社外の経験から、社内の挑戦を生む架け橋に。
マーケティングのプロを目指し歩んだ一本道。
大東建託にて広告宣伝の業務に従事しながら、個人で作家としても活動しビジネス書の出版等を行う濱畠さん。「飽くまで僕の使命は会社に最大限の価値を発揮すること」と語り、社外の学びを社内の挑戦に還元していく働き方に込める思いとは?お話を伺いました。
濱畠 太
はまはた ふとし|大手建築会社の広告宣伝担当・ビジネス書作家
大東建託株式会社にて広告宣伝に携わる傍ら、個人でビジネス書作家としても活動し、『小さくても愛される会社のつくり方』 (明日香出版社)・『わさビーフしたたかに笑う。業界3位以下の会社のための商品戦略』 (明日香出版社)・『20代でつくる、感性の仕事術』 (東急エージェンシー)等の著書を有する。
沸き上がる好奇心と1社限定の就職活動
東京の自然が多く残る町に生まれ育ちました。地元の高校まで進み、将来の進路を考え始めると、ぼんやりとですが企画やマーケティングに関心を抱くようになりました。というか、それこそ幼稚園とか幼いころからその節はありました。たとえばTVを観ていても、番組そのものよりも、演出やセリフの選び方、コマーシャルの手法などを観察しているほうが面白かったんです。テレビや新聞、街中から、面白いことや新しいこと、珍しいものを発見するのが好きでした。「いつかそういう仕事をしたい」、いや、「そういう仕事なら少しは役に立てるのではないか」と思っていたんです。
また、また、自らが考えた成果を残す方法の一つとして、文章を書くことが好きでした。小学生の頃から、作文の宿題が出ると周りの生徒は嫌がる中、僕は書き始めてから10分程度で執筆をしてしまい、書いている間も全く苦痛を感じたことがありませんでした。自らの考えや思いを伝えるために、「言葉」を選んでいく作業が非常に面白く、山ほどある言葉の中から、漢字やひらがな含め、何を選ぼうか考える時間が楽しかったんですね。「自分はこういうことが得意なんだな」と感じ、将来は新聞社やTV局の記者にも憧れを抱くようになりました。
そして、文章を書くことが生業にできたらという考えから、卒業後は大学の文学部に進学を決めました。
しかし、実際に大学で授業を受けてみると、その環境での学びに違和感を感じてしまったんです。「ここで4年間やっていても、何も生まれないな」と思ってしまったんですよね。逆に、自らの関心のある分野で仕事を探し、学外でテレビ局のイベントの雑務等を手伝ってみると、そちらの方がとても充実感があったんです。
ぼんやりと抱いていたマーケティング方面への関心が、確信に変わったような気がしました。なんというかビビっときて、やはりこの環境でなら自分が一番力を発揮できるんじゃないかという思いがありました。
ただ、自らのスキルや知識不足は感じていたため、半年で大学を中退し、広報や販促の分野について学べる専門学校に進学することに決めたんです。進みたい道が決まっているんだから、迷いはありません。働き始めたとき、横並びで入社する誰よりも前に居るべきだと、当たり前のように思っていた。だから力を付ける必要があったんです。
専門学校に入学してみると、大学とは違い、業界の実情に近い部分を学ぶことが出来、基礎の知識を得ることができました。決して華やかな世界ではないことも改めて理解し、ゼロから知識を積んでいきました。
そして、2年間の授業を終えて卒業した後は、今後ITの波が来るだろうと思い、社会人としてITスキルを身につけたいと感じたこともあり、コンピューターを扱う専門学校に、もう2年通いました。
将来の活躍のために何を蓄えるのかを明確に考えて積み上げていく日々でした。
そして迎えた就職活動では、「広告宣伝」という分野はどんな会社にもあり、あまり商材にこだわりは無かったため、自分が商品やブランドを知っており、マーケティング担当として愛することができるような商品を持つ会社を受けようと決めました。
そして、1社目に話を聞いた株式会社モビリティランドという、鈴鹿サーキットの運営を行う、本田技研の子会社に入社を決めました。
話を聞く中で自分が活躍できるんじゃないかという思いを感じたこともあり、他の会社は説明会にも行かなかったんですよね。そんな風に、複数社を天秤にかけない1社だけの就職活動を経て、僕は社会人となりました。天秤に掛けている時間を、鈴鹿を知る時間に使ったのです。
33歳、「職種のプロ」になるべきと決めた転職
入社後は広報や販促に携わる部署に配属してもらい、初日から希望していた仕事に関わることができました。鈴鹿サーキットや併設するレジャー施設の広報を行ったり、オートバイレースの人気を取り戻すために世界選手権の広報に注力したり、本当に裁量を持って何でもやらせてもらえるような環境でした。
広報、販促、宣伝、マーケティングの「いろは」をたたき込まれ、「この道でなら、やれるのでは?」という、自信にもつなげることができ、本当にやりがいを感じましたね。仕事が嫌な日が一度も無く、次に何を仕掛けるかを考えるのが楽しくて仕方なかったです。
もちろんルーティン業務のように、やらされる仕事はあったものの、それだけでなく、自ら生み出して責任を負って成し遂げる業務があったことがモチベーションにつながっていました。どんな仕事も苦に感じませんでしたね。
ところが、そんな風に仕事に充実感を抱きながらも、5年目を迎えた頃から、今後のキャリアに疑問も感じ始めました。というのも、「マーケティングや広告宣伝のプロになりたい」と考えながらも、このまま業務を続けていくと、サーキットや車の業界のプロになってしまうんじゃないかという不安があったんです。
また、サーキットのある三重県を拠点に活動していたため、ぼんやりとですが、東京というビジネスの中心で働きたいという気持ちもありました。
そこで、33歳を迎えたタイミングで、東京で今とは違う商材の広告宣伝に携わろうと考え、ご縁があった柿安本店という、明治4年創業の食品メーカーに転職をすることに決めました。
ありがたいことにモビリティランドでは評価もしていただいており、周囲からは「転職するのはもったいない」と言っていただけることも多かったですが、居心地の良さは、会社を辞めない理由にはなりませんでした。つまり、転職するかしないか、それは現職の待遇がどうこうではないのです。居心地の良さは「チャレンジしない言い訳」にはなりますが、その言い訳は、僕の人生の責任を背負ってくれるわけではないのです。挑戦して失敗した後悔は小さくなっていきますが、挑戦しなかった後悔はいつまでも増大していきますから。
震災を機に抱き始めた「建物」への思い
やはり業界が変わることで得られる経験は全く異なるものでした。特に、前職はある種一人勝ち企業で自社施設にどう集客するかを考えるのがメインだったのですが、例えば、百貨店に入っている和菓子店の販促を行う場合、横に他の同業他社もいる中、目の前を通り過ぎるお客さんに選んで頂かないとお金にならないんです。
その分、食品関係特有の旬を追いかけるこだわりや、店舗のレイアウトにポップまで、老舗ながら攻めの姿勢の販促に携わることができました。1食数万円の料亭から100円の和菓子屋まで、幅広く食べ物の販促に携わり、新鮮な学びばかりでしたね。誰にとっても身近で、愛着を持ちやすい食べ物のマーケティングは本当に面白いものでした。
そんなある時、転職から4年ほど経ったタイミングで、東日本大震災が起こりました。東京にいた僕は、交通機関が麻痺した影響でその日は家に帰れず、同じように路頭に迷う人も沢山いました。また、津波で多くの方の家が流されてしまい、沢山の方が仮設の住居に住むようにもなりました。そんな状況を目にして、「人が最後に帰る場所は家だ」と感じたと同時に、それほど大切な家が「瓦礫」と呼ばれてしまう状況に、改めて衝撃を受けました。そして何より、そのように人に笑顔をもたらす、最終地点としての建物や住まい自体に関心を抱くようになったんです。
ちょうど、食品業界のマーケティングをある程度は学んだなという感覚もあり、転職エージェントのスカウトの方から話をもらっていたこともあり、他の業界で働くことを考え始めました。
そして、複数の業界から内定をいただいた中で、僕が働きたいと感じたのは、まさに建物を扱う大東建託でした。マーケティングの分野に関してはまだ伸びる余地も感じており、自分が貢献するイメージを持てたこともあり、再びビビっと来たような感覚があったんです。
39歳、2回目の転職でした。
社外の学びを、本業に活かしていく
実際に働き始めてからは、営業企画部の広告宣伝課という部署で、土地を持っている方に資産運用としてマンション経営をしてもらう事業と、そのマンションに実際に入居者の方が入っていただけるようにサポートを行う「いい部屋ネット」の事業の二つのプロモーション活動を担当するようになりました。
これまで扱ってきた商品と比べてはもちろんですが、自分が買えないほどの高価な商品を販促することは未知の領域でしたね。また、個人宅に伺う営業マンの後方支援的な販促も、これまでとは異なるものでした。
そして、僕自身に知見が無いだけでなく、会社の業績が順調に推移して来たからこそ、正直、プロモーションに関しても、ある程度のTVCMをすればある程度の成果がある、という状況だったんです。現在成果につながっているのは素晴らしいことであるものの、例えば少子化や家賃下落等、今後同じ状況が続かないかもしれないリスクの中で、現状の施策を続けていくことが本当に良いのか、というのは不安を感じていました。一度ふたを開けてみることで、しっかり分析し、ムダの無い広告施策を考える必要があると感じたんです。
そう考えた時、社内にはたくさんの「建物のプロ」はいるものの、「広告宣伝のプロ」はいないことに気づいたんです。そして、会社のためにも自分がその役割を担い価値発揮をしたいという思いから、社外に師を求め、様々な勉強の機会に飛び込んでいきました。
元々、外でコミュニティを増やそうというタイプでは無かったのですが、ちょうど、転職の直前に全く行きたくもない勉強会に連れて行かれたことがあり、そこで10人の方と接し、10個の気づきがあったんです。その時に「ああ、なんて自分は今まで損をしていたんだろう!」と感じ、それ以来、積極的に社外で学びたいと考えるようになっていたんですよね。
また、そういった行動を重ねていくと、次第に学びの場を作ることにも関心を抱くようになっていき、自らマーケティングのセミナーの主催等を行うようになりました。主催者になることで、自らが知りたいテーマのゲストを呼ぶことができましたし、周りにも喜んでもらえたんです。
そんな風に社外での活動に力を入れ、その知見を社内に反映していく努力を重ねていきました。
あくまで、会社を発展させるための個人活動
そういった活動を行っていくことで、実際に社内で話す言葉の重さが変わったような感覚があります。正直、それまでは「こうあるべきだ」という持論にすぎなかったのが、他社も含めた外部の知見を知っていることで、「こんなにも人に納得感を持っていただくことができるんだ」という驚きがありました。
またその積み重ねにより、周囲からの信頼も上がっていったような感覚があり、少しずつですが、広告宣伝に対しての考え方に問題提起が出来ているような気がします。会社を変えることはとても難しいですし、正直僕は変える力を持っていないかもしれません。ただ、外部で得た学びがその力を担い、架け橋となることで存在価値を発揮できればと考えています。
また、直近では、広告宣伝領域だけでなく、会社の働き方を変えていくことにも積極的に取り組んでおり、その1つとして書籍の執筆も行っています。
会社自体は副業禁止なのですが、個人的にそういった時代ではないと考えている部分もあり、ちょうど社外で様々な学びを得たからこそ、発信したいという思いもあったんです。
それまでは本を書くという選択肢自体思い浮かばなかったのですが、ある時、ビジネス書を読む中で、手に取った書籍の著者のうち、自分より年下の方が多いことに気づいたんです。自分自身、同じ領域でプロを目指し一本道を歩んで来て、スキルに一定の自信を持てるようになったことや、そのようなある種の劣等感に背中を押されて一気に進めていき、2年で4冊の出版を行うことが出来ました。
結果的に、社内でも副業の前例を作ることができ、小さな歩みではありますが、いつか大きな流れになっていけばと思います。
そういった形で社外で様々な機会をいただきつつも、飽くまで僕のミッションは属する会社に最大限の価値を発揮することなので、今後も、社外の経験を社内の挑戦に活かしていければと思います。
昔から、一度決めた短期目標は100%やり遂げると決めて歩んで来たので、今後もそれを続けていきたいですね。逆に、長期的には、ビジネスマンとして働ける残りの20年程で、どうやって最大限のパフォーマンスを発揮できるか、社会の動きを見据えながら考えていければと思います。
自分が目立ったり有名だったりする必要はないし、そういう事に一切の興味もありません。 ただ、身の丈より少し上のことを考えながら、 その行動によって自分、会社、周囲、社会を良くしていくだけ。 「会社や社会は、僕に何をしてくれるのか」ではなく、 「僕は、会社や社会に対して、何ができるだろうか」ということを考え行動していければと考えています。
2015.05.03
濱畠 太
はまはた ふとし|大手建築会社の広告宣伝担当・ビジネス書作家
大東建託株式会社にて広告宣伝に携わる傍ら、個人でビジネス書作家としても活動し、『小さくても愛される会社のつくり方』 (明日香出版社)・『わさビーフしたたかに笑う。業界3位以下の会社のための商品戦略』 (明日香出版社)・『20代でつくる、感性の仕事術』 (東急エージェンシー)等の著書を有する。
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