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消防士・競技選手・学生起業を経て気づいた軸。
数々の事業立ち上げに関わり、現在はスマホ向け販促プラットフォームの運営を行う安藤さん。高校卒業後、消防士・オリンピックを目指すアスリートを経て学生起業家となった安藤さんが、様々な環境を経て見いだしたご自身の軸とは?お話を伺いました。
安藤 祐輔
あんどう ゆうすけ|スマホ向け販促プラットフォーム運営
スマホ向け販促プラットフォーム「flipdesk(フリップデスク)」を運営する、
株式会社Socketの代表取締役を務める。
株式会社Socket
flipdesk
エスカレーター進学をせず、高卒で消防士に
長崎県に生まれ、転勤の多い父の影響で、福岡・兵庫・岡山・大阪・東京と、
小学生になるまでに、年に1回は引っ越しをするという環境で育ちました。
物心つく位から、家を転々としているような状況だったため、
人と仲良くなるのは早く、良くしゃべる社交的な性格でした。
逆に、1年程しか滞在しないという繰り返しなので、
1ヶ月くらいで仲良くならないと、もったいないんです。
肌感覚で持っている一つのコミュニティへの所属期間も、その中での判断にかける時間も、非常に短いものでした。
その後、小学校4年生からはカリフォルニアのサンディエゴにも3年間移住し、
中学2年生からは、吉祥寺にある成蹊大学の付属中学校に入学しました。
さすがに、友達と離れて海外に行くことには抵抗がありましたが、
いざ行ってみると慣れてしまい、なんとかなりましたね。
その後、中学校では部活で柔道に打ち込むようになりました。
最初はぼんやりと、「男だから喧嘩は強いほうがいい、空手部がないから柔道部にしよう」という程度だったのですが、
学校自体、都内ではわりと強かったこともあり、中高とどんどんのめり込んでいきました。
漠然とですが、将来は、柔道の道場主でもできたらなあ、と考えていました。
しかし、先輩や自分たちの代は比較的強かったものの、それでも都大会ではベスト8という成績。
自分が負けた相手も全国大会では勝てず、その上にはさらに大学生がいて、講道館杯があり、
柔道で食べていけるような、オリンピックのレベルには届かないと感じてしまったんです。
「このまま柔道をやっていても、趣味にしかならないな」
と感じました。
そう考え始めてからは、付属校ではあったものの、大学に行く意味も見いだせなくなってしまいました。
大学の柔道部の方とも練習をしていたこともあり、柔道に打ち込むだけの大学生活のイメージが湧いてしまったんです。
また、私立校に通わせてもらっていることもあり、お金のことを気にしながら学校に行くのも何か違和感がありました。
そこで、色々考えた結果、これまでの経験を活かし、意味のある仕事をしようと考え、
高校を卒業後は消防士になることに決めました。
ただ、周りから反対を受けることは分かっていたので、
勝手に参考書を買い、試験に受かってから親や先生に報告したんです。
付属校ということもあり、大学に行かず就職する学生は7年ぶりということで、
報告した時は母親も担任も泣いていましたが、結果的にはなんとか背中を押してもらえることになりました。
そんな苦労はあったものの、最初の半年通う消防学校は、部活の延長のような感覚で余裕を持って過ごすことが出来ました。
周囲は大卒が多いものの、自分は直前まで部活漬けで体力もありましたし、
外出に許可がいるような不自由な環境でも、部活の寮とさほど変わらなかったんです。
新しい環境に、比較的スムーズになれていくことができました。
再びキャリアを描き直す、次の目標は北京五輪!
しかし、実際に署に配属されてからは、想定以上にきつい日々が待っていました。
仕事やトレーニングに対し、体力的な面は全く問題ないものの、
平均年齢が高く、ある種徒弟制のような文化を持つ組織の中で、
可愛がってもらいながらも、閉鎖的な狭い「社会」での立ち回りに気を使う日々が続きました。
また、夜勤が続き生活のリズムはぐちゃぐちゃで、
1年ほど働くと、なんとなく自分の将来のキャリアも見えてしまったような気がしたんです。
特に現場の仕事にはやりがいを感じ、表彰をいただくほど評価もしてもらっていましたが、
何歳になったらどの役職に就き、その後どんな風に結婚して、休日は何をして…と考えていくと、
毎日が灰色に写るような感覚があったんですよね。
そこで、仕事の内容への関心から、救急隊に所属を変えることも検討したのですが、
大きな社会意義を持った仕事である反面、寿命が縮んでしまう印象もあり、
色々考えた結果、僕は消防士を辞め、大学に進学することに決めました。
消防署内の閉鎖的な社会に対しての反動から、色々な人と関わりたいという気持ちがありましたし、
もう一度キャリアを描き直そうと考えていたので、高校時代には感じなかった意味を見いだしていたんです。
そして、3年間勤務した後、筑波大学の体育専門学群に入学しました。
大学に入ってからもスポーツに関わりたいという気持ちは変わらず、
大学から始めても勝負でき、様々な人と関われるトライアスロンを始めることにしました。
実際に入学してからは、消防士時代と比べてあまりに休みが多いことに戸惑いましたが、
すぐにトライアスロンにのめり込む日々が始まりました。
というのも、元々柔道部から消防士という経歴のため、まずは筋肉を落とすためにランニングだけしていたのですが、
その一環で初めて出場した筑波のマラソン大会で、2時間44分のタイムを記録し、
自分は持久力系のスポーツと相性がいいんじゃないか、と感じるようになったんですよね。
関わる人の幅を広げる、という目的で大学に進学したものの、
一度始めると没頭する性格もあり、大学3年になってからは、一度大学を休学し、
有名な指導者の方のもと、トライアスロンで北京オリンピックを目指すことに決めたんです。
「君は元気があるから、会社をやってみれば?」
しかし、オリンピックに向け、本気で練習に励んでいた矢先、靭帯の怪我をしてしまったんです。
それからは半年走れないような日々が続き、第一線で競技を行うことが難しい状況に陥ってしまいました。
休学までして打ち込んでいた分、目標を失ってからは路頭に迷ってしまいました。
本当に、「どうしようか・・・」という感じでした。
復学してからも、周りの学生が就職活動に励む中、僕はぼーっとすごしており、
周りから言われて、4年生の秋にやっと就職活動を始めるというような調子でした。
それでも、大手の事業会社やベンチャー企業から内定をいただくことができ、卒業後は企業で働こうと考えていました。
しかし、卒業を控えたある時、学生の友人数名と、ある経営者の方に会う機会があり、
そこで、「君は元気があるから、会社をやってみれば?」と、出資の話をいただいたんです。
これには本当に驚きました。
大学時代は競技に没頭していた分「こんな話あるんだ!」と新鮮な嬉しさがありました。
正直、会社といっても何をするか決まっていなかったのですが、
その経営者の方のアドバイスもあり、体育会の学生の新卒紹介を始めることにしたんです。
最初は、その事業で立てた売上を他のメンバーが考えたイベント等の事業に回していたのですが、
結局、他のメンバーは卒業のタイミングで就職してしまい、
大学卒業後は、自ら仕切り直し、再スタートを切ることになりました。
所謂社会人としての常識など教わったことが無かったので、
名刺交換からメールのやりとり、提案資料まで、全て見よう見まねでしたが、
なんとか事業は軌道にのっていき、体育会学生特化型の求人メディアとして、
最終的には体育会学生の人口のうち、約7割を網羅するような規模にまで成長させることができました。
最初は、周りの学生の役に立ち、お金も貰えるのであればいいなという感じでしたが、
社員も25名まで増え、更なる展開のために、新規事業の準備も始めていきました。
新規事業の立ち上げを繰り返す日々
しかし、そんな折、取り組んでいた事業を東証一部の企業に売却することになりました。
そして、僕が始めようとしていた新規事業は売却の対象にならなかったため、
事業や組織の引き継ぎ等を終えてからは、再び独立し、学生に向けた新しい事業を行う会社を立ち上げることにしたんです。
そのまま売却先の企業で同じ事業に携わるという選択肢もありましたが、
事業自体、市場のアッパーを抑えている感覚がありましたし、新しいニーズが見えていたことも次の独立への動機となりました。
ところが、いざ会社を立ち上げ、初めてのクライアントとの契約を終えた直後、
リーマンショックの影響で、事業が全く立ち行かなくなってしまったんです。
元々、学生のデータベースに企業がマーケティングを行うようなビジネスだったため、
不景気下での影響を真っ先にうけやすく、苦しい日々が続きました。
すると、トライアスロン関係のつながりで面識をもっていた、ケンコーコムの社長からうちにこないか、と拾ってもらったんです。
元々、最初の会社の新規事業の一環で、Eコマースに携わっていたこともあり、
社内の商品部として、Eコマースの運用を行う部署に採用していただきました。
実際に働き始めてからは、なんだか商売の根っこに携わっているような感覚があり、
非常に楽しかったですね。
特に、それまでは求人メディアという業態上、広告を出稿してもらうこと自体は成果ではないことに、
ぼんやりとした違和感があったんです。
しかし、Eコマースでは、お客さんから注文が来て、それに対し商品を発送して、と価値が明確で、
非常に相性の良さも感じました。
その後は、新規事業に携わるプロジェクトを幅広くこなすリベロのような働き方をしていました。
元々、叩き上げの事業家のようなキャリアだったことに加え、
そのように0から1を生み出すことに多面的に関わる機会をいただいたことで、
事業のアイデアは数多く生まれ、同社を退職後は中国でのEコマース支援を行うベンチャーの立ち上げを行い、
黒字転換後は、仲間と日本で新しいベンチャー、Socketを立ち上げました。
生涯事業作りを続けたい
そんな風に、様々な新規事業の立ち上げに携わってみて気づいたのは、
自分は、人が抱える課題やニーズが目につきやすいタイプだということでした。
しかし、その中でも、自ら事業として取り組もうと思うのは、
自らの知見があり、やっていて楽しいと思える分野だということも、
同時に段々とわかってきました。
そんな志向性もあってか、Socketを立ち上げてからも、複数の事業を走らせ、
売却をして新しい事業を始めて、ということをしてきました。
ただ、直近では腰を据えてEコマースのサービスに一本に打ち込んでいます。
というのも、初めて会社を起こして以来、長らくEコマースに関わっていますが、
もう20年来、Eコマース事業者は、売上が上がらないという悩みを抱え続けています。
特に、直近ではスマートフォン経由での購買が増えたことで、利用シーンや利用者層が変わりながらも、
事業者の方はその流れについていけていないのが現状。
また、データの重要性が謳われ、様々なデータを取得しながらも、
それらが散在し、統合して管理・活用することができていない状況にも置かれています。
そこで、これらの2点の解決のために、
現在はflipdesk(フリップデスク)というスマホ向け販促プラットフォームを運営しています。
flipdeskでは、タグ一つで販促に必要な情報を取得し、
スマートフォンに適した形式で、購入者に情報を提供することが可能になり、
結果的に、一番課題とされている売上の向上に繋げることができるんです。
これまで、環境やテーマを変えながら、数々の事業に関わってきましたが、
今は、この事業に全てを注ぐべく、人も資金も巻き込んで進めていきたいですね。
そして、これから先の将来もずっと事業構築に携わっていきたいなという気持ちがあります。
これまでの経験から、ビジネスの発射確度を決めるために必要なことは身に付いて来た感覚がありますし、
そこに大きなやりがいも感じています。
だからこそ、大きな資本のバックアップのもと、ひたすら事業構築をするような環境にも身を置いてみたいですし、
個人的にうなぎが好きなので、うなぎ屋をやってみたいという気持ちもあります。(笑)
消防士・アスリートを経てビジネスの分野に流れ着きましたが、
自分が好きで、成果を出せる領域を見つけた感覚があるので、
これからも、この分野でどんどん事業作りに携わっていきたいですね。
2015.03.25
安藤 祐輔
あんどう ゆうすけ|スマホ向け販促プラットフォーム運営
スマホ向け販促プラットフォーム「flipdesk(フリップデスク)」を運営する、
株式会社Socketの代表取締役を務める。
株式会社Socket
flipdesk
編集部おすすめ記事2019.10.11
編集部の伊藤です。秋は悩みの多い季節と言われます。例えば、ファッション。先週真夏日があったと思ったら、今週は台風到来と秋は天気が激しく変わるので、何を着るか悩みますよね。でも、そこで無難なファッションを選ぶと気分が上がらない。ファッションが心理状態に与える影響の大きさは様々な研究が示していますが、実はanother life.にもその実例があるんです。今回は、ファッションをきっかけに自分に自信がついた3名のストーリーをご紹介します。ぜひご覧ください。
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