上場企業から編プロに、趣味を仕事に変えました。
webメディア中心の編集プロダクションにて記者・編集アシスタントを務める中道さん。自社メディアのコンテンツ企画・執筆などの仕事に携わっています。大手上場企業から、未経験ながら同社への転職を決意した背景には、「やりたいこと」を選ぶことへの覚悟がありました。
中道 薫
なかみち かおる|webメディア記者・編集アシスタント
企画、編集、取材、原稿執筆、運営などを手掛けるコンテンツ・メーカー有限会社ノオトにて、
記者・編集アシスタントを務める。
有限会社ノオト
浮いていた高校生活と大学への期待
小さい頃から本が好きで、特に小説を読むことが多かったですね。
小中学生の頃はクラスの中でも勉強ができるほうで、
学生生活も楽しかったです。気持ちに余裕があった気がします。
高校から中高一貫の進学校に入学すると、
それまでとはガラッと環境が変わり、自分より勉強ができる人ばかりになりました。
「こんなにすごい人がいるんだな」
と感じたのを覚えています。自分への諦めのような、初めての挫折でした。
苦しんだのは勉強だけではありませんでした。
部活に入っていなかったこともあり、話が合う人があまりおらず、
学校では浮いた存在でしたね。
当時は自分のやりたいことが全く見えていなかったので、
考える時間が欲しいという気持ちから、大学に行きたいと考えていました。
ところが、家庭の都合で学費を自分で支払わなければいけないこともあり、
コンビニでアルバイトをしながら受験勉強をすることになりました。
一度はある大学の通信制の学部に合格したのですが、
「色々な人と触れ合う中で自分のやりたいことが見えてくる」という感覚があったので、
通学制のところを受け直すことにしたんです。
結局2年仮面浪人して、別の大学に入学することになりました。
趣味が合う仲間とのモラトリアム
大学の4年間は、お金で買ったモラトリアム期間のようなイメージでした。
「色々な人と触れ合う中で自分のやりたいことを考える」という当初の目的に近い過ごし方だった気がします。
勉強に関しては特別打ち込むわけでもなく、生活の基盤はバンドサークルになっていきました。
サークルで出会った人は面白い人が多く、自分にとって心地のいい居場所でしたね。
ところが、バンドとして演奏することと同じくらい、照明係としてステージにスポットを当てる仕事が楽しくって。
仲間のバンドの晴れ舞台をどんな風に魅せるかに、すごく熱中したんです。
バンドから感謝されたり、お客さんからも評判がよかったり、やりがいを感じました。
「自分が良いと思ったものをよく魅せること」に関心があるんじゃないかと思うキッカケでしたね。
就職活動の時期が来ると、出版社に関心を抱くようになりました。
才能ある人たちの作品を、世の中に残す手伝いがしたいと思ったんです。
ところが倍率の高い業種ということもあり、志望した会社とはご縁がありませんでした。
その後も望んだ会社から内定がでないことが続いたのですが、
ついに、とある大手メーカーから内定をいただくことができたんです。
「やっと決まった」という安堵に近い心境でしたね。
本を作る過程に携われる部署もあったので、就職活動をそこで終えて、入社を決めました。
これを40年続けていくのか、という疑問
社会人になってからしばらくは、目の前の仕事に必死でした。
希望の部署ではないものの、望んでいた東京の配属になったときは嬉しかったです。
ジョブローテーションの制度もあったので、長い目で見ればやりたいことができる可能性もあるし、
期待していただいている上司や先輩方への恩返しをしたいという気持ちがありました。
慣れないスーツを毎日着て、営業の仕事に没頭していましたね。
ところが、入社して半年ほど経ち仕事にも慣れてくると、「これを40年続けていくのか」
という疑問を感じるようになったんですよ。
仕事自体はやりがいがあったものの、続けた先の将来に、なんだか前向きになれなかったんです。
同期に趣味の合う人が少なく、あまり馴染めなかったのも一つの要因だったかもしれません。
改めてサークルのありがたみを感じたのを覚えています。
そんなモヤモヤを抱えながら過ごしていた頃、
ふと、卒業間近の飲み会で、サークルの友達とフリーペーパーを作ろうと話していたことを思い出して。
話だけで終わらせず、形にしてみたいなと思ったんです。
「声をかけてみたら、乗ってくれる人もいるんじゃないか」という思いがありました。
思い立ってすぐ行動に移し、運営費用との兼ね合いから、
フリーペーパーでなくwebマガジンを立ち上げることに決めたんです。
社会人の自分の状況を重ね合わせ、「ぼっちを対象にしたwebマガジン」というコンセプトに決めました。(笑)
早くも雲行きが怪しくなっていた社会人生活に、新たな楽しみが生まれたんです。
仕事としてやるべきなんじゃないか
実際にwebマガジンの運営を始めると、どんどんのめり込んでいきました。
どれだけ疲れて帰って来ても、作業が苦じゃなかったんですよね。
文字通り、寝る間を惜しんで作業をしていました。
文章をいじるだけでも楽しいのですが、少ないながらそれを読んでくれる人がいて、
反応をもらえることに、すごくやりがいを感じたんです。
それは、毎日の仕事では味わえない種類の感覚でした。
webマガジンの活動が充実すればするほど、
仕事へのモチベーションは反比例するように下がっていきました。
また、ある時から趣味の限界も感じるようになったんです。
「もっと良くしよう」という思いはあるのに、こだわりきれないことへのもどかしさがあり、
次第に、これを仕事としてやるべきなんじゃないかと思うようになっていったんですよね。
そんな思いが日を追うごとに増していき、ついに転職活動を始めることにしました。
最初は経済的な事情から、出版社の正社員に絞っていたですが、中途採用では未経験者への間口が狭く、
他の選択肢も検討しなければと考えるようになりました。
そんな中、大学の先輩に紹介されて受けたのが、編集プロダクション。
最初は関心がある程度だったのですが、採用面接の中で社員の方が全員出て来てお話しさせていただいたり、
運営しているwebマガジンに興味を持ってもらえたりするうちに、印象が変わっていきました。
社長面接まで終えた帰りには、「絶対ここに入りたい」と思うまでになっていたんです。
翌日、残業帰りのオフィス街で内定の連絡を受けたときは、
飛び上がって大喜びしたのを覚えています。
失敗しても後悔しない覚悟があったんです
ところが、感謝の気持ちをこめて紹介してくれた先輩に連絡したところ、
「本当に行くの?」と、逆に止められたんです。
たしかに、給料はかなり下がるし、働く時間もずっと増える。
労働条件は決して良いものではありません。
きっと、勢いだけで飛び込むには、大変な世界だと教えてくれたんです。
その話を受けて、正直、どうしようか悩みました。
でも、考えていくうちに、それでも転職しようという気持ちが固まったんですよね。
自分が決断したことであれば、たとえ失敗しても、自らの責任だと納得できるなと思って。
今度こそ、やりたいことを選ぼうと決めたんです。
4,000人以上いた前職から、8人の会社に、
毎日着ていたスーツから私服での仕事に。
転職したては、何もかもが新鮮でした。
前職で外回りをしていた頃は、日中に電車で会う私服の人をフリーターだと思い、
時間があることを羨ましく思っていたのですが、
今は、ものすごく忙しい私服の社会人の立場になり、自分の浅はかさを悟りました(笑)。
いきなり色々任せてもらえていることもあり、ものすごく忙しいですが、
仕事は本当に楽しいですね。
今はまだ仕事に慣れていくことで大変ですが、
せっかくやりたいことに携わる機会を得られたので、
世の中に残るようなコンテンツを、たくさん作っていきたいなと思います。
2014.05.07
中道 薫
なかみち かおる|webメディア記者・編集アシスタント
企画、編集、取材、原稿執筆、運営などを手掛けるコンテンツ・メーカー有限会社ノオトにて、
記者・編集アシスタントを務める。
有限会社ノオト
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