Made With JAPANをトロントから。
元警察官が創る、クリエイターの表現の場。

カナダのトロントを拠点に、アーティストやクリエイターによるイベント運営や企業のマーケティング支援を行う加藤さん。神奈川で警察官として勤務していた加藤さんが26歳のタイミングでカナダに渡るまでには、どのような背景があったのか。お話を伺いました。

加藤 豊紀

かとう とよのり|クリエイターの表現の場を創る
カナダのトロントを拠点に、アーティストやクリエイターによるイベント運営や企業のマーケティング支援を行うCreators' LoungeのCEOを務める。

漠然と憧れていた警察官に


私は神奈川県横浜市に生まれ育ちました。小学生から友達の紹介で野球を始めると、中学からショートを守るようになり、高校では強豪校の野球部に所属しました。しかし、「こんな人間がいるんだ」と思うほどレベルが高い学校だったこともあり、色々と考えた結果最終的には外野に転向し、なんとかレギュラーを掴むことができました。元々、自分が生き残るための道を探すようなタイプだったので、どこであれば活躍できるかを考えての選択でした。

そして、プロ野球選手とまではいかないものの、大学でも野球に打ち込みたいなと考えていたのですが、県のベスト16まで行った時に、「自分はこっちの道ではないかもしれないな」と感じる瞬間があったんです。結局、敗れた相手の学校が甲子園に進むことになったのですが、その試合で力の差を感じてしまったんですよね。挫折というよりは、自分の道でないというような感覚でした。

その後、部活を引退し将来の進路を考えると、銀行員の親の仕事のイメージから、漠然とサラリーマンの仕事は面白くないという印象がありました。そこで、スーツを着ないで働ける仕事を考えた結果、警察官にたどり着いたんです。24時間密着のドキュメンタリー番組等、メディアの影響を受けてカッコよく思えたんですよね。漠然とした気持ちではありましたが、警察官に進学する人が多い私大に進学を決めました。

大学生になってからは、それまで部活に費やしていた熱をバイトや遊びに注ぐようになっていきました。特に、高校3年生からDJをしていたため、大学でも音楽にのめり込んでいき、クラブ等で出会うような同じ趣味を持つコミュニティができることをとても楽しく感じていました。そこで社会を学び、勉強は全くしませんでしたね。(笑)

そして、大学3年生を迎えると、あまり情報のアンテナを立ててこなかったこともあり、当初の予定通り警察官を目指し、公務員試験一本に絞って望むことにしたんです。正直、クラブ仲間はいわゆる「ダメな大学生」だったこともあり、仕事はちゃんとしておこうという気持ちでしたね。

また、大学生の間にカナダを旅行で訪れたことがあり、そこで改めて日本の良さを知ったんです。そして「こんな国を守りたい」という思いもあったんですよね。

不合格ならそのまま卒業という状況でしたが、なんとか試験に合格し、大学を卒業後は警察官として働くことになりました。

留置所の本と、26歳の決断


実際に警察官として仕事を始めてみると、仕事はすごく楽しかったです。私はパトカーでの勤務が多く、パトロールや職務質問等を行っていたのですが、事件先攻の現場勤務のため、毎日忙しく働いており、社会の縮図のような現場に学びも多かったですね。決して楽な仕事ではないものの、公務員なので守られている部分も多く、自分で選んだ道だからと許容する面もありました。

また、刑事課を専攻しており、最終的には制服の警察官で終わらず、私服で捜査を行う業務に携わりたいと考えていたため、仕事にも力を入れていました。実際にパトカー勤務の成績が評価され、留置所に配属されることになったんです。留置所は刑事課に配属される前に、勉強も兼ねて配属される部署だったので、自分の目標に近づいている感覚がありましたね。

しかし一方で、数年働くうちに、組織が非常に保守的であることへの窮屈さも感じていました。自分が何か行動をしようと思った時に、成し遂げるまでの順序立てた調整がすごく大変で、個人で正義だと思っていることが、組織的にNGを受けるということもありました。

そのため、仕事が休みのタイミングには違うことに打ち込もうと、音楽関連の仕事をしている知人のボランティア等をするようになりました。元々音楽が好きだったため、「こういう方面に関わりたいな」と改めて感じるとともに、やはりその場にいることのコミュニティ感が居心地よく感じていましたね。

そんな風に仕事以外でも自分の関心のあることに動き始めた頃、留置所勤務の一環で本に目を通す時間があったんです。収監されている留置人に向けて差し入れされる本に落書き等が無いか確認する業務だったのですが、そういった環境ということもあり、グラミン銀行についての本等、社会的な意義が大きく、啓発色の強い本が多くありました。

そして、業務の一環とはいえ、それらの本を眺めていると、自分自身、「このままでいいのかな?」と考えるようになったんです。あまりにも保守的で、目的が無く感じてしまい、26歳の今から60歳までやっていけないなと感じてしまったんですよね。

そして、20代のうちに後悔せずに考えたことをやり切りたいという思いから、入社して4年目で、迷わず退職を決めました。

トロントで感じたアーティストビジネスの可能性


退職後に何をするかは決めていませんでしたが、色々と考えた結果、大学時代の影響もあり、1年間カナダにワーキングホリデーに行くことにしたんです。元々、同じカナダから帰って日本の良さを守りたいと考えたものの、中から変えることに難しさを感じたため、もう一度海外に出て日本の良さを伝える活動をしようと考えました。

そこで、まずはトロントの語学学校に通いながら、現地の音楽情報を日本に流そうと、トロントで行われていたジャズフェスティバルの情報を発信をしたり、自らもDJとして音楽イベント等を介してコミュニティに入っていきました。

しかし、実際に自分がプレイヤーとしてイベント等の場に携わってみると、顔を覚えてもらい、仕事に繋げるまでに時間もかかり、非常に大変だということが分かったんです。私以外にも、技術的には通用する感覚がありながらも、活躍の場が無い人がたくさんいたんですよね。

そこで、自分たちでコミュニティを作った方が早いんじゃないかと考えるようになり、自ら音楽のイベントを定期的に開催するようになったんです。そして、個人発信では限界もあるため、コミュニティを作り、発信を行っていきました。

すると、次第にトロントという都市自体の可能性にも惹かれ始めました。ある種ブルーオーシャン的な面も大きく、まだ全然やれることがあると感じたんです。日本でイベントの手伝いをしていた頃は競合他社ばかりだったのが、トロントではそれがかなり少なく感じたんですよね。

そんな背景から27歳のタイミングでCreators' Loungeという団体を立ち上げ、クリエイターやアーティストを抱え、本格的に組織として運営するようになりました。

Made With JAPANを海外から


Creators' Loungeは、日本から来ているワーキングホリデーの人や留学生、そして現地採用のカナダ人を含めたメンバーで構成されており、ライブミュージシャンからDJ・イラストレーターまで、一般的にアーティストと呼ばれる業種はほぼ全て含まれています。

日本人は技術力のポテンシャルがありながらも、これまでは場が無かったため、「表現する場を作る」というコンセプトの元、クラブやバーでのイベントや作品発表をパーティーに近い形で毎月運営していました。

現在はそういった場所からクライアントワークにも繋げており、カナダに展開している日本企業のプロモーション等も担っています。トロントはまだ受け皿が少ないため、私たちのような地元の会社にも大きなクライアントと仕事を出来る機会があり、紹介で繋がっていくことも多いです。今後はそういった仕事の繋がりが生まれるようなコミュニティを、より大きくしていきたいですね。

日本を拠点にせず取り組むのは、飽くまで日本が好きだからこそなので、今後も「Made With JAPAN」というテーマで、日本のコンテンツを外に発信していく役割を担う事が出来ればと思います。長期的には、他の国でも展開していけたらという思いもあります。

2015.05.16

加藤 豊紀

かとう とよのり|クリエイターの表現の場を創る
カナダのトロントを拠点に、アーティストやクリエイターによるイベント運営や企業のマーケティング支援を行うCreators' LoungeのCEOを務める。

記事一覧を見る