「人生には、腹の底から笑い転げた数が大切。」
脱サラピエロが目指す世界。

上場企業を脱サラして「常識から逸脱した存在」であるピエロを職業とする豊田さん。ずっと真面目な優等生として生きていたものの、心の中では型にはまっていることへのコンプレックスがあったそうです。そんな豊田さんがピエロという生き方を選んだ背景を伺いました。

豊田 淳

とよだ じゅん|脱サラピエロ
上場企業を脱サラし、ピエロとして活動する。

ピエロのPV1
ピエロのPV2
個人Facebook

優等生ゆえのコンプレックス


私は愛知県名古屋市で生まれました。母が誰とでもすぐに仲良くなり、周りから愛されている姿を見て育ったからか、小さい頃から人の気持ちを察するのが得意でした。何かしようとしても、周りの人がどう感じるかを一度考えてから行動できるんです。

そんな性格だったので超がつくほどの優等生で、周りの期待を裏切らないように勉強もするし、運動も頑張るし、学級委員もするような子どもでした。一方で、それが自分の中ではコンプレックスにもなっていました。型にはまっていて、ユニークじゃないと思っていたんです。そのため、面白いことが好きで、お笑いやプロレスなど、エンターテイメントのテレビ番組が好きになっていきました。

特にプロレスの人を惹きつける魅力に圧倒され、中学生の頃はプロレスラーになりたいと思っていました。ただ、学校ではあまり社交的ではなく自分の役割を淡々とこなしていたので、1人で布団に向かってレスリングの技をかけていましたね。

高校では、人を惹きつける力をつけたいと思い、魅力的な先輩が多かったラグビー部に入り、大学でも同じ理由でアメフト部に入りました。それまでの自分は、何でも余裕でこなしている分、「やりきった」という自信がなく、先輩たちの、厳しい練習を耐え抜き自信に満ち溢れている姿が、魅力的だと思ったんです。

限界を超えて挑戦する心地よさ


大学のアメフト部は、それまでのように周りを見る余裕がないほど厳しい環境でした。だからこそ、自分の限界を超えて挑戦している感覚を持つことができ、非常に充実していました。2年生になって初めて出た試合では、全治半年ほどの大きな怪我をしてしまったこともあります。しかし、その逆境にいるけれども頑張っている自分が好きだったので、多くの部員が辞める中、辞めようと思ったことは一度もありませんでしたね。魅力的な仲間と本気で目標に向かっていけることは楽しかったんです。そして全国大会にも出場しました。

ただ、アメフトというスポーツ自体が好きだったわけではないので、実業団に進むなどは全く考えず、就職活動をすることにしました。

しかし、将来やりたい仕事は、特にありませんでした。ただ、父親はカメラマンだし、親戚にも士業や自営業の人が多かったので、そのうち自分にもやりたいことが見つかるだろうから、まずは自分に魅力がつき成長できる会社に入ろうと思っていました。

そこで、仕事が忙しく激務と言われている会社を何社か受け、その中で初めに内定をもらうことができた、名古屋のプロトコーポレーションに入社することにしました。

自分とは何なのか?


入社してからは営業に配属されました。ただ、サービス自体というよりも、自分自身を売るような営業スタイルでお客様の元に行っていました。社会を知らない、まだ若い自分の様な人間でも信頼や期待してもらえることが、非常に嬉しかったですね。

また、入社した時に年次なんか関係なく営業成績のトップを取ると宣言していて、その自分の限界を超えた目標に挑戦している感覚がたまりませんでした。仕事は忙しかったものの、やりがいがあったんです。そして、1年を終えた段階で目標には届かないものの高い営業成績を上げることができ、東京に転勤することになりました。

上京してからは、友だちをつくるために毎日飲み歩いて行きました。すると今までに会ったことのないような同世代で魅力を持つ人がたくさんいたんです。特に、バーで働いていたある友人は、何かわからないけど言葉に魅力があり、その魅力を確かめようと何度も飲みに誘ったし、イベントにも行って研究するようになりました。

正直、悔しかったですね。そして、自分には何があるんだろう、自分は将来どんなことがしたいんだろうと考えるようになっていきました。

そうやって自分の将来を考えている時、父に人生にとって大事なことは「腹の底から笑い転げた数が多いこと」だと言われたんです。その言葉が自分にしっくり来て、自分自身が最高に笑えて、それによって周りも笑ってくれるような道に進みたいと考えるようになっていきました。

幸せが続く状態とは?


ただ、お笑い芸人はたくさんいるし、もっとユニークな存在になりたいと考えていました。そんな時、ピエロの養成学校があることを知ったんです。この時、なんて面白いものを見つけてしまったんだ、と思いましたね。

そして、働きながら通える時間帯の学校ではなかったので、1年半ほど働いた会社を辞めることにしたんです。これが自分の人生だと思ったし、生活はなんとかなるだろうと思っていたんです。

しかし、実際に会社をやめてからは一気に不安が襲ってきました。どんどんお金はなくなっていくし、請求書が溜まっていく。家賃も払えないすれすれの状態になっていき、焦りと不安に苛まれていました。人生で初めて落ち込んだ瞬間でした。それならば、もう落ちるところまで落ちようと、太宰治の『人間失格』を何度も読みました。

一方で、同じ状況でも、苦しむ人と楽しむ人がいると考えていて、じゃあその心の違いはどうして生まれるのか知りたいと、脳科学の本を読み漁るようになっていきました。そして、幸せが継続する状態に関する納得できる考察と出会ったんです。

それは、2つの要素があって、1つ目は自分自身が目標に向かって頑張っている時で、2つ目が人との繋がりを感じられる時でした。自分の人生を振り返ってもその週間は幸せを感じていたし、今もその幸せな状況なんだと実感することができ、少しずつ立ち直っていきました。

稼げるピエロのロールモデルに


今は、ピエロの仕事をしつつ、養成学校に通い、バイトもしているような生活です。ピエロというのは、常識を逸脱した存在であり一種の概念なので、ピエロ毎にそのスタイルは違います。その中でも私はやはり笑いという軸を持っています。いるだけで場の空気を和らげることができる存在で、かつ、自分自身が最高に楽しみ、それが周りにも伝播して、周りも楽しくなれる存在。そんな姿を目指しています。

また、ピエロにかぎらず、パフォーマーの世界は、自分の芸は研ぎ澄ませても、それをお金に変えて生活を安定させる力が弱いと感じることがあります。私が脱サラしてピエロになる時に一番言われたのは、「どうやって生活するの?」ということでした。逆を言えば、生活が安定することが保証できていたら、多くの人の不安は取り除け、チャレンジする人が増えるんだと考えています。だから、私は自分自身が稼げるロールモデルになるだけでなく、パフォーマーのファンクラブのような仕組み作りまでを行い、みんなが稼げるようにしたいと考えています。

人が夢を追う上での一番の障壁となる「将来への経済的な不安」を取り除くことで、「ピエロ」よりも、もっとユニークなやつが沢山生まれてくれたら嬉しいです。そんな目標があるので、目下は自分自身の芸と哲学を磨き、まずはアルバイトをせずにピエロだけで食べていける状態をつくりたいです。

2015.01.11

豊田 淳

とよだ じゅん|脱サラピエロ
上場企業を脱サラし、ピエロとして活動する。

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