監査法人から、起業の道へ!
社会人として挫折した私が決めたこと。
【共同創業の選択特集】第ニ弾は、強い想いを持つ人を包括的に支援する、株式会社ボーンレックスの谷川さんです。小さな頃から勉強は得意で、公認会計士試験に合格し監査法人で働く。そんな順風満帆そうに見える生活から、起業に踏み出すまでにはどんな背景があったのか。お話を伺いました。
谷川 奈実子
たにがわ なみこ|「強い想い」を実現させるための包括的支援
株式会社ボーンレックスの取締役を務める。
カッコいい女性に影響されていた子ども時代
私は親の地元である福岡県で四人姉妹の次女として生まれ、東京で育ちました。小さい頃から友達と外に遊びに行くより家で遊ぶこと、表舞台に立つより裏方でいることを好む内向的な性格でした。また、保守的な性格から、周りから反対されるようなことは決してしないようにしていましたね。一方、正義感が強く、人を傷つけるようなことはそれが誰であろうと許せないという一面もありました。
小学校1年生の時、父の仕事の都合でアメリカに渡り、私はバイオリンを始めました。女性バイオリニストを見て、単純に「カッコいい」と感じたんです。そして、将来バイオリンの先生になることを目指して本格的に練習するようになり、日本に帰国した後は、高校に音楽科のある中高一貫校に進もうと考えていました。
しかし、受験の結果は不合格。 正直、試験の前は軽い気持ちでいましたが、不合格と分かると、なぜか「私はバイオリンの道には進めないんだ」と重たく受け止めてしまい、夢を諦めてしまったんです。
そして、地元の中学校に進んでからは、テレビで見た女子バレー選手に憧れてバレーボール部に入り、同時に将来はスーツを着てハイヒールをカツカツ鳴らして歩くような「カッコいい女性」になりたいと思うようになりましたね。バイオリンも続けていたのですが、弓を折ってしまったことを機に、完全に止めることにしました。
高校は、猛勉強の末、姉から勧められた早稲田実業学校に進学しました。最初は、「男子校から共学になったばかりだから、男いっぱいいるよ」と冗談めかして紹介されたのですが(笑)、実際に学校を見に行くと雰囲気に惹かれ、「ここで高校生活を送りたい」と思うようになったんです。
高校生活は、同級生と結成した女子バンドでベースを弾いたり、地元の小学校でバレーボールのコーチをしたりと、青春を謳歌していました。そして、大学は、社会に出たら何かしら役に立ちそうな商学部に進学することにしました。
会計士への挑戦と、社会人としての挫折
大学に入ってからは、公認会計士の資格を取るために大学に通いながら資格の専門学校に通うことにしました。高校時代に税理士が話す特別授業があり、「これからは女性会計士の時代が来る」と言っていたのが頭に残っていたんです。
しかし、会計士の勉強は想像以上に大変でした。そのため、半年もすると、「私が本当にやりたいのは、監査の仕事なんかじゃない!」と言い訳をするようになり、勉強を止めてしまいました。
ただ、心の中では投げ出してしまったことを後悔していました。昔から強かった正義感は他人だけでなくて自分にも向いていて、中途半端な自分を許せなかったんです。
そんな気持ちが強くなってきて、3年生になった時に、もう一度会計士を目指し始めることにしました。 会計の仕事がしたいわけではないけど、投げ出したくはない。何の仕事をするかは、資格を取ってから考えようと決めたんです。
それからは、公認会計士試験に向けて必死に勉強しました。そして、4年生の秋に1次の短答式試験に合格し、卒業した年には2次の論文式試験を突破することができたんです。そして、紆余曲折あり、監査法人の中でも大手のデロイトトーマツ東京事務所に入ることになりました。
しかし、監査法人では周りの人が優秀すぎて、大きな挫折感を味わってしまいました。それまで、一般常識がないと馬鹿にされることもありましたが、「勉強」に関してだけは自信がありました。ところが、会社の中で私は底辺の存在。他の人ができることができない。この時、私はこの世界では通用しないんだと痛感したのです。
昔から母に「どんな分野でもいいから何かで1番になりなさい」と育てられてきた私にとって、トップになる可能性がない会計の世界には、希望を感じられませんでした。また、憧れていた「カッコいい女性」になれたはずなのに、何かが違ったんです。
そのため、転職なのか寿退社なのか分かりませんが、長くは働かないだろうと思っていましたね。
ベンチャーの世界と出会い、止まらなくなってしまったワクワク
それでも、同期や先輩や後輩には恵まれていて、楽しく過ごすことができました。周りの人がいたから頑張ることができ、喰らいつくように仕事をしていきました。また、監査という仕事をしていると、普通なら関われないような人と話ができ、なかなか見ることのできない書類に触れることができたので、仕事自体にもやりがいは感じていました。
そんな生活を送っていたある時、なぜか姉の昔からの友人と私と母と妹の4人でご飯を食べる機会がありました。その姉の友人は人との距離をぐいぐい縮めてくるタイプの人で、色々と話をしていくうちに、私は気づけば泣きながら仕事のことを話していました。
そして、しばらくしてその人が主催している勉強会に誘われました。「夢」を持つ人がそれを実現するために、お金の運用について学ぶ勉強会です。渋々その会に参加すると、次はその人自身が考えている事業での、「起業を準備する集まり」に行くことになりました。
正直、最初は足の親指を踏み入れるくらいの気持ちでしたが、行ってみると、私の想像をはるかに超えるその集まりの面白さに気づけば虜になっていました。
人々の「想いをカタチに」するための事業について熱く議論を交わすメンバーを見て、その熱量に圧倒されたんですよね。それまで形式的な会議しか参加したことのなかった私にとって、みんなで白熱した議論が行われる会議は、初めて踏み入れた世界でした。
今まで自分が見てきた世界は、いかに狭かったのか感じましたね。でも、それ以上に初めて見る世界に、どきどきが止まらなかったんです。ほぼ出来上がった仕組みを見る監査法人の仕事と違って、ゼロから作り上げていくことにワクワクしていました。また、想いを軸に資金を集める「クラウドファンディング」の仕組みも、純粋に面白いと感じました。
そこで、私もその集まりに入り、起業の準備を手伝うことにしたんです。監査法人の仕事も繁忙期で忙しかったのですが、寝る間を惜しんで準備を手伝い始めると、不思議と本業も頑張れるようになっていきました。
周りから反対されてでも進みたかった起業の道
次第に私は、このメンバーと一緒に起業したいと考えるようになっていきました。しかし、それまでの私の努力をよく知る家族には当然大反対されてしまったんです。姉にいたっては、もし私が起業を選ぶのであれば、姉がその友人との縁を切るとまで言い出しました。
それまで家族の意見を何よりも重視してきた私は、その時も家族の助言を無視できませんでした。また、当然姉と友人の仲を壊すなんて、できるはずもありません。
そこで、起業の集まりから姿を消すことにしたんです。連絡には返信をしないで無視する状態。本当は、グループから抜けることを言わなくてはと思っていましたが、「辞める」と言ってしまったら本当に全てが終わってしまうようで、言い出せなかったんです。
そんな状況が半年ほど続きました。ただ、さすがにいつまでも現実から逃げているわけにはいかなかったので、2013年の新年を迎えた時、ついに「辞める」ことを姉の友人にメールで伝えました。
すると、「そんな話メールでするなんてありえない」と突っ返され、繁忙期真っ只中の4月頃に彼と会うことになりました。 直接話をすると、私は辞めることを伝えに来ているはずなのに、彼も今勤めている会社を辞めると決めたことや、事業を立ち上げる資金の目処が立ったことを聞かされ、気づけば「創業パートナーとして、一緒に会社を立ち上げて欲しい」と言われていたんです。
他にもメンバーはいたのに、なんで私なのかと思う気持ちもありました。しかし、ずっとやりたいと思っていたことなので、そう言われて抑えていた気持ちが溢れ出てしまったんです。
また、たまたま前日には転職活動をしてみようかと、人材紹介会社に面談に行っていました。その時、「忙しくない環境で働きたい」と伝えたはずなのに、「あなたにはベンチャー企業が向いているようですね」と言われていたこともあり、これは縁だと感じたんです。
そして、私は監査法人を辞めて、共同創業者として会社を立ち上げる決心をしました。それを家族にも伝えると、あれだけ反対していた姉も、私の本気が伝わり応援すると言ってくれました。以前は、一時の感情に流されているだけなのではないかと心配し、どこまでの気持ちかを試してくれていたのだということを後々知りました。
そして、会社でも上司に退職の意向をメールで伝えました。これまで何年も積み上げてきたものを壊すのは勇気がいることで、メールの送信ボタンを押すのに丸一日かかりましたし、送った瞬間は涙が止まりませんでした。
気持ちにふたをしてしまっている人が、前に進むための手助けを
2013年10月に株式会社ボーンレックスを立ち上げてからは、強い想いを持つ人の「想い」を実現させるためのお手伝いを、多角的に行っています。具体的には、起業や新規事業立ち上げなどのサポートです。
創業当初はクラウドファンディングによって、「お金を集める仕組み」を提供していましたが、次第に支援メニューを広げていきました。そして、今では120以上のパートナーと提携し、会社の設立から資金調達、HP制作、映像制作、DTP制作、経理記帳など起業・開業をする上で必要となる分野をトータルでサポートするサービスを行っています。
周りからは、私が起業するなんて思いもしなかったと言われますし、私自身も想像していませんでした。でも、自分たちの手で事業を作っていける今の環境を選んだことに対して、私は一ミリも後悔していません。
多分、私のように何かやりたいと思っていても、自分の可能性や気持ちにふたをしてしまって、身動きが取れなくなっている人もたくさんいると思います。それでも、強い想いがあるならば一歩踏み出す勇気を持ってもらいたいです。
私自身、そうやって色々な事情がある中、勇気ある一歩を踏み出したクライアントの「想い」に動かされることが多いんですよね。その想いを感じるからこそ、「もっとよくできるのに」「いいアイディアがあるのにこのままじゃもったいない」という気持ちに突き動かされているんです。
また、事業を自らの手で作り上げることも楽しいのですが、従業員が増えるに連れて、それ以上に、経営者としての責任を強く感じるようになりました。それこそ、周囲からの反対を受けながら安定した大企業を辞め、当社に参画してくれるメンバーもいます。そういう人たちが幸せに働く会社にしていかなければと強く思いますね。また、女性の働きやすい制度作りをして、最初に自分が使うことも目標にしています(笑)。
これからも強い想いを持つクライアント、従業員を幸せにできる会社づくりの道を歩んでいきたいです。
共同創業者、室岡さんのanother life.はこちら
2015.05.28
谷川 奈実子
たにがわ なみこ|「強い想い」を実現させるための包括的支援
株式会社ボーンレックスの取締役を務める。
編集部おすすめ記事2019.10.11
編集部の伊藤です。秋は悩みの多い季節と言われます。例えば、ファッション。先週真夏日があったと思ったら、今週は台風到来と秋は天気が激しく変わるので、何を着るか悩みますよね。でも、そこで無難なファッションを選ぶと気分が上がらない。ファッションが心理状態に与える影響の大きさは様々な研究が示していますが、実はanother life.にもその実例があるんです。今回は、ファッションをきっかけに自分に自信がついた3名のストーリーをご紹介します。ぜひご覧ください。
寝たきりの17歳と社会を繋いだファッション。恩返しのためにパイオニアとして切り拓く道。
ファッションを通じて自信を取り戻してほしい!コンプレックスをチャームポイントに。
人生にBefore/Afterを!「短髪・体育会・ジャージが私服」だった私だからできること。