いきいきと活動する高齢者を増やしたい!
生きがいよりもやりがいを求める人生。

「歳をとるのはイイなぁ」と思うような現役シニアを増やすための活動に従事し、最近では「聞き書き」の可能性に魅力を感じている堀池さん。大手企業を長年勤めた後、ご自身の得意分野で地域活動に参加するようになるには、どのような背景があったのか。お話を伺いました。

堀池 喜一郎

ほりいけ きいちろう|聞き書き事業の提供
NPO法人シニアSOHO普及サロン・三鷹の初代代表理事を務め、現在は好齢ビジネスパートナーズの世話人を務める。

【ブログ】堀池喜一郎 すこやの工作室日記
好齢ビジネスパートナーズ
NPO法人シニアSOHO普及サロン・三鷹

日立でパソコンの黎明期に関わる


私は東京で生まれました。
ものづくりが好きで、大学は工学部に進学しました。
私が5歳の時に父を戦争で亡くしていたこともあり、母を一人にしないため、
就職は実家から通える距離の会社を考えていました。
しかし、工場実習したときに、その現場の男らしさのようなものに感動し、
茨城にあった日立製作所に就職することにしたんです。

入社してからは、工場実習を経た後、家電製品の量産工場に配属され、生産管理の仕事を行いました。
どの部品をどれだけ調達するかなど、緻密に考えていく仕事でした。
その後、39歳の時に本社のOA事業部に異動することになりました。
「家電製品の未来はないのではないか?」と言われ、
小型のコンピューターが台頭してくることが世間ではささやかれ、
社内でも作るべきでは、と言われていたんです。

ただ、会社では企業の汎用コンピューターを扱っていたこともあり、
パーソナルコンピューターには懐疑的な人も多く、社内でもプロジェクトへの抵抗はありましたね。
しかし、私は黎明期からパーソナルコンピューターに関わることができ、
販売会社への営業教育などを行うようになっていきました。

ただ、年齢を重ねて50代中程に差し掛かると、会社の中でも役員を目指すのは現実として難しいということも見えてきました。
そのため、仕事を辞めて家族との時間を大事にしたり、個人的に面白いと思う何かに挑戦してもいいのではと思い始めたんです。
とは言え、会社の仕事はやはり面白かったので、辞めずに続ける日々を過ごしました。

パソコンを使ってできること


そんな時、妻の両親が病気になり、妻の実家がある東京の三鷹市に引っ越しをしました。

すると、三鷹市は地域コミュニティが盛んで、三鷹市に住む同じ大学出身者の集まりもあったので、
参加してみることにしたんです。
それまでは仕事一辺倒で、地域活動なんてしたことはありませんでした。

しかし、その同窓会では私がパソコンの仕事をしていることもあり、
皆にインターネットの使い方を教えて欲しいとせがまれるようになりました。
正直、教えてもどうせ使い道がないだろうから、教えるのは嫌だと思っていました。
頼まれて作った同窓会のホームページも半年間アクセスはゼロでしたし。

しかし、それでも皆がインターネットやメールの使い方を教えて欲しいというので、
じゃあ使えるようになったら何をするのか、アンケートを取ってみることにしたんです。
すると、その回答が衝撃的に面白いものでした。

ある人は、毎年夫婦でアラスカやカナダで山登りやスキーをしていて、そこで交流している友達との連絡に使いたいとのことでした。
全世界の友達は皆メールを使うようになったのに、自分だけ手紙で恥ずかしいと。
またある人は、学生時代からクリスチャンで、
自分が何十年も個人的に続けてきた研究が膨大にたまっているので、それを発信したいと。

それを聞いた時、これは確かに面白いと感じて、皆がインターネットを使えないのはもったいないと思ったんです。
そして三鷹市の施設のパソコンルームが空いていることが分かり、そこで月に2回ほどパソコンを教えるようになりました。

高齢者向けのパソコン教室を開く


すると、盛り上がっているのを見た三鷹市の職員が、高齢者向けのパソコン教室を開催して欲しいと、食いついてきたんです。
さらに、経産省がメロウソサエティ構想という、SOHOやインターネットを活用した高齢社会のあり方を掲げていて、それを進めるための委託事業を募集していました。

そこで、高齢者がITを活用する社会を絡めた事業構想を出すと、審査に通ることができたんです。
ただ、会社勤めもしていたので、それでも大丈夫か経産省の知り合いに尋ねると、
「こういう取り組みは組織からは生まれづらいので、個人の方が面白いんです」と言われ、後押しをしてもらえました。
世の中は、大企業の時代ではなく個人で事を起こしていく時代なんだと感じましたね。

その後、会社の許可ももらい、活動してくために「NPO法人シニアSOHO普及サロン・三鷹」という団体を立ち上げたんです。
そして、高齢者がただパソコンを使えるようになるのではなく、
その人が持っているスキルを、パソコンやインターネットを使い販売する方法を考える教室を開いたんです。

すると、新聞にも取り上げられ、この活動に共感して関わりたいと言ってくれる人が100人以上集まりました。
また、三鷹市が第三セクターとして、喫茶店兼パソコン教室をできる場所を作ったので、
その場所を使うことにして、カリキュラムを組み講師の教育などをして、2000年の4月にそこで教室を始めました。
そのカリキュラムは3ヶ月分準備したのの、申込は開始後1時間で埋まってしまう程のものでした。
すぐに講座を追加したものの、それもすぐに満席。

ただ、教えられる人は5人位しかいなかったので、教える人を増やす必要がありました。
その時、シニア向けのパソコン教育のカリキュラムを作っているベンチャー企業の人が、素晴らしい教え方を提案してくれ、その人のカリキュラムを導入することにしました。
そして、活動を手伝いたいと言ってくれていた、パソコンは得意だけど教えるのはできない人たち50人ほどを、講師に育て上げることに成功したんです。

そして、その年は1万5千円の受講費にもかかわらず、1200もの人に来てもらうことができたんですよね。

高齢者がお金を稼げる仕組みを


さらに、パソコンの使い方だけではなく、教え方までも教えられる仕組みだったので、
その規模は加速度的に拡大していきました。
様々な協働事業も行うようになっていき、会社も59歳の時に定年を目前に退職しました。
最後はグループ会社の取締役だったので、心労もあったし、次に選出されるとしばらくは続けることになるので、家族との時間を作ろうと考えていたんです。

そして、NPOの活動を始めて5年程経つと、少し家のことに時間を使うために、理事を抜けることにしました。
次の理事が、組織の中でリーダーとして認められるよう、その後半年ほどはNPOの活動には全く参加しなくなったんです。

その後は経産省のコミュニティビジネスの相談役なんかもやった後、
より地域の一人ひとりの活動を後押ししたいと考えるようになり、「三鷹CB研究会」という団体を立ち上げました。
これは、地域で何かを始めたい人向けに、ブログの講座をするものでした。
高齢者は人に伝えられるスキルなどをもっているので、
それを実際に講座として発信するためにブログを活用して欲しいと考えていました。

しかし、ブログで発信するだけでは、その後の実際に自分のスキルを販売することろまでは行かないことが分かったんです。

それは生ぬるいと、今度は「好齢ビジネスパートナーズ」という、より高齢者がお金を稼ぐ仕組みをつくれる団体を立ち上げました。
ここでは企業に勤めながら、手伝いたいと言ってくれる30代や50代のメンバーも入ってきてくれました。

そして、高齢者がパソコンやタッチパネルを使えるようになっても、使い道がないという問題意識もあったことから、
より高齢者が自分の人生経験とITスキルを活用できる方法はないかと考えるようになっていきました。
その中で、メンバーの一人が、一対一のオンライン遠隔レッスンのアイディアを持ってきました。

「聞き書き」事業の価値を感じる


高齢者が持っている経験は、必要としている人いさえすれば、いくらでも値付けして販売することができるんです。
ヨガでも、編み物でも、自分では「こんなものが?」と思っても意外に知りたい人はいるもので、
これを「いきいきレッスン」と名付けて、古巣であるNPO法人シニアSOHO普及サロンでの一事業としてやってみることにしました。

ただ、いきなり何かを教えたいと言う人が出てくるわけでもないので、
まずは様々な人に、何か教えられるものがないのか、今までの人生でどんな経験を持っているのかを聞いて回ることにしたんです。

すると、それがなんとも言えない面白さだったんです。
近所に住んでいる人でも、その人生の中には色々なものが詰まっていて、話を聞くと非常にたくさんの学びがある。
また、話す側も、普段は家族に「またいつもの話ね」とあしらわれてしまうものが、
真剣に聞いてくれる人がいることで、「これって価値があるんだ、話してもいいことなんだ」と思うことができる。

この人に話を聞いて書き起こす「聞き書き」自体に価値があると気づいたんです。

そして、これを事業化するために色々と動き始めました。
これは話す側の人は、いわゆる一般の高齢者で、聞き書きする人も時間のある高齢者。
特に聞き書きにはスキルがいるので、その教育をしたり、執筆に対しての対価も支払います。
ただ、実際に書き起こしされたものは、オリジナルのものでかつ非常に密度の濃いもの。
これを書籍にするなり講演会で使うなり、使い道を考えているところです。

今は、まず三鷹の地域でテスト的に試して成功事例を作り、
各地域にそのモデルを展開して事業にしていきたいと考えています。

私は73歳になるのに、事業というか、お金を稼げる仕組みづくりにこだわっています。
それこそが、人生にとっての「やりがい」だと考えているからです。
「生きがい」は自分が楽しいこと。
「やりがい」は人にやってあげたいこと、つまり誰かのためになることだと考えています。
誰かのためになることは、自分は嫌だとか面倒だとか思うことでもしなくてはならず、
そこには責任が生まれ、対価としてのお金が生まれる。
私はその責任を感じながら、「やりがい」のあることをするのが好きなんです。

あと10年位は「やりがい」を求めた活動を続け、少し体が動かなくなってきたら、
今度は自分の趣味のような生活ビジネスを見つけ「生きがい」のある人生を歩みたいと思います。

2015.02.02

堀池 喜一郎

ほりいけ きいちろう|聞き書き事業の提供
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