女性が「賢く」生きられる社会に。
キャリアに悩み続けた私が目指したいこと。
医師の資格を持ち、現在は日本での医師としてのキャリアから一旦離れ、ウィーンで医療を学ぶ西川さん。また、Girl Power(一般社団法人日本女子力推進事業団)の専務理事を務め、女子教育にも力を注ぎます。その背景には、ご自身「女性だから」とキャリアに悩み続けた背景がありました。そんな西川さんにお話を伺いました。
西川 礼華
にしかわ あやか|医師、女性のキャリア支援
医師。また、Girl Power Promotion(一般社団法人日本女子力推進事業団)の専務理事を務める。
「女の子なんだから」と諦めた道
私は、両親は日本人ですが、フランスで育ちました。そして、小学校に入学するタイミングで日本に帰国し、神奈川県横浜市で暮らし始めました。小学校入学当初は、日本語もフランス語も中途半端だったので、うまく喋れずにおとなしく過ごしていましたね。しかし、学年が上がるにつれて、授業中に発表したり学級委員をしたりと、リーダーシップを発揮するようになりました。
そんな中、次第に自分は理数科目の勉強が得意だと分かってきました。特に数学が好きで、理工系の学科に進学したいと思うようになりました。また、人に勉強を教えることにも面白みを感じていたので、理工系の大学に進んで、将来は教師になりたいと考えるようになっていきました。
しかし、両親は理工系の教師になることに大反対でした。女の子なんだから、理工系はやめなさいと言うんです。両親の中では、理工系女子というと、「勉強ばかりしていて、オシャレにも無頓着で、結婚もできない」というステレオタイプがあったんですよね。私は小学校から高校まで一貫の女子校に通っていたこともあり、「女性として生きていく」ことを、より強く意識する環境にいたのかもしれません。
一方で、親や学校は、私に医学部進学を勧めていました。私の街には家庭を持ちながら旦那さんと一緒に開業している綺麗な女医さんがいて、女性が社会で十分に活躍できる職業として医師は想像しやすいものではありました。
そこで私は、周囲の意向に沿い、医学部に進学することにしました。受験時には私自身も医師への憧れを持っていましたし、横浜市立大学医学部に無事合格したのは純粋に嬉しいと感じました。ただ、理工系の勉強がしたいという私の夢がなぜ応援されなかったのだろう、という違和感が残りました。
一人前の医師になる使命と責任を感じる
医学部の勉強は大変ではありましたが、同じ学科の同級生60人と一緒に頑張っていたので、辛くはありませんでした。テスト二週間くらい前から、部活の合宿みたいにみんなで図書館に寝泊まりしたりするんですよね。また、もちろんアルバイトをする時間もあって、私は予備校で数学講師を続けていました。
ただ、それでも大変な時期はあって、ここぞという時に頑張れない自分がいました。「もし理工学部に進んでいたら」と、ふとした瞬間に想像する自分がいて。医師以外の道を吹っ切れていない自分に気づく度に「こんな私に医師をやる資格があるのか」と、自分の正義感みたいなものから自責の念に苦しめられるのです。
そのため、医師として一生働くべきなのか、働けるのか、正直悩んでいました。
ただ、多くの人に支えてもらって医師を目指すことができていたので、そんなことは言っていられませんでした。国公立大学なので、学費の多くは税金。ひとりの医師を育てるのに、約一億円の税金が使われていると言われています。医学部で勉強するということは、自分ひとりだけの問題ではないのです。
そのため、悩んでいる場合ではなく、まずは一人前の医師として働けるようにならなければと、使命や責任を感じていたんです。また、他に目指したいものがない状態で辞めてしまうのは、ただの逃げでしかないと思っていたので、私の中で辞めるという選択肢はありませんでした。
一方で、将来を考えるために、視野を広げたいという思っていたタイミングで、大学のミスキャンパスに選ばれました。そのおかけで、テレビでレポーターの仕事をさせてもらったり、ラジオ番組に出演させてもらったりと、活動の幅は広がっていきました。また、ミスキャンパスによる社会貢献活動団体に誘ってもらい、2代目の代表も務めました。
その他にも、公衆衛生の分野で学会発表したり、統計学の勉強を深めたり、そうやって様々な活動に取り組みつつ、私がより社会に役立つための、「医師プラスα」の道も模索していました。
医療現場で働き始めたから感じられたこと
大学卒業、医師としての最初のスタートをきる病院として、東京医療センターを第一志望に採用試験を受けました。最先端の医療を提供するのみならず、質の高い研修医教育を行う病院として有名でした。運良く内定をもらった時は、この病院で思いっきり踏ん張って働けば、医師としての適性があるか見極められると感じました。
そうして始まった研修医生活は、信じられないくらい忙しかったですね。私の研修先では、研修医が入院患者さんからのファーストコールの対応を行います。私も常に15-30名ほどの入院患者さんを担当していたので、患者さんからコールがあったらすぐに病棟へ飛んでいきました。そのため、深夜でも休日でも携帯電話を離せず、これに加えて週に1,2回の救急外来の当直業務がありました。
ただ、その分やりがいも感じていました。研修医は、患者さんにとっては一番触れ合うことが多い身近な医師。どんなに小さな訴えでも、私が対応することで「この人のために何かできている」と実感できるんです。
また、研修医にも色々な仕事をさせてくれる病院だったことも良かったですね。もちろん、医療現場なので簡単には仕事を任せてもらえません。しかし、それでも状況に応じて、指導医からの十分な教育のもと第一線で仕事をさせてもらえるということは、とても充実していました。
そして、研修医として働く中で、医師という職業に100%の憧れと誇りを抱くようになりました。
今後のキャリアを改めて考えるためにウィーンに発つ
また、視野を広げたいという思いも変わらずあり続け、研修1年目の頃から「女性が自由に生きるための女子教育をする」と掲げたGirl Power(一般社団法人日本女子力推進事業団)の運営にも関わっていました。当直明けの正午から10時間だけ携帯の電源を切って良かったので、その時間に活動していたんです。
関わるきっかけは、団体の創業パーティーで司会をしたことでした。多くの方が運営に関わっていたのですが、プロフェッショナルとしても女性としても魅力のある人たちばかりで、とっても輝いて見えたんです。しかも、「私もこうなれるかもしれない」と感じられる身近な存在で、この人たちと関わりたいと思い、運営メンバーに入ることにしたんです。研修2年目の冬に団体の専務理事になってからは、可能な限り団体のミーティングにも参加し、新しい企画提案もするようになっていきました。
そして、2年間の研修を終えた私はウィーンに行くことに決めました。研修を終えれば日本では医師としてのひとり立ちができます。そのため、このタイミングをひとつの区切りとして、改めてこの先どんなキャリアを歩んでいきたいのか、一度日本の外に出て考えたかったんです。
女性のキャリアについて、日本という枠にとらわれずに様々な価値観に触れて、医師プラスαの道の可能性を大らかに判断したいと。それは、幼少期をパリで過ごしたのでヨーロッパの空気感が好きなこと、父がウィーンに仕事のため赴任しているという家庭の事情も影響していました。
そして、2015年4月に日本を発ち、ウィーンでの生活を始めました。
賢い女性として生きる人を増やしたい
現在は、ドイツ語の勉強をしながら、皮膚科領域の診療や勉強会など可能な限り医学の勉強もさせてもらっています。秋からウィーンでの大学院進学も予定しています。一方で、ウィーンは、ニューヨーク、ジュネーブに次ぐ三番目の国連都市で、国連関連のイベントに参加するなど、多用な価値観を磨きながら自身のキャリア選択を慎重に吟味している段階です。
また、Girl Powerでも引き続き専務理事として活動しています。団体の中では、それぞれのメンバーが自分の関心のある領域で活動する中、私は同世代の女性のキャリア支援に興味があります。そのため、メディアで情報発信をしたり、働き方を考えるワークショップ等のイベントを企画しています。
私自身、「女性だから」という理由で高校時代に望んだ選択をできなかったことが、活動の強い動機になっています。もちろん、両親や周りの人は私のことを考えてくれての発言だったし、医師になったことも後悔はしていません。ただ、私の経験が、周りの人に少しでも役に立てばと良いと思っているんです。
今後どのようにキャリアを重ねていくかは、まだ見えていない部分もあります。誰と結婚するか、いつ子どもを生むか、女性のキャリアはそれによって大きく左右されるんです。しかし、そうやって節目が来ることは決して悪いわけではなく、方向転換をしたり、人生について改めて考えるきっかけになるので、むしろ良い面でもあるんです。
それに、私は男性よりも女性の方が、本質的にはこの社会においては生きやすいんじゃないかと考えています。男性の方が、様々な社会規範に縛られているけど、女性は比較的、自由な生き方が許される。それは強みです。その「女性の強み」を活かした生き方があるはずです。
これから先、様々な人生のステージを経験する中で、軸にしていきたいことがあります。それは、賢い女性でありたいということです。賢い女性とは、世の中をうまく立ち回るとか、誰かを利用するということではありません。自分の価値観を生きる女性、社会のしがらみにとらわれない自立した女性。そんな、凜とした生き方ができる女性のことです。
「凛」という言葉から想像できるように、「自立した女性」と言っても、それは自分の価値観にしがみつく、独りよがりなニュアンスを私は含んでいません。むしろ、立ち止まることを恐れない強さと、いざという時に誰かに頼る勇気をあわせ持ちながら、自分の人生を生きる賢さ。そんな賢さを磨けば、女性は、自分らしく美しく輝くことができるように感じています。
私自身、そんな生き方をしていけたらと思います。
2015.07.24
西川 礼華
にしかわ あやか|医師、女性のキャリア支援
医師。また、Girl Power Promotion(一般社団法人日本女子力推進事業団)の専務理事を務める。
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