気軽に思ったことを吐き出せる場所を作る!
リアルな人生が映し出されるサービス。
画像や動画を排除したテキストのみのSNSサービス「LifeCLIPS」を運営する藤田さん。憧れる人たちに影響されて起業家の道を選んだ藤田さんが、実現したい世界とは。お話を伺いました。
藤田 遼平
ふじた りょうへい|テキスト限定SNSサービスの運営
テキストに限定したSNSサービス「LifeCLIPS」を運営する株式会社iDEAKITTの代表取締役社長を務める。
職人への憧れを持つ
私は東京で三男として生まれました。2人の兄とは5歳以上離れていて、どちらも有名な私立の学校に通っていました。小さな頃からその姿を見ていたので、自分も当然同じ学校に進むと思っており、小学校低学年から塾に通っていました。
しかし、中学受験ではその学校はおろか、どこにも受かりませんでした。自分なりに目標に向かって努力したにも関わらず、結果が出なかったこの経験から、兄や周りの優秀な友人達に対し強烈な劣等感を感じてしまいました。
そして、勉強するのが嫌になり、クラシックギター・剣道・バスケ等、心の趣くまま好きなことに取り組みました。ただ、中学受験の時のように何か大きな目標に向かって取り組むわけでもなく、何をしてもどこか虚しさを感じていました。
中学3年になると、このまま勉強を疎かにすることは問題だと焦り始め、高校受験の為に個人経営の小さな数学塾に通い始めました。
その塾の先生はカリスマ的な人で、いわゆる「変わっている人」でした。人には言えないような非常に過激な発言もありましたし、1問の問題に対して5時間以上生徒に考えさせ続けることもありました。生徒がスランプに陥ったりすると、諦めないことの大切さを訴える「釣り人のドキュメンタリー映画」を見せて、人生とはどんなものか教えてくれたりもしました。生徒は全員、彼を信頼していたんです。
私は小さい頃から、職人への憧れがあって、先生の頑固だけど思いやりのある職人気質なところに惹かれ、数学自体にのめり込んでいきました。すると成績も急激に伸びていき、高校受験では数学以外の勉強はほとんどしていなかったものの、早稲田実業高等学校に合格することができたのです。この時、「好きこそ物の上手なれ」ということを、身を以て体験しました。
起業家の生き方への憧れ
せっかく努力して入った高校ですが、入学してからは遊ぶ楽しさを知ってしまい、勉強せずに遊んでばかりで・・・そのまま早稲田大学に内部進学しました。
入学後は兄が昔働いていたレンタカー屋で深夜アルバイトを始めたのですが、そこにいた先輩達は、非常に魅力的でした。兄や先輩の世代は、ライブドアの堀江さんやサイバーエージェントの藤田さんなど若い起業家が世間に注目されており、学生起業が盛んな時期に学生生活を送っていました。
その為、その先輩達も起業家精神に溢れていて、とにかく刺激的だったんです。私はその生き方に強く憧れ、自分も起業したいと思うようになっていきました。先輩から関わっているプロジェクトの話や就職の話を聞いたり、起業家の自伝を読んだり、様々な企業でインターンシップをしたりと、同世代と比べて背伸びして様々な経験を積んでいきました。
先輩の起業を手伝い、それなりの利益を出す事業の運営に携わったこともありました。しかし、ビジネスモデル自体にあまり魅力を感じず、いくらお金を稼げても、そのまま続けることに疑問を感じ始めておりました。
就職活動の時期が来ると、そのビジネスを続けるか就職するかで迷いましたが、「大企業の中を知ることができるのは、今だけだ」と思い就職する道を選びました。また父は大企業で長年勤めていた人で、純粋にその世界に興味もあったんですよね。そして、大学卒業後は日本IBMに就職することにしました。ただ、起業したいという気持ちは変わっていなかったので、1社に勤め続けるとは思っていませんでしたね。
一緒にいて幸せを感じる仲間たち
入社時は、学生時代に色々経験していたので、よく言えば尖っている、悪く言えば天狗になっている状態でしたが、その自信は一瞬で叩き潰されました。周りの同期も先輩達も非常に優秀でした。また想像以上に上下関係が厳しい環境ですぐに自分の角は取れていきましたね。(笑)
順調に社会人生活を送り始めたのですが、その年の夏頃、兄が会社の仲間と起業の準備をしていると知りました。
初めてメンバーに会った時のことは鮮明に記憶に残りました。全員仕事終わりに待ち合わせたのですが、スーツではなくTシャツに短パン姿の人がいたのです。他の人も全員私服で、「この格好で仕事していいんだ」と堅い企業にいた自分にとっては衝撃でした。
そして仕事終わりに、彼らのミーティングによく参加させてもらうようになり、ご飯を食べながらのことも多かったのですが、とにかく彼らとの食事は美味しく感じました。例えそれが数百円のファーストフードであっても。
それまで、会社の上司やお客さんに高価な食事に連れて行ってもらうこともあったのですが、食事の美味しさは値段じゃないと実感しましたね。この時、この人たちと一緒に仕事をすることが、私にとっての幸せだと確信し、 「IBMを辞めるので、この起業の仲間に入れて欲しい」と頼んだのです。
そして、2008年3月、IBMを辞めて「Orinoco」の創業に参画しました。
私は思い立ったら動かずにはいられないタイプなので、1年で大企業から転職することに不安はありませんでしたね。不安よりも彼らと一緒に働ける喜びの方が、余程大きかったです。
意外に縛られて生きていた事実に気づく
そして、まずは電子書籍のプラットフォーム事業を始めました。アメリカで電子書籍用のタブレットが販売され始め、日本でもその波が来ると考えていたのです。しかし、タブレットどころかスマートフォンも普及していなかったこともあり、手軽に電子書籍を閲覧する手段がほとんどなく、うまくいきませんでした。
その後も、音楽を配信できるアーティスト向けのサービスを立ち上げましたが、どれもあまりうまくいかず、3年程は苦しい期間を過ごしました。
しかし、「Peatix(ピーティックス)」と言う、イベント管理・チケット販売のサービスを始めると、今までのサービスとは全く違った反応が返ってきて、急激に会社が成長していきました。
そのようなスタートアップでの激動の生活の中、自分の価値観を揺るがす大きな出来事がありました。それは2011年3月の東日本大震災でした。
私の周りでは、避難するため東京を離れて地方や海外に行く人も何人かいましたが、私は東京から離れる決断ができませんでした。人生のほとんどを東京で過ごした私は、東京以外で生活する自分を想像できなかったのです。そんな自分に対してふいに焦りを感じました。
元々何かに縛られて生きるのは嫌な性格で、実際自由奔放に生きてきたと思いますが、生活する場所に選択肢がなかったのです。想像以上に「東京」という土地に縛られていたのです。
そして、付き合っていた彼女が、その年の夏に大学院進学のために留学することが決まったこともあり、これはいい機会だと、私も仕事を辞めて一緒にニューヨークに行くことに決めました。Peatixのチームは会議中に突然英語で会話が始まることもあり、それまでも英語力の必要性を痛感していたことも大きかったですね。
起業するのに最適なタイミングだと感じる
ニューヨークでは会計とUXデザインを大学で学ぶ傍ら、色々な人に会うため、ニューヨークで活躍する日本人を紹介するWEBメディアを立ち上げ、インタビューをしていました。
初めて海外に住むことで、日本がいかに住みやすい国か実感できましたね。日本の道はゴミが落ちていなくて綺麗だし、家から出ようとして突然ドアノブが外れるようなことも起きないですから。
一方で、ニューヨークはインフラは日本ほど整っていないけれど、それでも世界中から人が集まるその理由は、住む人たちが持つ魅力だと実感することができました。会う人がみな夢を持って生きていて、夢を持つ人が集まっていることがニューヨークを魅力的な町にしているんだと。
印象的だったのは、34歳で「医者を目指している」と話すトルコ人でした。日本で考えれば医者として現場に立つのには10年はかかり、その年齢から目指すのは現実的ではないと笑われるかもしれませんが、彼は本気でした。その姿を見て、ニューヨークは日本よりもみんな夢を持って生きていると感じたし、自分の持つ常識なんて一歩外の世界に出たら常識でも何でもないと気づけましたね。
その後2年程暮らし、日本に帰国することが決まりました。帰国後の仕事を考える中、いくつかのオファーをもらってはいましたが、昔から夢見ていた起業をするには今が一番のタイミングだと思い、帰国後は独立することにしました。
そして、どんな事業に取り組むかを人に相談していく中で、昔流行っていた「mixi日記」の世界観が面白かったという話になりました。大学生時代にmixi日記は全盛期で、日常で面白かったことやふざけた話を綴る人もいれば、一変、真面目な話を書く人もたくさんいました。その世界は、Twitterのように140文字の制限はないし、Facebookのように「誰かの目を過剰に気にした世界」でもなく、人がその時感じたことが自由に書かれた、面白いコンテンツで溢れていました。
そこで、もう一度その世界観を体現できるようなサービスを作ることに決めました。
脳内によぎる想いがそのまま映し出される世界を
そして、2014年1月から「LifeCLIPS」のテストを始め、11月に正式にサービスを公開しました。LifeCLIPSは、画像や動画を排除して、テキストのみで繋がるSNSサービスです。正直なところ、最初は軽い気持ちで始めたのですが、実際にサービスのことを考えれば考える程、「テキストのみ」であることの可能性を感じるようになっていきました。
実は、どんな事業をするか考えている時は、技術先行のサービスを始めようかと考えていました。ただ、私はテクノロジーが好きですし、便利だと思うのですが、全ての領域で技術進歩の方向に進むことが人間にとって幸せかというと、メリットだけではないのです。パソコンが普及して漢字を書けなくなった人が増えたように、技術が進めば進むほど、人間ができることは狭まっていくような気がしていました。
今の時代だからこそ、あえて技術ではなく、人間らしさを追求するサービスが求められていると。その点、テキストは画像や動画のように、クリックひとつで加工できるものではないので、それぞれの人の個性が如実に現れる、人間らしい表現方法なのです。
また、FacebookだとSNS上の繋がりに利害関係もあって、思ったことを素直に書けない時もあるし、ブログは始めるまでの敷居が高く、続けていく上高いモチベーションが必要になり気軽さにかける。Twitterは140字という文字制限があり、文章を短くするために余計な言葉や感情を排除する必要がある。
現状だと、生活の中でふと感じたことを、何の気兼ねもなく吐き出せる場所がなく、それは少し苦しい。そこでLifeCLIPSは、気軽にその時々に思ったことをそのまま書き出してもらう場所を目指しています。そのため、書き手がいかにストレスなく感じたことを言葉で表現できるかどうかに重きを置いています。
一般の人たちのリアルな考え方や日常が溜まっていくと、それが結局は一番面白いコンテンツの集まりになっていくと考えています。
今後は、その書かれた内容で人が繋がるコミュニティを作っていきたいです。ある種バーに似ている空間で、オープンな場所で隣の人とバーテンダーの会話内容が聞こえてきて、その内容に興味があったら話に入って繋がる、そんなイメージです。肩書きをきっかけに繋がるのではなく、本音をきっかけに繋がっていく世界です。
学生時代から自分は誰かに憧れる事がエンジンになり、様々な選択をしてきましたが、今は誰かへの憧れというよりは、文章というコンテンツスタイルが産み出す可能性を追求していくことが私の原動力なので、LifeCLIPSに全身全霊を捧げていきたいと思います。
2015.03.29
藤田 遼平
ふじた りょうへい|テキスト限定SNSサービスの運営
テキストに限定したSNSサービス「LifeCLIPS」を運営する株式会社iDEAKITTの代表取締役社長を務める。
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