決められたレールを外れて見えたもの。
地方の若者に社会との繋がりを。

インターネットを利用した事業、ネットショップ事業に関心を持つ若者を対象に教育事業の運営に携わる後藤さん。「30歳までに年収1000万円」というリアルな目標を持っていたという学生時代から、東京のITベンチャーでの躍進を経て、故郷岐阜に戻った理由とはどんなものだったのか、お話を伺いました。

後藤 征太郎

ごとう せいたろう|EC事業・教育事業運営
現在、岐阜で超実践型「ビジネスプロデューサー」養成講座等を開催し、若者と地域の活性化に尽力している。

第一の挫折


僕は岐阜県で生まれました。
実家は、お正月には親戚が何十人も集まるような、地元では有名な家でした。

親戚たちは、皆、県内でも良い高校へ行き、しっかりとした大学へ進んで、
大手の会社に勤めていたり、自分で会社を経営していたり、
中には今流行りの自動車を設計した人もいて、エリートばかりでしたね。

そんな中で育ち、小さい頃から何か褒められる際には、いつも親の力だと言われていたので、
自分の存在も人生も、すべてが親のおかげという感覚がありました。
実際に、僕が生きているのも、学校に行けるのも親がいるからなので、ありがたいとは思っていたものの、
その反面、自分自身の頑張りを認めてほしいという思いがあり、できる限りの反発をしていました。

そんな僕は、高校生の頃から、「30歳までに年収1000万円以上」という目標を持つようになりました。

そして、将来は獣医師になりたいと考えるようになったんです。
小さい頃からペットを飼っていましたし、
実家では競走馬の所有や、犬のブリーディングをしていたので、動物を見ることも触れ合うことも大好きでした。
何より、獣医師は儲かるんじゃないかなと、なんとなく思っていたんですよね。

そこで、高校卒業後は、地元の国公立大学の獣医学部を受験したのですが、結果は不合格だったんです。
やってしまったと思いましたし、僕の人生にとって初めての挫折でした。

新しい選択


一方で、いくつか受験していた私立大学は合格していましたが、別の手段で未来を切り開くと心に決め、
大学は諦めて上京しようと考えました。

小さい頃から家を出たいと思っていましたし、稼ぐためには岐阜にいてはだめだ、
都会に出ないといけないと感じたんです。
そのため、両親に上京したいという旨を伝えたのですが、当然のごとく猛反対されました。
しかし数ヵ月後、祖父の最期に残してくれた言葉により上京することになりました。

明確な目的が無く上京したのもあり、
日雇いの仕事や、1日3時間程度のアルバイトといった絵にかいたようなプー太郎生活を送ってましたね。

当然ですが生活はとても苦しく、財布の中に10円すら入っていないなんて時もあり、
もやし1袋を買って、3回に分けて食べるといったような生活でした。

そこで、なんとか極貧生活にピリオドを打つべく、夜の仕事を始め、
ある程度資金ができたところで、流行っていた裏原ブランドの転売事業を開始しました。
これが上手くいき、すぐに収益を上げることができて同世代の子より確実に稼ぐことに成功したんです。

さらに上へ行きたい


そんな生活を送っていた時、
当時付き合っていた彼女と結婚を考えるようになり、まともな職に就かないとと考えました。

そこで、これからはITだなと勝手に思い込んでいたのもあり、
パソコンを使う仕事を探し、何の会社か知らないまま、某IT企業のカスタマーサポートにアルバイトとして入りました。

会社に入り給料はメチャクチャ減りましたが、
ITバブルだった時代背景もあり、ここで力をつけることができれば成功できると確信していたので、
減った分のお給料は、“成功への授業料”くらいに考えていました。

アルバイト入社だったため、他の人の何倍も仕事をし、2年目で正社員になることができ、
正社員になっってからは、様々な部署を回り沢山の経験をさせていただきました。

この経験を基に、次なるチャレンジをと退職を考えていたところ、
グループ会社にいた先輩からお誘いを受け、御法度でしたが、グループ会社間での転職をしました。

また、転職した先の会社では、副業が認められていたので、副業も始めることにしたんです。

これからの世代に、外の世界と接する機会を


副業開始して2年が経った頃、副業での収入が多くなってきたので、
東京で副業としてやっていたコンサルティングと、ネットショップ関連の事業を興しました。
ここでの事業は、今まで培ってきた知識や人脈が非常に役に立ち順調に成長しましたね。

そんな時、東京での仕事が忙しい中、用事があって岐阜に帰ることがあったんですが、
久しぶりに帰った岐阜の街は、人がおらず、あまりにも酷い状況でした。

そのような状況を見て、ふと見かけた岐阜の若者達は何をして楽しんでいるんだろう?と感じたんです。
そんな事を1日中考えるようになり、もっと外の世界を見せてあげたいと思うようになりました。

そう思った理由の一つは、
僕が東京で仕事をしてみて、自分が知らなかったこと、初めて経験することが数えきれないほどありました。
そして、東京の学生は、生活の中で企業や社会人と関わる機会があり、色んな職種があることを知っています。
それに対し田舎の学生は、ほとんどそういう機会が無くて、親の仕事さえも詳しく知らない状況なんですよね。
調査してみると、近年岐阜県では県内就職率が高い水準を推移していて、
ほとんどの若者が広い選択範囲の中で仕事を選ぶ事ができず、就職してしまう状況でした。

僕は、この状況を目の当たりにして、若者に多くのチャンスに触れてほしいと感じ、何かできないかと考えました。
そして間もなく、岐阜に引っ越す決心をし、岐阜を拠点としたビジネスと、岐阜と名古屋で若者向けの起業塾を始めたんです。

若者も、地域も、盛り上げたい


起業塾を始めてから間もなく、塾生達がセミナーや交流会を企画するようになったり、
成長している様子が分かることが、非常に嬉しいですね。

また、大学を辞めてして起業すると言い出したりして、さすがにこれは引き止めました。(笑)

最近では、岐阜に留まらず、
職業訓練でネットショップ事業のノウハウについて教えるというような動きもありますし、
大学などでもこういった授業をやってみたらと打診をいただくことが増えました。

僕自身がたくさんの遠回りをして、ようやくお金を稼げるようになっていますが、
人生なんてもっと上手く進んでいく方法があると思います。
将来有望な若者が不必要な失敗をしたり、視野が狭いことで、未来を諦めるのはもったいないと感じるんです。
だから若者達には、僕の経験や知識を使って上手く進んでいってほしいんですよね。

そして、もっと欲を持ってほしいと感じます。
例えば、今の若者達は、車なんていらないという意見が多いですが、
スーパーカーなどにもっと憧れてほしいと思うんです。
あれが欲しい、これがしたいという思いを持つようになれば、
お金や時間に欲張りになって、いつもの仕事ももっと頑張ろうと思えるはずなんですよね。

そうしていけば、若者がもっと意欲的に動き、自ら頑張って働こうと思えるような社会になっていくんじゃないかなと思います。

一方で、僕自身はこれまで培ったものを活かして、廃れていく地域を活性化させる事業をやっていこうと考えています。
岐阜や名古屋では、インターネットで欲しい情報を検索しても、検索結果は乏しいですし、
関西にしても情報があるのは大阪だけで、まだまだ京都や神戸の情報にしてもインターネット上に少ないと思うんです。

そして、将来的には、これからの若者たちが人生を上手く進んでいける社会と、
地方が仲間外れになっていないネット社会にしていきたいですね。

2015.03.02

後藤 征太郎

ごとう せいたろう|EC事業・教育事業運営
現在、岐阜で超実践型「ビジネスプロデューサー」養成講座等を開催し、若者と地域の活性化に尽力している。

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