福島の警察官から、東京のタクシー運転手に。
「自由」を求めて上京、22歳で歩み始めた道。

東京都荒川区を拠点に、東京都内を主たる営業エリアとする三和交通株式会社でタクシードライバーを務める八巻さん。地元の福島県で警察官として働いていた八巻さんが、土地勘のない東京で、タクシードライバーとして働き始めるまでにはどんな背景があったのでしょうか?お話を伺いました。

八巻 幸雄

やまき ゆきお|タクシードライバー
東京都荒川区南千住を拠点に、東京都内を主たる営業エリアとする三和交通株式会社でタクシードライバーを務める。

三和交通株式会社

※この記事は、三和交通株式会社・株式会社船井総合研究所の提供でお届けしました。

高校を卒業後、憧れを抱いていた警察官に


私は福島県福島市に生まれ育ち、中学3年生の頃から漠然と警察官に憧れを抱いていました。

特に周りに警察官の知り合いがいた訳ではないものの、個人的に2回ほど自転車を盗まれた際にお世話になり、困っている中で接するうちに憧れを抱くようになったんです。ちょうど、小学生の時に『踊る大捜査線』がヒットした影響も受けていたのかもしれません。

その後、高校に進学しても警察官に対する関心は変わりませんでした。高校では部活の他に、中学の同級生が行っていたスポーツ関係のNPOの手伝いをしていたこともあり、大学に進学してスポーツ関係に携わることも考えたのですが、高校3年生の時に受けた警察官の試験に受かったこともあり、そのまま福島県警に入ることを決めました。

「警察はきついぞ」と聞いてはいたものの、合格の嬉しさもあり不安はありませんでしたね。

その後、最初の10ヶ月は警察の学校に通う生活が始まりました。元々NPOの運営の手伝いはしていたものの、高校の部活自体は体育会系でなかったこともあり、とにかく走る毎日は体力的に大変なものでした。6・7人での共同生活でしたが、すぐに辞める人もいましたね。

その後、実際に働き始めると、まずは交番勤務に携わりました。学校に通ったとはいえ、実務は初めてだったこともあり、まずは先輩について回り、一つ一つ勉強していく日々でした。

それでも、地域を巡回する中で、地元の方が一人の社会人として接して話をしていただけることは、高校を卒業したばかりの若造の私にとってはすごく嬉しかったですね。

自由の渇望と上京とタクシードライバー


その後、特別機動隊に配属が代わり、パトロールに加え、北海道の洞爺湖サミットの警備や、訓練等にもかり出されるようになりました。

そして、仕事にやりがいは感じながらも、次第に制限された生活にストレスを感じるようになっていったんです。休みの日にも何かあれば電話で呼び出され、仕事に繰り出すこともしばしば。休みの日に隣の市や県に外出するのにも申請用紙を書く必要があるような環境でした。

また、高校の時から手伝っていたスポーツ関係のNPOの大会にも顔を出せず、貯まったストレスから円形脱毛症にもかかってしまい、

「将来、このままいったらどうなるんだろう?」

という不安を感じるようになりました。他の仕事を知らないこともありましたが、このまま警察官として働くことに疑問を感じてしまったんです。「自分は自由を求めているんじゃないか?」という感覚が次第に大きくなっていきました。

その結果、3年働いた21歳のタイミングで、県警を退職することに決めました。特にその後のことは考えていなかったものの、なんとかなるだろうと楽観的ではありましたね。

そして、退職後まず初めに考えたのは、福島を出て東京に行こうということでした。

それまで制限された環境にいたことの反発もありましたし、兄が東京の大学に通っており、福島はすごく田舎だと常々言っていたこともあり、どこかで関心を持っていたんです。中学の修学旅行以来でしたが、東京で働くことに決めました。

そんな折、たまたま地元の何かの広告で、東京のタクシー会社が福島で面接をするという求人を見たんです。元々、警察でも勤務ではパトカーに乗り、プライベートでも運転が好きだったこともあり、ちょうどいいチャンスなのではないかと思い、選考を受け、東京の三和交通株式会社で働くことにしたんです。

「よし、とりあえずタクシーでやっていこう」

という気持ちでした。

新しい環境で一変した働き方


その後、タクシードライバーに必要な2種免許を福島で取得し、上京しました。

初めての東京は驚きの連続で、毎日がお祭り騒ぎでしたね。(笑)電車もバスも絶えず行き来しており、とにかく交通の便が良い。加えて人が多く物価が高く、まさに大都市という感じでした。

その後、タクシーセンターと呼ばれる機関での試験や、指導員の方を乗せた勤務を2回ほど行い、いよいよ一人での乗務を開始しました。自動車学校から試験は一発で通っており、運転自体は不安がなかったですし、警察官の仕事で、対人のコミュニケーションも特別心配はしていませんでした。しかし、上京したばかりで土地勘がないため、地理に関しては不安だらけでしたね。

実際に、最初の勤務では道が分からず覚えるのに苦しみました。いきなり1台の車の全責任を任されたような感覚があり、緊張しましたね。そして、最初はとにかくお客様に行き先やルートの詳細を伺いながら運転をすることを繰り返しました。「最近は道が分からない人が増えたね」と言われること等もありましたが、実際に走って覚えるしかないこともあり、とにかく必死でした。

しかし、そういった環境でも、仕事が終わってからは完全に自由な時間になるのが、タクシードライバーの仕事の良いところでした。仕事をきっちり行い、終わったあとは自分の自由に使える時間を作ることができたんです。警察の時のように休みに電話がかかってきて出勤をするようなこともなく、非常に開放感がありましたね。

東京で生活を始めてから、ロードバイクやスノーボードに旅行など、プライベートで新しいことを始めるようにもなりました。夜勤明けに近場でパチンコに行ってという福島の日々から生活が一変しました。

東京に来て、新しい仕事を始め、休日の過ごし方が変わり、非常に充実感を感じるようになっていきました。

感謝してもらえるような気遣いができるドライバーに


現在はタクシードライバーとして7年目を迎え、隔日勤務という、朝8時から翌朝4時まで働き、翌日は終日休みという勤務体系で働いています。

最初は苦しんでいた地理面も、今では慣れてしまい、朝は出勤利用のお客様を探すために駅から離れた住宅街を走ったり、空車時に交差点の停車タイミングを場所に合わせて調整するために、わざと回り道をしたり、お客様に乗ってもらいやすいような運転を考えられるようになってきました。何かを待つより自ら動きたい性格もあり、駅で待ったりはせず、流して運転をするスタイルで仕事をしています。

また、そうやって余裕を持って運転をすることで、起点を効かせてお客様の要望に応えるルート選びを考えることができたり、ご年配の方や病院に行かれる方など、お客様に合わせた運転を心がけたりするようにしています。

そうすることで、送り届けたお客様から感謝の言葉をいただけるのは本当に嬉しいですね。こちらがありがとうございますと言いたいのに、わざわざ丁寧に声をかけていただけることもあり、そういった時はすごくやりがいを感じます。「運転手さんのおかげで早く帰れたよ」という言葉をいただいた時は嬉しかったですね。

周りではお客様とのやりとりで苦労したという話を聞くこともありましたが、元々警官としてコミュニケーションには慣れていますし、お客様にも恵まれ、ほとんど苦労もありません。

また、運転も苦にならないですし、小さなことですが、連続で青信号が続くと気分がよいですね。(笑)

正直、収入の面では少し落ちたものの、心身ともに健康に働くことができ、自分はこういう働き方が向いているんだろうなという納得感があります。

今後も無事故無違反はもちろんのこと、お客様に感謝してもらえるようなドライバーでありたいです。

2015.04.26

八巻 幸雄

やまき ゆきお|タクシードライバー
東京都荒川区南千住を拠点に、東京都内を主たる営業エリアとする三和交通株式会社でタクシードライバーを務める。

三和交通株式会社

※この記事は、三和交通株式会社・株式会社船井総合研究所の提供でお届けしました。

記事一覧を見る