お互いの視野が広がるような教育体験を!
私自身が送る、リベラルアーツ的な生き方とは。
「お互いの視野が広がる教育」を提供するため、様々な活動に関わる山瀬さん。特に、何かに踏み出す「ちょっと手前にいる人」の手を引いたり、背中を後押ししたいとか。そのような考えを持つ背景には、どのような体験があったのか。お話を伺いました。
山瀬 加奈
やませ かな|「視野が広がる体験」をしてもらうきっかけづくり
「お互いの視野が広がるような教育」を提供するために様々な活動に関わる。中学、高校の教員免許所持。小学校の教員免許も取得中。
【クラウドファンディングに挑戦中】日本の伝統文化が色濃く残る小松市で世界中の学生が集う『学びと交流の場』を作りたい!小松サマースクール2016
日本に帰りたいと、引きこもっていたアメリカ生活
私は神奈川県横浜市で生まれました。目立ちたがりだった私は、学校では「出る杭は打たれる」と言わんばかりに、いじめられてしまうことも多くありました。そんな生活をしつつも、小学4年生で東京に引っ越し、中学1年生でアメリカに渡りました。国際結婚をしている親戚がいたので世界は身近でしたし、私には海外の雰囲気が合うとも思っていたので、楽しみでした。
ところが、実際に暮らし始めると、居心地の悪さを感じてしまいました。言葉が通じなくて意思疎通ができずに、どうしていいか分からなかったんです。また、それまで正しいと思っていた「日本での常識的な行動」をすると、アメリカの習慣とは違って笑われることもあり、まるで自分自身が否定されているように感じてしまいました。
その居心地の悪さに耐えられず、学校が終わると家に引きこもり、インターネットで日本の情報を漁るようになりました。日本に早く帰りたいと思っていたんです。
でも、逃げ道はないと気づいてからは、英語の勉強を真剣にするようになりました。私の性格から考えて、雰囲気で何となく仲良くなるよりも、しっかりと意思疎通できることが大事だと思ったんです。
その結果、高校生で習う文法も中学生の間に習得し、コミュニケーションはだいぶ改善されました。また、高校でダンス部に入ってからは、生活は一気に楽しくなりました。
体育会の部活で、みんなで一丸となって目標達成のために練習に励んでいきました。その中で、チームにいた色々な国籍の人たちとは、壁なんか感じずに仲良くなれたんです。中学時代に引きこもっていたのは嘘のように、青春を謳歌していましたね。
お互いの視野が広がるような場を作りたい
高校卒業後は、家族を残して一足先に日本に帰国することにしました。アメリカでは、様々な人から日本のことを聞かれていたので、日本についてしっかりと学びたいと思っていたんです。また、アメリカでの経験は楽しく貴重なものだと感じていたので、多くの人に同じような体験をしてもらうため、日本から出たことがない人に海外に行く素晴らしさを伝えたいとも思っていました。
一方で、英語では本当に苦労したので、日本の英語教育を変えたいとも考えていました。そこで、将来は教師になると念頭に置きつつ、明治大学の国際日本学部に進学しました。その学部では、「日本国の魅力を自分の言葉で世界に発信できる国際人を目指す」と掲げていて、私がやりたいことが全部できると感じたんです。
大学に入ってからは、オープンキャンパスのスタッフや、留学生のサポート、帰国子女をサポートする団体での手伝いなど、積極的に色々な活動に参加しました。根底には、「自分がして楽しかったことを他の人にもしてほしい」「自分が大変だったことを他の人にはしてほしくない」という想いがあったんです。
また、子ども向けの「仕事体験施設」でアルバイトもしました。そこには、3歳から15歳までの子どもたちが、全国から集まる場所。子どもたちの日常生活では起きづらい出会いがたくさんありました。
その出会いは、子どもたちの視野を広げて変化をもたらし、実際に子どもが変わる瞬間を何度も目にしました。そのため、このような「お互いの視野が広がる出会い」を作りたいと考えるようになっていったんです。
学校の中でできる教育と、学校外だからできる教育
大学2年生になると、学部の友達の多くは留学に旅立ちました。私は、ダンスサークルの部長になるために日本に残ったのですが、留学組に負けない経験をしたいと思っていました。そこで、日本とカナダの学生たちが議論する「日本カナダ学術コンソーシアム学生フォーラム」に参加したんです。
しかし、そこでは、知識も思考レベルも周りに追いつかなくて、大きな挫折を味わいました。カナダの大学生にも、日本の他の大学生にも、全く歯が立ちませんでした。ほとんど何も発言できず、「とにかく大学の外に出なくては」と、強烈な焦りを感じたんです。
その焦りを友人に話すと、HLABという団体を紹介されました。その団体は、日本の高校生のために「リベラルアーツ」をテーマとしたサマースクールを運営していました。アメリカと日本の大学生が中心となってセミナーや交流の機会を提供することで、高校生に進路選択のきっかけを作ることが目的の団体。何かしたいと思っていた私は、迷わず参加することにしたんです。
そこには様々な背景を持つ大学生が来ていて、私自身の視野を一気に広げてもらえましたね。また、高校生と触れ合えるのも新鮮でした。大学生との交流の中で、涙を流す子もいるほどみんな真剣に向き合ってくれて、考え方や顔つきが明らかに変わる瞬間があったんです。
この時、学校教育以外でも、子どもたちの視野を広げる活動はできるんだと、初めて肌で感じました。そこで、その後も学校外で教育に関わっている団体と接点を持つようになりました。
しかし、その分、進路には悩むようになりました。教師として学校で教育に関わるのか、それとも教育団体など学校外で関わればいいのか、分からなくなってしまったんです。
教職課程を学ぶことで、学習指導要領の素晴らしさは実感していて、学校教育の価値は十分に感じていました。しかし、世の中ではモンスターペアレンツの問題なども叫ばれていて、学校の中だけでできることに限界があるとも感じていたんです。
でも、教師ではない道に進むのは、これまでの自分を否定することのように感じていて、なかなか決断できませんでした。
人が直接繋がる場所を作りたかった
それでも、直感を信じて、学校外で教育に携わると決めて、就職活動を開始しました。「お互いの視野が広がる教育」を提供することを軸に様々な企業を見ていて、対象は子どもに限らず、大人向けに教育機会を提供できるのもいいなと思っていました。
そして、最終的には、インターネットショッピングモールなどを運営する楽天に入社を決めました。楽天には、通販ショップオーナーさん向けのEラーニングサービス「楽天大学」もあったし、インターネットやECを通じて、中小企業経営者の視野を広げ、海外に目を向けてもらうようなかたちで教育に携われると思ったんです。また、グローバルな社風も私に合っていました。
入社後は、ECコンサルタントとして各店舗の売上貢献に務める仕事をすることになりました。様々なオーナーさんと関われることや、マーケティングの考え方を学べるのは楽しかったですね。
また、楽天大学にも少しだけ関わらせてもらっていました。ただ、WEBコンテンツは、オーナーさんに主体的に見てもらうのも難しく、やりたかったことと少し違うとも感じていました。
そんな違和感を持ち始めた時、オーナーさんたちを集めたイベントを運営することがありました。会場では、参加者のみなさんが活発に交流していました。その中で、新規で出店したばかりの年配のオーナーさんが、売上の大きい店舗の若いオーナーさんに運営ノウハウを一生懸命聞いている姿が目に入ってきました。
それを見た時に、「私のやりたかったのはこれだったじゃん」と思い出したんです。異なった背景を持つ人が直接出会うことで、お互いの視野が広がっていると感じたんですよね。
また、その後、会社のCSR活動で児童養護施設におもちゃを届けに行った時、久しぶりに子どもと触れ合い、やっぱり子どもと関わりたいとも感じていました。同じタイミングで、HLABが社団法人化するので事務局に入らないかと誘われていました。
そこで、1年程働いた会社を辞めて、HLABの事務局に入ることにしました。HLABの方が私がやりたいことを実現できると感じたんです。
目標を最初に決めないリベラルアーツのような人生
そして、大学生が企画運営をする組織の中で、事務局長としてバックをサポートする仕事を始めました。しかし、HLABではすでに、大学生が主体となって、高校生のための「繋がる場所」が作られていることを感じました。「チャレンジすると決めて一歩踏み出した人たち」に、最高の夏休みを提供していたんですよね。
その環境の中で、私は、HLABのような活動に参加する「ちょっと手前」の高校生や大学生と関わりたいと気づきました。私自身小さい頃、いじめが原因で社会や人といった「外の世界」に信頼も興味もなくなった時、視野を広げてくれたのは、半強制的に放り込まれた海外での経験でした。原点はそこにあって、この素晴らしい世界と魅力的な人々の存在に気づけていない人たちの手を引いたり、背中を押すことが、教育に対しての最終的な目標なのではないかと感じているんです。
そこで、現在は、HLABの仕事は辞めて、その一歩手前にいる人のために何ができるか考えつつ、小学校の教員免許を取るために通信制の大学にも通っています。既に中学校と高校向けの教員免許は持っていますが、子どもが好きなので、将来小学校で教育に関わるかもしれないですから。また、高校生に大学の普段の授業を体験してもらうプロジェクトや、留学に行く人の渡航前支援などにも関わっています。
とにかく、自分だからできることを、たくさんしていきたいんです。また、多くの人に視野を広げてほしいのと同じように、私自身も色々なことに挑戦して、自分の視野も広げて続けていきたいんですよね。限りある人生を後悔しないように、めいっぱい謳歌したいんです。
ただ、教育の軸はあるものの、対象が高校生なのか、小学生なのか、大人なのか、まだ分からない部分もあります。そのため、しっかりと目標を定めなければならないのではと、焦りを感じることもありました。
しかし、最近、『嫌われる勇気』という本を読んで、「あきらめる=現在の状態を明らかにする」という考え方を知り、その不安は吹っ切れました。できることとできないことを明らかにしていくと、今の私には「未来は決められない」と明確なので、焦って無理に決めなくてもいいと思えたんです。リベラルアーツのように、最初から行き先を決めていなくても、まずは色々な選択肢があるところに飛び込んで、そこで色々学びながら進む道を決めようと。
だから、これからも自分が直感的にやるべきだと思ったことには、どんどんチャレンジしていきたいですね。そして、自分が経験して得たことを、多くの人に還元していきます。
2015.11.13
山瀬 加奈
やませ かな|「視野が広がる体験」をしてもらうきっかけづくり
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