坊主だった野球少年から美容師へ!
髪を通じて美をプロデュースする仕事を。

美容室としてキャリアを積み、29歳で独立してお店を開いた和田さん。プロ野球選手の夢を挫折し、次に目指した美容師の世界。独立を目指して進む中、仕事で感じた苦しみと楽しさとは?お話を伺いました。

和田 裕也

わだ ゆうや|美容室の経営
美のトータルプロデュースを行う美容室「SAKURA」を経営する。

自分みたいな人がプロ野球選手になると思っていた


私は岐阜県で男三兄弟の次男として生まれました。小さな頃から兄弟で運動することが多く、小学生の時に野球を始めました。ポジションはピッチャー。足が速く、投げれば三振、打てばホームラン。正直、自分のような人間がプロ野球選手になるのだと、信じて疑いませんでしたね。(笑)

中学生の後半になると、少しずつ周りも身体が大きくなり、足が早かったり肩が強い人が出てきました。それでも、私はプロ野球選手を目指し、野球の名門校に行きたいと考えていました。

ところが、志望校からは野球推薦をもらえませんでした。県大会に出場したりとそれなりに活躍していたのですが、推薦をもらえるほどではなかったんです。そこで、勉強で推薦してもらおうと考え、猛勉強することにしました。生徒会長などもして内申点を上げ、無事志望校に進むことができました。

そして寮に入り、甲子園を目指して野球漬けの生活が始まりました。朝練をして、授業で寝て休憩し、また夜練習をする生活。しかし、100人ほど部員がいる中、主練習に出られるのは25人ほどでした。そのため、最初は全く相手にされず、その練習には出られませんでした。

それでも諦めずに必死に練習をしていき、2年生で主練習に参加できるようになり、3年生では18人のベンチメンバーにも入れました。ただ、それでもレギュラーにはなれませんでした。同期のキャプテンはプロ野球選手になりましたが、自分との実力差は歴然で、プロ野球選手の夢は諦めることにしたんです。

そして、3年生の夏に部活を引退した後は、美容師を目指すことにしました。中学生時代にカリスマ美容師ブームがあり、テレビドラマでキムタクが美容師をしていたりと、単純にカッコいいと思っていたんです。また、部活を引退したので坊主は止め、美容室に行くのが楽しかったんです。少ししか伸びてない髪でパーマをかけたりしましたね。(笑)

そして、高校卒業後は名古屋の美容専門学校に進むことにしました。

責任が増えても追いつかない技術に悩み、逃げたかった


専門学校は厳しい環境だったし、周りでは辞めてしまう人も多かったのですが、自分で決めたことだったので、私は真面目に通っていました。そして、2年で学校を終え美容師免許を取った後は、東京に上京することにしました。個人的には名古屋で自分が通っていた美容室で働くのもいいかと思っていたのですが、仲の良かった友達がみんな上京すると言っていて、ひとりになるのが寂しくて一緒に東京に行くことにしたんです。(笑)

そして、カリスマを多く排出していた表参道の美容室で働き始めることになりました。最初は掃除から始まり、シャンプー、カラー、パーマと、少しずつできることが増えていき、その度に楽しさは増していきました。忙しくはありましたが、野球部時代ほど大変なことはなかったので、全く苦ではありませんでした。

ただ、先輩スタイリストの専属アシスタントとして働くようになってからは、状況は変わっていきました。その先輩はかなりのことを自分に任せてくれたのですが、立場が変わったからといって技術が上がったわけではありません。そのため、任された仕事をしても、失敗ばかりだったんです。

先輩のお客様に対して、自分でカラーの調合から行って施術するのですが、明らかに上手くいかず、お客様も不穏な表情を浮かべています。正直、心の中では「このまま帰ってもらえないかな」「後で先輩に怒られる方がましだ」と思ってしまっているんです。しかし、当然ながらお客様が満足していない顔を見て、スタイリストの先輩はその場で直すんですよね。「これでいいと思っているの?」痛いところを突かれ、できない自分が悔しくて、逃げ出したいと思っていました。

ただ、東京に出てきてこのままスタイリストにもなれずに岐阜に帰るわけにはいかず、なんとか耐えていました。そして、この経験のおかげで技術は磨かれ、スタイリストになることもできました。

30歳までに独立したい


スタイリストになってからは、仕事はいっそう楽しくなりましたね。やっぱり、カットした後に喜んでもらえた瞬間の表情がたまらないんです。「ひとりのお客様」といっても、その人にとっては1ヶ月とか2ヶ月に1回の髪を切りに切る特別な日かもしれない。表参道という立地もあって、普段よりお洒落をして気分を高めて来る人もいますし、初めての美容室だったら緊張している人もいます。そういう人に喜んでもらえるのはやっぱり嬉しいんです。

次第に、自分のお店を持ちたいと考えるようになり、20代の間に独立することを決めました。そこで、開業資金を貯めるため、仲間と一緒にフリーランスの美容師が集まる美容室を立ち上げることにしました。

ところが、フリーランスになってからは、今まで連絡してくれたお客様の数はかなり減ってしまいました。対応できるお客様の数は絞られているので、自分で少し制限した部分もありましたが、思った以上に減ってしまったんです。場所も同じ表参道だったので、正直「自分の価値はこんなものだったのか」と、不安な気持ちになりましたね。

それでも少しずつまたお客様は増えてきて、開業資金を貯めつつ、一緒にお店をやってくれる仲間を探していきました。そして、2年ほど経ち、29歳になった頃から本格的に開業の準備を始めました。物件な表参道で探していました。岐阜に帰って、草野球なんかをやりながらゆっくり美容室を経営するのもいいかなと一瞬間考えたのですが、やっぱり東京、それもど真ん中の表参道で勝負したいと思ったんです。

そして、一緒に創業してくれるパートナーやスタッフも、良い物件も見つかり、2015年6月、表参道に美容室SAKURA(サクラ)をオープンすることにしたんです。

美をトータルプロデュースできる美容室に


SAKURAではただカットするだけでなく、髪を通じて美のトータルプロデュースをしたいと考えています。そのため、お客様に出す飲み物も、通常だったらコーヒーや紅茶など選んでもらうことが多いと思いますが、私たちは自分たちで調べた美容や健康に効く酵素ドリンクを出しています。

今後は、エステや栄養学など、美に関わる知識を持ち帰ってもらえるような講習も開いていきたいと考えています。そして、「美のことならSAKURAのスタッフに聞こう!」と思ってもらえるような空間にしていきたいです。

また、個人的には後輩を育成することに喜びを感じるので、自分のしてきたことを、後輩に伝えてきたいですね。今の店舗は美容室の居抜きで入った物件なので、後輩がお店を持つ時には、ゼロから内装やコンセプトを決め、より自分たちの考え方を反映できるお店を作りたいですね。

さらに、将来的には海外展開も考えています。パートナーが海外進出したいとずっと言っていて、話を聞いているうちに私も行きたくなってきたんです。海外展開も視野に入れていたので、「SAKURA」と名付けたんですよね。

まだ独立したばかりですが、それでも自分のお店を経営できるのは楽しいですね。全部自分たちで決めていけるし、それが自分たちに返ってきますから。目の前の人に喜んでもらえ、美のトータルプロデュースできる美容室を作っていきます。

2015.06.17

和田 裕也

わだ ゆうや|美容室の経営
美のトータルプロデュースを行う美容室「SAKURA」を経営する。

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