営業マンに寄り添った成長サポートを!
諦めの悪かった私の人生。

マンツーマン、かつ1年以上の長期的な営業マン育成事業を提供する大山さん。「営業の天才じゃなかった自分でも結果を出せるようになったからこそ、すぐに諦めないで欲しい」と語る背景には、保険の営業マンとして2年以上売れなかった苦悩の経験がありました。諦めずに続けたからこそ見えた世界を知っている、大山さんの話を伺いました。

大山 元彦

おおやま もとひこ|営業マン育成
「人と企業に寄り添い、人と企業の成長と発展に貢献する」と経営理念を掲げ、 営業マンの育成を行う株式会社ライフスタイルコンシェルジュの代表取締役社長を務める。

逃げっぱなしの人生でいいのだろうか?


私は茨城県で生まれました。何をやっても長続きしない性格で、その時々の流行に乗って、サッカー、バスケットボール、バレーボールと様々な種目を始めましたが、部活のしごきが怖いとか、辛いのが嫌だとか言って、すぐにやめてしまいました。高校生の時にボクシングも始めましたが、練習が大変で、すぐに行けなくなりました。

卒業後は、都会への憧れが強くて上京。カッコつけてファッションの専門学校に行きながら、口先では「プロボクサーになる」と言っていました。しかし、専門卒業後は、就職したいと思えるカッコいい会社がなく、結局ファッションとは関係ないアルバイトを始めてフリーター生活を送りました。上辺だけの人間で、言い訳をして逃げてばかり、そんな性格でしたね。

23歳の時、さすがに親に「いつまでもボクシングをやってないで、就職しなさい」と言われてしまいました。この時、ボクシングジムにもちゃんと行っていなかったので、就職をしようかと思いました。

しかし、思い返してみると、今までの人生は全部逃げっぱなし。「また逃げるのか?」と頭によぎった時、ここで逃げたら一生負け犬の人生を送るような気がしたんです。そこで、何か1つくらい根性出してやってみようと、本気でボクシングと向き合うことにしたんです。

それからは今まで逃げていた練習にも出て、必死にプロを目指し始めました。そして25歳のときに、ジムの会長から「そろそろプロテストを受けてもいいんじゃないか」と言われました。

ボクシングのプロテストは、ジムからの推薦がないと受けられないので、この言葉は、実質プロと同程度の実力が付いてきたと認められた意味がありました。努力が報われた感覚がありましたね。

結局、プロテストは不合格でしたが、自分の中にはやりきった感覚がありました。そこでボクシングには区切りをつけ、次は仕事で目一杯挑戦しようと思い、大手通信会社に契約社員として就職することにしました。

ヘッドハンティングされるも、役員面接で不採用


それまでも契約社員で営業をして成果を出していたので、自分は営業に向いていると思っていました。実際、新たな就職先でも新規事業の営業を担当すると3ヶ月で全国1位になり、すぐに8人の部下を持ちながら自分の数字も管理するような立場になりました。本当に営業は得意だったので、努力している感覚はありませんでした。

このままいけば正社員にもなれるだろうと思っていた時、保険会社のプルデンシャル生命からヘッドハンティングの電話が来ました。その会社を知らなかったので先輩に相談すると、外資系の有名な会社で、普通は入りたくても入れないような会社だと教えてもらいました。

外資系という華やかな響きに惹かれて、転職を決意しました。営業には自信があったので、不安なんてありませんでしたね。

ところが、役員面接で不採用になってしまったんです。正直、面接の時の役員の迫力は凄まじく、自分自身の人間としての小ささを見抜かれていたのだろうなと、不採用に納得感はありました。

しかし、そう思ったからこそ、絶対に諦めたくないという気持ちが湧いてきて、ヘッドハントしてくれた人に、もう一度チャンスがほしいと懇願したんです。すると、数日後に「課題をクリアできたら考えます」と言われました。

課せられた宿題は、1週間の間、毎日新規の飛び込み営業をして10枚の名刺を集めることと、自己啓発本を1冊読んで感想文を書くこと。その成果物を、月曜日に持ってきてくださいと言われました。

飛び込み営業は慣れていたので、毎日10枚、5日で50枚集めるのはさほど苦でもなく、読書感想文と一緒に事務所に届けに行きました。

すると、持っていった課題には見向きもせず、「また来週の月曜日までに同じ課題をやってください」と言われてしまったんです。

「忙しい」と、やりたくない理由を探しているだけ


翌月曜日に課題を持っていったのですが、同じことをまた言われ、そんなことが1ヵ月程続きました。その間も通信会社での仕事は続けていて、毎日夜10時頃まで働き、その後に飛び込み営業に行くのはしんどくなっていきました。

そこで、ついにしびれを切らせて、「いつまで続ければいいんですか?」と言ってしまったんです。すると一言、「嫌なら止めていいですよ」と。

私は慌てて嫌だと思っているわけではないこと、ただ仕事もあって大変な自分の状況を伝えました。しかし、返された言葉には、頭をガツンと叩かれたような衝撃を受けました。

「10時に新宿で仕事が終わった時、空を見上げてください。新宿ならその時間でも電気が付いているビルがたくさんあるはずです。そして、終電までの2時間あれば10枚の名刺を集めることなんてできますよね。結局、あなたはできない理由、やらなくていい理由を並べているだけなんです。」

自分とは、考え方が違う。この言葉が悔しくてたまらなかったので、その後も課題をやり続けることにしました。

毎週「また月曜日に来てください」と言われる日々が続きましたが、それでも絶対に諦めたくなかったので、止めようとは思いませんでした。いつまで続くかは分かりませんでしたが、ずっと続けようと。

しかし、3ヶ月ほど経ったある時、いつもの様に課題を届けに行くと、「ちょっと待っててください」と、いつもと違う対応をされたんです。そして突然支社長が現れて、「よく頑張ったね、来月からよろしく」と言われ、入社が決定したんです。

その瞬間、嬉しくて涙が止まりませんでしたね。そして、早く見返したい気持ちもあり、最初から全力で仕事に打ち込むようになりました。

自分は人に支えられて生きているという気づき


ところが、結果は全く出ませんでした。数ヶ月経っても契約はゼロ。努力もしたし、教えられた通り売っているけど、鳴かず飛ばず。上司からのプレッシャーも強く、売れないなら辞めた方がいいとも言われました。

でも、私は諦められなかったんです。絶対に負けたくないと。ストレス解消のためにお酒に頼り、肝臓を悪くして入院をした時でさえも、一日も早く現場に戻りたいと思っていたほどでした。

それでも2年間は全く結果が出ませんでした。生命保険の営業は人脈が勝負で、プルデンシャル生命では大学生時代に確固たる人脈を獲得している体育会の営業マンを多く採用しているのですが、私は田舎から出てきた人間で、そんな人脈はありませんでした。それも見越し、苦労するのは私だと会社は分かっていたので、一番最初は不採用になった一面もあったんです。

しかし、3年目に1人の社長と出会ってから、私の運命は変わりました。ある時、自宅の引っ越しをすることになり、電話帳で見つけた引っ越し業者に連絡をしました。

すると、その窓口の人は非常に丁寧で気持ちがよく、引っ越し自体も快適に済ませることができました。その時に、スタッフの人に社長さんはどんな人なのか聞くと、「とても人がいいんです」と言われ、後日その社長に電話をかけてみることにしたんです。

気持ちの良い引っ越しができたことへの感謝の気持を伝え、御礼のために、自分が唯一できることである「保険の話」をさせて欲しいとお願いしたんです。もちろん最初は断られたのですが、「絶対に聞いてよかったと思える話をします」と30分程粘ると、ついに先方が折れて、会いにいけることになったんです。

すると、その社長にも、その奥さんにも気に入ってもらうことができ、そこから親交が生まれていきました。そして、保険の営業で困っていることを話すと、20人ほどの方を紹介してもらうことができたんです。それも「大山君から連絡が行くと伝えてあるからね」と。

自分を信頼してくれたことに、感謝をしてもしきれなかったですね。「君と会って保険へのイメージが変わったし、彼らにも君と会って欲しいから紹介するんだ」と言われ、絶対にこの信頼を裏切ってはならないと誓いました。

自分は人に助けてもらって生きてること、人への感謝を忘れてはならないことを、心から学べた出来事でした。

人を育てることが自分の天職


それからは、営業の成績は順調でした。すぐに支社で表彰もされ、支社史上最高の売上を達成したり、全社でも表彰されたりと、様々な成果を上げることができたんです。

しかし、10年以上会社で働き続けると、短い期間で辞めてしまう人もたくさん見てきました。結果が出ずに、自信を失って悪循環に入って辞めてしまう。もちろん営業ですから、成果が出せなくて辞めて行くのは仕方ないことかもしれませんが、彼らの成長のためにできることがもっとあったんじゃないかと。

できる限りのアドバイスをしてはいるものの、日中はみんな外に出払い会社に帰ってくるのは深夜なので、そこまでのフォローはできませんでした。現場ではなく、育てる側のポジションに異動する話をもらうこともありましたが、会社の目指す人材成長の方向性と、自分が目指す教育の方向性には合わない部分もありました。

ただ、私自身、結果が出なくて苦労していた時期が長かったので、辞めていく人を見るのは辛かったし、痛いほど気持ちが伝わってきたんです。

最初から売れたわけではない自分だからこそ、伝えられることがあるんじゃないか。人を育てることが、私の天職なのではないか、そんなことを考えるようになりました。

そして、2013年、12年働いたプルデンシャル生命を辞め、営業マンを育てるための会社を興すことに決めたんです。

初めてのことなので、うまくいくか不安はありました。しかし、自分の中に芽生えた志、天職を全うするためには挑戦するしかなかったんです。

個人に寄り添った営業マン育成


今は、会社を立ち上げ、マンツーマンで行う長期間の営業マン育成事業を提供しています。会社の社長や上司と、それぞれの営業マンをどのように育てたいか話し合い、それに沿って営業マンが成長できるようなサポートをしています。

営業マンと言っても、一人ひとりで個性は違います。だからこそ、家族のように寄り添ってサポートすることを意識していて、最初の一斉研修以外は基本的にはマンツーマンで行い、期間も基本は1年以上となります。

私自身、プルデンシャル生命では寝食共にした上司がいて、その方から人としての心構えや、営業マンとしての考え方などを学ぶことができました。ただ、それはたまたま私がその人の下につけたから学べたことですが、誰につくかで変わってしまうし、忙しい会社では上司とそのような関係を築けないこともあります。

だからこそ、自分が受けたような個人に寄り添ったサポートを、私の会社で提供したいと考えているんです。営業マンとして何よりも大切なことは、人格と心を高めることだと思っています。人格と心が高まることによって、物事への考え方が変わります。そして、全てのことに対して今よりもっと真剣に考えて行動する習慣を身に付けることが大事だと、私は考えています。

各人と毎週2時間の打ち合わせを行い、彼らの考え方が少しずつ変わっていき、成果も出て自信を持つようになっていくの見られるのは嬉しいですね。

事業を始めて1年半程経ち、お客様や紹介してくれる人のおかげさまで、会社を継続することができました。今後は、私の志に共感してくれる人に、社員として入ってきて欲しいですね。同じような志を持ち、営業マンを育てたいと考えている人と、より多くの人に価値を提供していけたらと思います。

営業マンが変わり、自信を持ち挑戦する人が増えることで、社会はもっと明るくなると思うんです。そして、願わくば志を持って起業する人が増えて欲しいですね。

その一端に自分が関われることが、私にとって何よりも喜びです。

2015.03.17

インタビュー・執筆 | 島田 龍男

大山 元彦

おおやま もとひこ|営業マン育成
「人と企業に寄り添い、人と企業の成長と発展に貢献する」と経営理念を掲げ、 営業マンの育成を行う株式会社ライフスタイルコンシェルジュの代表取締役社長を務める。

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