人工湿地で水を綺麗にし、雇用の創出を!
音楽・福祉・研究から繋がるカンボジア支援。

環境にやさしい排水処理システム「人工湿地」の普及を通じて「カンボジアに雇用を生み出したい」と話す横田さん。「普通になる」という夢を24歳で諦めてから、音楽家として活動を続け様々な仕事を経験してきたことが、「今に繋がっている」と。そんな横田さんの歩みを伺いました。

横田 岳史

よこた たかし|人工湿地の普及・シンガーソングライター
環境保全型人工湿地を普及する株式会社リードネットの代表取締役を務める。

【クラウドファンディングに挑戦中!】カンボジアの水を環境保全型人工湿地できれいにしたい 

「普通になる」ことが夢


私は埼玉で生まれました。
ただ、父が転勤族だったので神奈川、長崎、大阪と、様々な土地で暮らしていき、
中学生の頃から茨城で落ち着くようになりました。

3年生の文化祭でバンドを始めて以降、ヘビーメタル音楽にのめり込んでいきました。
高校2年生の時にバンドは解散しますが、プログレッシブ音楽から始まり様々なジャンルの音楽を聴くようになり、
次第に自分のオリジナル曲を作るようになりました。

ただ、将来の夢は音楽家ではなく、「普通の人」になることでした。
昔から自分の意見をはっきりと言うし、空気を読まずに発言するタイプだったので、
周りから「変わっている」と言われることが多く、コンプレックスを感じていたんです。
そのため、将来は「普通になりたい」と思い、良い大学を卒業して大きな企業で勤めるのが夢でした。

そして一浪の末早稲田大学に入学し、1年目の冬休みに「サラリーマンになるなら営業だろう」と考え、
子ども向け学習教材の訪問営業アルバイトを始めました。

初めて飛び込んだ家では、運良く教材を買ってもらうことができたのですが、
その家庭の事情は複雑で知的障害を持った子どももいて、決して裕福とは思えない環境でした。
私はその家庭に60万円もする教材を販売しましたが、
「これを売ることで、彼らにとって何のプラスになるのか?」と罪悪感しかありませんでした。

それ以降1ヶ月近く1件も契約が取れず、やはり働くのは向いていないと思いアルバイトも辞めることにしました。

その後、母方の家系が教師一家だったこともあり教員免許を取り、
教育実習に行った高校から誘いがあり、卒業後は教師になることが決まっていました。
しかし、その学校の方針は合わないと感じていたので、卒業せずに留年することにしたんです。
働きたくないから留年するという、ひどく自分勝手な選択でした。

自分の理想とする音楽を完成させる


大学卒業後は、ずっと続けていた音楽の道に進むことにしました。
意思や思いを言葉にするのが苦手でしたが、音楽は唯一自分を表現できる場だったんです。

この選択は、私にとっては「普通になる」という夢を諦めるのと同じ意味がありました。
サラリーマンも教師も無理だったので、自分には向いていないと思い、
これからは時間に縛られない生き方をしようと、腕時計も捨てました。


そして作詞作曲家になるため、打ち込みなどを使って1人で音楽を作りながら、アルバイトをする生活が始まりました。
「自分の理想とする音楽」を完成できればレコード会社にも認めてもらえると思っていたので、焦りはなかったですね。

ただ、理想の音楽を生み出すためには、まずは人間づくりをしなければと思っていたので、
音楽作りに没頭するのではなく、演劇を見たり小説を読んだり、短歌や俳句を書いたりと、感性を磨く期間と捉えていました。
4年程そんな生活を送り、納得のいく音楽を作れるようになってからはレコード会社に音源を送り始めましたが、
全くかすりもしませんでした。

そんな時、知人の紹介で、北海道に拠点を置いている著名な音楽家に会いに行く機会があり、音源を聞いてもらいました。
すると、「作詞作曲家を目指しているのに、君しか歌えないような曲を作っているよね」と指摘されたんです。

この言葉にハッとさせられました。
確かに、思いを込めて作っていたけど、自分にしか分からないような言葉や音楽を使っていたと気づいたんです、
音楽は聴いただけで分かるものでなければいけなかったと。

この人の元で音楽を勉強したいし、久しぶりに人と一緒に音楽に触れたことで、誰かと一緒に音楽をやりたいと思うようになりました。
そこで、北海道に移住することに決めたんです。

北海道で音楽活動と福祉に携わる生活


北海道では音楽を続けながら、生活もあるので一旦就職することにしました。
しかし、32歳で正社員歴のない私を雇ってくれる会社はほとんどありませんでした。
その中で、知的障害者向けの介護施設の面接でギターが弾けると話したら、採用してもらうことができました。
まだ住む場所も決まっていませんでしたが、その施設で住みながら働けばいいと。

それから半年程はその施設に利用者と同じように住みながら働いたので、施設における課題も気づくことができました。
施設はスタッフにとっては職場ですが、利用者にとっては生活の場で、
思った以上に「仕事場感」を感じると利用者がリラックスできないんです。
私自身、休日に仕事の空気が伝わると、どことなく疲れてしまうような感覚がありました。

そんなことを感じながら、得意の音楽を用いて地域の障害を持つ人たちを集めた音楽療法等もするようになり、楽しく働いていました。
しかし、施設の納得できない部分などを、ストレートに言いすぎていたこともあり、1年半程でクビになってしまいました。
この時、やっぱり自分は社会人に向いていないと感じましたね。

ただ、その後すぐに、自閉症の人向けの作業所とグループホームの運営を任せてもらうことになったんです。
経験のない自分がいきなり運営の立場なんて、最初は利用者やその家族にも不安がられましたが、
音楽や動画などを使った新しい取り組みを行っていくことで、すぐに打ち解けていきました。
運営の立場なので、浮かんだアイディアはすぐに実行できるので、これは向いている仕事だと思いましたね。

一方、音楽も集ったメンバーとライブ中心の活動を送っていました。
そして、39歳の時、ついにCDデビューが決まりました。
元々はメジャーレーベルから出す話もあったのですが、意見の食い違いもあったので、
師匠が北海道から音楽を発信したいと作った事務所からデビューしました。
念願の夢が叶ったのはやっぱり嬉しかったですね。

環境保全型人工湿地と関わるようになる


CDを出してからは音楽活動が忙しくなりました。
そして、福祉の仕事でミスをするようになり、音楽活動と平行して続けるのは迷惑をかけてしまうので、
仕事は辞めることにしたんです。

その後、音楽活動中心の生活をしている時、ホームページを制作して欲しいという依頼がありました。
パソコンは元々得意で、以前から似たような依頼はありました。
この時に頼んできたのは、環境にやさしい廃水処理を行う「環境保全型人工湿地」の研究所でしたが、
制作費は捻出できないので、代わりに研究所で雇ってもらうことになったんです。

最初はその技術に興味はありませんでした。
しかし、研究の一環で酪農家に会いに行くと、大きな費用がかかる前時代的な排水処理技術が使われていて、
それが酪農家の首を絞めている現状を目の当たりにしたんです。
それに比べて、人工湿地は低コストで環境にも優しかったので、
私には研究する力はないけど、この技術を多くの人に伝えたいと考え、仕事にのめり込むようになりました。

研究者はみんな超エリートで、世間からは少し変わっていると言われる人が多かったのですが、
私は福祉施設で働き色々な人と接していたからか、周りの人に「一緒に仕事がしやすい」と言ってもらえました。

また、この仕事を始めた頃からカンボジアの孤児院と関わるようになりました。
カンボジアの子どもたちが日本に来ていて、バーベキューをするからギターを弾きに来ないかと誘われたんです。

そこから交流が始まり、今度はその孤児院のホームページを作るため私もカンボジアに行くことになり、
その後も年に数回は交流をするようになりました。

カンボジアで人工湿地産業を興し、雇用を生み出す


カンボジアとの関わりが増えていくと、徐々に課題も見えてきました。
孤児院にいれば生活できるので、出て行きたがらない子もいて、逆に子どもたちの自立を阻害している一面もあったんです。
そこには国として雇用の問題があるのは分かっていましたが、私にはどうすることもできないなと思っていました。

しかしある時、自分にはこの人工湿地の知識があり、これを使えばカンボジアに雇用が生み出せると気づいたんです。

アンコールワットのあるシュリムアップは、水の汚染が深刻な問題となっています。
カンボジア人は動物性たんぱく質の70%を淡水魚から摂取しているので、水質汚染はカンボジア人自身の身体を汚染することになります。
下水処理システムを作る計画もありますが、それでも下水発生量の半分にも満たない量しか浄化できないのです。

そこで、中心地から少し離れた郊外で環境保全型人工湿地を取り入れ、
都市部の下水処理システム整備の補完とする形で、川や湖の汚染を食い止める計画を立てました。

この人工湿地は、電力をほとんど利用しないので理論的には実践可能ですし、
大掛かりなインフラ整備を必要としないので、一箇所で実現できれば他の場所に展開することもできます。
最初は技術を伝えていく必要がありますが、じきに現地の人に手渡すことで産業を興し、雇用を生めたらと思っています。

そして、今はその実証実験をするため、クラウドファンディングで資金を集めています。
この人工湿地は日本では実績があるものの、カンボジアでは実績がないので、現地の水道局とも打ち合わせを重ね、
小学校や病院などの公共施設に「トイレ+環境保全型人工湿地」をパッケージ化して提供することに決まりました。
人工湿地がカンボジアの気候でも機能するのかといった点だけでなく、
「ポンプが盗まれてしまうのではないか」といったリスクも把握し、このパッケージを様々な場所に提供していければと思います。

今までやってきたことは、全部繋がって今があると感じます。
音楽、福祉の仕事、環境保全型人工湿地の研究など、全て繋がっていき、
カンボジアで何かできることがないかと考えた時、自分にはできることがあったんです。

今も、日本での人工湿地の普及、カンボジアへの人工湿地の輸出、音楽活動と様々取り組んでいますが、
やりたいことを軸に生きているこの人生が、将来的にはまた何かに繋がるのではと思います。

2015.03.07

横田 岳史

よこた たかし|人工湿地の普及・シンガーソングライター
環境保全型人工湿地を普及する株式会社リードネットの代表取締役を務める。

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