

訪問販売を一旦離れて、映像制作会社で働いていると、起業したい後輩から事業の相談を受けるようになりました。話していると、「アドバイスをするなら一緒にやりましょうよ」と言われ、後輩の事業を手伝うために東京に出ようと決めました。

映像制作会社の社長と相性がよくなかったこともあって、うまくいく、いかないはあまり考えず、後輩と一緒に起業した方がおもしろいだろうというぐらいの気持ちでしたね。

立ち上げたのは、「めるバイト」という、メールでアルバイトの求人情報を送る、日本で初めての有料携帯求人サイトでした。訪問販売で鍛えられたメンバーだったので、求人企業への営業を猛烈に行いました。創業メンバーのうち3人がすぐにいなくなったり、起業して半年で新卒社員を雇ったりするようなめちゃくちゃな会社でしたが、2ヶ月目には単月黒字化して事業は順調に成長していきました。

普通の人たちが活躍できる社会に


会社の中で、私は横浜の支社を管轄していましたが、事業の拡大と本社とサービスの違いあって横浜の支社を分社化して、派遣会社向けの自社採用サイトの制作と集客事業を展開することになりました。私は分社した先の社長になりました。

どちらの会社も順調に伸びていたのですが、本社と分社の間で次第に不協和音が出始めました。本社の携帯求人サイトでの求人広告モデルと、分社先の人材派遣会社の自社採用サイト制作集客支援は、ビジネスモデルが異なり、互いの幹部同士が「こっちがいい」と派閥対立のような形でした。互いに溝が深まっていき、次第に全く関係のない会社のようになっていきました。

本社の社長と話し合い、分社先の経営権を私が買い取り、いわゆるMBOで独立しました。34歳でした。それまでは本社の中での副社長のポジションだったので独立すると、トップの社長ならではの難しさがありましたね。見えているものと責任が全然違う。ただ、事業は順調に成長していきました。

また、長年人材業界に携わる中で、自分がやりたいことが徐々に明確になり「普通の人たちが活躍できる社会」を実現したいと考えるようになりました。

社会を構成している大半は、大企業で正社員として働いている人ではなく、中小企業で働いたり、派遣やアルバイトをしていたりする「普通の人」です。彼らが輝かないと、日本は良くなりません。

私も28歳で起業するまではフリーターだったので、彼らの状況がよく分かります。昔悪さをしていた人でも、多くの人が更生していて、何かのチャンスを掴みたがっている人がたくさんいます。

彼らが、仕事をして、周りに感謝されて、チャンスが巡ってきて、正社員になれたり、給与も上がる。そんな社会を実現したい。私は、フリーターを卒業してから様々な縁に恵まれてきたので、同じように、誰でもチャンスを掴み活躍して欲しいと感じたんです。

以前、私たちが自社採用サイトの支援した派遣会社で、登録する求職者の数が30倍近くに増えたことがあります。派遣会社は、登録者の数だけ企業に紹介できる数が増えます。支援の効果は、数百億円の売上を作るようなインパクトのあることでした。派遣で働く人がいるから、派遣会社も私たちの会社も事業を継続して行える。だったら、派遣で働く人に少しでも還元できないかと考えるようになりました。

『スイミー』のようにみんなで巨人を倒したい


リーマン・ショックは一つの転機になりました。売上が7分の1になり、多くの社員をリストラしなければならないほどでした。その後、少しずつ事業は回復し、今ではリーマン・ショック前の売上を大きく超えるまでになりました。

事業内容も、お客様の採用課題を知って多角化していき、自社採用サイト関連だけでなく、ニッチ求人媒体の立ち上げ、求人企業の開拓支援、個別企業への採用支援など多岐に渡ります。

柱は自社採用サイトへの集客支援を行う総合広告代理事業ですね。お客様は、大手人材派遣会社や地域や業種に特化した人材派遣会社を中心として、飲食店やサービス事業者、新規事業で人材ビジネスに参入する企業など多岐に渡ります。これまで培ってきた採用ノウハウを活かして、ただサイトに来てもらうだけではなく、求人へ「応募」し「活躍」してもらうために最適化したお手伝いをできるのが強みですね。

また、個別の企業の採用支援にも力を入れています。「大手の求人広告を使うしか集客方法がない」と、思考停止になってしまっている人事担当の方が多いんです。昨年立ち上げた「ベツルート」という新卒サービスでは、焼肉を食べながら社長と話したり、占いやクジ引きで就職を決めるようなイベントやマッチングも実施しています。集客方法は大手の求人広告を使う以外にもたくさんあります。年間数十回行っているセミナーでは、ターゲットにあわせた求人広告の作り方、自社採用サイトの活用、ニッチ求人広告媒体の立ち上げなど、最適な採用手法を利用するお手伝いをしています。

大手の媒体はまだまだ強い発信力を持っていますが、それだけに頼っていると、求職者に響くような自社の強みが見えなくなってしまうという弊害もあります。大手一辺倒ではなく採用は、まず自社の採用ページで行い、それでも足らない部分は、目的に応じて様々な媒体を使い分けるという「採用は自社で考える」慣習を作っていきたいと思います。

絵本の『スイミー』のようなイメージですね。小さな魚が集まって、大きな魚を打ち負かすように、個人や小さな法人が集まって、大きな勢力をひっくり返したい。地域や業種に特化した人材会社や中小企業が一緒になって、今の人材ビジネス業界と採用の構造を変えるようなことに挑戦したいですね。

そういった採用支援をすることで、「普通の人たちが活躍できる社会」につながる。会社の採用コストを抑えたり、採用を通じ稼いだ浮いたお金を、派遣や中小企業で働く人に還元する。そのお金の循環が、派遣やアルバイトで働く人が力をつけてチャンスを掴む環境を生み出します。

将来的には、優秀な日本の人材を海外に輸出するお手伝いもしてみたいですね。やりたいことはたくさんあるので、引退の予定はありません。死ぬまで働きたいですね。

2016.02.02

中野 尚範

なかの なおのり|採用支援事業の運営
自社採用サイト、ベツルートなど様々な採用事業を行う、株式会社アドヴァンテージの代表取締役を務める。

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