日本にいながら英語を話す機会を提供したい!
英語偏差値29からの海外への挑戦。
訪日外国人向けに「ローカル」を案内するボランティアガイドとのマッチングサービスを運営する大森さん。「日本の人にもっと海外を体験して欲しい」と語り、英語が話せるようになる重要性を語る背景には、カナダでの壮絶な体験がありました。「もともと勉強が全くできない超内向き人間だった僕だからこそ、多くの人に伝えられることがあるのではないか」と話す大森さんにお話を伺いました。
大森 峻太
おおもり しゅんた|訪日外国人向けボランティアガイドサービス運営
Japan Tour Guideの代表を務める。
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バスケット少年
僕は神奈川県で生まれました。中学校ではバスケに熱中し、勉強は全くせずテストの日の朝も公園で練習してから学校にいくほどでした。ただ、勉強をしていないと言っても授業で寝たりはせずに、ノートを取るのは好きでした。それでも、いつも成績は下から10番目くらいと、本当に勉強ができなかったんです。また、バスケはできた方なので、私生活は少し調子に乗っていましたね。そして、高校も推薦で合格し、受験勉強は一切しませんでした。
高校に入ると、バスケ部顧問の先生はとても厳しい人で、ちゃらちゃらしていたら部活に出られなくなってしまうので、いつも制服の第一ボタンまで閉めているような真面目な生活を送り、部長も務めるほどでした。
そんな生活を送っていた高校2年生の時、修学旅行でオーストラリアに行くことになりました。それまでは海外に興味などなかったし、わざわざ行く意味が分からなく、修学旅行当日の朝にお腹が痛いと言って休もうとしたほどでした。結局、親に怒られて休みはしませんでしたが。(笑)
ただ、実際に海外に行くと、それは今までにない衝撃でした。それまで、地元からもほとんど出たことがなかった僕にとって、全てのものが新鮮に映ったんです。そして、修学旅行から帰ってきて、親に一言伝えました。
「俺海外に住むから」と。
海外で何かをするという選択肢が、自分の中に生まれた瞬間でした。
海外で働くには勉強が必要だと
3年生になり大学受験の時期になると、地元の優秀選手に選出されていたこともあり、最初はバスケ推薦などで進学しようと考えていました。しかし、バスケは高校でやりきった感覚もあり、このままずっと続けるのは違うという思いもありました。
そして、海外というキーワードが頭にあったので、ニューヨークで記者として働いていた叔父に、どうやったら国際ジャーナリストになれるのか、相談してみることにしました。
すると、「その仕事に就きたいなら勉強が必要で、それが無理なら辞めた方がいい」と言われたんです。そこで、推薦の願書を出す直前で一般受験に切り替えることに決めました。
それから、人生で初めて勉強を始め、まずは自分の実力を知るため模試を受けました。すると、英語の偏差値がなんと29しかありませんでした。ただ、今まで勉強もしてなかったのでこんなものかと思ったし、29という数字がどれほど悪いのかすらよく分からず、あまり実感はありませんでした。
それから大学受験のために勉強していったものの、英語はどうにも上達せず、1年浪人したけど結局英語が足を引っ張り、志望していた大学には入れませんでした。
それが悔しくて、大学ではすぐに英会話スクールに入ることにしたんです。大学内の空いている教室で常に開催されている英会話スクールがあり、毎日通いました。それこそ、授業がない日も学校に来て英語を学んでいきました。最初は挨拶すらまともにできず、先生が何を言っているのか全く分からなかったけど、ゼロから教えてもらううちに少しずつ成長していき、楽しく過ごしていました。
そして、大学2年生の時には、カナダのトロントに語学留学に行くことにしました。
大きなトラブルを経て英語が上達
しかし、英語が上達したと言っても、現地では全く通じませんでした。ホームステイ先でも話せないし、授業では指示すら分からない、そんな状況でひどく落ち込みました。
そこで、どうせ英語がわからないのであれば、逆に「馬鹿キャラ」を確立させてしまおうと考えたんです。変に分かったふりをすると教えてもらえないので、先生にもクラスメイトにも、とにかく何でも聞くようにしました。すると、次第に面白いやつだと認識されるようになり、200人ほどいる生徒の中で、僕のことを知らない人はいないほどの状況になったんです。そのお陰で、同じ国の人同士でしかつるまないような人とも仲良くなり、世界中の人と友達になることができ、英語も上達していきました。
ただ、1番英語が伸びたのはトラブルに巻き込まれた時でした。帰国まで1週間と迫っていた時、ホームステイ先に置いてあったケーキを食べると、みるみる内に体調がおかしくなっていきました。しかし、なぜかホームステイ先は僕を見つからないように部屋に閉じ込め、誰も助けてくれず、学校の緊急連絡先に電話するも、パニックになっていたので英語と日本語が混じっているような言語で喋ってしまい、全く伝えることができません。そこで、現地に住んでいた知り合いの日本人に連絡を取ると、その人が救急車と警察を呼んでくれました。
しかし、病院についてもまずは保険のチェックや受付を済ませなければならなく、やはり自分ではどうにも状況を伝えることができませんでした。そこに救急車を呼んでくれた日本人の知り合いが駆けつけてくれ、その人が対応してくれたのでやっと診察を受けられることになりました。でも、ベッドで寝かされてから医者が来たのは、その9時間後でした。
その後、食べたケーキには法律で許可されていない薬が含まれていたことが分かりました。ホームステイ先の子どもたちの笑えないイタズラだったんです。僕は全く知らなかったので、事後警察や病院にも状況を説明をする必要がありました。ただ、事実を正確に伝えられないと逮捕される可能性もあり必死だったので、この時に英語が急激に話せるようになったんです。
体験してみないと分からない世界に踏み入れる
正直、そのことがトラウマになり、帰国後しばらくは鬱のような状態でした。そんな時、尊敬する人から、「そんな経験をした人は他にいない。他の人にはない自分だけの経験を、今後の人生にしっかり生かせよ」という言葉をかけてもらいました。それ以降気持ちが吹っ切れて立ち直ることができました。
僕がこの経験を通じて感じたのは、現地のことは実際に体験してみないと分からないこと。また、何か起こった時に英語が話せないと本当に大変だと言うことでした。
カナダの事情も知識では知っていたけど想定以上のものだったし、実際に僕のようなトラブルに巻き込まれることもある。これは、体験したから分かったんです。また、自分では救急車を呼ぶことも病院で受付することもできず、僕はたまたま現地に住んでいる日本人の知り合いがいたから助けてもらえたけど、英語が話せないことは死活問題でした。逆に、知り合いがいることがとても重要で、それは海外に行く日本人にとってだけでなく、日本に来る外国人にとっても同じことだと思ったんです。
それからは、自分で様々なことを体験していくために、海外に頻繁に行くようになり、日本では訪日外国人をサポートをする団体も立ち上げました。そして、大学卒業後は長期で海外に住もうと思っていたので、就職する気は全くありませんでした。卒業後の進路は就職や進学だけではないと、自分の体験をもって証明したかったんです。
そして卒業後は1年ほどカナダに住み、その後は世界中の友達に会いに行くために14カ国ほど旅をしました。
旅ではガイドブックに書かれている観光地にあまり興味はなく、現地の友達に地元を案内してもらい、知り合いがいない場所では現地の人に声をかけてローカルを案内してもらいました。それがものすごく楽しくて、いつかは日本でもローカルを案内するようなサービスを提供したいと考えるようになりました。
日本にいながら英語を話す機会を
そして、「旅行客にローカルを案内する」という同じ思いを持った経営者の方がスポンサーになってくれ、2014年の7月からJapan Tour Guideの活動を始め、11月にはウェブサイトをローンチしました。これは、訪日外国人と、地域を案内したり英語を使いたいと考えている日本人をマッチングするサービスです。
訪日外国人は、地元に詳しい人のガイドでローカルを知ることができます。また、留学経験者や留学を控えている日本人にとって、海外の人と英語で交流できる場は少ないので、日本にいながらそういった経験を積める場として利用してもらっています。
さらに、ウェブサイト上でマッチングするだけではなく、日本人ボランティアに街頭に立ってもらい、外国人観光客を手助けする活動もしています。それこそ、道を聞かれたり、美味しい居酒屋を教えたり、何でも対応します。ポイントは、どこかに行くときは道を教えるだけでなく、一緒に連れて行くことです。すると、その間もコミュニケーションが生まれ、仲良くなることができます。その後、一緒にカフェに行ったりと交流が生まれ、そうするとお互いが海外にいる友達をつくることができるんです。
さらに、将来的には日本の中での交流機会の提供だけでなく、やはり日本人に世界を見て欲しいので、日本人を海外に送る仕事もしていきたいと考えています。
世界中を周り、英語を使って仕事をしている現在の僕が「留学しよう!」とか言うと、最初から何でもできた人と思われるけど、僕は本当に英語も勉強も何もできないところからのスタートでした。こんな僕でもできるんだからと、多くの人が挑戦するきっかけになる人生を送っていければと思います。
2015.04.12
大森 峻太
おおもり しゅんた|訪日外国人向けボランティアガイドサービス運営
Japan Tour Guideの代表を務める。
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