養蚕は文化で終わらず、医療利用で再び蘇る。
「蚕への恩返し」が起こすイノベーション。
岩手大学にて蚕の昆虫機能を利用し、アルツハイマーの治療に転用するバイオテクノロジーの研究を行う鈴木さん。小さい頃から生物に関心を持って研究者を志しながらも、成果が出ない暗中模索の期間が続いたそうです。業界に大きなイノベーションをもたらす研究に人生を懸ける背景には、「蚕への恩返し」という使命がありました。
鈴木 幸一
すずき こういち|蚕を中心とした昆虫生理学の研究
岩手大学の特任教授・名誉教授として、 昆虫生理学、昆虫バイオテクノロジーの研究に取り組んでいる。
※本チャンネルは、TBSテレビ「夢の扉+」の協力でお届けしました。
TBSテレビ「夢の扉+」で、鈴木さんの活動に密着したドキュメンタリーが、
2015年7月5日(日)18時30分から放送されます。
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生き物に囲まれて育った原風景
私は宮城県石越町(現:登米市)に生まれ、小さい頃から生き物に囲まれて育ちました。中学1年で父を亡くし、母も病弱だったため、家ではできるだけ現金化できるよう豚や羊・鶏等を飼っており、私は餌の当番をしていたんです。羊を土手に連れて行って草を食べさせて、夕方になると家に帰ってくるといった調子でした。また、小学校でイナゴを採取したり、健康に良いと言われる蛇を母のために採って来たり、生活のそばに生き物がいるのが私の原風景でしたね。
そんな背景から、学校の勉強では生物が一番好きで、他の教科にはほとんど関心が持てないという状況でした。(笑)正直、高校を卒業してからも生物の勉強をしたいという気持ちがあり、大学の農学部に関心があったのですが、家庭的に進学は難しいため、銀行員になったら金持ちになれるのかなとぼんやり考えていました。なんとか自分を育ててくれた母に恩返ししたいという気持ちがあったんです。
ところが、そんな私の思いを知ってか、進路選択を控えたある日、母から「勉強がしたければ、とことん勉強していいよ」と言ってもらえたんです。私を生んでくれ、かつ逆境の中で育ててくれて、本当に「ありがとう」という一心でした。そして、その愛情に恩返しするためにも、なるべく負担をかけないように国立大学に進学して、奨学金とアルバイトで学費を賄おうと考え、尊敬する先輩が通っていた岩手大学の農学部に進学することを決めました。
入学してからはすぐにバイトを始め、奨学金の手続きもいち早く済ませました。しかし、いざ授業を受けてみると、それまでの期待感とは一転、いわゆる古典的な生物学の授業に非常にがっかりしてしまったんです。面白くないしドキドキもしない授業に、「これは選択を間違えたかな」と思いましたね。せっかく入学した大学で、私は階段教室の最後尾、ふてくされて寝ている学生になっていました。
昆虫学の研究室で出会った喜び
そんな私を救ったのは、研究室の存在でした。入学して半年程したタイミングで大学内の研究室巡りをする機会があり、昆虫学の研究室を訪れた時に衝撃を受けたんです。その研究室では、蚕や甲虫の仲間のハムシ等の昆虫について研究しており、特に昆虫の「眠り」を研究テーマとしていました。元々、昆虫は子孫を残すために数ヶ月眠るのですが、その研究室では眠りから覚ますことに成功していたんです。そうすることで、例えば害虫が餌のない時とか冬場に眠りから覚めれば死亡しますので、化学農薬に頼らない環境にやさしい害虫防除にも繋がっていました。
そして、「これからは新しい生物学の時代だ」と力強く語り、ラーメンが40円の時代に1巻900円する最新の生物学を「4巻買って3回ずつ読みなさい」と話す教授(故 宮先生)の姿に、完全に惹かれてしまいました。先生も興奮しているのが伝わってワクワクするんですよね。それまでふてくされて過ごしていたのが嘘のように、「これぞ大学だ!!」と感じましたね。制度的には研究室に配属となるのは大学3年の10月からなのですが、先生と大学院生(後の安藤先生)からいつ来てもいいよと言ってもらえたことで、1年生にも関わらず、とにかく研究室に足を運び、顕微鏡等を触らせてもらっていました。楽しい大学生活の麻雀やダンスに打ち込むよりも、何時の間にか、将来は白衣を着た研究者を目指そうと考えるようになりました。
そこで、大学2年生頃から親にも大学院に進学したいという思いを伝え始めました。奨学金とバイトでやっていけるという手応えもあったので、もっと新しい生物学を取り入れたいと考えたんです。特に、最初に見せてもらった昆虫を眠りから起こす研究への衝撃が大きく、自分もそのような研究をしたいという思いがありました。
そして、名古屋大学の教授が蚕が眠るホルモンの研究をしていることを教科書で知ると、これからの時代は生化学が一つの武器になり、そのメッカは名古屋大学だと思い、院進学を決めたんです。
研究職としての責任・使命と、成果が出ない葛藤
名古屋大学の大学院では蚕の眠りについて研究をしながら、修士課程・博士課程に進学しました。すると、博士課程が始まってすぐに、母校の岩手大学農学部の助手のポストが空き、尊敬する教授から推薦をしていただいたんです。どうしようか迷う部分もあり、名古屋大学で指導していただいていた若手の先生(山下先生)に相談すると、「ここに来て全てを学んだと思えるなら行きなさい」という言葉をいただけたこともあり、私は24歳にして、岩手大学に助手として戻ることを決めました。学生時代から本当に師・先輩・同僚には恵まれました。
助手として働き始めると、それまでの学生の立場とは異なり、給料をもらって研究ができる立場になりました。もちろん、好きなことができて嬉しいと感じる反面、責任感が生まれるようになりましたね。勉強させていただいた名古屋大学の真似ではなく、自らのオリジナリティを持った研究で成果を出さなければという危機感がありました。特に、名古屋大学の教授から「お前は蚕で奨学金をもらえたんだから、岩手に戻る時にその奨学金の財団に挨拶をしなさい」と言われたことから、「蚕に恩返しがしたい」という使命感のようなものが、少しずつ芽生えるようになっていきました。
ところが、オリジナルを意識して進めた研究では、中々成果が出ず、暗中模索の期間が続きました。小さい論文を書くことはあるものの、目立った成果が出せず、気づけば10年以上の歳月が過ぎていきました。正直、辛かったですね。スポーツや芸能の分野では若くして活躍する才能も多くある中、成果が出ずに摸索し続けることへの焦りや葛藤が抑えきれなくなることもありました。様々な本が相談相手だったため、30歳を迎えると他の分野や職業に行ってしまおうかという考えが過ることもありましたね。
しかし、少しずつ少しずつ論文を書いて自分のエネルギーをつなぎ止めていく中で、自分の原点は蚕であり、ここで見つけなければ、どの分野にいっても同じだなと感じるようになったんです。それからは腹を据えて蚕や天蚕の研究に打ち込むようになっていきました。
がん細胞を眠らせる大きな発見と、果たせなかった使命
研究を進めていくと、蚕の仲間である天蚕は、その生糸から作る着物が1着100万円以上する高価な素材のため、もし1年間に複数回産卵をさせることができれば、養蚕農家の現金収入が上がるのではないかという期待がありました。実際に、蚕は1年で4回も生糸を採取できる技術が生まれていながら、天蚕ではそれができていなかったんです。また、昔は農家の数が220万戸ありながら現在は500戸ほどまで減ってしまっていたため、養蚕業界への危機感もモチベーションとなっていました。
すると、1983年の研究開始から、わずか3年で、天蚕を眠りから覚ますことに成功したんです。国際学会で研究成果を発表し、「これはやった!」という感覚でした。純粋な思いと自前のアイデアから成果を残すことが出来た感覚があったんです。38歳、完全な遅咲きでした。
しかし、蚕並みの成果が出るのではないかという期待とは裏腹に、眠りから覚ます技術だけ発見されても、餌の内容や飼育方法等、養蚕農家が繊維産業で蘇るまでに必要な課題はその他にもたくさんあるのが現状でした。
それでも、1990年には、天蚕を眠りに至らせる「眠り物質」が卵の中の幼虫の胸から出ているという仮説を発表し、2004年、14年の長い時を経て「眠り物質」を見つけることができたんです。最初の暗中模索とは違い、「必ず眠り物質はある」と信じていたため、自分たちの技術が足りないだけだと、自信が揺らぐことはありませんでした。
さらに、発見した「眠り物質」を「ヤママリン」と命名し、マウスの肝がん細胞に加えてみると、がん細胞の活動が止まったんですよね。「虫が眠るのだから、もしかしたらがん細胞も止まるかもしれない」という予想の通りでした。企業ががんの治療に使えないかと研究を行うようにもなり、この研究は大きな成果を収めることができました。
しかし、私の使命は果たされずにいました。というのも、眠り物質「ヤママリン」は天蚕を用いないでも合成できることが分かり、養蚕農家への恩返しにはならなかったんです。研究者としては嬉しい気持ちを抱きながらも、何か蚕に関する新しい研究をしなければという危機感がありました。自らを研究者として育ててくれたという意味では、親への恩返しと同じような意味になっていましたね。
「蚕への恩返し」のために起こすイノベーション
そこで、養蚕農家にて、繊維産業のためには不要になる部分を医療のために利用できないかという研究を新しく始めることにしたんです。具体的には、生糸をとるためにボイルした後の蚕の乾燥さなぎを培地として育てた「冬虫夏草」と呼ばれるキノコ体の煮出し汁をマウスに飲ませると、記憶を司る脳の海馬の傷(グリオーシス)が治り、記憶力が良くなることが分かったんです。これはアルツハイマーの治療にも利用できるため、2010年からはこの研究に取り組んでいます。
元々、蚕の餌となる桑の研究をしていた際に、現代では人間が桑を食べることは無いものの、鎌倉時代の文献まで遡ると、医療のために使われていたことを知りました。それが明治時代の富国強兵の施策により先人の知恵が絶えてしまっていたのです。だからこそ、これまでと同じく繊維産業として養蚕農家を盛り上げるのではなく、医療の分野で何かできないかと考えるようになったんですよね。
後期高齢者が非常に増えるこの時代において、例えば、蚕から育てたもので認知症の予防ができれば、養蚕農家は新しい活路を見いだすことができ、もう一度業界にイノベーションを起こすことができるんじゃないかと思うんです。
日本の養蚕技術は世界一です。ただ、農家の数は減り、富岡製糸場のように「文化遺産」として終わろうとしています。私はその技術が残っている間に、既存の繊維産業以外で、全く新しい形で「養蚕イノベーション」を起こしたいと考えているんです。人が通ったことのない道を作るのは大変な覚悟ですが、自らの使命としてそれを成し遂げたいと考えています。
母校の岩手大学の卒業生の先輩、宮沢賢治の『生徒諸君に寄せる』という詩の一節に、「増訂された生物学をわれらに示せ」という文があります。後輩に向けて、新しい生物学のページを作るような研究をしてほしいというメッセージですね。私が考える「蚕への恩返し」とは、まさにこの一節と同じく、新しい生物学を生み出すことだと思います。
そして、それは、同じく宮沢賢治の『雨ニモマケズ』でテーマとされている「究極の愛」の一つの形なんじゃないかと思うんです。自らを研究者として育ててくれた蚕への恩返しを、究極の愛まで昇華させたいですね。
2015.06.29
鈴木 幸一
すずき こういち|蚕を中心とした昆虫生理学の研究
岩手大学の特任教授・名誉教授として、 昆虫生理学、昆虫バイオテクノロジーの研究に取り組んでいる。
※本チャンネルは、TBSテレビ「夢の扉+」の協力でお届けしました。
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