営業からは逃げられませんでした。
何の取り柄もない僕にもできた、ひとつのこと。

【株式会社UZUZ提供:第二新卒・既卒の就活CH】「世界のロールモデルとなる会社をつくる」とビジョンを掲げ、「DSP広告」を中心としたウェブマーケティングサービスを提供する会社を経営する金田さん。プロ野球選手を諦めた次の目標が、なぜ起業だったのか?お話を伺いました。

金田 和也

かねだ かずや|IT企業の経営
マルチデバイス対応のDSPプロダクト「Fullout DSP」を提供する、株式会社フルアウトの代表取締役を務める。

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野球と関わり続けるために起業を決意


僕は兵庫県尼崎市で生まれ、7歳で東京に引っ越しました。小学校高学年の時に野球を始めてからは、プロ野球選手になることだけを考えていました。中学ではシニアリーグのチームに入り、学校では、怪我をしないためにと体育の授業を見学するほどでした。高校は宮崎県にある強豪校のスポーツ科に進みました。

ところが、2年生の夏に椎間板ヘルニアを患ってしまい、練習にも試合にも出られなくなってしまったんです。半年ほど経っても回復の兆しは見えず、野球は続けられませんでした。

すると、次第に心が腐っていき、学校で問題を起こすようになってしまったんです。また、練習せずに寮にいてもすることがなかったので、高校を辞めようかとも思っていました。

しかし、そのことを監督に話すと、「辞めてもいいよ。お前の人生だもん、自分で決めたらいい」と言われてしまったんです。その時、何も言い返せなかったし、結局その後も何事もなかったかのように学校に通い続けました。熱い性格の監督だったので、「辞めたい」と言えば、引き止めてくれるだろうと甘えていたんです。結局、誰かにかまって欲しかっただけなんですよね。

そんな時、テレビでプロ野球球団の買収問題のニュースを見ました。そこには、ライブドアの堀江貴文さんが映っていました。それを見た時、「ITベンチャー」で成功すれば、プロ野球球団を持ち、野球と関わり続けられると気づいたんです。また、IT起業家の華やかな世界にも惹かれました。

その瞬間、経営者になることを決めたんです。父が自営業だったので、違和感もありませんでした。そして、大学の経営学部に進むことを決めました。

大学を辞めるか、それとも自分で学費を稼ぐか


ただ、アルファベットの「L」以降は言えない程度の学力しかなく、進学できそうな大学はありませんでした。すると、英語の先生が、英検3級を持っていれば小論文と課題図書を読むだけの試験で進学できる、東京の大学を見つけてくれたんです。そこで、特進クラスの先生たちに助言をもらいながら勉強していき、英検と大学に合格することができました。

入学してからは、まわりの人に「どんな事業で起業するの?」と聞いて回っていました。経営学部の人だから、みんな起業を目指していると思っていたんです。ところが、すぐにそうではないと分かりました。起業を見据えて大学に来ている人は、あまりいなかったんです。

そして、僕も勉強そっちのけで遊ぶようになりました。野球以外してこなかった反動もありましたね。また、「起業するのは、すごく優秀な人とか、特別な人だけなんだ」と、言い訳して、自分を正当化していたんです。

ところが、大学3年生の時にリーマンショックが起こると、父の事業が傾いてしまいました。そして、「大学を中退して働くか、自分で学費を稼ぐかのどちらかにしろ」と言われてしまったんです。僕の中で、大学を辞める選択肢はありませんでした。大学以外の友達はあまりいなかったので、大学が全てだったんです。また、高卒だと、仕事や出会いはないだろうと不安を感じていました。

そこで、学費を稼ぐために、休学して、光インターネットの回線営業をすることにしました。ただ、一般家庭に飛び込み営業しても、いきなり売れるわけありません。警察や管理人を呼ばれて追い出されることもあり、社会の厳しさを知りましたね。「将来は楽して稼ぎたい」と考えることもありました。

ただ、他の仕事では学費を賄えるほど稼げるとは思えなかったので、どんなに辛くても辞めるわけにはいきませんでした。そして、1年も続けると、多少売れるようにはなりました。しかし、営業の仕事はもうやりたくないと思いましたね。

営業からは逃げられない


それでも、企業で働くことは自体は楽しかったので、復学してからは企業でインターンすることにしました。しかし、編集の仕事に応募したはずが、「起業するなら、法人営業をした方が良い」と言われ、また営業をすることになったんです。ただ、営業はやりたくなかったし、売れないのをサービスや会社のせいにしてばかりだったので、うまくいきませんでした。

そこで、次こそは営業ではない仕事をしたいと、ECサイト運営のインターンを始めました。しかし、ある時、大量に在庫を抱えてしまったことを機に、その商品を通販ではなくリアルで販売するために、また法人営業をすることになったんです。

ただ、色々工夫してみると、思った以上に売ることができました。もちろん、全てが思い通りにいくわけではありません。しかし、やれることを全部やったら、結果につながると実感できたんです。そして、ここまで縁があるなら営業をした方がいいんだと考え、他の会社でも営業インターンをしました。

一方で、就職活動では、3年で起業することを受け入れてくれ、力をつけられそうなベンチャー企業を中心に回りました。その中で、今後伸びると感じた会社に入社を決め、インターンも始めました。

ところが、上司に「君、うちの会社じゃもったいないんじゃない?」と言われたんです。新手の内定取り消しかと思いましたね。しかし、そういうわけではなく、僕の性格にもっと合う会社があるんじゃないかと、視野を広げようとしてくれたんです。

そして、2社ほど紹介してもらいました。そのうち1社は、めちゃくちゃな会社でした。社長や役員と飲みに行き、3年で起業すると話したら、親身になって話してくれる熱い人たち。かと思えば、次に飲みに行くと、「起業する!」と、深夜の新宿アルタ前で道行く人に向かって宣言させられたり、大量のお酒を飲まされたりと、信じられないような会社でした。ただ、普通じゃないと感じたからこそ、入社を決めたんです。

起業か第二新卒での転職か


その会社は、インターネット広告を販売していました。入社初日から朝の4時まで働き、月曜日から金曜日までは泊まりこむようなハードな環境。また、3年で独立すると公言していたので、「経営者になるんだろ」と、経理や人事、開発など、様々な仕事をさせてもらえました。

ある時、スマートフォン広告に関して勉強するため、インターネットで調べると、「スマホ広告 うざい」という検索候補が出てきました。そのキーワードで調べてみると、「誤クリックする」「邪魔だ」と否定的な意見が多くありました。ただ、実際に広告が成果を上げていると知っていた僕としては、極端に否定もできないと考えていました。

そこで、何か良い仕組みはないのか調べてみると、「DSP広告」をという存在を知りました。WEBサイト上の広告枠に、予め決められた広告を表示するのではなく、そのサイトに訪れているユーザーに適切な広告を配信する仕組みでした。広告を、「枠」ではなく、「人」に対して表示するものだったんです。

ただ、技術としては評価が高いものの、広告を出稿するクライアントには、その価値が伝わりきっていないことも感じました。そのため、すでに複数の競合がいるものの、営業次第で追いつけると確信を持て、独立する時の事業内容は固まっていきました。

しかし、ハードに働いた結果、周りから評価されることが増え、他の会社からスカウトされるようになりました。また、社会に出てみて、自分の視野の狭さや経験の浅さを感じていたので、他の会社で経験を積んだ方が良いのではと考えていました。転職の誘惑に負けそうになり、独立への気持ちが揺らぎ始めたんです。

ただ、3年で独立すると宣言していたので、先輩に転職も考えていると話すと、「口だけの人間なんだ・・・」と嫌悪感を醸し出されることもあり、苦しい状況でした。また、学生時代から一緒に起業しようと話していた友人が登記や準備を進めていて、「早く資本金を振り込んで」と急かされていました。

そのため、自分の気持ちをゆっくりと整理する時間もなく、2013年10月、2年6ヶ月ほど働いた会社を辞めて、友人とふたりで起業することにしたんです。

のびのび働ける環境を作るのが自分の仕事


独立してすぐに、決まっていた大手クライアントに突然解約を言い渡され、資金的に厳しい時もありました。しかし、「やるしかない」と続けることで少しずつ事業は成長してきました。そして、会社として3期目に入る現在は、メンバーも10名ほどに増えました。

ただ、マネジメントがうまくいかず、組織が混乱し、崩壊したこともありました。周りに完璧を求めすぎて、欠点やできていない部分ばかりに目を向けてしまったんです。

しかし、自分で現場に出ることで、お客さんから辞めてしまった社員への評価を聞いたり、現場の大変さを知るうちに、自分のやり方が間違っていたと分かりました。自分には何の取り柄もないのだから、得意分野を持つ人たちがのびのびと働ける環境を作るのが自分の仕事だったと。

振り返ってみると、「この人の下にいると仕事がしやすい」と感じた前職の上司は、周りの話を聞いてくれたし、僕自身怒られたことがなかったんです。また、失敗すると分かっていても一度はチェレンジさせてくれ、その上で適切なアドバイスをくれ、「今できるか」を見ているのではなく、「今後できる人になるか」可能性に投資していると教えてくれました。

そのため、今も自分がマネジメントをする立場として、「その上司だったらどう考えるか」と意識しています。すると、少しずつ社内の雰囲気も変わってきて、アルバイト、新卒社員、第二新卒社員など、様々な人がいる中、それぞれの人が自発的に動いてくれる瞬間も増えてきました。

今では、成功してプロ野球球団を持ちたいという気持ちは、すっかりとなくなりました。それよりも、「自分だったらこうできる」と、可能性を感じたものに対して、妥協なく全力でやりきりたいと考えています。

僕は、野球しかしてこなかったので、何も取り柄がないと思い、だからこそ必死に頑張ってきました。あえて取り柄があるとすれば、頑張ることくらい。そんな僕でも生きていられるのだから、何かに対して気持ちを持てる人や頑張れる人は、もっとうまくいくと思うんです。

そうやって、それぞれの人が自分の強みを活かせる組織を作り、「世界のロールモデルとなる会社」にしていきたいですね。ロールモデルは時代によって変わる存在だと考えているので、自分たちも常に変化、成長していきます。

2015.11.12

金田 和也

かねだ かずや|IT企業の経営
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