あと何年生きるか分からない、だから決めた。
日本を若者から元気に、48歳ゼロからの挑戦。

2015年3月にLINE株式会社の代表を退き、同4月より「動画ファッション雑誌」という分野で新しい挑戦を行う森川さん。エンターテイメント・IT・グローバルを軸に、テレビ局や電機メーカー・デジタルベンチャーで幅広く活躍をしながらも、48歳のタイミングで抱いた危機感。再スタートの背景にある「日本を元気にしたい」という思いとは?お話を伺いました。

森川 亮

もりかわ あきら|動画ファッション雑誌サービス運営
動画ファッション雑誌サービス「C CHANNEL」を運営するC Channel株式会社の代表取締役を務める。

エンターテイメントはコンピューターの時代になる


私は神奈川県川崎市に生まれ、小さい頃から音楽が好きな少年でした。中でも歌うことが特に好きだったため、小学生になると、親から「向いていそうだから受けてみたら?」と言われてオーディションを経て合唱団で活動を行うようになりました。

その合唱団はいわゆる合唱曲だけでなく、ロック風のアレンジで歌ってみたり、ミュージシャンのバックコーラスを務めたりすることもあり、その活動を通じてそれまで以上に音楽が好きになっていきました。ピンクレディさんや五木ひろしさんのコーラスも務める機会もありましたね。

そして、次第に歌だけでなく楽器にも関心を抱くようになり、ドラムを叩き始め、中学高校では仲間とバンドを始めるようにもなったんです。しかし、ちょうど同じタイミングで、シンセサイザーの進化を筆頭に、音楽にもコンピューターの波が来始めました。自動でドラムパートの演奏を行うドラムマシンを初めて見た時は、「ドラムを叩く人が必要なくなってしまう」と衝撃を受けました。きっと、音楽以外の色々な分野にも普及していき、今後エンターテイメントはコンピューターの時代になると感じたんです。

そんな背景から、コンピューターに関心を持ち、大学からは筑波大学で情報工学を専攻することに決めました。ただ、大学生になってからはバンド活動により一層力を入れていたため、毎日音楽に打ち込む日々でしたね。コンピューターに関心を持って入学しながらも、実際に触れてみるとあまり好きになれなかったこともあり、あまり授業にも出ず、いやいやコーディングをするような学生生活を過ごしました。(笑)

そして、就職活動の時期を迎えると、これまでの経験からもエンターテイメントの仕事がしたいと考えていました。その中でも特に、音楽とコンピューターを融合するような仕事ができたらと考えていたんです。

すると、たまたま学校に行った日に学内で日本テレビのセミナーの告知があったので、遊び半分で参加してみることにしました。「実家方面に近いし、行ってみようかな」というくらいの感覚でしたが、ありがたいことに内定をいただくことができたんです。他には就職活動をしていなかったこともあり、そのまま日本テレビに就職することに決めました。正直、すごく考えて選択した訳ではありませんでしたね。

実際に入社してからは、元々の希望通り、音楽番組を担当してミキサーの仕事がしたいと考えていました。自分自身に馴染みがあり、興味のある分野で仕事ができたらと思ったんです。

ところが、実際に配属されたのは社内のIT機能を担う部署。裏方でシステム開発を行う仕事に就くことになりました。正直、IT単体に関心があった訳ではなかったので、あまり前向きになれませんでした。周りからもやや同情されるような感覚で、モヤモヤを抱えたまま社会人生活が始まったんです。

グローバル展開への思いと32歳の転職


ただ、部署内の上司からは「一通り仕事を覚えないと部署から卒業はできない」と言われていたため、早く他の仕事をするためにも、システム開発の勉強に力を入れるようになりました。財務システムの開発や、報道のデジタル化の一環として、選挙の出口調査の電子化を行うプロジェクトに携わり、開発の要件を決めて、開発会社を選定し、実際に運用まで行うという、一通りのプロセス全てに参加しました。

すると、いくつかプロジェクトを担当していくうちに、次第に部署の中核を担わせてもらえるようになっていったんです。それどころか、自分より後に入った後輩が先に異動することもあり、結局その部署で仕事を続けることになりました。

そんな状況に、話が違うなとは思いながらも、経験を積むことで仕事に楽しさも感じるようになっていたんです。ITの領域は変化が早いからこそ、最先端技術に触れながらものづくりを行うことに非常にやりがいを感じていました。ぼんやりとですが、「新しいものを生み出し、世の中を喜ばせたい」と思うようになったんです。

しかし、次に携わった視聴率の計測システム開発の大きな仕事が一段落着くと、そろそろさすがにエンターテイメントの仕事がしたいと考えるようになりました。そこで、ITの部署で6年程働いたタイミングで、「社内でできないのであれば」と転職を考え会社に辞表を出すと、引き止められて新規事業を立ち上げる部署に異動することになったんです。

新しい部署ではネット事業に始まり、映像配信やモバイル領域など多数の新規事業立ち上げに携わることができました。また、自社の番組を海外にも配信する国際放送の事業にも携わっていたため、欧米を中心に海外に出張に行かせてもらう機会も増えていきました。

そして、アメリカやイギリス・ドイツのテレビ局を訪れると、コンテンツに国境が無くなっていることを痛感したんです。特に、衛星放送が発達した欧米では、国を越えての放送が盛んに行われていました。それを見て、「日本もいずれ必ずそうなるだろうな」という感覚を抱きましたね。ちょうど並行で通い始めた大学院でも、修士論文のテーマをコンテンツのグローバル展開とし、どんどん関心を強めていきました。

ところが、「グローバルで通用する番組をつくらなければ」という思いとは裏腹に、日本のテレビ局は地上派が中心に視聴され、収益の中心となっていたため、現時点のビジネスモデルでは、すぐに取り組めない葛藤がありました。

そこで、もう少し多角的にグローバル展開を出来る会社に行きたいと考えるようになり、32歳のタイミングで、「デジタルコンテンツをネットワークで結びつける」という方向に舵を切ろうとしていたソニーに転職することを決めました。年収はそれまでの半分になるような転職でしたが、務めていた環境と自らが進みたい方向が異なっていたため、飛び込むことに迷いは無かったですね。

大企業での葛藤からハンゲームへ


ソニーに入社してからは、テレビやオーディオ等のハードウェアを扱う部署に入り、テレビのネットワーク化の事業等を進めていきました。しかし、大企業かつ電機メーカーという背景もあり、トップで進めようとしている「デジタルネットワークでグローバルを繋ぐ」という思想と現場には乖離もありました。ちょうど、テレビの売れ行きが良かったこともあり、現場ではネットに繋ぐことに対してあまり前向きではなかったんです。中々思いを実現できず、葛藤する日々を過ごしました。

そこで、途中からは、新しくブロードバンドの事業を立ち上げるために、他社とのジョイントベンチャーの設立を行い、ゼロから組織と事業を立ち上げを任せてもらいました。ベンチャー組織をまとめてマネジメントすることは初めての経験だったので、自信につながりましたね。

それでも、転職から3年程経つと、大企業で新しい事業を進めることの難しさも痛感していました。「3年後なら実現できる」という話をされることもあったのですが、それでは流れが変わってしまうという危機感があったんです。既存の主力事業があるために、他の新しいことに取り組みにくいという葛藤もありました。

そこで、もう一度、グローバルに展開できるデジタル領域の環境で働きたいと考えていると、ブロードバンドの事業を通じて、韓国が同分野の先進国であることに気づいたんです。また、グローバル展開は説明が不要で熱狂を生むような分野から広まるような感覚もあったため、韓国に拠点を置きオンラインゲームを運営するハンゲームジャパンに転職することに決めたんです。36歳のことでした。

LINEが越えたグローバル展開の壁


入社した直後は、何もやることが決まらないまま1ヶ月が過ぎてしまいました。「まずは、ゲームをやっていて」と言われていたので、ずっとゲームをしていたのですが、さすがに辛くなって来て、自らそれまでのネットワークを通じてアライアンスに動いたり、新規顧客の獲得施策を考えたりするようになりました。

すると、ある日、全社のミーティングで突然、事業責任者に指名されたんです。私自身が驚いたのはもちろん、周りでも外から来た人間がそれまでの順番も抜かして責任者になることに、「えー・・・」というような反応でした。しかし、その反応に対し、「毎月事業責任者が変わっているんだから、ダメなら変わればいいんじゃないか」と告げられ、周りも多少は納得したような雰囲気でした。それまでとの環境との変化に、本当に衝撃を受けましたね。

そして、実際に事業部長になってからは、幸いにも数字は好調に伸びていっていました。創業メンバーでなく、ゲームにも詳しくないのに責任者を務めているということで、依然周囲からの反発もありましたが、なんとか事業は成長を続けていました。

ところが、ある時、大きなシステム障害が起こってしまい、1週間程サービスを停止せざるを得なくなってしまったんです。本当に大きな危機でしたが、「なんとかしなければいけない」という一心でようやくサービスが復活すると、チーム全体の雰囲気が変わったような感覚がありました。それまで以上に仲間意識を感じるようになり、再び数字も好転していったんです。

その後、会社の合併等を経て、それまでの功績が評価され、2007年からは代表取締役を務めるようになりました。そして、2011年6月、命運をかけた勝負としてリリースした「LINE」が1年半でユーザー1億人を突破する急成長を遂げたんです。社員は多国籍だったものの、それまでの事業のターゲットは国内、日本人が使うことが中心だったのですが、LINEはその壁を大きく越える経験となりました。それまでずっと考えていた、本当の意味でのグローバル展開を成し遂げるサービスとなったんです。

ただ、私自身は、既に現場からは離れていました。ゲーム事業の時代は中身まで自分で決めていたのですが、2008年に原宿に無料のカフェを出す施策を行って失敗して以来、「自分の感性は先を行き過ぎる」というような感覚があったんです。それからは現場の支援やエンパワメントに周り、社長として、自らの意志よりも会社の成功のためにマネジメントに力を注ぐようにしていました。

その後もLINEは順調に成長をしていき、それまでに無い全く新しいプラットフォーム展開を行うフェーズに到達しました。

48歳、日本を元気にしたいという思いで決めた挑戦


そんな日々を過ごす中で気づけば2015年に48歳を迎え、次第に「あと何年生きているかわからないな」と考えるようになっていきました。そう考え始めてからは、次第に「日本を元気にする仕事に、自ら挑戦したい」という思いを抱くようになったんです。日本に生まれ育ったからには、恩返しがしたいという思いが強くあったんですよね。

ただ、LINE自体は社員のほとんどが外国人ということもあり、挑戦するなら別のプラットフォームだという感覚がありました。そこで、「元気なうちに挑戦しようかな」と考え、周りの友人とも相談し、何をしようか考えるようになりました。

実際に考え始めると、教育やエネルギー等、様々な分野に関心がありました。しかし、以前の経験からも、ビジネス的にタイミングが早いかなという感覚もあったんです。そこで、改めて自分自身の背景を辿り考えてみると、メディアが世の中に与える影響の大きさを再認識する一方で、現代ではテレビを筆頭に視聴者が高齢化しており、コンテンツも見る人に寄って行き、若い人が活躍できないような悪循環が起こっている感覚もあったんです。また、連日メディアから暗い話が流れることで国自体の元気が無くなっていく感覚もあったため、メディアが明るい話題を発信することで、社会の雰囲気も変わるんじゃないかと考えるようになりました。

そんな背景から、何か若い人を元気にするようなメディアに挑戦しようと考えるになったんです。特に、若い男性向けのコンテンツだとオタク的な要素が入ることもあり、若い女性に向けて、「動画雑誌」というコンセプトでサービスを提供しようと決めました。アソビシステムの中川さんなど、協力者がいたことも決断を後押ししてくれました。

そして、2015年3月にLINE株式会社の代表取締役を退き、同4月、動画ファッション雑誌「C CHANNEL」を運営するC Channel株式会社を設立したんです。社長から起業家として、48歳の再スタートを切りました。

C CHANNELを通じて、日本を若者から元気にしたい


C CHANNELでは、「クリッパー」と呼んでいるモデルやタレントが、1分間の独自の動画を配信しており、ファッションやメイク・フード等の情報を閲覧することができます。

若い女性向けのサービスということもあり、サービスを作る部分はユーザーやクリッパーの声を大事にして作っており、私はそこには立ち入らず、裏方を積極的に務めています。実際に、事業立ち上げは何度もやっているものの、会社自体を立ち上げることは初めてのため、思わぬ苦労も沢山ありますね。オフィスを借りるのも口座を作るのも一苦労で、文字通り「ゼロからのスタート」という感覚です。

また、自社の事業以外にも、複数のベンチャーで社外取締役や顧問としての支援活動も始めました。自分が挑戦できなかったことを応援したいという気持ちがありますし、私より得意な人に、自分の知識や経験を活かした後押しができればと考えています。

将来は、「C CHANNELを見ると元気になる」というようなサービスにしていきたいですし、MTVのようなブランドとなり、世界中の人がここに出たいと思い、ここから旅立ってスターが生まれるようなプラットフォームを作っていきたいですね。

この会社で成功しないと次は無いので、それ以上先の長期的なことを考えていません。今は、若者が元気になることで、日本自体を元気にすることに全力を注ぎたいと考えています。

2015.06.15

森川 亮

もりかわ あきら|動画ファッション雑誌サービス運営
動画ファッション雑誌サービス「C CHANNEL」を運営するC Channel株式会社の代表取締役を務める。

記事一覧を見る