成長を続けて、人に自慢できる会社にしたい。
同級生の独立と将来への葛藤、25歳の決断。

【株式会社UZUZ提供:第二新卒・既卒の就活CH】大手メーカーを25歳で退職し、3人のベンチャーの創業に参加した川畑さん。国立大学の理系学部を卒業し、大学の推薦で大手メーカーに就職。会社の中で悶々とした日々を過ごしていた時に、友人に誘われて会社の事業も知らずに転職。新しい環境に飛び込んだ先に見えたものとは?

川畑 翔太郎

かわばた しょうたろう|既卒・第二新卒の就職支援
第二新卒ナビを運営する株式会社UZUZの専務取締役を務める。

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将来のイメージがなく、なんとなくの就職活動


鹿児島県姶良(あいら)市に生まれました。子どもの頃から、一人で考えごとをすることが多く、ぼーっと散歩をしたり、映画を見たり、漫画や雑誌を読んだりすることが好きでした。高校ではバスケ部に所属していましたが、どうやって練習をサボるかしか考えていなく、これといった将来の目標もありませんでしたね。

ただ、進学校ということもあり勉強はしっかりやっていました。大学に行って4年間遊びたいという思いもありましたが周りに流されて勉強していました。

高校を卒業した後は、九州大学の工学部機械航空工学科に進学しました。東京への憧れもありましたが、九州の中の東京というイメージで、福岡にある大学を選びました。昔から性格的に1番よりも2番手が好きで、グループでは絶対に先頭を歩かず、バンドでヴォーカルを務めているのに、前に出るのが極端に嫌で、ステージではドラムを前にしようと提案するような性格でした。学部へのこだわりは特になかったものの、ものづくりに漠然としたカッコよさを感じて、工学部に決めました。

大学生活は、合コンやイベントなど遊んでばかりで、学業には真面目に取り組んでいませんでした。雰囲気のゆるい研究室に入り、卒論を4年の冬に始めました。大学院に進学する人が多い学部でしたが、周りの雰囲気とあまり合わず、親に経済的な負担をかけたくないと思い、学部での卒業を決めました。170人中168番という成績で、そもそも大学院への進学が難しいということもありましたが(笑)。

就職活動では、いわゆる「就活ノウハウ本」で「好きなことを仕事にしよう」と書かれているのを鵜呑みにして、映画に関わろうと最初は広告代理店やテレビ局などを受けていました。選考が行なわれるのが東京や大阪で、2回面接に行っただけで、資金が底をつきました

そういった経済的な事情に加えて、自分が本当にその仕事に関わりたいのか、どこか冷めた部分もあり、疑問を持ちました。結局、入った環境で頑張ればいいと理系の転職に切り替え、住宅設備機器などを扱う、株式会社INAX(現:株式会社LIXIL)に大学の推薦をもらい、入社しました。

突然の人事異動、組織に人生が左右される悔しさ


勤務先は名古屋で、地元を離れての寮生活でした。新卒同期の仲間は大学院卒が多かったのですが、入社後の新卒研修から焦りを感じました。まず、業務で使用するPCの扱いがままならない。同期に全くついていけず敗北感がありました。「あれ、こんなところでもう負けるの」という感じでしたね。

できないことがあるなら、できることからやろうと考え、一番早く電話に出たり、先輩に顔を覚えてもらえるように誘われたら必ず飲みに行ったりしていましたね。

キッチンの商品開発担当で、何か新しいプロジェクトがあるときは積極的に手を挙げていました。できなかったことをできるようになること、それを評価してもらい、仕事を任せてもらうことが一番のやりがいでした。

入社2年目の年度末、翌期から始まる大きなプロジェクトに私も関わらせてもらえることになっていました。少しずつ裁量が大きくなっていたので、そのプロジェクトには期待していましたね。ところが、年度最終日の前日、突然辞令が出て、製造部門への異動が決まりました。

通常、新しいプロジェクトを担当することが決まっている時は異動になることはありません。周りの人に話を聞いてみると、他の候補者がいたものの、部署間のパワーバランスで、直前になって話が回ってきたということでした。

商品企画から製造部門への異動は、出世コースではありません。自分のキャリアについて悲観的になりましたね。「あ、終わったな」と。組織の都合で自分の人生が左右されることに悔しさを覚えました。

ただ、転職という選択肢は考えませんでした。小学校時代、サッカー部を止めた時、サッカーをやることが気まずくて、体育のサッカーの授業でわざと下手なふりをしていたことがあります。何かを途中で辞めることにあまり前向きでありませんでした。「新しい環境で、なるべく早く出世して見返してやろう」。そう決めて、製造部門に異動しました。

25歳で大企業を退職、東京でベンチャー創業へ


製造部門に異動し、工場で働き始めると、あっという間に仕事に慣れました。人に恵まれ、コミュニケーションも上手くいき、居心地は良かったですね。

何かしら結果を出して引き上げてもらおうと、コストダウンに繋がる改善提案を考え続けましたが、製造ラインで働いていると、一日で改善業務に使えるのは秒単位の時間しかありません。今の経験が何につながるのだろうかと疑問や不安を感じていました。

3年目の年末、地元に帰省した時に、中学・高校の同級生だった今村から、同い歳の岡本という友人と、二人で東京で会社を作ろうとしているという話を聞きました。「すごいな・・・」と驚きましたね。自分と比べて差を感じて、焦りました。このままの距離感でいられなくなるかもしれない。どこか遠い世界に行ってしまう感覚があり、「自分とは違う世界の人だ」とこのまま会えなくなるかもしれないと危機感を覚えました。負けたくないという思いもありました。

そんな思いを抱えて年末年始の休暇を終え、仕事に戻ると、2月に今村から電話がありました。「年末の話覚えてる?会社辞めて転職しない?」。「考えさせてほしい」と伝えましたが、話を聞いた瞬間、創業に参加したいと心に決めていました。年末に話を聞いた時から、ぼんやりと自分も加わりたい、飛び込んでみたいと思っていました。会社を辞めることに抵抗を感じていたものの、応援してもらえるような辞め方ができれば迷惑もかからないし、何より、東京で新しい挑戦をすることに強く惹かれました。

3日後、会社を辞めて創業に参加することを今村に伝え、すぐに退職手続きをしました。借りてきたハイエースに荷物を詰め、心機一転、坊主頭にして、東京に引っ越しました。立ち上げる会社が何をするのかも知らない。親にも転職を伝えていない。それでも、ワクワクした気持ちで挑戦を決めました。25歳でした。

こだわったサービス作りを通じて、会社として目立ちたい


立ち上げた「株式会社UZUZ」は、第二新卒や既卒に特化した人材紹介事業を行う会社でした。上京したその日から候補者の方との面談が始まり、手探りで仕事を進めていきました。

初めての東京生活で打ち合わせのカフェが見つけられない。タイピングも人差し指で行うような状況。それまでの業務で活かせる部分はなく、不安ばかりでしたね。毎日5時に起きて仕事をして、並行して必要な知識を勉強していました。楽しさを感じながらも、自分がお荷物になっていることがすごく嫌でした。会社の厳しい財務状況を知っていたので、後ろめたさがありました。

2年目からは仕事で成果を出せるようになっていき、少しずつ自信をつけていきました。大きかったのは、これまでの経験を仕事に活かせるようになったこと。在学中は気が合わないと思っていた理系学生も、キャリアカウンセリングになると気持ちが分かるようになりました。Webの制作やコンテンツ制作のディレクションでは、前職でものづくりの全行程を経験したことが役に立っています。

最近は、サービスに関わる制作のディレクションに特に力を入れています。事業の成長に連れて組織が大きくなり、他の人と一緒に価値を発揮することが求められています。自分が責任者として、こだわったものづくりをしていきたいですね。

個人では目立とうと思いませんが、会社としては目立ちたい。周りから「知っていますよ」とか「良い会社ですね」と言われることを増やしていきたいんです。単純な売上だけでなく、人に自慢できる会社にしていきたいですね。そのためにも、自分自身成長を続けていきます。

2016.01.15

川畑 翔太郎

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