2020年、鬼ごっこがオリンピック種目に!?
地域や家族の絆が深まる社会への挑戦。
「スポーツ鬼ごっこ」を普及させ、いずれはオリンピック種目も目指したいと話し、「鬼ゴッターポーズ」で笑顔を見せる平峯さん。大学卒業後は統一地方選を経て政治家になりたいと考えていた平峯さんが鬼ごっこを仕事にするに至った背景とは?
平峯 佑志
ひらみね ゆうし|「スポーツ鬼ごっこ」の普及活動
「スポーツ鬼ごっこ」のイベント企画・運営を行う一般社団法人鬼ごっこ協会、国際スポーツ鬼ごっこ連盟事務局長を務める。
一般社団法人 鬼ごっこ協会
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学歴なんて関係ない、やりたいことをやっていいんだ
鹿児島県に生まれ、神奈川県大和市で育ちました。
元々、安定志向の性格だったため、高校生の頃から公務員になることを意識しており、
高校を卒業後は浪人生活を経て、日大の法学部政経学科に進学しました。
大学に入ってからは、元の性格に2浪という学歴コンプレックスを挽回したいという思いが加わり、
公務員を目指すようになりました。
そこで、公務員志望者が集まるゼミに入ったり、ダブルスクールをしたり、
とにかく勉強に打ち込む日々を過ごしました。
そんな中、大学3年生になり、周りが就職活動を始めると、僕はそもそも就職する気はなかったのですが、
社会見学でいろんな人の話を聞くのもいいかなと、友人と就活イベントや経営者に会いに行くようになりました。
そこで、ある居酒屋を経営するベンチャー社長と出会い、
自身の学歴等を気にせず、好きなことに好きなように取り組む社長の話を聞いて、
「自分もやりたいことをやっていいんだな」と思うようになったんです。
元々、誰もが認めてくれることをしたいという価値観が強く、
他者の目線や評価でしか、物事を見ていませんでした。
しかし、その社長と話す中で、初めて自分の考えを肯定してもらえたり、受け入れてもらえる経験をして、
もっと自分の気持ちに素直になって、自分から何か社会に発信していきたいと考えるようになったんです。
家族や地域の幸せに貢献したい
そんな出会いの後、初めて自分は何がしたいかを考えると、
「家族や地域の幸せに貢献したい」という言葉が浮かびました。
というのも、幼少期の頃、両親が地域の活動に積極的に参加していて、
自分も、その活動を通して出会ったお兄さんやお姉さんによく遊んでもらっていたんですよね。
だから、自分にとって地域や家族への取り組みは、当たり前のように身近にあったものでしたし、
自分が大人になった今、恩返しをしたいという感覚もありました。
そこで、まずは子供が喜び家族の絆を深めるものという観点から
おもちゃのメーカーを起業しようと考えました。
ただ、起業の知識は全くなかったので、
商工会議所が開催している創業塾に通い、松下政経塾の若手向けプログラムにも参加を決めました。
また、起業準備の目的で、家族や地域の実態を知るために、コミュニティ施設や子育て支援センター、
障害児保育施設などへ足を運ぶようになりました。
すると、自ら現場を周る中で、親子関係や地域間でのコミュニケーションが希薄化していることを問題に感じるようになったんです。
そして、段々「おもちゃ」を通じた解決手段よりも、
社会の仕組み自体を変える方が影響力も大きいし、近道なのではないかと考えるようになったんです。
周りの仲間から刺激を受けたのも一つの要素となっていました。
それからは、議員インターンシップに参加したり、地元の自治会の手伝いをしたり、
市民活動にも積極的に携わるようになりました。
そして、大学を卒業後の4月に控えた統一地方選挙に向けて、出馬の準備を行い始めました。
しかし、実際に政治に携わる活動をしていくにつれて、
「社会経験もない25歳では、何も出来ないんじゃないか」
という周囲の声に、自分自身も迷いが生じてしまい、
自らの進む道を迷うようになりました。
鬼ごっこに出会い、楽しさに魅了されていく。
そんな時、突然に祖母が亡くなりました。
突然のことでしたが、自分の祖父母の中でも最後に亡くなった祖母の死に立ち会い、
悲しみと共に感じたのは、「家族のつながりの大切さ」でした。
祖母がいたから親や自分が存在するということを、改めて感じたんです。
この出来事から、やっぱり自分は「家族のつながりを深めることを仕事にしていきたい」という気持ちが一層強くなっていきました。
それでもまだ、政治家を目指す自分にモヤモヤしていると、
たまたま松下政経塾で出会った友人に、鬼ごっこのイベントに誘ってもらったんです。
気晴らしになるかな…と、リフレッシュの意味も込めて参加をしてみることにしました。
当日は代々木公園で、初対面の人がほとんどという状況で鬼ごっこをしたのですが、
これが、すごく楽しかったんです。
初めまして同士なのに、鬼ごっこをしているうちに親近感が湧いて
すぐに仲良くなれちゃって。
ちょうど、主催者から「スポーツ鬼ごっこを一緒に普及させていかないか?」と誘ってもらったこともあり、
純粋に楽しさに惹かれ、その取り組みに関わっていくことに決めました。
同時に、地方選への出馬は見送ることに決めたんです。
それからは、20代の同世代10名程度で構成されたチームで夜な夜な集まり、
アイディアを出し合いながら大会やイベントを企画する日々を送りました。
そして、鬼ごっこ協会が設立後、初めてのイベントは、
代表のつながりでご縁のあった津久井城(神奈川県相模原市)を舞台に、
戦国時代をモチーフにした鬼ごっこイベントを行うことになりました。
初イベントということもあり、メンバー総出で、イベントを地域の方に認知してもらうために、
必死にチラシ配りや小学校へ飛び込み訪問するなど、一生懸命に集客活動を行いました。
その甲斐もあって、イベント当日は、200人もの人が集まり、
大盛り上がりのうち大成功を収めることができたんです。
また、このイベント活動は、日本青年会議所で高く評価されて
「人間力大賞」という名誉ある賞をいただけたり
そのことがきっかけで、鬼ごっこの活動が全国へ広がっていくきっかけにもなりました。
とはいえ、協会メンバー内では、鬼ごっこ一本で食べていけるとは誰も思っておらず、
資金集めとして、web制作の仕事を受けながら、協会の運営をしていました。
「スポーツ鬼ごっこ」をオリンピック種目に
そんな調子で活動を続けていたある時、東日本大震災が起こりました。
その日は、ちょうど事務所が移転する5日前でした。
地震が発生してからは、電気もつながらず周辺住民の方と連携をとって助け合うこと必要で、
改めて地域のつながりの大切さが身に染みた経験となりました。
また、震災以降、全国からのお問合せがものすごく増えたんです。
鬼ごっこなら高齢の方でも子供も一緒にできますし、
お金もかからない、場所も選ばないですからね。
このお問合せの多さから、協会メンバー一同、
鬼ごっこがもたらす意味や影響力の大きさを痛感し、
一層、社会のために運営していこうと強い使命感を抱くようになりました。
そうして、鬼ごっこ一筋にしぼって価値を磨いていこうと、日々邁進するようになったんです。
みなさんも昔、鬼ごっこの経験があるかもしれませんが、
私たちが普及している「スポーツ鬼ごっこ」のルールは少し違うんです。
コートをドッチボールのように半分に割り、各面に”宝”を置きます。
7対7のチーム編成で、敵の陣地に入り鬼につかまらないように宝にタッチして得点を競うスポーツなんです。
現在、全国に800人の審判員がいて、
子供向けには、小学校の授業や学童などで利用されていますし、
大人も、各種イベントでご参加いただけます。
最近では、企業とのタイアップにもチャレンジしていて
鬼ごっこの活動の幅は、どんどん広がっています。
また、スポーツ鬼ごっこには、日本代表選手もいるんですよ。
東京オリンピックの新しいデモンストレーション競技として”スポーツ鬼ごっこ”が採用されることを目標に頑張っています。
そんな風に、将来は、スポーツ鬼ごっこを「老若男女誰もが取り組める世界のスポーツにしたい」と考えています。
また、僕個人としては、協会での鬼ごっこ普及活動を通して、
家族や地域間の絆が深まったり、みんなで助け合えたり、
相互を大切に思えるような社会を築いていきたいと考えています。
2015.03.01
平峯 佑志
ひらみね ゆうし|「スポーツ鬼ごっこ」の普及活動
「スポーツ鬼ごっこ」のイベント企画・運営を行う一般社団法人鬼ごっこ協会、国際スポーツ鬼ごっこ連盟事務局長を務める。
一般社団法人 鬼ごっこ協会
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