すべての人が、志を持つ社会を創る。
「俺様」だった僕が社会のために生きる理由。
志を持つ人を増やすために、企業の経営層や幹部層に特化した人材紹介を行う蔵元さん。キャッチフレーズは「アイアム俺」だったと言うほどに、勝つことや自分のことに目が向いていたところから、「豊かな社会を創りたい」と思うようになるまでにはどんなきっかけがあったのでしょうか。お話を伺いました。
蔵元 二郎
くらもと じろう|志を持つ人を増やすエグゼクティブサーチ事業運営
「馬鹿が日本を元気にする」を経営理念に掲げ、サービス領域を「日本を元気にする馬鹿」に専門特化したエグゼクティブサーチを行う、
株式会社BNGパートナーズ代表取締役社長を務める。
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おかずが減っていく
私は鹿児島県で生まれました。
父が実業家で社長を務めていたので、クルーザーを持っているような裕福な家庭で育ちました。
家庭の教育方針として、良い学校に行き、良い企業に就職するという約束がありましたが、
それ以外のことは自分で考え、やりたいようにさせてもらっていました。
ところが中学生の時に父が起業し、自分の事業を始めると、同時期にバブルが崩壊したこともあり、
家計は少しずつ苦しい状況になっていったんです。
毎晩のおかずが少しづつ減っていき、自分で会社を起こすのは大変なことなんだと身を以て実感し、
自分は将来は大きな会社に入ろうと考えるようになりました。
ただ、学校では成績は良いものの、いわゆる不良でした。
『ビー・バップ・ハイスクール』が流行っているような時代だったし、
学校教育の「全員が同じであるべき」という考えに違和感があったのも影響したかもしれません。
そして、「いつか日本の教育を変えてやろう」という野望が、漠然と芽生えてきていましたね。
その後、高校でバンドを始めてからは音楽にはまり、将来はプロのミュージシャンになりたいと思うようになっていきました。
ただ、「大学に行く」という親との約束もあったので、それは守るために福岡の大学に進むことにしました。
ビジネスはナンパだ
大学では授業には全く興味がなく、音楽に没頭したり遊んだりしてばかりでしたが、ビジネスにも興味をもっていきました。
学費や生活費を稼ぐために友だちと街でクレープを売ったりしていたんですが、これが楽しかったんです。
公然とできるナンパだなと。(笑)
ビジネスをしているというよりも遊びの延長で、中洲の屋台で無給で働かせてもらうこともありました。
また、音楽活動はバンドを組むのではなく、自分で曲を作り録音したものをレコード会社に送っていたのですが、
反応は全くなかったですね。
そして自分の中で最後の挑戦と決めたオーディションにも受からず、音楽の道は諦めることにしました。
それからはビジネスの世界で面白いことをしていこうと考え、就職することにしました。
環境を選ばずに成果を出せる人間になりたかったし、そうあるべきだと思っていたので就職先はどこでも良かったのですが、
これから業界として大きな変化があり大変そうだった、通信、商社、金融業界を中心に企業を見ていきました。
その中で、最終的には夢を語れる男気ある担当の人と出会い、生命保険会社に入ることにしました。
できない理由には興味がない
入社してからは福岡支店に配属され、バックオフィスの仕事に回り、業績管理の仕事を担当することになりました。
しかし、入社2ヵ月後に敏腕課長に呼び出されて、「お前のとこの係長、どうなってるんだ!」と怒られることがありました。
私は一瞬何を言っているか分かりませんでした。係長をマネジメントするのは上司である課長の仕事ですから。
しかし、課長には「そんなことは関係ない、俺もお前も同じこの会社の社員なんだ」と言われ、
しまいにはプロジェクトの責任者として明らかに無茶と思えるような仕事を2ヶ月で終わらせるように言われたんです。
その時に、自分は新人だしちょっと難しいんじゃないかと言ったら
「できない理由には興味がない、できる理由を考えろ」
と言われたんです。
この時、正直はらわたが煮えくり返るような怒りが湧いてきましたが、
絶対に仕事を遂行して、この課長をギャフンと言わせてやろうと思ったんです。
しかし、3ヶ月ほどでその仕事を終わらせることができた時、その怒りの気持ちは感謝に変わっていたんです。
課長はできる理由を考えさせてくれ、成長の機会をくれたんだと。
2年目も同じように自分にとってははるかに大変な仕事を任せてもらい成長の機会をもらった後、
3年目に東京本社の企画部に異動となりました。
しかし、現場で仕事をしたかった私としては企画部の仕事には違和感があったし、
どこか本社という大きな船に乗っていることで、迫ってくる危機に気づかない環境にいるような違和感がありました。
まるでタイタニックに乗っているようで、気づいたら荒波に投げ出されてしまうんじゃないかと恐怖もありました。
そして、ある休日に空を眺めている時、雲が流れているのを見て、自分と同じだと思ったんです。
流れているのではなく、流されているのだと。
それを見たときに決心し、翌月曜日の朝一に辞表を出し、2年半働いた会社を辞めることにしました。
「俺様」が生きられるのは
その後、会社を辞めたことを実家の両親に直接報告するため、鹿児島に帰ることにしました。
ただ、普通に帰っても面白くないので、ヒッチハイクで日本海側を通って帰ることにしました。
道中はうどん屋を見つけては、消化も良く栄養も摂れる月見うどんを食べていました。
しかし、富山で道に迷ってしまい、お腹が空いて食べたいと思った時に、月見うどんを食べることができなかったんです。
結局その日は夕方、別のものにありつくことができたんですが、
それまで仕事も成果を出せ、なんでもできる「俺様」が、なんで月見うどんすら食べることができなかったのか考えたんですよ。
すると、結局自分はインフラがあるから生きてこれただけなんだと気づいたんです。
そしてインフラを作った人たちのことを考えたときに、
太平洋艦隊に乗っていた父方の祖父と、シベリア拘留兵だった母方の祖父の顔が浮かんできて、
インフラが整備された豊かな日本があるのは、この人たちのおかげだということに感謝の気持ちが湧いてきました。
それまでは、仕事は自分のため、勝つためにやっていましたが、
私の生命は、この国を豊かにするために使うべきなんだと悟ったんです。
そして、豊かな国を創るためインフラ作りに挑戦しようと思ったのですが、日本はインフラはほとんど整っていることが分かりました。
しかし、それなのにどこか元気がなく、特に都会ではみんなが暗い顔をしている姿を見て足りないのは何か考えたときに、
それは志だと思ったんです。
この瞬間、私のミッションは「志を持つ人を増やすこと」だと定まったんです。
志を持つ人の元に引き合わせる
その後、志を持つ人を引き合わせるため人材事業を行う会社で働き始めました。
そこでは人材紹介業のテコ入れをすることになり、偽名で自社サービスに登録してキャリアコンサルタントに会ってみることにしました。
すると、話があまりにも通じないんですよね。
私は求職者として、就職先候補の会社の経営方針や戦略と、自分のミッションのすり合わせをしていきたいのに、
彼らは希望の職種や年収ばかり聞いてきて、型にはめようとしてくるんです。
本来のキャリアドバイザーの仕事は、求人企業の経営者と同じ目線で物事を語り、求職者の目線を上げることではないのかと。
しかし、何百人いるキャリアアドバイザーの中で、そのレベルの仕事ができるメンバーは数人しかいなかったので、
それなら自分たちでゼロから作り上げる方が早いと思い、
働いていた人材企業の社長と2人でジェイブレインという会社を立ち上げることにしました。
ジェイブレインでは、ベンチャー企業の幹部に特化した人材紹介業を行い、志を持つ経営者の元に、仕事での実力があるものの、
まだ勝ちにこだわり志を見つけられていない幹部層の人間を引き合わせるような事業を展開しました。
それが志を持つ人を増やす方法の一つだと考えたのです。
最初は幹部層に特化した人材紹介業なんて無理だと言われましたが、
数年後には大手の人材企業が参入してくるなど、市場を作るのに少しは貢献はできたのかと。
ただ、社長とは将来の会社の目指す方向が違ったことや、
優秀な人材を囲い込むだけで会社としての仕組みや資産が作れなかったこともあり、
リーマンショックを機に一気に事業が傾いてしまいました。
そして、社員たちを次の会社に全員送り出し終えた後、最終的には私も会社を抜け、
自分がオーナーとしてBNGパートナーズを立ち上げることにしました。
数字よりも記憶を
BNGパートナーズでは主にエグゼクティブサーチ事業を行い、経営層や幹部層に特化して採用のお手伝いをしています。
会社名は「馬鹿が日本を元気にする」という意味を込めています。
何度倒れても、自分の志を元に立ち上がり何度でも楽しそうに挑戦する、そんな馬鹿な人を増やしたいんです。
これが私のミッションであり、この会社の意義なんです。
また、前の会社での失敗を生かし、今の会社では徹底的に会社内で仕組みを作り、
多様な人が成果を出せる環境を創るようにしています。
もちろん人には辞めて欲しくはないので、社員が働きたいと思うような魅力を磨いていて、
その結果5年経った今でも、社員の定着率はほぼ100%です。
もちろん成果を出すことは大事ですが、会社の売り上げとか利益の数字なんて、正直5年後には覚えてないものだと思っていて、
それよりも「あの時こんなことあった」とか、そういう記憶の方が人生にとって資産になると思うんです。
今後、やっていきたいこととしては4つあって、1つはEvery-ONE-Mission、誰もが志を持つ社会を創ること。
2つ目がアジアとの調和を進めることで、日本の教養や「和をもって尊し」の精神を輸出し、
逆にアジアの人たちが持つハングリー精神を輸入すること。
3つ目は子どもたちが働く親を見て「かっこいい」と思い、早く社会に出たいと思える世の中を創ること。
そして4つ目が、夫婦が互いに感謝し仲良くしている社会を創ることです。
それが私にとって、豊かな社会を創るということなんです。
2015.02.05
蔵元 二郎
くらもと じろう|志を持つ人を増やすエグゼクティブサーチ事業運営
「馬鹿が日本を元気にする」を経営理念に掲げ、サービス領域を「日本を元気にする馬鹿」に専門特化したエグゼクティブサーチを行う、
株式会社BNGパートナーズ代表取締役社長を務める。
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