地域社会を再構築して、日本全国を盛り上げる。
テロで感じた無力さからのスタート。
区議会議員、ゴミ拾いNPOグリーンバードの代表を務めながら、「つなぐ、つくる、つたえる」をテーマにコミュニティデザインにまつわることを紹介する「マチノコト」の運営もしている横尾さん。地域から日本を変えていきたいとの思いの背景には、どんな経験があるのか。また、横尾さんを突き動かす原動力とはなにか、お話を伺いしました。
横尾 俊成
よこお としなり|地域を再構築するメディア運営、区議会議員
港区議会議員を務めながら、NPO法人グリーンバードの代表を務め、NPO法人スタンバイにて「マチノコト」を運営する。
マチノコト
横尾としなりの会
greenbird
著書『「社会を変える」のはじめかた』(産学社)
顔色を伺う子ども
神奈川県で生まれました。親の仕事の関係で転勤が多く、小学生の時に3回も転校しました。転校するたびに、新しい学校環境になじむために、周りの顔色を伺う性格になりました。勉強も仲良くなるツールの1つなので、一生懸命勉強する真面目な子どもでしたね。
中学生・高校生の時も、みんながカラオケやボーリングで遊んでいる中、ひたすら図書館にこもって勉強していましたし、生徒会も務めていました。本当はもっと遊びたいという気持ちがあり、気づかないうちにフラストレーションが溜まっていきました。
大学は早稲田大学の人間科学部に進学しました。自分自身が考えたり悩んだりすることも多く、人の心に興味があったんです。
しかし、初めての授業の時に、教授が「この中で、臨床心理士になりたい人」と聞いた時に、多くの生徒が手を挙げているのを見て、違和感を覚えてしまったんです。この中にいる人みんなで、お互いの心の探り合いをするのかと。
そんなことや高校時代の反動もあり、大学では勉強よりも遊びが優先されるようになりました。髪もまるで「スーパーサイヤ人」のような金髪にして、とにかく遊びと呼ばれるものは何でもやりましたね。ただ、1年もすると遊ぶのに飽きてしまい、それならばと留学しようと思い立ちました。急いで英語の勉強をして、2年生の時にアメリカに留学に行きました。
身近な人の力になれない
1年ほどアメリカに留学をした後、ちょうど帰国した頃に9.11のテロが起き、仲の良かった友だちのおばさんが巻き込まれ、亡くなってしまいました。一緒にバーベキューなどをして直接面識もあったので悲しく、だからといって何もできない自分の無力さを感じました。
ちょうど大学3年の就職活動をする時期。このまま何の力もないまま就職しても、近しい人にすら何の力もなれない。まずはちゃんと勉強しようと思い、イスラム社会学を学びに大学院に進学することにしたんです。
ただ、勉強だけしていてもテロの問題は解決できないと、モヤモヤすることもありました。そんな時に、たまたまシンポジウムで隣の席に座っていた中国の学生も同じような思いを抱いていて、一緒に何かやろうという話になり、世界中の学生と社会問題を考える「世界学生会議」を開催することにしたんです。
1000人を超える学生が集まってくれて、自分たちの力で少しでも社会を動かせることを感じられました。また、この会議を開催する中で、多くのNPOと関わるようになり、それぞれが課題感を持ち、解決する努力に向かっている姿に惹かれたんです。
そこで、色々なNPOでインターンをするようになりました。しかし、中で働くからこそ分かる課題も、自分なりに見えてきました。それは、どんなに良いことをしていても、ビラのデザインなど含めて「かっこよく」世の中に伝えられていないことでした。もっと人を惹きつけられる伝え方をできれば、より多くの人に伝わるのにと、もどかしさを感じたんです。
そこで、就職活動では、自分なりに社会を良くするための様々な軸で会社を受けていき、最終的には広告代理店の博報堂に入社しました。ここでならコミュニケーション方法を学べると思ったんですよね。ただ、NPOの支援をしたいと考えていたので、3年で力をつけて辞めようと決めていました。
突き詰めて企画する
入社するとすぐに、役員へ自己紹介をする場がありました。その時、一人の役員が「今持っている青臭い夢を忘れずに持ち続けるように。俺はまだ持ち続けているよ」と語った言葉が心に刺さったんです。また、「何かを実現させるには突き詰めて考えないと分からないから、とにかく考えて企画を出すことだ」と言っていて。そこで、毎日朝早く出社しては企画を書き、時には役員の人にプレゼンするようになりました。元々は車業界の担当だったのに、NPO等の企画を出し続けていたら、徐々にクライアントにも認めてもらえ、昔働いていたNPOから仕事を依頼されるようになったんです。
クライアント企業にはCSRの提案をしているのに、自社にCSRの部門がなかったので「つくるべきだ」と言って、これまた企画を出すようになりました。次第に、社内でもソーシャル系やNPO系に特化している人間だと認識されるようになり、ちょうど辞めると決めていた3年が過ぎたタイミングで、新しくできたソーシャルビジネス局に異動することになりました。この仕事ができるならば辞める必要はないと、働き続けることにしたんです。
ソーシャルビジネス局では官公庁などと調整し、新しい取り組みを企画しました。しかし、私は国を巻き込む大きな動きだけではなく、個々のNPOを支援したいという気持ちも強く、一つひとつでは小さなNPOを、テーマを持たせて横串で繋いだり、官公庁とコラボレーションするようなことを始めました。
また、それまでは興味のなかった政治の世界とも関わる機会がありました。この時に、国といっても、それは地域の集合体で、国政がトップダウンで物事を決めるだけで国を動かしていくのは難しいんじゃないかと感じましたね。熱い思いを持っている政治家はいるのに、どこかもったいなく、寂しいと思った瞬間でしたね。
地域のモデルケースを全国へ
会社で様々な企画をしながらNPOの現場にも関わりたいと思っていたので、会社も街に貢献するべきと提案して、2008年に博報堂本社が赤坂に移転した時に会社のメンバーと「greenbird(グリーンバード)赤坂チーム」を立ち上げて、地域のゴミ拾い活動を続けました。すると、だんだん地元の人と仲良くなりましたし、近くに住んでいたこともあって、徐々にこの街が自分のホームだと思えるようになってきたんです。
地域の町会などにはあまり若い人はいないので、ちょっと入っていくだけでもすごく喜んでもらえるんです。ただ、町会や商店街を盛り上げていこうという話題になると、決まって「担い手となる若い人がいない」という課題が出てきて、ならば若者とまちをうまく繋ぎたいと思うようになってきました。地域課題に取り組み、モデルケースをつくって地域から日本全国を盛り上げていく。そのために、2010年10月に会社を辞めてNPO法人グリーンバードの代表として地域に関わっていくことを決めました。
同時に、どうせ会社員を辞めるなら、やりたいと思っていたこと、気になっていたことを全部やろうと決めました。政治の世界から地域にも関わろうと考え、港区の区議会議員を目指すことにしたんです。
しかし、選挙の準備を進めていた矢先、東日本大震災が起きました。greenbird仙台チームのメンバーも被災してしまったんです。そこで、メンバーみんなで支援物資を集めて、現地に行きました。すると、現地では思っていた以上に人出が必要とされている現実を知り、それからはgreenbirdでは月に2回、一般の人を募って東北へボランティアツアーに行くようになりました。
正直、被災地が大変な中、議員に立候補している場合ではないと思ったこともあります。しかし、たくさんの人が支えてくれていたので、その恩を返すためにも選挙はやり遂げようと決め、2011年4月の選挙に立候補し、港区の区議会議員に選出されました。
近所付き合いを再構築する
greenbirdでの東北の支援に力を入れながら議員もやっていると、東北と東京での地域コミュニティのあり方の違いに気づかされました。東北の人たちは地域基盤がしっかりしていて、震災で被害は受けたものの、その繋がりがあるから被害が最小限で抑えられたり、迅速な救助活動が行われたりしていたんです。
一方、自分たちの住むまちはどうだろうかと。住んでいる場所まで把握できている人は、ごくわずか。町会に入っている人も50%を切り、実際に参加している人はもっと少なく、町の人がお互いを知る機会は非常に少ないんです。もし東京で大きな災害が起こった時に、若い人同士はインターネットのツールで繋がれているから助かるかもしれないけど、高層マンションに住んでいるお年寄りなど、誰が助けられるのか。
一方で、多くの人が、近所付き合いを「ある程度したい」と思っています。昔からの自治会や町会だけではなく、今の社会に合った近所付き合いの形があるのではないか。その新しい近所づきあいのあり方を、東京だけでなく、日本全体で再構築する必要があるのではないか。そう考えるようになってきました。
そこで、2012年9月に仲間と始めたのが「Standby」というメディアでした。地域の繋がりを再構築したいけれども、私たちには知識がなかったので、実際に地域社会に暮らす人たちの智慧を借りたいと思って始めました。防災という切り口で地域に眠っている助け合いの仕組みを勉強させてもらい、他の地域の人が真似しやすい形で発信していくことにしたんです。
「自分たちのことは自分たちの力でやる」まちづくり
「Standby」は2013年9月には「マチノコト」としてリニューアルしました。残念ながら震災から少し時間が経ち、世の中の人の防災への関心が薄れてきてしまいました。そこで、地域社会というメッセージは変えずに、世の中の人にもう少し届きやすくするため、「ソーシャルデザイン」という文脈の中で、身近に感じられるような立ち位置として生まれ変わらせたんです。
メディアとして情報発信の色合いが強いのですが、今後はもっと智慧が蓄積されたポータルサイトとなることを目指しています。地域のコミュニテイづくりに感心のあるNPOや行政の人が、智慧を求めて情報を検索できたり、実際に誰かに相談できるような場に生まれ変わらせたいと考えています。
今は自分が前に立って色々なことをしていますが、ある程度達成したら裏方に回りたいですね。もともと人前に立つのは本当に苦手なんです。ただ、今まで応援してくれた人、支援してくれた人がたくさんいて、その人たちに恩返しをするために、今は自分が前に立ち、少しずつ成果を出せるようにしています。成果を出せるようになったら、今度は後輩育成に力を注ぎたいです。区議会の活動も、もっと若い人たちが議員として活躍ができる環境を、5年位で整えていきたいですね。
将来は、全然違うことをやっているかもしれませんね。なんでも、やってみて、突き詰めてみなければ自分のやりたいことか、分からないですから。いずれにせよ、身近な人の力になれるような生き方をしていければと思います。
2015.01.15
横尾 俊成
よこお としなり|地域を再構築するメディア運営、区議会議員
港区議会議員を務めながら、NPO法人グリーンバードの代表を務め、NPO法人スタンバイにて「マチノコト」を運営する。
マチノコト
横尾としなりの会
greenbird
著書『「社会を変える」のはじめかた』(産学社)
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