浮気調査=離婚じゃないんです!
私が、人の気持ちに寄り添う探偵になった理由。
日本最大級の探偵事務所の経営を行う宗万さん。幼いころから人一倍自立心が強く、自分で何かをやりたいと考えていたと話します。多くの仕事や専業主婦を経て、「お客様に寄り添う探偵業」というお仕事にたどり着くまでには、どのような背景があったのでしょうか?
宗万 真弓
そうまん まゆみ|探偵事務所経営
探偵・調査業を運営する株式会社MRの代表取締役を務める。
総合探偵社・興信所MR
孤独だった幼少期
私は東京都に生まれ、両親は商売をしている家庭でした。
そのため両親はいつも忙しく働いており、
私は4歳のころから親戚の家に預けられて育ちました。
一番甘えたい時期なのに、両親に会えるのは週に1回程度しかなかったんです。
そんな家庭環境の中で育ち、寂しさと同時に、
「自分は周りの子とは違うんだな」
という思いを幼心に抱いていました。
その後、小学校にあがったころからは、両親と一緒に暮らせるようになったのですが、
両親が帰ってくるのは夜中の1時や2時。
階段の音で目が覚めることもしょっちゅうでしたね。
なかなか一緒に過ごせる時間がなく、遊びに行きたいと、だだをこねたりもしていました。
また、うちの両親がこんなにも忙しく働いているのは、お金がないからなのかな、
とも考えるようになり、お金を稼ぐってことは大切なことなんだと、
漠然と考えるようにもなりました。
そのような背景もあり、10代の頃から、仕事をして自立したい、という思いでいっぱいで、
アルバイトもたくさんしました。
初めてのバイトは時給500円の喫茶店でした。
そのお店で一生懸命働いて、お金をためて13万円のバイクを買ったんです。
もう本当に嬉しかったですね。
この喫茶店のバイトから始まり、その後たくさんの仕事をしましたが、
うまくいかない仕事も数多く、10代は挫折の繰り返しでした。
それでも、どんなに失敗をしても常に前向きに目の前ことに一生懸命でした。
専業主婦から、経営者へ
その後、様々な仕事を経て22歳で結婚をしました。
そして2人の子どもにも恵まれ、憧れていた専業主婦になりました。
安定して幸せな日々だったので、ずっとこのまま専業主婦でいようと思っていましたね。
しかし、毎日を家庭で過ごす中で、自分は専業主婦が向いてないなと思い始めたんです。
毎日時間を持て余してしまい、もったいないなって。
そのうち、やっぱり私は仕事がしたいと思って、子どもが保育園に行くようになってからはパートを始めました。
しかし、そこでも、何か合わないなと感じてしまったんです。
今まで様々な仕事をしてきて自分の好きなようにしてきたので、
こうしなければならないという型にはまっていることに、違和感を感じたんですよね。
そこで、パートを辞めて、不動産会社で営業として働くことにしました。
子育てをしながら働くということもあり、多忙な日々でしたが、
その職場で業績一位を獲得することが出来たんです。
その経験は自信にもつながり、だんだんと自分で何か商売をしたいという気持ちが強まっていきました。
何か自分でできるかもしれないという、気持ちが湧いてきたんですよね。
そんな考えから、30歳になった時、初めて自ら飲食店を開業しました。
自分で何かをやりたいという思いがやっと形になり、毎日が楽しくて充実感でいっぱいでした。
とはいえやはり、初めての経営ということであまり知識もなく、経営するということの難しさにも直面しました。
楽しいこともあるけれど、それだけではだめなんだと痛感し、挫折感を味わいましたね。
結局、いろいろな苦労があり、結局この飲食店は1年半でお店をたたむことになりました。
また、お店をたたんだ後、32歳で離婚も経験しました。
私を変えた「探偵」のチラシ
その後は少し仕事を休んでいたのですが、再婚の機会に恵まれ、
また何かに挑戦したいという気持ちを抱くようになりました。
その後、生活が落ち着いてきた頃に、たまたま家のポストに探偵事務所のチラシが入っているのを見つけたんです。
最初は何気なく、手元に置いておいたのですが、
しばらくすると、また別の探偵事務所のチラシが届いたんです。
そこで、こんなに需要があるのかと思い、探偵という職業に関心を抱くようになりました。
というのも実は昔、私の後輩に心の病にかかった知人がおり、
それを知った私は、どうにか力になれないか考え、ずっと相談にのっていたことがありました。
すると、最終的にその子が元気になり、すごく感謝をしてくれたんですよね。
それがとても嬉しくて、もしかすると、自分にはこういうことが向いているのかもしれないと考えるようになったんです。
私自身、家庭環境が複雑で悩んでいたからこそ、分かる部分もあると感じたし、
人の悩みを手伝うことで、誰かに貢献ができればいいな、と思い始めました。
そこで、実際に探偵学校に通ってみることにしたんです。
そして、1ヶ月程学校に通い、張り込みや尾行の仕方などを習ったものの、
これが思っていたよりもなかなか難しかったですね。
そして、探偵学校を卒業してからは、株式会社MRという名前で、すぐに探偵事務所を開業し、
まずは事務所自体を知っていただこうと、初めはビラ配りから始めました。
ところが、なかなか上手くはいかず、最初の電話が鳴るまでは半年もかかりました。
待ちに待った初めての電話だったので、かかってきた時はすごく嬉しかったですね。
しかし、その最初の1本目は受注に繋げられなかったんです。
そこで、次の電話を受けた時は、もう一度、一生懸命その問題に向き合い、
一緒に解決していこうと意気込んで応対をしました。
その後は、調査をして、カウンセリングをして、となるべくお客様の要望に応えられるよう、
丁寧に向き合うことを心がけ続けました。
来られる方の中には5時間も相談をするなど、
人生の岐路に立たれている方もたくさんいらっしゃいました。
それでも、最初に相談に来た時と、報告の時の顔が変わって行くのを見ていると、
本当に寄り添っていて良かったなと感じましたし、
やってきたことは間違いではなかったと思えたんです。
通常、探偵業は調査をメインとした仕事ですが、
私の場合は、お客様の要望に沿おうとしていくうちに相談の分量が増えていき、
非常に丁寧なカウンセリングも併せて行う形になっていました。
そんな風に、ある種お客様に育てていただいたことで、自分たちのスタイルが固まっていき、
どんどん規模を拡大していくことができました。
証拠よりも大事な気持ちへの配慮
「探偵会社」の多くは、個人事業で小規模なものがほとんどの中、
現在、株式会社MRは、日本では数少ない20名以上の事務所になり、
個人信用調査の部門では売り上げトップを誇るまでに成長することができました。
ここまで成長することができたのも、
やはり質の高いカウンセリングを提供し続けることが出来たからなのではないかと考えています。
私たちはただ、依頼者の話を聞くのではなく、カウンセリングを実施し、
調査後にその結果をどう使いたいかなどを含めじっくり話し合うことに重きをおいています。
従来の探偵調査だと「調査をする」=「離婚」のケースが多かったのに対し、
カウンセリングを実施することで7割の方が関係を修復させることができているんです。
私自身、調査し、証拠を得ることよりも、さらに大切なのはもっと奥に入り込んだ気持ちの部分であることに気付きました。
また、飲食店を経営していた頃よりも、こういった人の心に関わる仕事の方が性に合っているなと、改めて感じましたね。
お客様の層としては40・50代の方が多く、お客様に寄り添うことを大切にしているため、
現在は、相談者と同年代の女性の方にカウンセラーとして活躍していただいています。
この仕組みによって、女性の社会進出も担いたいと考えています。
年配の女性が生き生き働く会社は素敵だなと思いますし、
それらの取り組みを通じて、社会的にも女性の活躍に貢献したいと考えています。
特に、女性カウンセラーは子持ちの方や離婚を経験されている方も多いので、
その人自身の経験も生かすことができると思うんですよね。
私自身の経験からも、主婦になった後に仕事を探すことは難しいからこそ、
思いのある女性の雇用創出に繋げ、少しでも社会を豊かにできたらいいなと思っています。
また、今後は会社を100人以上の会社にし、将来は上場も目指しています。
具体的には、探偵学校や探偵犬の育成、警備業への展開、書籍の出版等、
より多くの人の悩みに寄り添っていけるよう、事業の幅も広げていければと考えています。
2015.02.18
宗万 真弓
そうまん まゆみ|探偵事務所経営
探偵・調査業を運営する株式会社MRの代表取締役を務める。
総合探偵社・興信所MR
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