ニューヨーク留学での出会いが人生を変えた。
22歳で選んだ、人生の時間の使い方。
ニューヨークで起業し、日本からの留学生の支援や、日本酒のニューヨーク展開をサポートする黒須さん。大学に行かずに起業を選ぶ背景には、ニューヨークで暮らす中で様々な出会いがありました。日本人として、日本を盛り上げるために世界で活躍する黒須さんの半生を伺いました。
黒須 智博
くろず ともひろ|留学支援、日本酒等日本文化の海外輸出
ニューヨークに拠点を置くILIS INC.のCEOを務め、留学支援、日本企業のアメリカ進出支援を行う。
【ニューヨーク留学】語学留学・転校ならNY現地のアイリス
何のために勉強するのか分からない
私は埼玉県で生まれました。親は厳しく、いい大学に行き、大企業に勤めたり公務員になったりするのが一番だと考えている人で、小学校5年生の時には電車に乗って塾に通わされていました。ただ、私自身は勉強をしなければいけない理由が理解できず、窮屈さを感じていました。
そんな気持ちで勉強していたこともあり、小学校、中学校と受験するも失敗してしまいました。やりたいと思ったことじゃないと、どこか本気で取り組めない自分がいたんです。負けず嫌いの一面もあって、失敗続きな自分に劣等感もあったけど、なぜ勉強するのか分からず、その答えを探していました。
そんな調子だったので、親と交渉して、高校は進学校に行くので入学後は自由にさせてもらうことにしたんです。実際に、高校では全く勉強しませんでした。毎日遅刻して行き、部活にだけ取り組み、テストは全て赤点で毎回追試。かなり校則が厳しい私立高校の中でも、極めて不真面目な生徒でした。卒業もギリギリで、親は呼び出された時にその状況を初めて知り、とても落胆していましたね。
また、大学進学に対しても疑問がありました。周りの友達はあたりまえのように大学を目指して勉強しているけど、なぜ行きたいのか理由を聞いても特にないんですよね。私も一応は受験はしたものの、疑問があったのでどこにも合格することができませんでした。
この時に、改めて自分は何がしたいのか考えた時に、ふと浮かんだのが海外に行くことでした。それまで海外に行ったことはなかったけど、海外で活躍したいと漠然とした憧れがあったんです。
留学してからは分からないことだらけ
卒業後は海外の大学に進学することに決めました。とは言っても、それまで全く勉強をしていなかったので、英語は「be動詞」すら分からない状況だったので、2年間のカリキュラムのビジネス英語の専門学校に通うことにしました。
英語は昔から苦手意識があったので、学校に通ってからも苦戦していました。ただ、塾で中学生に英語を教えるようにもなり、教えることによって自分自身基礎を学べて成長につながりました。
また、海外旅行にまずは行こうと留学フェアに参加した時、スタッフがみんな口をそろえてアイルランドがおすすめと言うので、19歳の時に初めての海外旅行でアイルランドに行ってみることにしました。
留学都市である首都のダブリンは、人口の半分程が外国からの留学生といわれていて、様々な異文化に触れ合えるのが楽しかったですね。道に迷って夜道を歩いていると、「大丈夫か?」と道行く人が、ふと声をかけてくれるなど人柄も暖かく、夜になると大学生や社会人の多くが、みんなでパブに行き、陽気に交流するその雰囲気が好きだったんです。この滞在でやはり海外に行くことは楽しいと感じ、海外への思いがより強くなりました。
その後、専門学校での2年間のカリキュラムを終え、ニューヨークに留学することにしました。英語圏の国ならどこでもいいと思っていて、留学エージェントに言われるまま決めたんです。
ただ、現地についてからはすごく大変でしたね。そもそも土地勘がないので、地図を見ても自分がどこにいるのか分からないし、どんな生活も送っているのかも分からない。ホームステイ先のホストファミリーとも英語で話すのはすごく大変でした。
さらに、アドバイスをしてくれる人も近くにいなく、危険な土地だと思い込んでいたこともあり、しばらくは家と語学学校と近くのデリを往復する毎日でした。そんな生活だと、特に食事が辛く、日本食が恋しかったですね。
今まで触れたことのないような世界との出会い
ただ、3ヶ月もすると語学学校の友達ができて、少しずつニューヨーク生活を楽しめるようになっていきました。韓国人と友達とルームシェアを始めると、自分とは全然違った考え方と触れることができました。普段は仲良く話せるけど、政治や歴史の問題になるとお互い譲れない、そんな関係でした。
1年ほど語学学校に通った後は、2年制のコミュニティカレッジへの進学準備を始めていきました。2年ほど一般教養を学んでから、大学に進学しようと考えていたんです。
ところが、この頃から様々な価値観を持つ日本人の先輩方と多く出会うようになり、このまま大学に進むのが最適なのかと、悩み考えるようになっていきました。
私とルームメイトになった、たまたま同じ中学校出身だった先輩は、日本でレストランビジネスで成功していたのに、お店は弟に譲り自分の見聞を広めるためにニューヨークに来ていました。そしてシュークリーム屋さんでアルバイトを始めたと思ったら、瞬く間に昇進していき、社長の右腕のようなポジションにまで登りつめていきました。
そのままアメリカでビジネスをしていくのかと思うと、「もう学びたいことは学んだから」とあっさりとその地位を手放して、自分がやりたいことに挑戦していました。同じ地元で育っても、こんなにも違う生き方があるのかと衝撃を受けましたね。
他にも、年が近いのに高校生の時からインターネットで商売しつつ有名ミュージシャンのマネージャーをやっていた人や、ビジネスで失敗してニューヨークでホームレス生活を送った後、日本に戻ってニューヨーク式のエステで成功し、改めてニューヨーク進出を考えている女性経営者など、とにかく面白い人がたくさんいたんです。
能力がある人は何をしても成功することや、自分の進みたい道に行くために既存の環境を捨てることができる人がいることを目の当たりにしたんです。
アメリカで骨を埋めるという覚悟
そして、自分自身の生き方を痛烈に考えさせられました。これまで保守的に生きてきて、これからの4年間も親のすねをかじりながら大学で過ごして良いのか。それは人生の時間の使い方として、本当に有効なのか考えた時、答えは否でした。
しかし、不安感にも苛まされ、決断ができないまま悩み続けていきました。そして、コミュニティカレッジの入試でもあるTOEFLのテストを受ける前日に、ついに、大学には行かずに、起業して自分でビジネスをやってみようと決断したんです。
さらに、退路は徹底的に絶とうと、TOEFLの受験も辞めました。これは実質大学に進学することができないのと同じで、日本での学歴も職歴もないので、もう自分の力で何とかしなければならない状況に、自ら追い込んだんです。他の国からアメリカに来る人は、それこそ亡命したり「骨を埋める覚悟」で生きていて、22歳の自分にもその覚悟が必要だったと感じたのです。
そして、大学に行かないことを親に伝えると、仕送りはなくなり自分で生計を立てる必要が出てきました。そこで、少なくとも食べ物には困らないレストランでとアルバイトさせてもらうことにして、窓もシャワーもなく、寝るだけのスペースの広さの部屋に引っ越すことにしたんです。
それからはアルバイトをしながら、起業の勉強のために色々な人に会ったり、勉強会に出たり、会社を手伝わせてもらったりしていきました。また、事業のアイディアを考えては先輩実業家に相談しにいき、フィードバックを元に修正を繰り返していきました。
日本人として世界で働くということ
そして辿り着いた事業が、日本からニューヨークに留学する人向けのエージェント業でした。
留学エージェントは、高いお金がかかるのに実際に現地に行ってからのサポートが薄いと私自身感じていました。「大変な思いをするのも留学」という考え方は賛同するものの、生活のベースを作る3ヶ月位の期間は、気軽に相談できる現地の人がいた方が留学の密度は濃くなると感じていたんです。そこで、私はニューヨークに住んでいるので、留学に来てからの手厚いサポートを売りとし、他のエージェントは学校の手配やビザ手配などだけでも高額のところが多い中、私はそれらは無料で提供するサービスとして始めました。
その後、少しずつ留学支援サービスを拡大しながら、レストランでのアルバイトも続け、マネージャーとして飲料の仕入れなどの渉外を担当するようになっていきました。この頃になると、自分は日本人であることを強く意識するようになっていました。海外に住んだり、ビジネスしたりするというのは、現地化するというよりも、むしろ、日本人としてその特性や強みを生かしていくということなんです。それはニューヨークに住む中国人も、イタリア人も、メキシコ人もみんな同じです。
そして、自分が日本人であることを意識した時、自分が培ってきた経験や養ってきたスキルを使って、日本を盛り上げるようなことをしたいという気持ちが湧いてきました。そこで、飲食店への流通を知っている自分自身の特性を活かして、自分が好きだったこともあり、日本酒をアメリカで流通させるコンサル事業も始めました。
きっかけを与える「教育」に携わっていく
起業して3年ほど経つと、少しずつ仕事も安定してくるようになり、今ではニューヨークだけでなくロサンゼルスや他の地域にも留学支援の地域を拡大しています。さらに今後は、日本からの留学生だけでなく、中国や韓国など、その他の国の人にも留学支援を広げていけたらと考えています。ニューヨークは多民族都市なのでグローバル化は当たり前だし、インターネット化によって国境はどんどんなくなっていますから。
私は、留学をしたことで、今までに知らなかった世界を知ることができ、人生が大きく変わりました。だからこそ、多くの人にとって人生を変えるようなきっかけとなる教育分野で事業を手がけていきたいと考えています。ベースの教育が整っている地域には、留学支援というかたちでの教育。さらに将来は、教育を受けることができない人たちに教育機会を提供する事業を起こしたいと考えています。
また、日本を盛り上げていくだけために、日本酒だけではなく、ヒト、モノ、伝統など、より多くのものの進出支援をしていきたいと考えています。それが世の中に提供していきたい価値だし、心からやりたいと思えることなんです。
これからもこのやりたいと思うことをシンプルに続けていければと思います。
2015.02.15
黒須 智博
くろず ともひろ|留学支援、日本酒等日本文化の海外輸出
ニューヨークに拠点を置くILIS INC.のCEOを務め、留学支援、日本企業のアメリカ進出支援を行う。
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