産後ケアの大切さを社会に伝えたい。
出産後の複雑な心境に寄り添える私だからこそ。
出産を経験し、産後育児の辛さを経験したことがある自分だからできることとして、産後ママのための保育つき出張型リフレクソロジーを行う熊野さん。産後ママに寄り添う手段としてリフレクソロジーを選ぶに至った経緯とはどのようなものだったのでしょうか?
熊野 薫
くまの かおる|産後ママのためのリフレクソロジーセラピスト
産後の育児と仕事の両立の難しさや産後の心身のつらさを経験したことをきっかけに、
産後ママのための保育つき出張型リフレクソロジーを行う「みまもりリフレ」というサービス事業を立ち上げる。
今後も産後ケアの大切さを世に伝えるべく奮闘中。
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決められた価値観との葛藤
私は静岡県出身で、教育熱心な家庭に一人娘として育ちました。
ある意味親の愛情を一身に受けることができたので、幼い頃から様々な経験をさせてもらいました。
小学校の頃はピアノに合唱団、また水泳、英語、書道、作文教室など、多くの学校外の習い事をしていたので、
毎日学校から家に帰ってはすぐに習い事に出かけるような忙しい子どもでしたね。
そういった教育熱心な親の影響があってか、学校の先生など目上の人の言うことにはとても素直だったので、
大人からのウケはとてもよかったです。
そのため、進学校の高校に進学して、学級委員長などのリーダー的な立ち位置のことをして先生にもよく気に入られていました。
その後、大学は実家を離れて京都の大学に進学したのですが、
大学生は勉学に励む期間であると親から一切のアルバイトを禁止され、私は大学生時代を親の仕送りだけで生活していました。
そのため、大学生ならアルバイトで誰しも経験するであろう、「働く喜び」を感じることができなかったんです。
それに加えて、幼い頃からずっと親や他人の評価を軸に生きてきた反動か、
就職活動のようなすでに決まった価値観に反発する気持ちがその時芽生えたんですよね。
そんな気持ちがあってか、私は大学3回生の時に就職活動を一切しませんでした。
実家の両親には大学院に進学すると伝えましたけど、そこまで勉強が好きではなかったので、
結局、卒業後進学も就職もしないという選択をしたんです。
キャリアなしからの挑戦
そうして、大学卒業後半年ほど期間を経た時に、大学院にも進学しないことを親に伝えました。
もちろん激怒されましたが、もう勝手にしなさいという状態でした。
その後はたまたまアルバイト雑誌で見つけたエステ店でアルバイトを始め、完全歩合制のエステ営業を2年ほど続けていました。
ところが26歳の時に父が急死したので、仕事を辞めて、すぐに実家に帰ることになりました。
初めは家の仕事を手伝うなどしていましたが、
27歳の時に結婚をしたので、その後しばらくは専業主婦をしていました。
ところが、自分は専業主婦には向いていないことに気づきました。
ずっと家にいて、料理や掃除をしたりするということに喜びは感じられず、それよりは仕事がしたいと思うようになったんです。
そうは言ってもアルバイトとしてエステ店の営業しか経験したことのない、
28歳大卒キャリアなしの私には就職はできないと思いました。
そこで、まずは手に職をつけるべきだと考え、
一度施術を受けたことがあるリフレクソロジーという技術を思い出したんです。
というのも、私は熟睡できない体質だったのですが、
このリフレクソロジーの施術を受けている時だけはすごく気持ち良く眠ることができたので、
この技術を学んでみたいと興味が湧いてきたんですよね。
そこで、このリフレクソロジーの技術を学ぶことができる学校に通うことにしました。
その学校では技術を習得することさえできれば、直営サロンでアルバイトとして採用してもらえるので、
卒業後の働き口が確約されていることが私にとっては魅力でした。
そして、学校に1年間通ってリフレクソロジーの技術を身につけた後、
サロンで働くための研修を受け、横浜の店舗で働き始めました。
30歳からの挑戦
そうしてしばらくサロンで働いていたのですが、
早期退職していくスタッフがとても多いという現実を知りました。
なぜなら働いているサロンのスタッフは主婦の方も多く、
サロンでの勤務には土日出勤もあり、また会社帰りのお客さま向けに夜中9時まで営業していたりと、
子供がいらっしゃる方はもちろん、主婦の生活に合わせられない仕事だったからです。
せっかく時間とお金をかけて技術を手にしたというのに、仕事が生活に合わないことを理由に辞めざるを得ない。
そんな悲しい現実を私は何とかしたいと思いました。
そこで、様々な技術や資格は持っているが、仕事が生活に合わないことを理由に働くことができないような方々を、
活用できる人材派遣関連の会社を立ち上げようかと思ったんです。
とはいっても、会社という組織に正社員として働いたこともないという事実を無視することはできなかったので、
一度就職しようと考えたんです。
そこで、3年働いたサロンを辞め、30歳にして初めての就職活動を行いました。
そして、いくつか会社から内定をいただいた中で、一番社風が自分に合っていると思った会社で、
最初は契約社員からのスタートでしたが、働かせていただくことになりました。
出産と育児の壮絶な経験から
その後、ご縁があって別の会社に転職をすることになったのですが、
その間に離婚と再婚を経験し、転職をして半年ほどたった33歳の時に、
再婚した相手との間に子どもを授かり、出産を経験しました。
この出産後の子育てがものすごく大変でした。
産後1年後は自分も働きながらの育児生活だったので、
かなり身体がきつくて時折マッサージサロンに身体を休めに出かけるほどでした。
また、子どもを連れていけるサロンなどほとんど皆無だったんです。
たとえ子ども同伴で問題ないという店舗でも、場所が家から遠かったり、
施術中に子どもがぐずればあやしに行かなければいけなかったりと、
これでは身体を休めにきている意味がないなと感じていました。
かといって土日休日に夫に子どもを頼んで自分だけマッサージに出かけるのも気が引ける。
しかし、リフレクソロジーを受けている時は本当に気持ちがよく、施術中は全てを忘れて眠ることができていたことも事実。
そう考えた時に、子どもの面倒を見てくれえる保育付きで、
かつ自宅にマッサージをしに来てくれるようなサービスがあれば、
子どもにも夫にも気を遣わずに済むと考えたんです。
そこで、38歳の時に約5年働いた会社を辞め、
独立して妊婦さんや産後ママのための保育つき出張型リフレクソロジーを行う、
「みまもりリフレ」というサービス事業を始めました。
家族円満のきっかけとして
今は私を抜いて、リフレクソロジー施術士が2名、保育士とベビーシッター5名で、
依頼を受けた主に関東圏の家へ出張し、赤ちゃんや子供がいる母親や妊婦さんに対して、
リフレクソロジーの施術サービスを提供しています。
私は産後を円満に過ごせた家族は、幸せに暮らせると思っています。
この「みまもりリフレ」を通じて妊婦さんや産後ママに心と身体にゆとりを提供することが、
家庭円満へと繋がると思っていますし、
産後家族が豊かになれば、また子どもを産みたいと思えるようになると思います。
そうすれば社会問題でもある少子化にも貢献できると思いますし、
少子化だけではなく、子どもの虐待や夫婦の離婚の解消にも貢献できると考えています。
私の場合は産後働きながらの育児生活で身体的にも精神的にも大変な思いをしましたが、
他のお母さんには同じ思いをして欲しくありません。
そしてパートナーには、ただ育児の手伝いをするのではなく、
産後疲れで自分の時間を確保することができず、自分に余裕が持てなくなっているそのママの気持ちを理解して、
寄り添ってほしいと思っています。
また、これからは、産後ケア関連の方々を集めて新しい事業を始めることができればなと考えています。
そして、行政だけに頼ることなく、産後ケアの重要性を世に発信していければと思っています。
2015.02.13
熊野 薫
くまの かおる|産後ママのためのリフレクソロジーセラピスト
産後の育児と仕事の両立の難しさや産後の心身のつらさを経験したことをきっかけに、
産後ママのための保育つき出張型リフレクソロジーを行う「みまもりリフレ」というサービス事業を立ち上げる。
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