自分にできることで貢献していく。
世代を超えた「情熱人」が集う場所づくり。

外資系金融機関(BNPパリバ銀行)にて、国際金融の最前線で日本企業の海外ビジネスのサポートをするかたわら、ライフワークとして、日本の将来を担う若者と、新しい時代のロールモデルを繋ぐ活動を展開する「日本学生社会人ネットワーク」の代表を務める真坂さん。20年以上、世界の金融市場で働く中で感じた「日本への危機感」が、行動を起こすきっかけでした。

真坂 淳

まさか あつし|日本企業の海外進出支援・若者のための場づくり
日本学生社会人ネットワーク(JSBN)代表。BNPパリバ銀行投資銀行本部部長。シンガポール、ニューヨーク通算11年間勤務経験を有する国際派。米国公認会計士。

世界に出て何かを成し遂げる人間になりたい


私は秋田県で生まれました。小さな頃から、将来は世界に出て、何かを成し遂げる人間になりたいと、海外への強い憧れを持っていました。高校卒業後は東京に上京し、中央大学法学部に通い始め、弁護士を目指してかなり勉強もしました。

同時に、人間としての幅を広げるため、色々な経験をしたいとの思いから、大学時代を自分の世界を広める時期にしたいと考えるようになりました。塾講師、家庭教師、寿司屋、工事現場、結婚式場、など数々のアルバイトをこなし、また、新しいことが大好きだったので、自分でビリヤードサークルを作り、全国大会を開いたりしました。

次第に、仕事でもビジネスの世界で面白いことをしたいと考えるようになりました。そこで、海外にも行けて、様々な世界に触れられる金融業界を志望し、その中でも実力主義として知られていた、住友銀行に就職することにしたんです。

ところが、最初に配属された麻布支店では個人営業の担当になり、個人預金やクレジットカードの営業をすることになりました。正直、早く海外に出て、大きな仕事をしたいと思っていた私にとっては、高いモチベーションを持って臨むことができる仕事ではありませんでした。

しかし、先輩から「ここで腐って転職したとしても、同じことの繰り返しだぞ」と言われたりするうちに、目の前の仕事に不満ばかり言っていないで、「自分にできることは何か」と、頭を使って考えるようになったんです。

ゲームのように、直面しているステージをクリアできなければ、次に進めないと。営業成績が上がらず、失敗だらけで、苦しみ、悩み、もがいた時期が長かったですが、自分を信じて、ひたすら目の前のことに集中して、自分を磨き、突破することを考えていました。

人のためにしたことで自分もハッピーになれる


どうすれば個人預金や、新規優良融資先などの目標を達成できるか、色々な作戦を考えていた時、病院の看護師寮の管理人さんと仲良くなりました。すると、何も言わなくても、その人が寮に住む看護師さんたちに預金をすすめてくれ、勝手に数字に繋がったんです。この時、一対一の営業では限界があるけど、影響力のある人との繋がりを作れば一気に広がることを学びました。

また、法人営業をするようになってからは、誰かの「win」になることをしていたら自分に返ってくると、身をもって実感しました。ある時、引っ越し先を検討している企業と、テナントに空きが出そうで困っている企業の話を同時期に聞くことがあったので、ふたつの企業を引き合わせました。

すると、話はトントン拍子に進み、引っ越しをすることが決まり、引っ越し資金を銀行から借りてくれたんです。さらに、ビルのオーナー企業もそこで得られたお金を預金してくれて、私は新規融資と大口預金を一度に得られ、みんながハッピーになったんです。自分ができることを一生懸命していたら、良いことが起こると感じましたね。

また、案件が成約した後で、お客さまが、私の上司である麻布支店の支店長に「真坂さんを当社に下さい」と数回に渡り嘆願され、支店長は丁寧にお断りしたと、後に聞きました。バンカー冥利につきるありがたいお話です。

次第に、社内でも評価されるようになり、会社が費用負担してくれて、平日9時から5時まで英語漬けの英会話学校に3ヶ月通わせてもらったり、会社紹介パンフレットに若手社員代表として載せてもらったり、新人研修の講師を任せてもらえるようになりました。人の縁にも恵まれて、良いサイクルに入れたんです。

そして、5年目には念願の海外赴任が決まり、シンガポールに行くことになりました。さらに、2年半後にはニューヨークに渡ることになりました。

自分ができることを積み重ねて信頼を得る


ニューヨークに赴任していたのは、会社の中でも優秀な人揃い。しかも、結果を出さなければすぐに日本への帰国も言い渡されるような過酷な環境だったので、何とか自分の居場所を作ろうと考えていました。

そこで、自ら手を挙げて、日本からニューヨークに来る方への接遇、おもてなし対応を積極的に行いました。あまり好まれる仕事でなかったので、同僚は喜んでくれました。

また、依頼してくる日本の企業の担当者に喜んでもらえるようにと、自分なりの工夫をしていきました。例えば、ホテルの部屋に花を届けるように依頼された時、普通は花屋に手配して終わりです。しかし、私はちゃんと届いていることの確認も踏まえて、ホテルの部屋に行って写真を撮り、「こんな花をお届けしました」と報告するんです。

そうやって信用を積み重ねていくと、「大切なお客さまが来る時は真坂に頼もう」と、立ち位置が明確になるんです。仕事とはあまり関係ないところですが、信頼関係を築くことで、仕事でも面白いことを任せてもらえるようになるんですよね。次第に色々な案件に携われるようになり、非常に充実していました。

ニューヨークでは、担当企業の方々は百戦錬磨の優秀な人ばかり。しかも、日本人だけでなく、アメリカ人、中国人、インド人など多国籍な顔ぶれ。中途半端な知識や経験では相手にしてもらえません。法学部卒ということもあり、会計や税務の本格的知識の必要性を痛感し、一念発起、米国公認会計士を目指しました。

カリフォルニア州立大学で受験に必要な会計単位を取得し、平日は勤務終了後、毎日深夜2~3時まで勉強、朝8時に出勤、週末は土日のどちらか一日家に籠って勉強という生活を3年間継続し、念願の米国公認会計士資格を取得できました。40歳の時です。家族の協力があってこその一大プロジェクトでした。

そして、シンガポールとニューヨーク、合わせて11年ほど働いた後、日本に戻ることになりました。ただ、日本に帰ってくると、どことなく窮屈な感じがし、また、もっと大きなステージで自分の力を試したいと思うようになりました。そこで、とてもお世話になった三井住友銀行を退職して、外資系の銀行に転職することにしました。

日本に対して抱いていた「閉塞感」と「危機感」


その後も、会社は変われども仕事はとてもエキサイティングで、公私ともに充実した日々を過ごしていました。一方で、日本に帰ってきてから、何とも言えない「閉塞感」や「危機感」も感じ続けていました。20年ほど国際金融の世界で働く中で、日本の若者は、海外の優秀な若者と戦っていけるのか、世界で通用するような教育を受けているのかと、不安を感じていたんです。

日本の教育システムは、日本経済が成長し続けていた時代からあまり変わっていません。その結果、「安定」を求める若者が多いのが実情。しかし、国内の状況も国外の情勢も激しく変化している今、若者が想像しているような安定は存在しない。だからこそ、安定を求めて言われたことを素直に聞くだけではなく、自分の頭を使って考えるような教育が、もっと必要だと感じていました。私自身、子どもがふたりいるので、彼らの身を案ずる気持ちもありました。

しかし、だからといって、何をしたらいいのか、分かりませんでした。仕事も家庭もプライベートもあるし、政治家でもない一介のサラリーマンのできることなんて、たかが知れていると思っていたんです。そのため、悶々とした気持ちを持ちつつも、何もできない状態が続きました。

そんな時、「日本元気塾」という社会人塾を知り、「元気」というフレーズに惹かれて入塾しました。その中で、藤巻幸大さんの元で学んでいくと、次第に、仕事や家庭に無理をせずに、自分の持っているもので仕事以外にも何か世の中に役立つことができるなら、動くべきじゃないかと考えるようになっていきました。

そして、私がこれまで得た経験だったり、人との繋がりを活かして、若者のための「場」を作ろうと決めました。そういう場作りは他にも色々な人がやっているし、よく分からないけど、とにかくやってみようと。

そんなことを、同僚の中空麻奈さんに話すと、彼女が大学生向けに講演をする時に、大学生が価値を感じるかどうか聞くためのプレゼンをする時間をもらえることになったんです。すると、学生からの反応はすこぶる良好でした。

そこで、2012年7月、「日本学生社会人ネットワーク(JSBN)」を作り、ビジネスの最前線で活躍する知り合いにお願いして、学生向けの講演会を始めるようになったんです。

最初は、いろいろな世界で活躍している知人にお願いして、大学生向けに講演形式で始めました。すると、「日本てやばいよね?」という感覚を共有できる仲間は増え、活動の幅も、大学生向けだけではなく、文部科学省と連携して高校で出張キャリア授業を行ったり、官民連携プロジェクト「トビタテ!留学JAPAN」のサポートをしたりと、徐々に広がっていきました。

あえて二足のわらじを履いていたい


活動を初めて3年、JSBNでは多くの人に協力をしてもらいながら、ニッポンの将来を担う若者と新しい時代のロールモデルとなる人を繋ぎ、「出会い」と「学び」と「切磋琢磨」の場を作り続けています。

最近では、早い段階でロールモデルと出会ってもらうために、高校生向けの活動にも力を入れています。「何か分からないけど、この人すごい」と感じる人と出会えると、明らかに高校生の目つきが変わるんですよね。学校の先生にとっても、様々な世界の最先端にいる人の話は刺激になるし、話をする社会人も高校生から若いエネルギーをもらえて、みんなハッピーなんです。私たちは教育のプロではないけど、色々な世界で日々感じていることを教育の現場に還元することは、価値があると感じています。

そして、若い人たちには、様々な出会いを通じて、「自分がワクワクすること」を見つけてほしいと考えています。時間も忘れて没頭できるようなこと。それを見つけられたら、今よりもイキイキした人は増えると思うんです。「一生涯に成し遂げたいことはこれだ」というマインドを持つ人が増えることが、日本社会の成熟化にも繋がると感じています。日本をどうしたいかは、個人のマインド次第ですから。

私が高校生に話すときに、よく例に出すのは、「DROP BOX」創業者の、ドリューヒューストンが話した「3つの人生のコツ」です。犬が夢中でテニスボールを追いかけるように、自分がワクワクするテニスボールを見つけよう。平均的には3万日しかない人生の時間を、誰かの判断軸ではなく自分の軸でデザインしていこう。そして、どこに属するかは自分で選ぶことができるので、自分が尊敬できる人のコミュニティに属そうと。

今の社会は、どの組織に属するかに関係なく、個人の繋がりで価値を生み出していく時代。組織に隷属するのではなく、ピンで立てる人を増やしていきたいですね。

一方で、社会はこれからどんな変化をするか分からないので、どんな状況でも乗り越えていくために武器はたくさんあった方がいい。そういう意味で、学校の勉強だって役立つものだと子どもには感じて欲しいですね。

私は、現在の仕事に、非常にやりがいを感じています。激動の世界情勢を肌で感じながら、さまざまな国籍の人たちとチームを作り、グローバルに展開する日本企業のために様々なサポートをしています。「JSBNの活動を本業にしたら?」と学校関係者の方に言われることもありますが、国際金融の最先端でエキサイティングな経験をしているからこそ得られる学び、感じられることもあり、それを教育に還元するためにも、二足のわらじを履いて活動していきます。

JSBNの活動は、自分ができる範囲のこととして始めました。同じように、多くの人が自分にできることを少しでも始めたら、社会は変わるんだと思います。私はこれからも、仕事もJSBNの活動も、自分のできるかたちで世の中に貢献していきます。

2015.11.17

真坂 淳

まさか あつし|日本企業の海外進出支援・若者のための場づくり
日本学生社会人ネットワーク(JSBN)代表。BNPパリバ銀行投資銀行本部部長。シンガポール、ニューヨーク通算11年間勤務経験を有する国際派。米国公認会計士。

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